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対局中なので婚約破棄は後にしてもらっていいですか

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/11/03


 王都で年に一度開催される、王国最大の卓上遊戯大会。

 その決勝戦は、いつになく大勢の観客で賑わっていた。


 理由は単純。

 現在、王国五連覇中の女王、アリシア・フォン・ベルンシュタインが出場しているからだ。

 そして、そのアリシアは今、対局の真っ最中だった。


 思考の渦に沈んでいると。


「──アリシア! 聞いているのか!」


 突然、観客席から男の怒鳴り声が響いた。


 顔を上げると、そこには婚約者である伯爵令息のロベルトが立っていた。

 隣には、彼が最近親しくしているらしい男爵令嬢のミレーヌがいる。

 彼女はべったりとロベルトにくっついている。


 自身に注目が集まったのを感じたのか、ロベルトは得意げに声を張り上げる。


「お前との婚約を破棄する!」


 会場がざわめいた。

 しかし、私は盤面から目を離さなかった。


「……申し訳ありません。今、対局中ですので」

「なっ?」

「婚約破棄のお話でしたら……あと三手ほどお待ちいただけますか?」

「三手だと!?」

「はい。今、ちょうど大事な局面ですので」


 私の向かいに座る対戦相手、第二王子の友人である騎士爵家の三男、エドガーが小さく吹き出した。

 吹き出しつつも、彼も盤面から目を離していない。


「アリシア嬢、やっぱり婚約破棄より対局が大事なのだな?」

「当然です。ここで間違えたら負けますもの」

「……なるほど」


 エドガーは苦笑し、思考を盤面状況に戻す。


 この競技は『王国盤』と呼ばれる卓上遊戯だ。

 二人のプレイヤーが、それぞれ十二個の駒を操り、相手の王駒を包囲することを目指す。

 運の要素はなく、純粋に読み合いと駆け引きで勝敗が決まる。


 私は幼い頃からこの遊戯が好きだった。

 そして、好きなものを続けていたら、いつの間にか五連覇していた。


「おい、アリシア! 私の話を聞け!」

「聞こえていますよ」

「ならば返事をしろ!」

「はい。婚約破棄ですね。承知いたしました」


 私はそう答えながら、白の騎士駒を一つ動かした。

 エドガーの眉が動く。


「……なるほど。そこを狙っていたか」

「ええ」


 彼はしばらく盤面を眺め、やがて静かに駒を置いた。


 残り二手。

 ロベルトは顔を真っ赤にしていた。


「お前は昔からそうだ! 遊戯、遊戯と、そればかり! 婚約者である私を立てることもせず、いつも大会に出てばかり!」

「そうでしたか」

「ミレーヌは違う! 彼女は私を理解してくれる! お前のような勝負事しか頭にない女とは違うのだ!」


 隣のミレーヌが、ロベルトの腕にそっと手を添えた。


「ロベルト様、もうよろしいではありませんか。アリシア様は私たちのことなど気にも留めていないようですし」


 私は少しだけ顔を上げた。


「そうですね。今は気にしている余裕がありません」

「なっ……!」


 エドガーが駒を動かす。

 残り一手。

 私は盤面を見つめ、少しだけ考えた。


 相手の王駒は逃げ道を失いつつある。

 しかし、まだ一つだけ抜け道が残っていた。

 そこを塞げば終わりだ。


 私は白の王駒を一歩進めた。


「王手。これで終わりです」


 エドガーは盤面を見渡し、数秒後に両手を上げた。


「参った。負けだ」


 会場が大きな歓声に包まれた。


 これで六連覇。

 私は立ち上がり、観客に一礼した。

 そして、ようやくロベルトへ向き直る。


「お待たせいたしました」

「ふん! ようやく私の話を聞く気になったか!」

「はい。婚約破棄の件でしたね。承知いたしました」

「……本当にいいのか?」

「ええ。むしろ、ありがとうございます」

「な、何?」

「これで来年の大会にも気兼ねなく出場できますから」


 ロベルトの顔が引きつった。

 どうやら彼は、婚約破棄を告げれば私が泣いて縋るとでも思っていたらしい。


 そもそも。

 確かに私は王国盤に全てを捧げてはいるが、大会がない時や、家の用事がない限り、彼との予定を優先していた。

 彼を立てていたし、自分に出来ることはなんでもやった。


 けれど。

 彼は私ではなく、別の令嬢に浮気した。


「後悔するぞ! お前は私という後ろ盾を失うのだからな!」

「そうですか」

「──ならば私も次の大会に出場する! お前などにいつまでも好き勝手させるものか!」


 その言葉に、私は初めて少しだけ驚いた。


「ロベルト様も王国盤を?」

「当然だ! 男爵令嬢のミレーヌも出場する!」


 ミレーヌが得意げに微笑んだ。


 なるほど、王国盤はメジャーな競技であり、貴族にも広く普及している。

 この2人が打てていても何もおかしくない。


 私は二人を見て、にっこりと笑った。


「それは楽しみです」








 ◇


 翌年。

 王国盤の大会には、ロベルトとミレーヌの姿があった。

 だが、私と当たる事はなかった。


 ロベルトは予選で敗退。

 ミレーヌは初戦で敗退した。


 ちなみに、ロベルトは大会後、ミレーヌとの婚約も解消することになったらしい。

 理由は、彼女が自分より強い男性選手と親しくしていたからだとか。


 そして、私は七連覇を達成した。


「おめでとう、アリシア嬢」


 表彰式の後、エドガーが声をかけてきた。


「ありがとうございます。エドガー様も準優勝、おめでとうございます」

「来年こそは君に勝つよ」

「ふふ。楽しみにしています」


 彼は少し照れたように頬を掻いた。


「ところで、今度の休日は空いているかな?」

「対局のお誘いですか?」

「いや。できれば、食事にでも誘いたいと思ってね」


 私は少し考えてから答えた。


「構いませんよ。ただし、王国盤を持ってきてくださいね」

「……食事後も対局するつもりかい?」

「もちろんです。私、勝負事が好きなので」


 彼は楽しそうに笑った。


 どうやら今度の相手は、婚約破棄などという言葉で対局を邪魔する人ではなさそうだ。

 それなら、少しくらい期待してもいいかもしれない。


 もっとも。

 恋愛の勝負に関しては、私はまだ一勝もしたことがないのだけれど。

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