7. 閑話 1
「これからシンシア様は旅の続きを?」
病室から出た所でそう問いかける。
変わりないアルジェ様の姿を見て安心したのか、彼女の様子も落ち着いていたように見えた。
「そのつもりや。それより、様付けなんて大層な扱いせんでええで?」
口角を上げてこちらに笑いかけてくる。
その姿は先日のような悪鬼羅刹の如く血濡れた姿とは随分とかけ離れた印象を与える。
恐らく、こちらの姿が本来のものだろう。
「それにアルジェともそう歳も変わらんやろ?」
「一つ違いですね」
「なら敬語も要らんて!えっと、幼馴染くん……?」
「ルシアンです」
「ルシアン、な!まあそんなに畏まらんで気楽にいこうやぁ」
そう言うと軽快そうにバシバシと背中を叩かれる。
小柄な体躯のどこから力が出ているのかと思ってしまうほどの圧に少し声を漏らす。
『拳王』とは話には聞いていたがこんな幼気な女性だとは想像していなかった。
そしてとても距離感が近い。
柔らかな物腰に芯が通っていてしっかりとした声。
第一印象こそ畏怖の念を抱いたがとても接しやすい。
彼女が望むなら気楽にしていたほうがいいだろう。
「あ」
そんなやり取りをしている中、俺は病院の廊下を歩いてこちらにやってくる人物を見て固まった。
厳格そうなツリ目に表情一つ崩さない姿は、シスターの中でも模範となるべき存在であるシスター・マデリーンだった。
一番アルジェ様に近い存在。
「アルジェ様はお目覚めに?」
「あ、はい……」
「そうですか」
それだけを聞くとシスター・マデリーンは後の扉を開けて病室へと姿を消した。
俺は例えようのない表情でそれを見送るしかなかった。
「……ルシアン、あの人は?」
「シスター・マデリーン。アルジェ様の付き人は元々彼女でした」
俺は小さな声で聞いてくるシンシアにそう言った。
あの人は、たぶん俺の事をよく思っていないから。
「嫌なやつなん?」
「いや、マデリーン様は恐らく俺の事が好きじゃないんだよ」
あのきつい視線はまるで睨んでいるように見えて、俺は苦手だった。
もちろん教会に所属するシスター達を統括する立場上ヘラヘラしている訳にいかない事は重々承知だった。
では、どうして彼女と顔を合わせるのが億劫なのかと言えば──
「アルジェ様が俺を付き人にしたから……その立場に相応しくない俺にあたりが強いのかな」
「ルシアンは元々違う所にいたん?」
「ああ、俺は元々庭師だったんだ」
元々俺はしがない庭師だった。
剣なんて握った事なくて、特別身分が高いわけでもなく。
幼少期ただ聖女さまと面識があるくらいの一般人。
それが今では付き人、神殿騎士の見習いをやっている。
小奇麗な制服を着込んであの美しい聖女の隣に立っている。
アルジェ様はいったいどうして俺を側に置いておきたかったのか?
長い間、教会に尽くしてきたシスター・マデリーンを差し置いて俺がそれを担っているのだからいい気分ではないだろう。
「昔から、あの人はそういった人だったな……。子供の頃から有無を言わさず何度も俺を引っ張っていって……、立ち入り禁止の場所に入って二人揃って何度も親父に怒られたっけ」
「ぷっ、あっはっは!そっかぁ、アルジェは昔からそうやったんか」
シンシアはお腹を抱えて笑っていた。
その物言いからシンシアには心当たりがあるように見えた。
俺達はその場を移動し病院のホールへと戻っていた。
そこで適当な椅子に腰を下ろし、少しばかりの交流となった。
「もしかして、旅の時も?」
「せやなぁ……随分と周りを引っ張っていってたわ!」
アルジェ様はたしかに他人の手を引っ張り進んでいく気質が強い。
昔はまるで同性と錯覚してしまうほど破天荒さが全面に出ていたけれど、数年経ったある時を堺に影を潜めた。
親父は女の子には色々あるんだと誤魔化されていたが……。
それで俺も昔は混乱したっけ。
「アルジェ、時々おかしなんねん。旅の途中でも、急がなあかん時やのに急に人助けに走ったり」
それはアルジェ様がきっと優しいからだろう。
聖女とはなにも自称するだけではない。
人々が彼女を聖女と呼ぶのにはそういった行動が影響しているのだろう。
「ウチらが反対しようも『これはきっと時限イベントなんです!放っておいたら大変な事になるんです』ってよーわからん事言ってなー」
「時限イベント……?」
シンシアも10年経った今でもその意味はわからないままらしい。
俺はアルジェ様と幼少期を過ごしただけだ。
旅路が10年。それは俺よりもシンシアの方が付き合いが長いということだ。
「でも、そうやって寄り道してた結果が後々いい事に繋がってくるもんやから文句も出なくなってな?それでなんやかんやあって最終的に魔王を倒せたっちゅーわけや!」
「途中かなり端折ってないか!?」
「あはは!話せば長くなるしなぁ」
そりゃそうだ。
なにせ10年だから、その冒険は1冊の本でも収まることはない。
お土産話に少しばかりアルジェ様に聞いたぐらいだ。
「ウチな、行方不明だった兄弟子を探しながら武者修行の旅しててん。それで偶然出会ったのが魔王討伐を掲げる新鋭の勇者と聖女っちゅーわけや」
それは知っている。
過去にもそういった大義を掲げて魔王に挑んだ戦士は数多いと聞いている。
途中で挫折するか遺体となって発見される運命を辿るパーティーが多くて何時しか魔王討伐に向かう命知らずの俗称になっていたようだ。
だから最初の反応は冷ややかなものだとアルジェ様は言っていた。
「その頃のアルジェはそらもう大変やった」
「大変だった……?」
声のトーンが少しばかり落ちているのに気がついた。
シンシアが当時の出来事を振り返っているのだろう。
──当時、魔物討伐の依頼の席で同じ馬車に乗ったのが始まりだった。
アルジェ様達が自称する勇者パーティも最初は酔狂な二人もいるもんだとシンシアは軽く見ていたし、自分がまさかその勇者パーティに入るなんて思ってもいなかったようだ。
そんな時、当時未熟だったシンシアを敵の攻撃から身を挺して庇いアルジェ様が負傷した。
酷い傷を受けた彼女は数日、目を覚まさない程だったという。
「あの当時のアルジェは危なっかしくてな〜」
「それは……アルジェ様からは聞いてないな」
「今はマシになっとるけどな?当時はなんというか、自己犠牲精神が凄かったんや」
回復魔法とは聖女の特権だ。
そしてそれは自分自身にはかけられない。
二人旅と言っていたのだから旅立ってそう経っていないだろう。
聖魔法の扱いも今ほど熟練していたわけではない。
そして魔物と戦うという行為もまだ慣れていない。
外に出て魔物とすぐに戦える人などいないのだ。
それでもアルジェ様は魔王討伐という大役を任された時点で相当な使命感に晒されていただろう。
それが拗れて当時のアルジェ様は未熟な自分の力量をうめる身を挺してまで守り、攻撃を受けるのが多かったらしい。
「当時の自殺願望とも取れる破滅的な自己犠牲にウチも見てられんでな?そっから旅に付いていくことにしたんや。今思えば自分の死に関してアルジェは無頓着やったな……」
「その後のアルジェ様も変わらずに?」
「んー、暫くして勇者に『それは君に好ましくない』って言われたら少しずつ治っていったな」
なら今の彼女が過剰に自分を犠牲にする行為はしないだろう。
アルジェ様はそういった事は話さない。
いや、話すほどでもないのだろうか?
真意は本人しかわかり得ないが。
そういえばシンシアは兄弟子を探していたと言っていた。
それが今も旅を続ける理由なのだろうか?
「シンシア、兄弟子の方は見つかったのか?」
「もちろん」
「ああ、そうか。ならよかっ──」
「──ちゃんとウチが、始末をつけたから」
それを聞いて言葉が詰まる。
シンシアの表情が曇り、俯いた。
シンシア曰く、兄弟子を探していたのは邪道に堕ちたそいつに引導を渡すつもりだったのだと。
悪の道に堕ちた兄弟子を、自分が超えなければならなかった。
それを聞いて俺は黙ってしまう。
『拳王』シンシア。無類の戦闘狂。
そんなイメージの彼女だが、その影のある過去を知るものは少ないだろう。
「はぁぁ、ヤメヤメ!辛気臭くなってもうた!もう終わったことや、気を使わんでええ。当時のアルジェからも心配されまくったわ!」
最初はウチが心配しまくってたけどな、と付け加えてシンシアは立ち上がった。
その心配性は、きっと今でも健在なのだろう。
俺がアルジェ様が目覚めた折、ばったりと遭遇してから落ち着かせつつ乱入しようとするのを全力で止めてもなお収まり知らずだったのだから。
「さぁて、もうそろそろウチは行くわ」
「わかった。シンシア、また近くにきたなら寄ってくれ」
「もちろん!今度はアルジェの前で本人のハズカシイ過去話でもしたるわ!」
猪突猛進。それはシンシアの体現した言葉だ。
アルジェ様がなぜそこまで自分の命を顧みないほど魔王討伐に拘っていたのか……。
今度聞いてみることにしよう。