対局中なので婚約破棄は後にしてもらっていいですか
王都で年に一度開催される、王国最大の卓上遊戯大会。
その決勝戦は、いつになく大勢の観客で賑わっていた。
理由は単純。
現在、王国五連覇中の女王、アリシア・フォン・ベルンシュタインが出場しているからだ。
そして、そのアリシアは今、対局の真っ最中だった。
思考の渦に沈んでいると。
「──アリシア! 聞いているのか!」
突然、観客席から男の怒鳴り声が響いた。
顔を上げると、そこには婚約者である伯爵令息のロベルトが立っていた。
隣には、彼が最近親しくしているらしい男爵令嬢のミレーヌがいる。
彼女はべったりとロベルトにくっついている。
自身に注目が集まったのを感じたのか、ロベルトは得意げに声を張り上げる。
「お前との婚約を破棄する!」
会場がざわめいた。
しかし、私は盤面から目を離さなかった。
「……申し訳ありません。今、対局中ですので」
「なっ?」
「婚約破棄のお話でしたら……あと三手ほどお待ちいただけますか?」
「三手だと!?」
「はい。今、ちょうど大事な局面ですので」
私の向かいに座る対戦相手、第二王子の友人である騎士爵家の三男、エドガーが小さく吹き出した。
吹き出しつつも、彼も盤面から目を離していない。
「アリシア嬢、やっぱり婚約破棄より対局が大事なのだな?」
「当然です。ここで間違えたら負けますもの」
「……なるほど」
エドガーは苦笑し、思考を盤面状況に戻す。
この競技は『王国盤』と呼ばれる卓上遊戯だ。
二人のプレイヤーが、それぞれ十二個の駒を操り、相手の王駒を包囲することを目指す。
運の要素はなく、純粋に読み合いと駆け引きで勝敗が決まる。
私は幼い頃からこの遊戯が好きだった。
そして、好きなものを続けていたら、いつの間にか五連覇していた。
「おい、アリシア! 私の話を聞け!」
「聞こえていますよ」
「ならば返事をしろ!」
「はい。婚約破棄ですね。承知いたしました」
私はそう答えながら、白の騎士駒を一つ動かした。
エドガーの眉が動く。
「……なるほど。そこを狙っていたか」
「ええ」
彼はしばらく盤面を眺め、やがて静かに駒を置いた。
残り二手。
ロベルトは顔を真っ赤にしていた。
「お前は昔からそうだ! 遊戯、遊戯と、そればかり! 婚約者である私を立てることもせず、いつも大会に出てばかり!」
「そうでしたか」
「ミレーヌは違う! 彼女は私を理解してくれる! お前のような勝負事しか頭にない女とは違うのだ!」
隣のミレーヌが、ロベルトの腕にそっと手を添えた。
「ロベルト様、もうよろしいではありませんか。アリシア様は私たちのことなど気にも留めていないようですし」
私は少しだけ顔を上げた。
「そうですね。今は気にしている余裕がありません」
「なっ……!」
エドガーが駒を動かす。
残り一手。
私は盤面を見つめ、少しだけ考えた。
相手の王駒は逃げ道を失いつつある。
しかし、まだ一つだけ抜け道が残っていた。
そこを塞げば終わりだ。
私は白の王駒を一歩進めた。
「王手。これで終わりです」
エドガーは盤面を見渡し、数秒後に両手を上げた。
「参った。負けだ」
会場が大きな歓声に包まれた。
これで六連覇。
私は立ち上がり、観客に一礼した。
そして、ようやくロベルトへ向き直る。
「お待たせいたしました」
「ふん! ようやく私の話を聞く気になったか!」
「はい。婚約破棄の件でしたね。承知いたしました」
「……本当にいいのか?」
「ええ。むしろ、ありがとうございます」
「な、何?」
「これで来年の大会にも気兼ねなく出場できますから」
ロベルトの顔が引きつった。
どうやら彼は、婚約破棄を告げれば私が泣いて縋るとでも思っていたらしい。
そもそも。
確かに私は王国盤に全てを捧げてはいるが、大会がない時や、家の用事がない限り、彼との予定を優先していた。
彼を立てていたし、自分に出来ることはなんでもやった。
けれど。
彼は私ではなく、別の令嬢に浮気した。
「後悔するぞ! お前は私という後ろ盾を失うのだからな!」
「そうですか」
「──ならば私も次の大会に出場する! お前などにいつまでも好き勝手させるものか!」
その言葉に、私は初めて少しだけ驚いた。
「ロベルト様も王国盤を?」
「当然だ! 男爵令嬢のミレーヌも出場する!」
ミレーヌが得意げに微笑んだ。
なるほど、王国盤はメジャーな競技であり、貴族にも広く普及している。
この2人が打てていても何もおかしくない。
私は二人を見て、にっこりと笑った。
「それは楽しみです」
◇
翌年。
王国盤の大会には、ロベルトとミレーヌの姿があった。
だが、私と当たる事はなかった。
ロベルトは予選で敗退。
ミレーヌは初戦で敗退した。
ちなみに、ロベルトは大会後、ミレーヌとの婚約も解消することになったらしい。
理由は、彼女が自分より強い男性選手と親しくしていたからだとか。
そして、私は七連覇を達成した。
「おめでとう、アリシア嬢」
表彰式の後、エドガーが声をかけてきた。
「ありがとうございます。エドガー様も準優勝、おめでとうございます」
「来年こそは君に勝つよ」
「ふふ。楽しみにしています」
彼は少し照れたように頬を掻いた。
「ところで、今度の休日は空いているかな?」
「対局のお誘いですか?」
「いや。できれば、食事にでも誘いたいと思ってね」
私は少し考えてから答えた。
「構いませんよ。ただし、王国盤を持ってきてくださいね」
「……食事後も対局するつもりかい?」
「もちろんです。私、勝負事が好きなので」
彼は楽しそうに笑った。
どうやら今度の相手は、婚約破棄などという言葉で対局を邪魔する人ではなさそうだ。
それなら、少しくらい期待してもいいかもしれない。
もっとも。
恋愛の勝負に関しては、私はまだ一勝もしたことがないのだけれど。




