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アルテル=レッドファーンの日常  作者: 五十鈴 りく
番外編

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16/17

アルテル=レッドファーンの心配

 春を迎えた頃、ある二人の結婚式が慎ましやかに挙げられた。

 そのことが行き交う町人の口の端に上るのである。


 あたたかな陽気に相応しい、優しく幸せな噂話。

 森のそばで薬剤店を営むアルテル=レッドファーンが花嫁を迎えたのだと。

 可憐な新妻と並び立つアルテルは、一時期噂されたような薄暗いものとはかけ離れた凛々しい姿であった。似合いの二人の晴れ姿を目の当たりにした人々も笑顔を振り撒いてそれを語るのだった。



 ――アルテル薬剤店。

 それは、大樹をくり抜いたような形をした建物。アルテル=レッドファーンの営む薬剤店の二階に店主の寝室があった。


 俗に蜜月と呼ばれる新婚生活。

 新妻のシェンティーナことシェラにとってはゴールのように見えたスタートである。

 毎朝、同じベッドを共有する夫が起きるよりも先にそこを抜け出す。絶対に先に目覚められてはいけない。理由は、本当に些細なことである。


 幸い、アルテルは朝に弱いのだ。亜麻色の長い髪とネグリジェの裾を夫に踏まれていないことを確認すると、シェラはベッドから起き上がろうとした。

 けれど、その途端に背後からするりと伸びた手がシェラに巻き付いた。ひゃ、と思わず悲鳴を上げて後ろに倒れたシェラを、眼鏡をしていないアルテルがクスクスと笑いながら至近距離で見つめている。


「おはよう、シェラ」

「お、おはっ……」


 シェラは顔を真っ赤にしつつアルテルから逃れようともがいた。けれど、アルテルはそれを面白そうに眺めるだけで解放してくれるつもりはない。


「いい加減に慣れたらどうだ?」

「まだ無理です!」


 要するに、こうして朝になって顔を付き合わせるのが未だに恥ずかしいのである。夫婦になったからと言って急にその日から意識が切り替えられるでもない。

 アルテルはそんなシェラの反応をからかうばかりである。


 妻としてアルテルよりも先に起きて、しっかりと朝食の準備をしてからアルテルを起こしたいと思うシェラだったけれど、動揺したまま寝室を飛び出して朝の支度を整えようとするから失敗続きである。震える手で卵を殻ごと粉砕しては、あー! と朝から叫んでいる。


 そんな新妻の様子を、アルテルは取り残された隣室のベッドの上で笑いを噛み殺しながら楽しんでいるのだった。

 それはとても幸せな日常だった。



     ※ ※ ※



 そんな二人が最寄のジーファの町へ買出しに出かけると、町の人々はおめでとうと声をかけてくれた。そのひとつひとつに丁寧に返しつつも、奥さんと呼ばれてはシェラはこそばゆい気持ちになった。恥ずかしさも嬉しさもそこにはある。

 隣のアルテルをちらりと見上げると、癖のある金髪と丸い眼鏡が春の日差しに輝いていて、穏やかに微笑み返してくれた。シェラがじんわりと幸せを噛み締める瞬間だった。


「えっと、先にティケのところに寄ってもいいですか?」

「ああ、じゃあ俺はその間に薬の納品に行って来る。ティケのところで待ってるといい」


 ティケというのは、シェラの元気な友人である。性格は正反対だが話が合うのだ。ティケは町の雑貨屋で働いている。


「ありがとうございます。先生方やギャレットさんによろしくお伝え下さい」


 アルテルが薬の納品に行くのは町の診療所である。薬の納品は取りに来てくれることもあれば、こうして買い物のついでに届けたりもするのだ。

 ティケのいる雑貨屋の前まで送ってくれると、アルテルはそのまま町の一番街にある診療所へ向かった。そんな背中を見送りつつ、シェラは雑貨屋のドアを潜る。いつものドアベルがカランカランと鳴った。


「いらっしゃいませ」


 ティケの元気な声が出迎えてくれる。客がシェラであることに気づくと、ティケはそばかすの浮いた可愛らしい顔で満面の笑みを浮かべた。セミロングの髪がぴょこりと揺れる。


「シェラ!」

「こんにちは、ティケ」


 特別用があるわけではない。けれど、町に来たからには会いたいのだ。会って話すだけでティケはいつもシェラに元気をくれる。

 歩み寄ると、木でできたカウンターの上にピンクとオレンジの可愛らしい寄せ植えの鉢が置かれていた。春らしく明るい花である。


「可愛いね、これ」


 シェラが率直に感想を述べると、ティケはこの花に負けないくらい魅力的に笑った。


「うん。せっかくだからお客さんにも見てもらおうと思って。それ、フレイ君がくれたの」

「え? フレイが?」


 フレイ。少しだけ年下の、シェラにとって弟のような存在である。

 過去にシェラの実家の執事をしていたフレセスという老人の甥っ子で、現在庭師見習いをしている。だからもちろん花には詳しいのだが、何故ここに鉢植えを置いて行くのかが謎である。フレイとこの店とが結び付かずに小首をかしげるシェラにティケは笑いかける。


「そう、よく来るの。お店にガーデニング関連の商品もあるから、そういうの買って行ってくれるの。いい子ね、フレイ君」

「あ、うん」


 それは間違いないと思うから、シェラもうなずいた。実際、フレイはまっすぐな少年だ。

 ただ、何故ここに通うのか、今度会ったら訊ねてみようと思った。

 ティケはそんなシェラの疑問などお構いなしにカウンターから身を乗り出す。


「ねえねえ、新婚生活はどう?」


 真っ向から楽しげに訊ねて来るティケにシェラは思わず言葉に詰まった。


「ど、どうって……その、うん、楽しいよ」


 指にぴったりと収まったエンゲージリングにカウンターの下で触れながらそう答えた。

 アルテルとは今までも二人で過ごしていた。そのスタイルが大きく変わったわけではない。

 けれど、些細ないくつかの違いが、もうあの人が他人ではないのだと認識させてくれる。そのことが、ふとした瞬間に痺れるくらいに嬉しく感じられるのだった。

 そんな風に答えたシェラの顔をじっと眺め、ティケは笑った。


「その顔見てたら訊かなくてもわかるんだけどね。いいなぁ、あたしにも早く誰かいい人が見つかるといいのになぁ」


 そんなことを言う。

 ティケならすぐにいい人を見つけて、こっちが当てられるくらいの幸せ振りを見せてくれそうだけれど。

 他愛のない会話を続け、それでもまだ喋り足りない頃合にアルテルがやって来た。


「あ、旦那様のお迎えね」


 その言葉が妙に気恥ずかしかったのはアルテルも同じだったのかも知れない。苦笑が見えた。


「ティケ、いつもありがとう」

「いいえ、ノロケ話はたっぷり聞かせて頂きました」

「ええ!」


 あたふたとするシェラの様子を楽しみつつ、ティケは笑いを噛み殺している。アルテルは嘆息すると髪を掻き上げた。


「診療所でも俺が一人で行ったから、なんで奥さん連れて来ないんだって散々言われてからかわれた」

「わぁ……」


 恥ずかしいけれど、みんながそうして祝福してくれている。それはありがたいことなのだ。――恥ずかしいのは間違いないけれど。

 じゃあねとシェラはティケに別れを告げ、そうして二人で仲睦まじく買い物をして、その荷物を抱えて帰った。その翌日に、予想もしていなかった人物の来訪があったのである。



     ※ ※ ※



 それは、いつも多忙を極めるアルテルの姉、ラメリアである。

 城下町ローテスタークで診療所を営む彼女は、時折遠方に住む弟のもとへ薬を買い求めに来る。

 けれど、結婚式に参列してくれた時に薬なら買って帰ったはずだ。ひと月も経たないうちに切らしてしまうような量ではなかった。


 ラメリアはアルテルと同じく長身で端正な顔立ちをした美人である。栗色の髪をまとめ上げ、タイトスカートにドレスシャツ。身だしなみにも気を遣う都会の洗練された空気を持つ女性で、シェラもそんな彼女に憧れている。

 ただ――。

 今日は少しばかり様子が違った。

 大きな荷物トランクを引きずっているのはいつものことではあるけれど、何かがおかしい。


「ラメリア?」


 アルテルが玄関先で不審そうに姉を見遣る。洗濯物を干そうとしていたシェラも慌てて駆け寄った。


「こんなに早く再会できるなんて嬉しいですけど、どうされたんですか?」


 診療所を長く留守にはできないから、とあまり遠出をしたがらない彼女だ。それがこう立て続けにやって来るなんて、何かよほどのことかがあったのだろう。

 ラメリアはムスッと不機嫌極まりない様子だった。


「しばらくここに置いて」

「はぁ?」

「何よ、文句あるの?」


 すごい言い草だった。

 人々が避けて通る新婚家庭にラメリアは遠慮がない。

 シェラは口を挟めずにハラハラと姉弟のやり取りを見守った。


「何言ってる? 診療所はどうしたんだ?」


 アルテルの顔にはすぐに帰れと書いてある気がしたけれど、ラメリアには通用しない。それどころか、ラメリアの方が何倍も怒りに満ちている様子だった。


「……お父様が手を回して医師を寄越して来たの」

「なんだ、乗っ取られたのか?」


 配慮も何もないアルテルの発言は冗談のつもりだったのかも知れない。けれど、ラメリアは更にキッとアルテルを睨んだ。その様子には不思議といつもほどの迫力がなかった。これは心底弱っている。シェラはそう察して心配になった。


 ラメリアは仕事熱心な女性だ。そのラメリアが仕事を離れている状況というのは落ち着かないものなのだろう。どういった経緯で診療所を他人の手に渡したのか、それがよくわからない。

 アルテルの父は有名な医師であるけれど、下町のラメリアの診療所に口を挟むような様子はまるでなかったのに。

 ラメリアは一度唇を噛み締めると、それからぽつりと言った。


「あんたが悪いのよ」

「は?」


 彼女が言うには、アルテルのせいだと。当のアルテルに思い当たる節はない様子だけれど。

 ラメリアは怒りに震えるようにしてつぶやく。


「あんたが結婚したから、後はお前だけだって……っ」

「うわぁ」


 思わずシェラまで声を漏らしてしまった。

 アルテルもさすがに愕然とする。


「それと診療所はどう関係があるんだ?」

「お前は忙しく働きすぎているから、このままだと一生仕事に追われて独り身だ。仕事に復帰したければ身を固めろ、だそうですわよ! ご丁寧に縁談まで用意して!!」


 美しいラメリアの顔のこめかみに青筋が浮いた。


「それはさすがに……横暴だな」

「ですねぇ……」


 夫婦そろってそうとしか言えない。

 レッドファーン家当主である父親は頑固で封建的な人物である。そのために望む道を歩まなかったアルテルとも長年の確執があった。ここ最近になってそれがようやく緩和され始めたところなのだ。


「私が独り身だからって、跡取りの問題はないでしょ? 外聞が悪いからって言いたいのかも知れないけど、私なりに責任を持って仕事して来たのよ。それをっ!!」


 ラメリアは仕事に一途な女性なのだ。その彼女が仕事を奪われたことは、生き甲斐を失うことのように思えてシェラはアルテル同様に心配になる。


「お父様に対してあんたに何かしてほしいなんて思ってないから、しばらく誰が来ても私がここにいることは内緒! わかった?」


 ぴしりとアルテルに指を突き付けるラメリアに、シェラの方が背筋を正して返事をした。


「はい! 誰にも言いません!」


 幸せな結婚をしたシェラだからこそ、思うことがたくさんある。

 一歩間違えれば間違えた相手と結婚するところだったこともあり、色々なことが頭を駆け巡る。望まない結婚ならしない方がずっといい。ラメリアがこの人とならと思う相手がいてこそ祝福できることなのだから。


 アルテルは複雑そうにしていたけれど、いつも気丈な姉が見た目以上にこたえていることにもちゃんと気付いているのだ。帰れとは言えない。

 二人としては落ち着くところに落ち着いてほしいと願うばかりだった。


 

     ※ ※ ※



 何もしない。

 それは彼女にとってとても難しいことであった。

 多忙を極めていたラメリアは、たまの休みにやって来ることはあっても、長期滞在はしない。たった二日間何もせずにいただけでまるで抜け殻のようだった。

 髪も結わずにラフな格好で、ぼんやりと窓の外を眺めては物思いにふける。なんとも似合わない姿である。


 ちなみに、シェラが過去に使っていた物置を急遽客間とした。もともとシェラが使っていたスペースをまだそのままにしてあったのだ。ラメリアはどこでもいい、と覇気のない声で言っただけだった。


「……先生、ラメリアさんが重傷です」

「ああ、さすがにまずいな」


 二人はそんなラメリアを眺めながらささやき合う。いつもの生き生きとした彼女が心をどこかに置き忘れてしまったようだった。



 そんな日の昼下がり、ローテスタークからある客人がやって来た。ただ、その人物はレッドファーン家とは直接関わりのない人物である。

 二階には通さず、一階の店でアルテルはその人物と対面した。


「どうも、ヒーニス=リグネルです。ローテスタークからやって来たんだけれど……」

「はあ」


 アルテルは気の抜ける返事を返す。けれど、相手はそれを気にする様子もなかった。

 年齢は三十歳前後だろう。これといって特徴のない中肉中背に温和で平凡な顔をした男性だった。

 それなりに身綺麗に麻のスーツを着込んでいるけれど、あまり存在感と呼べるものは感じられなかった。だから、彼に言われた言葉にアルテルは困惑した。


「えっと、君は覚えていないだろうけれど、僕はローテスタークの学院で君の上級生だったんだ」

「……」


 まるで覚えていない。影が薄いのは昔からなのだろう。

 それは当人も自覚している様子だった。気弱な笑みを浮かべている。


「いいよ、覚えてなくても不思議じゃないから。僕は今、学院で教授の助手を努めているんだけど、今回トーリエル式の調剤を絡めた研究に教授が興味を持たれて、それでトーリエル式に詳しい人を捜したところ、君を紹介して頂いたんだ」


 アルテルの調薬法はトーリエル式という、手間隙がかかる上に複雑なやり方なのである。その代わりに副作用が少ないという利点があった。

 トーリエル式を扱う薬師は少なく、アルテルも隠遁する偏屈極まりない師匠からそれを学んだのだ。


「そうでしたか」


 紹介したのは父か、義兄かといったところだろう。けれど、アルテルとしてはトーリエル式がもっと普及すればいいと日頃から思っている。だからこの話はアルテルにとっても悪いものではない。

 さっそくヒーニスを二階に上げて詳しい話をと思った時、ふと気づいてしまった。覚えはないけれど、アルテルが通った学院の上級生であるということは、ラメリアの同級生ではないかと。

 アルテルはカウンターから動かず、ぽつりと訊ねる。


「もしかして、うちの姉の同級生でした?」


 たったそれだけのことを訊ねただけだというのに、ヒーニスは目に見えて動揺した。


「え? あ、え、ああ、そ、そう、だけど……」

「なんでそんなにどもるんですか」

「ど、ども、ぐ――っ」


 舌を噛んだらしい。冷や汗がじんわりと滲んでいる。

 アルテルは冷え冷えと彼を見る。その視線に耐え切れなくなったのか、ヒーニスの方が勝手に語り出した。


「そ、そうなんだ。同級生だったんだよ。といっても、在学中に口を利いたことなんて数えるくらいで。……彼女はとても目立つ女性だから近寄りがたかったんだ」


 きっと、同級生であったラメリアも彼のことなど覚えていないのではないだろうか。

 だったら会わせたところで問題はないかと思った。彼が正直に『そのこと』を告げなければ、アルテルは二階に上げていたことだろう。


「だから、今回の話は、どうしたって無理なんだよ。僕ではとてもじゃないけれど釣り合わないから」

「え?」


 遠方にいるアルテルが何も知らないことに、ヒーニスはようやく気づいたのだった。またしても目に見えて焦り出す。


「あ、や、その……縁談のことで……」


 この凡庸で気弱な男性がラメリアの縁談の相手ということらしい。その上、医師でもない彼を何故父が選んだのか、アルテルは理解に苦しんだ。もしかすると、候補者は複数いて、その中の一人程度なのかも知れない。

 どうやら彼はラメリアがここに来ているとは気付いていない様子だ。アルテルは彼の心を探るようにして言った。


「あなたは姉と縁談が持ち上がっていて、それであなた自身は少しも乗り気ではないと、そういうことですか?」

「す、少しもというか、その、僕では申し訳なくて……」


 イライラする喋り方だ。はっきりと思うことを言ってほしい。

 そうは思うけれど、シェラに言わせればそれをできる人ばかりではないのだと逆に怒られそうだ。


「そうですか。でしたらご自身ではっきりと断って下さい」

「え……」

「嫌なのでしょう? そうして下さい。姉に恥をかかせるとか、そうしたことはお気になさらずにどうぞ。今、上にいますから」


 それを聞いた途端、ヒーニスは目に見えておかしくなった。落ち着かない様子でカバンを落とし、それを拾おうとしてカバンの中身を床にぶちまける。


「あ、す、すまないね。すぐ、片付けるからっ」


 その丸めた背中を眺めつつ、アルテルははぁ、と嘆息した。

 どうして彼を抜擢したのかが本当にわからない。こんなにも頼りない男にあの姉が寄り添えるはずがないのだ。

 ヒーニスがもたもたしていると、その物音を聞きつけたシェラが二階から降りて来た。


「なんですか、今の音?」


 ひょこりと顔を出したシェラの視線がヒーニスに留まる。


「あら大変。お手伝い致しますね」


 小銭から何まで床に広げたヒーニスにシェラは駆け寄った。そうして、ひょいひょいと小物を拾い出す。

 ヒーニスは驚いて更に焦った。


「や、お構いなく!」

「そういうわけには参りません。お客様ですから」


 シェラは荷物のすべてをヒーニスに引き渡すと、花のような笑顔で彼に言った。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は――」


 そこで言葉に詰まり、かあっと顔を赤くする。その赤面した顔を両手で包んでうつむいたシェラの様子は、事情を知らないヒーニスには謎であっただろう。アルテルはそんなシェラが可笑しくて、愛しくて思わず笑いながら言った。


「うちの嫁です」


 その途端、シェラがうあ、とおかしな声を上げた。いつになったら慣れるのだろうかとは思うけれど、今はこうした反応を楽しむのもいいのかも知れない。


「あ、そうなんだ? こんにちは」


 シェラの初々しさにヒーニスまでつられて赤面し出したのは微妙なところではあるけれど。


「シェラ、この人はヒーニスさんといって、ラメリアの縁談相手だ。直々に縁談を断りに来たそうだからラメリアのところに通してくれ」

「ええ!!」


 シェラとヒーニスが同時に叫んだ。上でラメリアは一階の様子に聞き耳でも立ててやしないだろうか。

 その方が面倒が少なくて済むけれど。


「全然そんな話じゃなかったはずだけど!? 僕が来たのはその、トーリエル式のことで――」


 と、ヒーニスはひどく焦ったけれど、アルテルはあっさりと言うのだった。


「同じことですよ。あなたとはラメリアの件が片付かないと次の話はできませんね」


 つい意地悪なことを言ってしまうのは、彼の在り方が気に入らないからかも知れない。赤の他人をこんな風に感じることはあまりない。なのにそう思ってしまうのは、口ではどう言おうと姉が心配だからだ。

 アルテルの厳しい物言いにシェラがオロオロとし出した。こうした殺伐とした空気をシェラが嫌うのはわかるけれど、笑ってやり過ごす気にはなれない。

 ヒーニスは黙ってうつむいてしまった。


「……少し頭を冷やしてから出直すよ。急ですまなかったね」


 と、ヒーニスは肩を落としてきびすを返した。アルテルは『逃げるんですか』という言葉がのどから上がって来るのを飲み込んだ。シェラがいつになく厳しい咎めるような顔をアルテルに向けたからだ。


「そこまでお送りします!」


 シェラはとぼとぼと外へ出たヒーニスを見送りに出た。取り残されたアルテルは、後で新妻の小言を受け止める覚悟をしてため息をついた。



     ※ ※ ※



「先生が……いえ、夫が失礼なことを言って申し訳ありませんでした」


 外へ出るなり、シェラはヒーニスにぺこりと頭を下げた。ヒーニスは人当たりのいい笑顔でかぶりを振る。


「いや、気にしてないよ。ラメリアさんのことをはっきりさせてない僕が悪いんだ」


 そんな風に言ってくれた。

 シェラはヒーニスのなで肩気味な方の隣に並んで歩いた。


「ラメリアさんはお仕事が大切ですから、ラメリアさんを家庭に縛り付けるような方だけは駄目だと思うんです。ヒーニスさんは女性は家庭に入れと思いますか?」


 どちらの意見が悪いというわけではない。これは相性の問題なのだ。

 二人の意見が合わなければ上手く行くはずもない。


「いや、そんなことはないけれど。仕事に生き甲斐を見出すことが男性の特権だとは思わないよ」


 シェラはそれを聞いてほっとした。この穏やかな人は、少なくともラメリアの生き方を否定するようなことは言わない。理解を持って接してくれる。だからこそ、義父は彼を選んだのではないだろうか。仕事に一途なラメリアに寄り添ってくれるパートナーとして。


「そう仰って下さるのなら、それをラメリアさんにも伝えて下さい。きっと喜んで下さいますよ」


 本心からシェラはそう言った。けれど、ヒーニスは困ったように笑っただけだった。


「彼女のような才媛に僕みたいな凡人が、そんなことおこがましくて言えないよ」


 ヒーニスは自分と似ているのかも知れないとシェラは思った。アルテルに憧れながらも、この気持ちが報われることはないと思っていた自分と。

 弱気で、はっきりと気持ちを伝えることを恐れるあまりに空回って苦しかった日々を思い出す。それでも、アルテルはシェラの気持ちに応えてくれた。あり得ないなんて自分で決め付けてチャンスを無駄にしているところだった。もしそうなっていたら、今の幸せな日常は存在しなかったのだ。


「ヒーニスさんはラメリアさんのことをお嫌いではないのですよね」


 シェラはそっとささやいた。ヒーニスはぎくりと体を強張らせるけれど、シェラが彼の気持ちを理解しようと努めてくれていることを感じたのか、どこか弱々しく言った。


「嫌いどころか、憧れの存在だよ。学生の頃から彼女は頭がよくて、それでも弱者に優しかった。ほとんどそばには寄れなかったけど、いつも僕の目をちゃんと見て笑ってくれたから……」


 それなら、今回の縁談はヒーニスにとっては願ったり叶ったりだったのではないかと思う。けれど、そこでふと気づいた。

 この人は、やっぱり怖いのだと。


 憧れの存在との縁談が来た時、嬉しかったのだ。けれど、降って湧いた縁談は同時に恐ろしかった。自分を選んでもらえるはずがない、と。だから、自分では釣り合わないなんて卑屈なことを言い続けるのだ。

 そう言っておけば誰も傷付かないだろうと。


 後になって、あの時もしかすると憧れの存在に手が届いたかも知れないと思い出すだけでヒーニスは十分なのだろうか。

 けれど、決定的な言葉を言わないのは、やはりどこかに希望を残すからとも思えた。

 シェラがそんな風に考えていた時、並木道の向こう側からひと際目立つ人物がやって来た。長く煌びやかな銀髪に四肢の長い細身の体を仕立てのよい薄手のコートで包んでいる。


「シェラじゃないか。ええと、隣の人は――」

「ジェサード君か」


 ヒーニスが先に言った。ジェサードは舞台役者だ。その顔は広く知れ渡っている。ヒーニスが彼を知っていても不思議はない。ただ、ヒーニスの顔はひどく強張っていた。そのことにシェラは驚いた。


「ヒーニスさんはジェサードさんをご存知なんですね」


 きっとジェサードの方はヒーニスを知らないだろうと思ってシェラは助け舟を出す。すると、ヒーニスはどこか薄暗い表情でああ、とつぶやいた。


「学院の後輩だったんだ。彼やアルテル君は目立つ存在だったから僕も知っているけれど、ジェサード君は僕のことを覚えてはいないだろう」


 ジェサードはともかく、アルテルも目立っていたというのは意外だ。変わり者だというような悪目立ちだろうか。

 実際にジェサードは覚えていない様子だ。すみません、と小さく謝った。


「いいんだ。……今日はラメリアさんに会いに来たのかい?」


 何故かヒーニスはそんなことを言った。ジェサードはラメリアが来ていることなど知りもしない。


「ラメリアさんが来ているんですか? ああ、それでしたら挨拶はして来ますが」


 ジェサードは何かを言いたげにシェラを見たけれど、シェラは何も言えずにいた。軽く頭を下げ、綺麗な姿勢でジェサードは二人に背を向けて店を目がけて歩き出す。

 その背中を眺めつつ、ヒーニスはぽつりと低くつぶやいた。


「……在学中、ラメリアさんのそばにはよく彼がいた。とても絵になる二人だったよ」

「え?」


 その更にそばにはアルテルがいたと思われる。

 何度も一緒に顔を合わせているけれど、あの二人の間に恋愛感情と呼べるような空気は存在しなかった。第一、ジェサードには現在ラキアという恋人がいる。


 あの二人はアルテルを囲んでよく話していただけだろう。当人たちにその気はなくとも、美男美女を周囲はくっつけたがる、ただそれだけのことだ。

 けれど、ヒーニスはジェサードのような人がラメリアには相応しいと思うのだろうか。地味な自分ではなく、華やかな彼のような人物が。


 シェラはそもそも、相応しいとは一体なんなのかがわからなくなった。

 それを言うなら、自分もアルテルには相応しくないと言えてしまう。そうは思いたくないからこそ、シェラは口を開いた。


「ヒーニスさん」

「うん?」

「ラメリアさんは今、とても悩んでいます。結婚とかそういうことを抜きにしてお力になって頂くことはできませんか?」

「え?」


 きょとんとしたヒーニスに、シェラはラメリアがここへ来た経緯を話した。そうして、心ここにあらずといった状況も。


「そんなことになっているとは……」


 一重の目を瞬かせ、ヒーニスなりに考えている様子だった。


「相応しい、相応しくないなんてことは私にはわかりません。でも、ラメリアさんにはラメリアさんのことを大切に思って下さる方がいいです」


 少なくともシェラは、アルテルの悩みは共有したい。力になりたい。そう強く思う。

 この思いの強さを誰よりも持てたからこそ、アルテルの妻になれたのだ。

 ヒーニスは、不意に自分の胸もとをぐっと押さえるような仕草をした。そうして、深く息を吸う。


「……本当だね。僕は何を言ってたんだろう。色々な事情は抜きにして、僕なりに彼女のためにできることを探すよ」


 そう言ったヒーニスは、僕なんてと卑屈にうつむいていた時よりもずっと魅力的に感じられた。だからシェラも微笑んだ。


「ありがとうございます」


 ヒーニスはそのままジーファの町の方へと去って行った。



     ※ ※ ※



 シェラがようやく薬剤店の二階に戻ると、そこでラメリアはやって来たジェサードにけんかを売っていた。


「あんたのそういう自意識過剰なところが嫌い」

「はいはい、なんとでもどうぞ」


 不機嫌極まりない顔で睨まれても、ジェサードは軽く受け流すだけだった。


「ラメリアさん、それならこっちで診療所を開いたらどうですか? それもひとつの方法だと思いますけど」


 バッサリと言ったジェサードに、ラメリアは噛み付くかと思えば逆にしおれた。その様子にアルテルも困惑している。


「それも考えたんだけど、それって今まで診て来た患者を見捨てるみたいじゃない。私はそういう軽い気持ちで接して来たわけじゃないの」


 名門レッドファーン家の名声を誇るのではなく、町で小さな診療所を営むことを選んだラメリア。そんな彼女にはしっかりとした信念があり、それに忠実に働いて来たのだ。彼女がいるから安心して暮らせた人たちだって多かったはずなのだ。


 シェラは急に悲しくなってラメリアに駆け寄ると、ラメリアの代わりにラメリアの肩に寄り添ってハラハラと涙を零した。そんなシェラの頭をラメリアは優しく撫でてくれた。

 アルテルとジェサードは顔を見合わせ、何も言わずにそこにいた。



 それから数日後。

 シェラが身支度を整えて朝食の支度をしていると、ラメリアが上の物置から降りて来た。今日は何故か髪をちゃんと結い上げ、白いスーツを着込んでいる。


「ラメリアさん?」


 焼いていたベーコンが焦げないように皿に移してから、シェラは手を止めてラメリアのそばに寄った。

 すると、ラメリアは苦笑した。


「今日、帰ろうと思うの」

「え!?」

「私の中で答えが出たから」


 その答えを聞くのがシェラは怖かった。それが表情にも出ていたのだろう。ラメリアはそっとささやく。


「結婚するわ」

「ええっ!!」


 シェラの驚きを楽しむようにラメリアはクスクスと笑った。


「結婚したらもうお父様に文句を言わせない。あの場所を返してもらうの」

「ラ、ラメリアさん!」

「でもねぇ、私はきっとその相手を仕事以上に大切にはできないから、相手に悪いじゃない? だから、うちの家と姻戚になることでハクが付くって喜んでくれる相手じゃなきゃ。私にこだわらず、好きにさせてくれたらもうそれで多くは望まないから」


 ラメリアがそう決断したのはとてもつらいことだったはずだ。それでも、選んだ。

 その心を否定するようなことは言えないけれど、だからといってそれでいいのかとも思う。

 シェラが言葉もなく困惑していると、ラメリアは柔らかな笑顔で言った。


「シェラちゃんみたいな幸せな結婚が本当は一番なんだと思う。でも、私の幸せは別のところにあるのよ、残念ながらね」

「そんなこと……っ」


 ない、と言いたかった。

 その時、ようやくアルテルが寝室からやって来た。寝起きの悪いアルテルでも、何か異変に気付いたのだろう。ラメリアはあっさりと、


「帰るわ」


 とだけ言った。

 アルテルは眉間に深く皺を刻んだ。


「それなら俺も行く。一度父さんに話をする」


 真剣にそう言ったアルテルに、ラメリアは失笑した。


「あんたにそんな発言力ないでしょうが」


 それを言われてしまうとつらい。シェラはオロオロと二人の間で首を振った。

 でも、とラメリアは言う。


「こんなところまで来て、あんたに心配かけたのは私よね。一応ありがとうとだけ言っておくけど、でもいいのよ」

「いいえ! ラメリアさんがここを頼って来て下さって嬉しかったです。そんな風に仰らないで下さい」


 彼女のためにできることは本当にないのだろうか。そう考えたら涙が滲む。

 アルテルは深々と嘆息すると言った。


「とりあえず、朝食を食べて行け」


 なんの解決にもならないけれど、時間稼ぎだろうか。朝食を食べながら説得するつもりかも知れない。

 シェラはそう思って朝食の支度に勤しんだ。


 ライ麦パンにボイルした卵と焼いたベーコン、レタスを挟んで味付けしたサイドウィッチに根野菜のマリネ。

 けれど、アルテルもラメリアも黙々と食べるばかりであった。会話がないせいで食べ終えるのは早かった。


「シェラちゃん、ご馳走様。美味しかったわ」


 と、ラメリアは微笑んで席を立った。


「あ、あの……」


 シェラが何を言わんとするのか、ラメリアには伝わっている。だからこそ、ラメリアは苦笑するばかりだった。


「じゃあ、またね。色々とありがとう」


 何を言えばいいのかもわからずに慌てふためいたシェラは、助けを求めてアルテルを見た。アルテルは難しい顔をして腕を組んで座っている。アルテルもまた何を言えばいいのかわからないのかも知れない。


 部屋を出るラメリアを、シェラはアルテルの腕を引っ張りながらついて行った。このまま見送りたくはないけれど、どうしたものか――。

 店先に来ると、ラメリアはくるりとアルテルを振り返った。


「あ、結婚したらお祝いは診療所で使う薬でいいわ。たくさん頂戴ね」


 なんて笑っている。

 腹を決めた彼女はやはり強い。けれど、その強さが寂しくもある。


 そんな時、バタバタと慌しい足音が外から聞こえた。早朝で、店の鍵はかかったままだ。扉が開かないことに焦った来客はドンドン、と扉を叩く。その荒っぽさにアルテルが顔をしかめつつも施錠した。

 すると、そこにいたのは息せき切って汗を流したヒーニスだった。ラメリアは目を丸くしていた。


「ヒーニス? 久し振りだけど、そうよね?」


 ラメリアは縁談相手たちの情報などまるで目を通していなかったのかも知れない。同級生に久々に会ったという程度の驚きでしかない。

 彼女が自分を覚えていて名前を呼んでくれたこと。それをヒーニスがとても喜んでいることだけはシェラにも伝わった。息を整えるために折り曲げていた体をシャンと伸ばすと、ヒーニスはようやく言う。


「君のお父上にお会いして来たよ」

「え?」


 ラメリアはぽかんと口を開けた。


「君には結婚よりも大切なことがあるから、どうかそれを取り上げないでほしいって、僕に言えるのはそれだけだった」


 シェラが言った言葉を、ヒーニスなりに真剣に受け止めてくれた。

 あの厳格なレッドファーン家の当主に気弱なヒーニスが意見するのはひどく勇気の要ることだったはずだ。本当にがんばって足を向けたのだと思う。

 けれど、ラメリアは冷ややかな目をヒーニスに向けた。


「なんであなたがそんなことを言うの?」

「なんでって……」


 そう詰め寄られるとヒーニスは途端に弱気になった。シェラはそんな彼を心の中で応援する。

 アルテルはため息混じりに言った。


「その人がラメリアの縁談相手のうちの一人だからだろ」

「嘘っ」


 やっぱり知らなかったらしい。口もとを押えて驚いている。

 そのリアクションにはヒーニスが少し傷ついた風に見えたけれど、それでも彼はがんばった。


「そう……なんだけど、それはラメリアさん次第のことだからいいんだ。とにかく、ラメリアさんが診療所を再開できるようにお願いして、それでご当主には納得して頂けたから」

「あの頑固親父が納得?」


 ぽろりとアルテルの本音が漏れる。けれど、シェラも同じ気持ちだった。

 ただ頼んだだけで納得してくれるような人物ではない。それがわかるから、ラメリアも唖然としていた。

 そんなことがあるのだろうか、と。


「ヒーニスさん、お義父様になんと仰ったのですか?」


 思わずシェラはそう訊ねてしまった。ヒーニスは一瞬、ぎくりとした。まっすぐ、射抜くような視線で見て来るラメリアを一瞥すると、居心地が悪そうにうつむいてしまった。


「ええと、それは、その……」

「はっきり言って」


 ラメリアに鋭く言われ、ヒーニスははい、と返事をする。


「ラメリアさんは今、仕事に一生懸命なので、今まで通り仕事を続けさせてあげてほしいって。その……当の本人がその気になるまで、他の誰が離れても、僕だけはいつまでも待っているから、大切な生き甲斐を奪わないであげて下さいって……」


 あの当主はそう甘い人間ではない。心の伴わない言葉なら、あっさりと切って捨てただろう。

 それが通じたのなら、ヒーニスが必死に誠意を持って頼んだということだ。ラメリアもそれを感じ取ったのではないだろうか。

 じっと自分を見つめるラメリアに、ヒーニスは次第に狼狽を強くした。


「あ、や、その、他にどう言っていいのかわからなくてこんな提案をしてしまったけど、別に僕と結婚を前提にとかそういう話じゃ――」

「そういう話じゃないならなんでそういうこと言うの?」

「ぐ……」


 何も言い返せずに言葉に詰まったヒーニスにラメリアは歩み寄る。そうして、そのうつむいた顔を覗き込んだ。


「ねえ、その話、何割くらい本気?」

「……全部だよ」


 それだけを言うのがやっとといったところだった。それでも、彼はがんばってくれたとシェラは思う。アルテルはどこか複雑そうではあったけれど。

 ラメリアは嘆息する。


「あなたにそんなこと頼めないわ。素直で可愛いお嫁さんをもらって幸せになってよ」


 曖昧な物言いをするから、心が伝わらない。シェラはもどかしくて仕方がなかったけれど、ラメリアにそう言われたヒーニスはぐっと唇を噛み締めて、口を開き直した。


「僕は……」

「何?」

「僕は、君だから待つんだ」


 今度はラメリアの方が瞠目して黙った。ヒーニスは、そんなラメリアに一歩近付く。


「いつも診療所の灯りは遅くまで点いていて、患者の人たちもあそこの先生は親身になって診てくれるって言ってたよ。……昔から君は人によって態度を変えたりしなかった。目立たない僕のこともわけ隔てなく対等に扱ってくれて――そんな君だから、僕は力になりたい」


 ヒーニスの緊張した面持ちには少しもゆとりがない。けれど、今は視線を外さずにラメリアに顔を向けていた。ラメリアはぽつりと言う。


「いつもって、いつも見てたの?」

「へ? あ、や、そ、そんな、いつもじゃ……っ」


 と、途端に慌て出したのはストーカー疑惑が持ち上がったからだろうか。

 けれど、そんな狼狽振りをラメリアはクスリと優しく笑った。


「まあいいわ。詳しい話は帰りの船の中で聴かせて」

「え! あ、う、うん!」


 額に汗を滲ませつつ、ヒーニスは大きくうなずいた。

 これは――成功したのだろうか。それはまだわからないけれど、少なくともラメリアの表情は明るく見えた。シェラはそのことにほっとする。


 ラメリアはそのまま店を出て、二人にじゃあねと手を振った。ヒーニスはそんな彼女と並んで歩く。女性にしては長身のラメリアがヒールを履くと、ヒーニスとの身長差はあまりない。けれど、不思議とそれがあの二人には丁度よいようにも思われた。目線が近く、顔を横に向けると目をそらすことも難しい。

 二人の背中を見送りつつ、アルテルはぽつりと言った。


「そういえば、あの人、仕事の話をしに来たんじゃなかったのか……」

「そうなのですか? じゃあまたすぐに戻って来られますね。その時にはよいご報告が聞けるとよいのですが」


 シェラがそう言うと、アルテルは腕を組んで眉根を寄せた。


「いい報告なぁ。ちょっと頼りなくないか?」

「でも、ラメリアさんがヒーニスさんを選んで下さったら、ご自分に自信を持てるようになるのではないでしょうか。そうしたらきっと変わられると思いますよ」


 少なくとも、ヒーニスはラメリアを尊重して共に歩んでくれる。それがラメリアには何よりのことではないだろうか。そうして、自分を大切に見守ってくれるヒーニスにラメリアも感謝する。お互いが支え合って行ける関係が築けると思える二人だった。

 それでも、アルテルはまだ何か心配そうであった。ただ、それは心配だけではないのだろうか。


「先生、ラメリアさんは大切なお姉さんだから寂しかったりします?」


 姉弟の中で一番歳が近く、離れて暮らすアルテルを家族の中で気にかけてくれていたのはラメリアだ。口では素直に言わないけれど、そういうこともあるのかも知れない。

 アルテルはふと目を細めると、自分を見上げているシェラを後ろから抱き締めた。


「先生?」


 少し苦しいくらいに強い。戸惑うシェラの耳もとに、アルテルがつぶやいた。


「寂しいって言ったら慰めてくれるのか?」

「へっ?」


 あ、あの、あの、と焦るシェラをアルテルはあっさり解放すると意地悪く笑った。


「――というのは冗談だ」


 恥ずかしさに震えたシェラが怒っても、アルテルは楽しげに笑うばかりだった。

 シェラはひとつ息をついて自分を落ち着ける。そうして、精一杯の強がりでアルテルを見上げながら微笑んだ。


「あら、冗談ですか? 残念ですね」


 その発言にアルテルの笑いがピタリと止んだ。

 いつもからかわれてばかりだから、たまには仕返しもしてやりたい。びっくりしたアルテルの表情にシェラは満足した。


 けれど、後先考えずにそんなことを言ってしまってはいけない。

 それをこの直後、シェラなりに学んだのだった。

 

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