バレンタイン事変(高専時代/同期4人+椿)
甘くほろ苦い2月14日。
椿は僅かな隙間時間を縫って、昼休みに入る少し前の空き教室で、居眠りをしていて友人たちに置いて行かれた玲のもとへと駆け寄った。
今なら、いつも玲の近くにいる彰良や楽、清治は側にいない。完全に椿と玲の二人きりだ。
「玲。」
「椿。どうしたの?忘れ物した?」
声を掛ければ、ふわりと柔らかく玲が笑う。
東條の屋敷にいた時とは違って、眼鏡で瞳が見えづらくなっているのが少し残念ではあるが、その笑顔は椿の心を暖かくした。
玲はいつも椿に優しい。きっとそれは家族に示すような愛情なのだろうけれど。
椿は意を決すると、そろそろと玲に小さな箱を差し出した。
「あの……これ。」
「?俺に?」
「はい。バレンタインなので……日頃の感謝を込めて。」
気持ちは隠して、親愛の情だけを込めた、準備をしていた言葉を伝える。
そうすれば、玲の表情が驚きから優しさに溶けた。
椿がラッピングした小さな箱を受け取って、しゅる、と目の前でリボンを解く。蓋を開ければ甘い匂いが辺りに漂った。
「オランジェット?」
「は、はい。貴方、好きそうだなって……。作って、みたんです。」
「手作りなの?すごいね、綺麗。」
玲は目の前でひとつだけその白い指で摘むと、躊躇う事なく口に持っていった。
まさか目の前で食べて貰えるとも思っていなかったもので、椿の頬に熱が灯る。
そのまま味わうようにゆっくりと食べ終えると、玲は嬉しそうに笑った。
「すごく美味しい。ありがとう、椿。」
「あ、えっと……はい。」
椿にはその返事で精一杯だ。
玲は残りを丁寧にしまって、大事に食べるねと言い残して去っていった。いや、本当は一緒に戻ろうと言われたのだが、熱が冷めずに椿が断ったのだ。
自然とああいう事をするから玲は本当に心臓に悪い。椿は煩く主張する心臓を抑えながら昼休みのチャイムが鳴るのに、よろよろと立ち上がったのだった。
放課後、帰り支度を整えていた椿を呼び止めたのは彰良、楽、清治の三人だった。
「……義理チョコ?」
「そう。賭けしてて……悪いんだけど、お前くらいしか頼めないんだよ。」
神妙な顔の彰良が気まずそうに視線を逸らす。
話を要約すれば、男子は全員で誰が一番チョコを貰えるかの賭けをしている、という事だった。
その中で彰良は他校の女子生徒にモテるからと有力候補なのだが、いかんせん玲にばかり感けているからか高専では誰もくれる人が居ないのだとか。
それでも賭けの賞金で新しいゲームソフトを買って遊びたいから、椿に協力を要請してきたようだ。
なんともまあ、頭の悪い思春期のお遊びだ。
「買ったらお前も一緒に遊ぼーぜ。」
「……私、男子寮には入れませんが……。」
「視聴覚室を借りればいいだろ。玲もくるからさ。」
その言葉に、椿の心が揺れた。
椿と彰良の関係は何というか複雑だ。どちらも共に玲と過ごした時期があり、お互いの玲への気持ちも何となく察している。
だからといって仲が悪いというわけでもなく、玲を中心にそれなりの親交はあった。
椿は彰良の仏頂面ながら、申し訳なさそうな雰囲気に溜息を吐き出すと立ち上がる。
まあ確かに彰良たちにもそれなりにお世話にはなっているのだ。椿は彰良たちについてくるよう促すと、家庭科室へと足を向けた。
家庭科室の冷蔵庫には、椿が作ったチョコが仕舞い込まれていた。本来寮の共用キッチンで作るべきを誰かに見られるのが恥ずかしくて家庭科室で作っていたのだ。
オランジェットは椿には手強く、何度も失敗してようやく成功したチョコレート。失敗作すら捨てるのが惜しくて、冷蔵庫には成功品と失敗作を分けた二つのバットが並んでいる。
椿はそんな成功品のバットを取り出すと、少しずつ袋に分けて三人に渡した。
「わ、これすごく綺麗でかわいい〜!ありがとう椿ちゃん!」
「僕にもくれるの?ありがとう、椿さん。」
「悪いな。ありがとう。」
三者三様の反応に、少しだけ良い事をした気になって椿も笑みを浮かべる。
三人とも美味しそうに食べてくれているし、味も問題ないらしい。玲は優しいからもしかしたらとも考えていたのだ。
椿が残りは友人に配ろうと、分けていると清治の影から牡丹が顕現した。どうやらチョコの匂いに釣られたようだ。
【主様。それは何やら"ちょこ"と呼ばれるもののようですね。妾にも、ひと口。】
最近現世のお菓子にハマっていると清治に聞いていたが本当らしい。
牡丹はキラキラとした目で清治の袋からオランジェットをひとつ取ると、嬉々として口に運んだ。
「あ、待って牡丹!」
瞬間、清治の慌てた声が響く。そして、
【〜〜っ、に、苦いいい!!何じゃこれは!?毒ですぞ主様!!それ以上召されるな!!】
「あーあー!!やめてやめて牡丹!!ちょっと静かにして!!!」
泣き声のような叫びと、牡丹の様子、それから清治の焦燥に塗れた行動に、椿が目を丸くする。
まさか。そう思って椿は余っていたオランジェットに手を伸ばした。
「おい、椿待てーー、」
彰良の静止が聞こえる頃には、椿の口内には薬品のような独特の苦味が広がっていた。
ーーどうして……。
何度も味見をしたはずなのに。もしかして、時間が経ったらこうなるのだろうか。
だったら、皆んなどうしてーー、
ーー嘘をついてくれたのね……。
そうか。椿のチョコは不味かったのか。それなのに玲も、皆んなも美味しそうに食べてくれてーー。
「え、つ、椿!?」
彰良のぎょっとした声が耳に響く。
それもそのはず、椿の瞳からはポロポロと涙が溢れて落ちていたのだから。
椿の中には、言葉にならない感情が渦巻いていて、彰良たちの声もくぐもって聞こえた。
ただ、玲のあの表情が嘘だったのだという事と、気を遣われたのだという事実が頭をめぐる。
家庭科室の扉が音を立てて開いたのはそんな時だった。
「あ、皆んなここにいたの?彰良、チョコの集計がーー、」
聞き馴染みのある涼やかな声に、椿が振り返る。そこに居た玲と目があった瞬間、玲の声がピタリと止まった。
椿は必死に何か言おうと言葉を探すが見つからない。
そんな椿と彰良たちを確認してから、玲はゆっくりとこちらに近づいてきた。
「どうしたの?悲しいことがあった?」
玲は椿の手を取ると、眉を下げる。その間にも、溢れ続ける涙で視界が少し霞んだ。
誰も責めない空間で、彰良が言いにくそうに口を開く。
「……玲、俺たちは……。」
「分かってる。でもちゃんと確認させて。」
静かな声に従うように彰良も口を閉じた。
皆んなの目が椿へと向けられる。今この場での発言権は椿にあるのだ。
椿はそっと自分の手を見た。玲が優しく掴んでいる手は暖かくて、椿の心も少しずつ落ち着いてくる。
意を決して口を開けば、声は思ったよりも弱かった。
「わ、私が……私のチョコ、苦くて……ご、ごめんなさい……!!」
言っていて涙がまた溢れてくる。
皆んなは気を遣ってくれたのに。勝手に傷ついて、泣いてしまって、馬鹿みたいだ。
しかし玲は椿の言葉に、不思議そうに首を傾げた。
「苦い?」
「わ、私のチョコ苦くて不味かったでしょう?ごめんなさい、折角……、」
「え、不味くないし苦くなかったけど。」
「え?」
「え?」
椿が目を瞬かせる中で、玲はポケットから椿のチョコを取り出す。
そのまま箱を開けると、ひとつ取り出して椿の口に突っ込んだ。
「え、……あれ?苦くない?」
「うん。苦くないし、美味しかったよ?」
にこにこと玲が笑う。
そのまま振り返って、困惑している彰良たちの口にもひとつずつチョコレートを突っ込んでいく。
それに三人の目が驚きに丸くなった。
「……苦くないな。」
代表した彰良の言葉に、三人と椿が顔を見合わせる。一体何が起こっているのか。
全員が頭にはてなマークを浮かべる中、玲だけが悪戯っぽく笑った。
「さて、話を整理しようか。」
「ごめん、椿さん。牡丹の言葉で傷ついたよね。」
清治の申し訳なさそうな声が家庭科室に響く。
それに椿は慌てて首を振った。
「いいえ……!私の方こそごめんなさい。」
結局、あの後話を整理して分かったのは、椿が作った失敗作と成功品を、間違えて彰良達に渡していたということだ。
椿が玲へのラッピングを終わらせた後、二つのバットを間違えて保管していたらしい。
彰良達に失敗作として除けていた、本当の成功品を渡せば今度こそ本当に美味しいと言葉をくれた。
椿の涙は取り越し苦労で、彰良たちは、とばっちりを受けたという事だ。
「ふふ、不正しようとするからバチが当たったんじゃない?」
「うるせー。お前がゲームしたいって言ったんだろ。……で、結局集計どうなったんだよ。」
「お前の勝ちだったよ、彰良。だからゲーム買いに行こーって誘いにきたんだけど……びっくりしちゃった。」
それはそうだろう。女子生徒が、友人三人に囲まれて泣いていたら誰でも驚く。
それでも玲にとって、彰良たちは誰かを理不尽に泣かせる対象ではなかったらしい。
だからこそ椿に話をさせて場を整理したのだ。
「悪かったな、椿。ふつーに勝ったし、チョコも美味かったわ。お詫びにゲーム、お前が決めるか?」
「いいじゃんそれ〜!椿ちゃんが好きそうなゲームにしようよ!」
楽が彰良の提案に楽しげに頷いた。
しかし椿の中には申し訳なさが生まれる。なんというか、椿が振り回しただけなのに。
それでも、玲の表情がぱっと明るくなるのに椿は何も言えなくなった。
「いいね、一緒に買いに行こう。ふふ、楽しみだね。」
その笑顔は楽しそうで。
椿は申し訳なさを心の底にしまって、こくりとひとつ頷いた。
これが棚ぼたでも構わない。だって今日は甘くて、でもほろ苦いバレンタインなのだから。
余談
「そういえば皆んな結局何個チョコもらったの?」
「俺は31。全部他校のやつのだけどな……。なんで俺、高専生からは貰えないんだろうな。」
「彰良それは……うん。仕方ないんじゃないかなぁ。それに他校だけでその数はすごいよ。僕なんて14個だった。」
「清治もすごいじゃん!ボクはね〜10個!まあまあ!玲は?」
「俺?俺は1個。」
「1個!?」
「うん。俺人気ないんだよね……。なんか噂で他の生徒に地味眼鏡って言われてるみたい……。」
(いやそれ認識阻害のせいでは……?)
読んでいただきありがとうございます。
ハグレモノ番外編第十三話はいかがでしたでしょうか?
少し早いですが、バレンタインの季節なので、椿視点のお話にしました。
オランジェット、美味しいですよね。子供の頃は苦手だったのに、今は好きだなぁって思います。
バレンタイン、皆様も大切な方と過ごされてください。
次回は土曜日19:30頃に本編投稿予定です。
よろしくお願いします!




