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アルテル=レッドファーンの客人

 そこは町外れの森の手前にある、大樹をくり抜いたような建物。その玄関先での出来事である。


 少女と青年の二人が乾燥させてあった薬草を選別し、紐で小分けにしてまとめている。

 少女はシェラ、青年はアルテルといい、シェラはここで薬剤店を営むアルテルに雇われている。

 てきぱきとこなすアルテルに対し、ぎこちなさの拭えないシェラだが、それでも真剣そのものだった。


 シェラは大粒の黒真珠のような瞳と、亜麻色の髪の美しい容姿をしているが、着飾ることをせずにいつもくたびれた男性用の洋服に身を包んでいる。


 一方、アルテルは丸眼鏡をかけ、長身をすっぽりと覆い隠す漆黒のローブを身にまとっていた。その姿はまるで黒魔術師のようだが、琥珀色の瞳はシェラを優しく見守っていた。

 

「先生、これで大丈夫でしょうか?」


 不安げに、出来上がった薬草の束を差し出すシェラに、アルテルは微笑んだ。


「うん、十分だ」

「あの、これにはどういった効果があるんですか?」


 働き出して間もないシェラには、わからないことが沢山ある。そのつど、アルテルは説明を欠かさなかった。


「化膿止め。それから、解熱作用だな」

「それは重要ですね」


 シェラは手元の紫色をした薬草を興味深く眺めた。アルテルは薬草の束をかごにまとめ、紐とはさみは広げてあった布の上に残す。


「シェラ、後片付けしといてくれ」

「はい」


 返事をすると、その時、すぐ近くに気配を感じた。アルテルも感じたらしく、二人は同時に同じ方に顔を向けた。


「あ……」


 シェラは声をもらした。お客さんだ、と。


 町の人々から黒魔術師だ悪魔だと誤解され、信用のないアルテルの店は、来客自体が珍しい。皆無ではないのがせめてもの救いだが。

 目の前の客人は、二十代半ばから後半くらいだろうか。アルテルと同世代だろう。


 つややかな茶髪を高く結い上げ、女性的な体型を強調するような、タイトな白いドレススーツを着ている。見るからに高価そうで、ふわりと立ち上がった襟の仕立てがきれいだった。

 彼女は上品な足取りで、スリットの入ったスカートを捌きながら歩いて来る。女性にしては長身なのだが、さらに高いヒールを履き、長い脚を見せ付けていた。全身から自信がみなぎっている。


 それもそのはずで、輝くような美人だった。なんて格好いい女性なのだろう、とシェラは思わず見とれていた。

 けれど、ぼうっとしている場合ではない。シェラは慌てて頭を下げた。


「い、いらっしゃいませ」


 思えば、この店の数少ない客は富裕層の人々だ。薬は高価なものだから、そうなるのも仕方がない。

 この女性も見るからにゆとりがある。滑車の付いた荷物を引いていることから、遠方からの来客のようだ。

 接客の姿勢に入ったシェラだったけれど、何故だかいきなり首根っこをつかまれた。


「わっ!」


 ものすごい力で体を持って行かれる。百八十度の回転で軽く目を回し、わけがわからずにいるシェラの耳に、魅惑的な声が届く。


「あら、どうして隠すのかしら?」


 クスクス、と心地よく耳をくすぐる笑い声がした。シェラはアルテルの背から表に出ようとしたけれど、アルテルがそれをさせなかった。


「こいつが玩具にされたら、かわいそうだからだ」


 などと、いつもより低い声で言う。


「へぇ……」


 つぶやきが聞こえた次の瞬間、女性は颯爽と闊歩し、その長い脚でアルテルのすねを蹴った。

 あの尖った靴のつま先は、かなり痛いと思われる。


「っっっ!」


 アルテルは、声もなくうずくまる。


「せ、先生、大丈夫ですか?」


 あまりに痛そうなので、アルテルの隣にかがみ込もうとしたシェラだったけれど、ほっそりとした指に顔をすくい上げられた。

 顔を両手で包まれ、シェラは正面から間近で女性を見た。きれいな鳶色の瞳が、おもしろがるような色を浮かべていた。


「わっかいコねぇ。しかも美少女だし。で、このコ、何?」


 誰のせいでアルテルが声もなくうずくまっているのかは、すでに忘れたらしい。すぐに返答がないことに腹を立て、彼女はもう一度アルテルを蹴り飛ばした。


「早めに答えなさい。私は気が短いの」

「知ってる……」


 ぼやきながら立ち上がったアルテルに、彼女はにやりと笑う。


「で?」

「シェラっていって、つい最近雇ったばっかりなんだ。住み込みで働いてもらってる」


 その答えに、彼女は整った眉根を寄せた。


「住み込み? こんな美少女と同棲中? いいご身分ね」

「……誤解するなよ。シェラはこう見えても男なんだからな」


 アルテルは、毎回毎回言い飽きたとでも言いたげな口調だった。

 ただ、誰も信じた人はいないし、事実でもない。

 シェラは正真正銘の女の子である。アルテルだけが男だと思い込んでいるに過ぎないのだが、本人は気付く気配もなかった。

 彼女もまた然りで、やはり信じない。


「馬っ鹿じゃないの、あんた。こんな可憐な男がいるはずないでしょ。これで男だったら、世の中の女性の立場がないじゃない」

「……この多感な年頃の男子に、可憐とか、あんまりじゃないか。そういうの、結構傷付くんだぞ」


 ため息混じりに言ったアルテルを、彼女は笑い飛ばす。


「あんたにもそんな時期があったわね。今じゃこんなにもかわいくないのに」

「うるさい!」


 シェラはそんな二人のやり取りを、ぽかんと口を開けて見守っていた。どうやら、アルテルと彼女の付き合いは長いらしい。

 付き合い切れないという風に、アルテルはきびすを返した。


「シェラ、中に入るぞ」

「あ、はい」

「お茶いれてよ」

「自分でいれろ!」


 アルテルは一人で先に行ってしまった。すぐに続けばよかったのだが、一瞬の戸惑いが、シェラをその場に留まらせた。

 あんなに怒りっぽいアルテルは初めて見る。これは、気心が知れているということなのだろう。

 彼女は細腰に手を当てて嘆息する。


「あいつ、紹介もしてくれなかったわね。まあいいわ。私はラメリアよ。よろしくね、シェラちゃん」


 シェラに向けられた笑顔は、うっとりするくらいにきれいで優しげだった。アルテルに対する暴力行為は、別の誰かの仕業だったような気がして来た。


「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」


 けれど、ラメリアは自分の微笑が持つ効果を理解した上で、有効活用しているのだった。相手を油断させ、シェラがぼんやりとした隙に、その胸元をえい、と押さえた。

 シェラが硬直していると、ラメリアは満足そうにうなずいた。


「やっぱり女の子じゃない」

「ま、まあ、そう、です……。すみません」


 そうとしか言えなかった。恥ずかしさと疚しさで思わずうつむくと、ラメリアは首をかしげる。


「何か事情があるの?」

「ないです。先生の勘違いなんですけど、今更言い出せなくて……」

「ああ、馬鹿だからね、あいつ」


 うんざりとした口調だった。色々あったと推測させるには十分な響きだ。

 だから、それとなく尋ねてみた。


「先生と知り合ってから、長いんですか?」


 言ってから、その質問は的確ではなかったと思う。けれど、それを口にした時、何故だか他に言葉が見付けられなかった。

 自分で気付いたくらいなのだから、ラメリアも同じことを思ったのだろう。クスクスと笑われた。


「シェラちゃん、知りたいことはもっと率直に。曖昧な尋ね方をすると、曖昧な答えしか返って来ないんだからね。私とアルテルの関係は、見たままよ、とかね」


 からかわれているのだろうか。正直、困ってしまった。

 アルテルは、この美女が少し苦手なようだ。けれど、逆らえない何かがあるような。

 ただし、背の高い二人が並んでいるさまはとても絵になる。多分、そういう(・・・・)関係なのだろう。


 そんなことをぼうっと考えていると、いつまでも戻って来ないシェラとラメリアが気になったのか、アルテルが二階の窓を開ける音がした。

 そこからアルテルが顔を覗かせるよりも先に、シェラは慌てて答えた。


「い、今行きます!」


 ほっとした。逃げるように中へ入ると、当然のようにラメリアもその後について来る。大抵の来客は驚く、店に並ぶビン詰めのゲテモノにも彼女は一切怯まなかった。アルテルにとって、彼女は何かにつけて例外なのかも知れない。



     ※※※



「あら、随分と様変わりしたわね」


 シェラが来る前の乱雑な部屋と比較しての言葉だ。

 そして、ラメリアはまっすぐ椅子に向かい、腰かけると早々に脚を組んだ。胸ポケットから優雅な仕草で一枚のメモと封筒を取り出し、それを机の上に飛ばす。


「今回はこれだけでいいわ」


 アルテルは嫌そうにそれを拾い上げると、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「これだけって、十分多いだろ」

「いいじゃない。お金払ってるもの」

「値切るくせに」


 そうこぼしながらもアルテルは諦めたのか、シェラの方に向き直る。


「シェラ、ちょっと店までついて来てくれ」

「はい」


 ラメリアを残し、アルテルとシェラは一階の店に下りた。シェラはそこでアルテルの指示通りのものをかき集める。

 胃腸薬、睡眠薬、化膿止め、解熱剤、軟膏などの常備薬が多い。

 けれど、こんなに大量の薬を買ってくれるのなら、彼女は上客だ。それなのに、アルテルの態度はすこぶる悪い。

 アルテルはわざとらしく嘆息した。


「ラメリアは医者なんだ。たまにふらっと来てあの調子だ。連絡くらいしてくれれば、こっちも用意は楽なのにな。迷惑な話だ」


 医者と薬師。そういう繋がりかと、ようやく理解できた。


「先生、迷惑だなんて仰ってはいけませんよ。わざわざ来て下さるということは、先生の腕を認めて下さっているからでしょう?」


 するとアルテルは、うんとつぶやいて曖昧に微笑んだ。


「お前はお人よしだなぁ」

「え? なんですか、急に」


 二人のやり取りをいつの間にか階段の辺りから眺めていたラメリアは、冷やかすように言った。


「随分と優しいじゃない」


 アルテルはそのひと言で、また仏頂面に戻った。


「シェラ、それ頼むな」

「はい」


 アルテルがラメリアの横をすり抜けて行くと、ラメリアもそれに続いて二階に戻った。なんとなく、シェラの意識もそちらに向かった。二人が交わす会話に興味がなくはない。けんかをしないか心配だ。

 けれど、まず仕事済ませなければならない。


 薬ビンが割れないように緩衝材として、削った木屑をバスケットに敷き詰める。その中に、油紙で包んだビンを収めて行く。


 作業を進めながらシェラは思った。

 ラメリアは、シェラの知らないアルテルを知っている人だ。

 どうしてここで店を開くようになったのか。家族はいるのか。どこの出身なのか。


 ――アルテルのことを、シェラはまだあまり知らない。

 今まで、誰かの過去や事情を知りたいと思ったことはない。そんなことは付き合っていく上で関係ないと思っていたから。


 なのに、何故、アルテルのことを知りたいと思うのか。

 自分のこともあまり話していないくせに、一方的に知りたいと思うのはおかしなことだ。

 そう思うのに、他にアルテルを知っている人が現れると、自分が何も知らないことに一種の疎外感を覚える。


 なんだろう。馬鹿みたいだ。 

 落ち着かない気持ちになった。だから、それ以上深く考えるのを止めた。



 作業を終え、バスケットを抱えて二階に戻る。扉の前にたどり着いた時、アルテルの怒声が轟いた。


「ふざけるな!」


 あまりの鋭さに、シェラはバスケットを落としそうになったけれど、かろうじて落下を免れた。

 けれど、あの穏やかなアルテルが激昂するようなことなどそうそうない。シェラはひたすら不安になった。一度だけ、アルテルを本気で怒らせてしまったことがあるのだが、あれは本気で怖い。


 一体二人は何を話しているのだろう。

 シェラは気が気ではなく、念のためにドアをノックしてから開いた。


「あ、あの、どうかされましたか?」


 耳を垂れ、尻尾を巻いた子犬のような様子のシェラが顔を出すと、アルテルは意識して平静を装っている口調で言った。


「いや、なんでもない。気にするな」


 あれだけ大声を出しておいて、気にするなもない。けれど、そう言われてしまっては入り込めなかった。


「そうですか……」


 引き下がろうとしたシェラだったが、ラメリアは不敵に笑って言った。


「なんでもなくないでしょ。当事者じゃない」

「え?」

「入って来て。ちゃんと話をしましょうか」


 アルテルは、丸い眼鏡の奥からラメリアをにらみ付ける。


「いい加減にしてくれ。シェラを巻き込むな」


 それでも、ラメリアは少しも臆した様子はない。アルテルに背を向け、シェラに歩み寄る。そして、シェラの首に両腕を絡ませた。


「あのね、今、アルテルに頼んでいたの」

「止めろ!」


 遮る声を無視し、ラメリアは続きを口にした。


「シェラちゃんを頂戴って」

「は?」


 意味がわからない。

 呆然としているシェラの顔を、ラメリアはゆっくりと撫でる。


「私の診療所、もう少し人手がほしいのよね。シェラちゃんは素直だし、かわいいし、いいなぁって。どう? ここよりお給料は弾むから、来ない?」


 にっこりときれいな微笑が真横にある。けれど、恐ろしくて直視できなかった。アルテルの顔も見られない。


「物みたいに差し出せるか! そんな軽い扱いをするな!」


 初めてここに来た日から、とても大切にしてもらっている。

 それを身に染みてわかっているけれど、アルテルが声に出してそんな風に言ってくれると、言いようもなく嬉しかった。

 ラメリアはアルテルを無視したまま続ける。


「ね、シェラちゃん、私の診療所はローテスタークにあるのよ。こんな辺鄙なところで、こんな変人といるよりよっぽどいいわよ」


 ローテスタークというのは、首都の城下町だ。ラメリアが垢抜けているのも当然だった。

 船で片道二日くらいかかる。遠いところから来たのだな、とぼんやり思った。

 シェラの実家があったところも、ローテスタークに次ぐ華やかな土地だったけれど、今更都会に興味はない。それよりも、この安らげる場所が大事だった。


「私はここで先生に雇っていただけるだけで十分です。本当によくして下さっているんです」


 シェラがそう答えると、アルテルは少しだけ表情を和らげた。

 ラメリアはからかうような響きのある声で言う。


「恩なんて感じてないで、自分がしたいようにすればいいのに」

「先生が私を必要としないのであれば、仕方がありません。でも、そうでないのなら、私はここがいいんです」


 この時、シェラはようやくラメリアに微笑み返すことができた。それは偽りのない気持ちだった。

 ただ、ラメリアは聴いているのか、いないのか、ずっとシェラの頬を撫でている。


「いいわねぇ。やっぱりかわいいわ、このコ」

「あの……ちょっとくすぐった……ぃ」


 ラメリアに撫で回されているシェラを見かね、アルテルはラメリアの腕をつかんで引き離した。


「……大丈夫か?」


 はいと答えると、その頃にはアルテルはラメリアのヒールの踵を食らい、声もなく悶絶していた。


「ああ、痛い! 私にこんな扱いをして、ただで済むと思ってるのっ?」


 二の腕をさすりながら、ラメリアはアルテルの頭を更にはたく。シェラはとりあえずおろおろするしかなかった。


「疲れた。食事とお風呂と寝るところ用意して」


 もう、逆らえる気がしなかった。シェラは素直にうなずくが、アルテルはまだ抵抗した。


「誰が泊めるって言った? 帰れ!」


 すると、ラメリアは面倒臭そうに言った。


「いつも泊まって帰ってるでしょうに」


 二人の関係が決定的になったひと言だった。少なくともシェラはそう思った。

 シェラの頬に朱が差し、それから耳まで赤くなったのを見て、今度はアルテルが青ざめた。

 深々と嘆息する。


「シェラ、何か勘違いしてないか?」

「え? いえ、大丈夫です。ちゃんと……理解してます」

「――シェラ」

「は、はい」

「ラメリアは、俺の、すぐ上の姉だ」


 姉。


「え? ええ??」


 シェラは思わず二人を見比べた。

 言われてみれば、そっくりではないものの、似たところもある。そろって長身であったり、涼やかな目元も似ていなくはない。


 脱力すると、シェラは思わず長い吐息をもらした。自分の口に手をやると、その時自分が震えていたのだと初めて気付いた。その理由は思い当たらなかったけれど。

 それから、ラメリアは一変して穏やかな顔でシェラを眺め、アルテルに向かって言った。


「少しだけ、シェラちゃんと話をさせて。大丈夫、さっきの話は諦めたから」

「……シェラがいいならな」


 アルテルはそれ以上何も言わなかった。



 シェラはラメリアに連れられて外に出た。外の空気は涙が出るほど新鮮だった。

 二人は木々の間を並んで歩く。ゆっくりとした歩調だった。

 シェラは空を羽ばたく鳥の声に、上を見上げた。そんなシェラの横顔にラメリアはそっと話し出す。


「うちはね、私の上にまだ二人の姉がいるの。四人中、男はアルテルだけだから、小さい時から弟がほしいって言ってたわね」


 クス、と懐かしむように笑う。その瞳は優しかった。


「ローテスタークでレッドファーンといえば、医療の名門なのよ。私は個人で診療所をしているんだけど、父は国の重鎮の主治医も勤めているし。あれでもアルテルは、そういう家の嫡男なの」


 知りたいと思っていたアルテルの事情を知って、シェラは急に怖くなった。


「……先生はいつか、跡を継がれるためにご実家に戻られるということですか?」


 幸せな時間は、不意に終わりを告げる。そんなことは学んだはずなのに、知らない振りをしていた。

 現実は、いつもそうだ。急に何もかもを取り上げる。

 けれど、ラメリアは意外にもかぶりを振った。


「アルテルは勉強のために旅に出たきり、ここに居ついちゃったから、父は勘当だって怒ってるし、家は一番上の姉の夫が継ぐってことで落ち着いてるわ。だから、家のことはいいの」


 そのひと言に安堵する。ただし、ラメリアの麗容にはアルテルの前では見せない悲哀があった。


「ローテスタークでレッドファーンといえば一目置かれる存在なのに、こんなところでおかしな噂の的になりたがるアルテルの気持ちなんか、私にはわからないわ」


 薬の買出しなんて二の次で、本当は孤独に暮らす弟を心配して様子を見に来ているのだろう。それが見て取れたから、この姉にぞんざいな口を利くアルテルは贅沢者だと思う。


「それでね、アルテルはシェラちゃんがお気に入りみたいだから、連れて帰ったら案外一緒に付いて来るんじゃないかなって思ったんだけど」


 シェラは思わずその場に転げそうになった。


「わ、私で先生が釣れるわけがないじゃないですか……」

「駄目かしら?」

「先生は、一人に戻っても相変わらずだと思いますけど」

「でも、気になって顔を出すかも知れないじゃない?」


 ラメリアはそこで立ち止まった。シェラも同じく足を止める。向き合ったラメリアの表情は、痛いくらいに真剣だった。


「私は、アルテルに家を継げとか、医者になれとか言うつもりはないの。アルテルの作る薬はうちの患者さんにとても評判がいいわ。薬師が向いてるんだと思う」


 ただ、とラメリアは一度言葉を切った。


「ここでなくてもいいじゃない。もっと人口の多い、需要のある土地に移れば、少なくとも今みたいに白い目で見られることはなくなるのに……」


 シェラにも身を案じてくれている人がいる。

 心配性で、いくら大丈夫だと言っても、ああだこうだと不安の種を見付けては騒いでいる。

 心配というのは、きりがない。

 そうと知りながらも、止まないものでもある。


 その気持ちは温かでありがたいけれど、だからといって言葉のすべてに従い、寄りかかることがその心に報いる(すべ)ではない。

 アルテルもきっと、どんなに心配されても、自分を曲げたりはしないだろう。

 幸せかどうかは結局のところ自分自身が決めることなのだから。


「すみません。私もその噂を信じていたうちの一人です」


 あの心無い噂が本人以上に家族を傷付けると自覚すると、謝らずにはいられなかった。

 頭を下げたシェラに、ラメリアは柔らかな声音を向ける。


「いいのよ。今はアルテルのことを理解してくれてるじゃない。……ただ、シェラちゃんみたいにわかってくれる人は、ほとんどいないから」


 その悲しいひと言に、シェラはかぶりを振った。


「でも、少しはいるんですよ。肝試しに来た子供たちも今ではすっかり仲良しですし。この前はお客様に随分よくなったよ、ありがとうって言われました。だから、少しずつですけど、これからもっとよくなるって思うんです」


 焦ってはいけない。

 少しずつ、一人ひとりと向き合って、そうして変えて行くしかないのだろう。


「そっか。前とは違うのね」


 ラメリアのその言葉は笑みを含んでいた。憂いの中に光が差し込む。


「アルテルを弁護してくれる味方ができて、私も気が楽になったわ。ありがとう」


 アルテルの肉親にそう言ってもらえたことが、シェラには何より嬉しかった。


「精一杯、先生を支えられるようにがんばります」


 真摯な気持ちでそう答えた。


「うん、アルテルのこと、これからもお願いね?」

「はい!」



    ※※※



 アルテルが二人が出て行った後、どういう心境でいたのか、表情から読み取ることはできなかった。ラメリアは表情のないアルテルににっこりと微笑む。


「シェラちゃん、あんたのそばがいいんですって。あんた、こんなかわいいコにそう言ってもらって幸せよねぇ」

「……随分と機嫌がいいじゃないか? 変だな。どこか悪いんじゃないか?」


 ほしいものが手に入らなかった時の反応ではない。アルテルは一瞬、疑わしげな目を向けたが、ラメリアはアルテルの余計なひと言に彼の頭を叩いた。


「失礼なことを言わないの! 私は客なんだからね。早く接待しなさいよ」

「用が済んだなら帰ればいいのに」


 そのひと言で、もう一度殴られた。


「遠路はるばる来た、か弱い乙女になんて仕打ち?」

「……誰のことだ?」


 蚊の羽音のような声だったのに、今度は平手打ちを食らってしまった。言わなければいいのに、と思うのだが、つい口がすべるのだろうか。兄弟姉妹のいないシェラには理解できない関係だった。 



 その後、アルテルが食事の支度をし、シェラが風呂焚きをする。

 三人で囲む食卓は賑やかだった。ラメリアはアルテルの作った香草入りリゾットに満足したようで、後はお酒が飲みたいと言い出した。消毒用のアルコールを差し出したアルテルは、また殴られたけれど。


 そして、ラメリアは風呂へ行く。シェラが食事の片付けをして、アルテルはなかなかはかどらなかった調合を再開していた。

 それからしばらくして、ラメリアが風呂から上がって来た。アルテルのシャツを借りたのはいいのだけれど、長い脚がむき出しになっているので、二人はぎょっとしてしまった。


「シェラがいるんだから、もう少し気を使えよ」


 アルテルが顔をしかめると、ラメリアは弟を馬鹿にしたような笑顔を向けた。


「別に構わないでしょ。じゃあ、私はもう休むから。朝までに私の睡眠を妨げたら、木に吊るすからね」


 冗談に聞こえなかった。

 そうして、ラメリアはアルテルの寝室へと入った。ガチャリ、と施錠される音が妙に大きく響く。


「あ、おい!」


 アルテルは自室の扉を慌てて叩く。


「俺が入れないだろ!」

「あんたは、どうとでもしなさい」


 内側から、身内とは思えない酷薄な言葉が返る。

 毛布も何もない、この床で寝ろということか。家の主が自宅でそのような目に遭う理不尽さも、ラメリアには何か思惑があってのことだろうか。

 さすがのアルテルも苛立(いらだ)たしげに扉を叩き続ける。


「どうとでもなるか!」


 それに対する返答は、早くも眠たげであった。あくびが混じっている。


「じゃあ、シェラちゃんのところに入れてもらいなさい」

「ええ!!」


 シェラは思わず、悲鳴のような声を上げてしまった。

 けれど、ラメリアの声は、まるでいたずらっ子のような響きがある。


「いいじゃない。男同士でしょ?」


 知っているくせにそんなことを言う。絶対におもしろがっている。


「おい!」


 ドン、とアルテルが強めにドアを叩くと、ラメリアの声が急に尖る。


「うるさい。いい加減にしないと、怒るわよ」


 それ以上、何もできなかった。アルテルは振り上げた手を下ろすと、シェラの方を振り返る。


「……まあいい。一晩くらいなら徹夜するか」


 伸びをしながらアルテルは言った。


「え、昨日も遅かったじゃないですか。それじゃあ体が持ちませんよ」

「大丈夫だって」


 そんな状態のアルテルをほうって、自分だけが眠れるわけがない。


「それなら、私も起きています」

「シェラは気にしなくていい」

「そんなわけには……」


 二人の言い分は平行線をたどる。


「お前の体力じゃ、徹夜なんて無理だろ」

「先生だって睡眠不足じゃないですか。お互い様です。私に眠れと仰るのなら、先生こそちゃんと睡眠を取って下さい」


 ここで引いてはいけない。多少強引に言わなければ、アルテルは無理ばかりする。手のかかる人だ。

 シェラがこうなると、最後にはいつもアルテルが折れる。困ったように頭をかいた。


「わかった。でも、多分狭いぞ」

「へ?」

「寝相はいいと思うけど」


 シェラはようやく、自分で自分の首を絞めたことに気付いた。けれど、今更青くなったところで遅い。



     ※※※



 もともと物置として使っていた三階の部屋を整理し、シェラはそこを自室として使っている。

 そうはいっても、まだ半分は荷物が置かれたままだし、空いたスペースにマットを敷いて寝ているだけだ。


 そのマットの上でシェラは毛布の端を握り締めていた。まだ肌寒さはあるものの、特別寒いということもない。ただ、そうしていなければ落ち着かなかった。

 背中を向けているアルテルの方から、苦笑気味の声がする。


「子供の頃は家族とか友達と、こうして寝ることもあったけど、この歳になってこういう目に遭うとはなぁ……」


 アルテルはのん気なものだが、シェラはもっと深刻だった。うっかり女だと気付かれないか、気が気ではない。とりあえず、眠った振りをしてやり過ごすしかない。

 返事をしなかったので、アルテルもシェラが眠ったと思ったらしく、それ以上声をかけることはなかった。


 次の瞬間にはすうすうと寝息が聞こえて来る。なんて寝付きがいいのだろう。やはり疲れていたのだ。


 少しほっとする。一人で緊張していたことが馬鹿みたいに感じられた。

 背中から伝わるほのかな温もりが、少し心地よいような気もするけれど、できればもう少し距離を保ちたい。マットから落ちない程度に体をずらそうとするが――。


「いたっ」


 思わず声を上げてしまった。慌てて自分の口を押さえる。

 シェラの長い髪をアルテルは下敷きにして眠っていた。

 そっと、少しずつ抜き取ろうと試みる。

 一人でもがいているシェラに気付きもせず、深い眠りに落ちているアルテルは、ころりと寝返りを打った。


「!」


 髪の毛どころか、今度は両手がアルテルの肩の下敷きになった。そして、左手がシェラの首に落ちる。

 重い。痛い。苦しい。

 目に涙を浮かべながら、寝相がいいなんて言ったのは誰だ、とシェラは心の中で毒付いた。

 結局、眠るどころではない。


 それでも、アルテルは一向に気付かない。目と鼻の先にアルテルの寝顔がある。

 気が抜けてしまうくらいに平和だった。


 首ひとつ動かせない状況でできることといえば、アルテルの寝顔を眺めることくらいだった。

 窓からもれる月明かりと暗がりに慣れた目で、シェラは珍しいものにじっくりと見入っておく。

 くせのある髪が垂れた、いつもの丸眼鏡のない顔。意外とまつげが長いし、鼻筋も通っている。黙って普通の格好をしていれば、爽やかな風貌なのだ。


 この距離でアルテルの顔を眺める機会はもうないだろうから、飽きるくらいに眺めておくことにした。

 ただ、こんなにも無防備で眠るのは、自分を信用し切っているからだと思うと、それがシェラには何より嬉しかった。


 下敷きにされているシェラの体に、アルテルの体温が移る。心音さえも感じ取れた。この温かさが嫌ではないけれど、あちこちがぴりりと痺れ出す。

 そのまま、しばらく耐えるしかなかったけれど。



          ※※※



 それから、どれくらいかが経って、アルテルはようやく寝返りを打った。やっとその重みから開放されたシェラは、今度こそマットの端に避難した。

 その後もしばらくは寝付けずにいたけれど、明け方近くになってうとうとと睡魔に襲われた。疲れ果てて力尽きたようなものだ。


 だから、朝になっても起きられなかった。

 ゆさゆさと肩を揺すられて、ようやく寝ぼけ(まなこ)を開くと、そこにはシェラを覗き込むアルテルの顔があった。


「!」


 すぐには状況が飲み込めなかった。何故、アルテルが部屋にいて、隣からシェラの顔を覗き込んでいるのかがわからない。声もなく混乱してしまった。寝起きの頭には限界だった。

 そんなシェラに、アルテルは苦笑する。いつもはもっと寝起きが悪いくせに、今日に限ってはしっかりしたものだ。


「俺の方が早く起きるなんて、珍しいな。そろそろ起きるか?」

「わ、わ、ごめんなさい! すぐ支度します! 先生は二度寝して下さい!」


 着替えもせず――というより、アルテルが部屋にいるのでできなかった。シェラはとにかく部屋から出たくて、そのままの姿で飛び出す。


 至近距離で寝顔を見られることがこんなに恥ずかしいなんて思わなかった。逆にされてみてわかる。昨日はじろじろ眺めて申し訳なかったと思うけれど、こちらのことはあんまり見ないでほしかった。



 二階の扉を開くと、そこにはすでに身支度を済ませたラメリアがいた。

 アルテルと違い、寝起きはよいようだ。

 見るからに余裕のないシェラの姿を目に留めると、ラメリアはおもしろそうに言った。


「目、真っ赤よ? それから、顔も。あんまり眠れなかったみたいね」


 誰のせいだと問われれば、間違いなく彼女のせいだ。


「それはそうですよ。だって……。先生はぐうぐう眠っていましたけど」


 消え入りそうな声で言うと、ラメリアは整ったあごに指を添え、ふむとつぶやいた。


「じゃあ、まだばれてないのね?」

「ええ。なんとか」


 チッと小さな舌打ちが聞こえたのは、気のせいであってほしかった。


「ラ、ラメリアさん、もしかして、私を追い出したいと思ってるんですか……」


 やはり、大事な弟のそばにいるにはふさわしくない人間だと判断されたのだろうか。涙声で問うシェラに、ラメリアは初めて困った顔をした。


「どうして? そんなはずないじゃない」

「じゃあ、どうしてばれた方がいいって思ってるんですか? ばれたら、先生は私を解雇するかも知れませんよ」


 自分で言って、悲しくなる。


「そんなことないと思うけど」


 ラメリアは軽く言った。けれど、それはアルテルにしかわからないことだ。

 ただ、その後、ラメリアはまとめた荷物を引きながらシェラのそばへ歩み寄ると、その耳元で優しく言った。


「あなたにはずっとここにいてほしいの。だから、早く女の子だってアルテルに気付かせたかったんだけどね」

「ずっといます! でも、ずっといるためには、きっと知られちゃいけないんです」


 必死の声に、ラメリアはそっとかぶりを振る。


「雇い、雇われの関係じゃ遠いのよ。もっと近くにいてあげて」

「もっと近く?」

「そう」


 思考が停止してぼうっとしてしまったシェラの額を、ラメリアは軽くつついた。


「ほら、わからない振りしないの」

「え……」

「私だって、いくら気に入ってもその気がない子にこんなこと言わないわ」


 顔を背けてしまいたかったけれど、ラメリアの瞳から逃れることができなかった。


「アルテルの隣で自分がどんな顔をしているか、気付いてないの? 私が姉だってわかった時、すごくほっとしてたわよね。あんなの、気付かないのはアルテルくらいよ」


 シェラはもう、頭が真っ白だった。これ以上、その言葉の意味を考えてはいけない。自分の中の何かがそう訴えている。

 泣き出しそうな表情になったシェラに、ラメリアは苦笑する。


「ごめん、ちょっと急ぎすぎたかしら? これでも私も忙しいし、そうそう来られないから、つい。……じゃあね、私はもう帰るけど、これからもがんばってね」


 最後の言葉に対してのみ、うなずく。お気を付けて、とラメリアを見送った後、しばらくぼうっとしていた。

 何も手に付かず、ただ時間だけが過ぎて行くと、シェラに言われた通りに本当に二度寝していたアルテルが下りて来た。

 そこで我に返ってシェラは慌てたけれど、今更どうにもならなかった。


「あ、あの、ラメリアさん、もうお帰りになりましたよ」


 そう言ってごまかす。アルテルはひとつあくびをした。


「ふぅん。さっさと帰ればいいんだよ」


 素っ気ない。けれど、本心ではないような気もする。だから、言った。


「最後まで、先生のことを心配されてました」


 アルテルは小さく、うんと答えた。

 きっと、照れ臭いのだろう。微笑ましくてシェラはそっと笑ったけれど、すぐにラメリアの言葉を思い出してしまう。だから、慌てて背を向けた。


「あ、私、こんな格好ですね! ちょっと着替えて来ます」


 不自然だったかも知れないけれど、仕方がない。

 ラメリアの置き土産を消化できるまで、しばらくかかりそうなシェラだった。



 【アルテル=レッドファーンの客人 ―了―】

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