2、怒りと脱力
「部長! 何考えてるんですか!!」
「部長はやめないか? もう引退したんだから」
「じゃ、緑川先輩」
「ちぇっ」
「ちぇ、じゃないでしょう! ガキですか?
一体どういうつもりで、こんな事するんですか?」
あたしは声を荒げて問い詰めた。
勝手に部屋を準備して、あたしの了解も取らずそこへ引っ張りこもうとするなんて、どう考えても部長らしくない。
それとも、あたしがれんさんと別れたので、もう遠慮する必要はないと思ったんだろうか?
「お祝いをしてあげたかっただけなんだが」と、部長。
「なんのお祝いですか」
「キンギョちゃんが17になったお祝いだろ」
あたし、驚いてぽかんと口を開けた。
確かに、あたしの誕生日は今日だけど。
「あたし、部長、じゃなくて先輩に言いました?
誕生日がいつとか、言った事ないですよね?」
「それくらい調べがつく。
でも、今日は予定ではもう新幹線に乗ってるわけで、お祝いは無理だとあきらめてたんだ。
仕方ないから、メールでも送って済まそうと」
「でも予定が変わったんですね」
「そうだ」
「だからって‥‥」
「びっくりさせたかったんだ。 だがびっくりしたのは僕のほうだったな。
もう少し信用されてるものと思っていたんだが」
はっとして部長の顔を見上げた。
相変わらずのポーカーフェイスだけど、さすがに腹を立てているようだ。
その時、部長の携帯が鳴った。
メールの着信音らしい。
開いてそれを読んだ部長は、ひどく不機嫌な顔になった。
「羽賀の阿呆からだ」
げ。 まさかさっきのこと。
「キンギョちゃんは絶対Bカップあります、とさ」
なんだと。
「オマエもくやしかったら触ってみろ、やーいやーい、だそうだ」
「にゃんですか、しょれは‥‥」
あたし、一気に脱力してソファからずり落ちた。
小学生のメールかよ。
「送ってくれたのは、羽賀なのか」
あたしはうなずいた。
「ずいぶん苦労して来てくれたもんだ」
イヤミたっぷりに言われた。
部長がこんなスネた言い方をするのは、相当頭に来てる時だって知っている。
もう今日はダメだと感じた。
立ち上がって溜め息をひとつ。
「帰ります。 こんな言い方でなんだけど、受験は頑張ってください。
あたしたちもコーラスフェスティバルまで頑張りますから」
頭を一つ下げて、立ち去ろうとした。
「待て」
部長が腕をつかんで止めた。
「待て、ちゃんと聞いてくれ。
大急ぎだったけど、それなりに用意してみたんだ」
「手‥‥」
「短気を起こして悪かった。
頼むから、部屋まで一緒に来てくれ」
「先輩、手を」
「何もしないと誓うから」
「手を離して」
「思い出してくれ、僕が一度でも君の嫌がることをしたことがあるか?」
「わかりましたから、手を離してくださいっ!」
黙りこくったまま、ふたりがそっぽを向いて同じエレベータに乗った。
部長も怒っているように見えたし、あたしもいらいらして叫び出しそうだった。
この時、ようやく気がついた。
あたしは、言葉どおり部長に失望したわけじゃなかった。
電話を受けた瞬間、部長が不安であたしを頼って来たのかと思ったのだ。
でもそうじゃなかったとわかって、何と言うのか、肩透かしを食らったようで、いそいそと出て来た自分が、おめでたい気がして。
そんな馬鹿げた意地だけで、あたしは真っ直ぐでいられなかった。
彼があたしの嫌がることを決してしないことくらいわかってる。
多分、本人よりあたしのほうがよくわかってるくらいだと思う。
部長があたしに乱暴するなんて、太陽が西から昇ってもありえない。
「こ、ここ?」
ドアの前に立って、あたしは部長の顔を見上げながら絶句した。
ドアにはルームナンバーは付いてなかった。 劇場のように大きな、両開きのドアだったのだ。
押して開くと、そこはベッドもバスルームもない部屋だった。
男性の部屋でもなく、そもそも個室でさえない。 だだっ広い、何かのホールだった。
パーティーなんかに使う部屋を、空き時間を使って一部だけ貸してもらった感じだ。
隅っこにふたり分の椅子とテーブル。
小さなケーキのついたささやかなコース料理。
一つだけ立派に見えたのは、ちゃんと蓋の開けてあるグランドピアノだった。