婚約破棄されるのは構いませんが、まさかその人と結婚するつもりですか?
「ノエル・アルヴィレット」
私の名が呼ばれた時、舞踏会の会場は静寂に包まれた。
第二王子であるレオナルド・ヴァルモンドの声が響いたからだった。
「第二王子の名において、君との婚約を破棄することを宣言する」
一瞬、空気が揺れるほどにどよめいた。こんな珍事に遭遇したのだ。無理もない。
私は無数に向けられた、回りからの好奇の視線など気にもせず、ただただ王子を見つめた。というより、現在進行系で彼の腕にすがりついている女……ファビエンヌ・ロザンヌを見ていた。
王子、まさかとは思いますけれど……いや、まさかね。
「婚約破棄。何故そのような決断を下されたのか理由をお聞かせ願えますか?」
私の低い声が、ざわめいていた会場を再び静寂に戻した。
「君の品行が王族として相応しくないからだ」
「具体的に教えて頂けますか?」
王子は眉根を寄せてこう言った。
「君がこのファビエンヌに、数々の嫌がらせをしていたそうではないか」
「さあ、全く身に覚えがありませんが」
「とぼけるな! 複数の人物から報告を受けている。どれも君やファビエンヌとは利害関係の無い者たちだ」
偽の証言。あの女のやりそうなことだ。
そこで王子は少し頬を赤らめた。
「そして、私には心に決めた女性が居る」
え、正気ですか王子。
「それはこのファビエンヌ・ロザンヌだ。彼女こそ、この僕に相応しい伴侶だ。ファビエンヌとの婚約を新たに宣言する」
「王子、私嬉しいです」
涙目で王子の腕によりしがみつくファビエンヌ。
私は沈黙した。言い返せなかったのではない。
開いた口がふさがらなかったのだ。
おいおい、バカだとは常々思っていたが、まさかここまでとは。
私は冷たい目で王子を見た。首を傾げている。彼は全く動揺を見せない私を見て不審に思っているようだ。
私は一度咳払いをして言った。
「婚約を破棄するのは構いません」
「構わない。だと?」
王子の声は肩透かしを食らったとでも言うように、掠れていた。
「ですが、一度婚約したよしみとして、最後にご忠告申し上げます」
「何だ」
「その女は止めておいた方が良いですよ」
***
私が王子と婚約したのはまだ幼少期の、物心がついたばかりの頃だった。
辺境伯であった我がアルヴィレット家と、ヴァルモンド王家との、長きに渡る交友関係を象徴する形で、この婚約は成立した。この王子ことレオナルドは、子供の頃から頭は良くなかったが、その分純真で邪気が無かった。この特性は彼が思春期を過ぎても変わらなかった。
だからこそ、私は特にこの婚約を完璧なものとは思わないにせよ、破棄したいと思ったことは無かった。
ただ王子は邪気が無い分、騙されやすかったのだと、もっと早く気付くべきだった。
王立学園に入学してすぐ、あの女……ファビエンヌが現れた。ファビエンヌは王子を一目見るなり、目の色を変えた。良く言えば恋する乙女。私からすれば、薄汚い獣の目だった。
ファビエンヌはすぐさま王子に対して熱烈なアプローチを始めた。人聞きに得た情報では、どうやら彼女は王族の座にひどく執着をしているようだった。
彼女は私とも表面上は仲良くしようとしていた。
しかし、裏では私の根も葉も茎も無い噂を流していた。「ノエル・アルヴィレットは、実は別の男性とも付き合っている」とか「王族の資金を狙っている」とか、悪趣味としか言いようのないものだった。しかし信じるのは一部のゴシップ好きの生徒だけで、王子も全く信じていないようだった。
ファビエンヌのやり口はどんどんエスカレートしていく。
ある時、私が廊下を歩いていると、急に靴が「モォモォ」と牛の声で鳴き始めた。同時に教室からクスクスと笑う声が聞こえた。
「あら、二足歩行の牛さんがいるわ」
ファビエンヌとその取り巻きが私を見て笑っていた。彼女は多少なり使える魔法で、私を笑い者にしようとしたらしい。あまりの低次元さがアホらし過ぎて、私はそのままモォモォと音を立てながら歩き去った。時々「メー!」とヤギの声がした。何だこの一人ウォーキング牧場。
それだけではない。私もファビエンヌもダンス部に入っており、舞踏会の練習に励んでいた。ある日ファビエンヌはわざと、私が未だ踊れない曲で練習しようと言い出した。
立ち尽くすしかない私を尻目に、ファビエンヌは得意げに踊ってみせた。
彼女は頭を地面に付けて逆立ちの体制になると、そのまま高速でスピンを始めた。ブレイクダンスである。
取り巻きたちからの喝采を浴びていた。回りながら彼女は言った。
「ふふっ、こんなことも出来ないようでは、王子の相手なんて務まりませんわよ?」
本当にそうなのか?
舞踏会でもそうだった。
私が舞踏会用の衣装に着替えようとすると、何故か用意していたものがない。使用人に聞いても、誰も知らないという。仕方がないので少し地味な色の衣装で代用するしかなかった。
しかし舞踏会に赴いて驚いた。ファビエンヌの衣装は豪華絢爛で、会場中の誰よりも注目を集めていた。何たって全身が真っ赤な羽に包まれていている。その上左右に大きく開く翼まで付けている。 鳥の化け物である。何百羽という鳥の怨念を一身によっこいしょと背負っているに違いない。
勿論彼女はブレイクダンスしていた。
私はもうどんな気持ちで見て良いのか分からなかったのだが、隣で王子が呆けた顔で見とれていた。ちょっとひっぱたこうかと思った。
王子、趣味悪すぎますよ。悪いのは頭だけにしておいて下さい。
はい、一旦回想終わり。
******
「もう一度聞きますけれど、本当にその女と結婚するおつもりですか」
「勿論だ。何度も言うが、君がファビエンヌにひどいことをしていたという報告も上がっている」
「もうよしてあげて! これ以上追求するのはノエル嬢が可哀想だわ!」
ファビエンヌは王子を留めるようなことを言っているが、口元はほくそ笑んでいる。鳥め。焼き鳥にしてやろうか。
私は一度息を吐いて言った。
「えーっと、例えばどのようなことでしょうか」
「君は階段からファビエンヌを突き落としたそうではないか」
突き落とした……? まるで身に覚えがない。
いや、もしかして、あのことを言っている?
******
あれは私が神殿へお祈りを捧げに、階段を登っている時だった。もうそろそろ登りきりそうだと思った時、上からファビエンヌが降りてきた。咄嗟に面倒事に巻き込まれるかも知れないと思った私は、端のほうに寄って、会釈だけして通り過ぎようとした。
しかしファビエンヌは「きゃっ!」と叫び、そのまま階段を転げ落ちていった。
私は慌てた。
相手がファビエンヌだとしても流石に慌てた。
何故ならその階段は1000段あり、国で最も高い神殿に繋がるものだったからだ。私が慌てている最中も彼女はころころ転がり続けた。そして、昼食を何にするか決め終え、昼食後にドレスを見に行こうかしら、など、必死にどうやって彼女を助けようか思考しているうちに、ファビエンヌは地上に到達。
そして起き上がったかと思うと、まるでネコ科の動物のような瞬発力で一気に私のところまで駆け上がってきた。いや脚力。
「ノエル嬢! 私を突き落とすなんてひどいですわ!」
ファビエンヌは両手で目を覆い、泣きながら言った。血は出ていなかった。
***
「あれはファビエンヌ嬢が勝手に落ちたのです」
「まあ! 私のせいにするなんて、ひどい!」
ファビエンヌは王子の胸にだきついて泣いている。私はひどく心配になった。王子の胸骨が粉末状になるまで粉砕骨折するのではないかと思ったからだ。
「それからノエル、君はファビエンヌを池に突き落としたこともあるそうじゃないか」
「だとしたらよく突き落とされる人ですね。常に探偵と行動を共にしているのかしら」
***
無論、私は彼女を突き落としてなどいない。私が学校の敷地である、池の回りを散歩していたら、そこに珍しい看板を見つけた。
「何、この看板……」
私が看板とにらめっこしていると、例の女が向こうから手を振りながらやって来た。
「ノエル嬢ー!」
彼女の顔はニタニタと下卑た笑顔が浮かんでいて、何かを企んでいるのは明白だった。私は急いで池から距離を取った。
次の瞬間、彼女は私の眼の前で、空気抵抗を抑える素晴らしいフォームで池に飛び込んだ。
「ちょっ! ファビエンヌ嬢、今すぐ上がりなさい! 早く!」
今回は振りではなく本当に慌てた。私が見ていた立て看板には「この池には人食いワニがしこたま生息しています。餌になりたい人以外は泳がないで下さい」と書かれていたからだ。
彼女は自らワニのビュッフェになりに行ったのだ。その自己犠牲と動物愛護の精神には私も感服するしかなかった。
私が心配して、近くのテントウムシが産卵している様子を眺めていると、一匹のワニが池から顔を出した。
がばぁっ! っとその口が開いて、例の女がワニの上顎を突き上げながら姿を表した。彼女は何故か腰を左右に振りながら言った。
「ノエル嬢! 突き落とすなんてひどいですわ! それでも淑女ですの!?」
あなたはどうなのかしら?。
***
「それから! 野球大会でわざとデッドボールを当てたそうではないか!」
「あれは……」
違う。いや、確かに当たった。私の投げたボールは当たったが……。明らかに当たりに来ていた。
***
あの日、令嬢対抗の野球大会が開かれていた。私は先発ピッチャーとしてマウンドに立っていた。
バッターボックスに入った彼女は、明らかにベース寄りに立っていた。今までの経験からいって、わざと当たりに来ているのは明白だった。
私はキャッチャー令嬢を呼び、「敬遠する。めちゃくちゃベースから遠い距離に投げるから、捕るふりだけして」と言った。
申告敬遠があれば使っているところだが、この国にはない。遅れている。
そして私は絶対彼女が反応できないような距離に、絶対に反応できない渾身の球を投げ込んだ。
しかし彼女は私の球に反応。ダーツの矢のように鋭く飛んできて、顔面にボールがぶち当たった。
「ぺぱー!」
という彼女の変な声が聞こえた。
それだけならまだ面白か、いや、愉快、いや、滑稽、いや、私が退場するだけで済んだのだが、あいにく私が投げたのは球種は【超重力ジャイロ砲】だったので、ボールごと、彼女は顔を中心に、ドラム式洗濯機で回る洗濯物のようにグルングルン回りながらバックネットまでぶっ飛んだ。
その瞬間、両陣営から選手たちが飛び出し、あっという間に大乱闘になった。
「オラァですわぁ!」「くたばりあそばせ!」「待ってたぜ、この時をよお!」などとボールの代わりに普段は聞くことのできない暴言が飛び交っていた。
***
「君がファビエンヌに嫉妬しているのは分かる。でも故意死球はだめだ」
まあファビエンヌが自ら当たりに来たという意味では逆の意味で故意死球かもしれない。
「どれもこれも、身に覚えがありませんが、婚約破棄するのは構いません」
私は頭が痛くなるのを堪えて、どうにか言った。私がもっと言い訳をすると思ったのか、王子は目をパチクリさせていた。
「くどいようですけどもう一度だけ言わせていただきます。王子のためというより、この国のために申し上げます。その方と結婚するのは止めておいた方が良いですよ」
王子は首を振った。
「一度決めたことは覆らない。さあ、出ていくんだ」
こうして私は学園から追放され、領地に戻ることになった。
それから半年ほど過ぎただろうか。急に王子が、我がアルヴィレット家の屋敷を訪ねてきた。使者を使ってではなく、直接だ。
私と目が合うなり、王子は膝をついて頭を下げた。
「申し訳なかった」
「どうされたのですか」
察しはついたものの、私は一応、見下ろしながら聞いてみた。
「君の言っていた通り、彼女は、その、エグかった」
「ははっ」
王子が言うには、ファビエンヌは婚約した途端に態度が大きくなったのだという。使用人達にも横暴な態度を取った。そして何より、権力を振りかざして散財を始めた。
先ず王宮の噴水をチョコレートファウンテンに変えた。それから庭園の庭に生息する鯉を全部追い出し、代わりにイトマキエイを放った。
そして自分の散財が指摘されると、「使用人っちの給料が高いのが悪い」と謎の言い訳をした。彼らの交通費をけちるため、全員に自転車通勤を命じたのだ。
極めつけは、彼女がどうにか資金を増やそうと始めた事業展開だった。
彼女が自らプロデュースする飲食店が「絶対に儲かる」と言い張り、主要都市の一等地に80店舗も一気に開業した。
どういう店かというと、お皿の上に「極上の一粒」と名付けた米を本当に一粒だけ乗せた斬新な料理を一万円というプレミア価格で提供するというものだった。
言うまでもないが、それらは一つ残らず潰れた。ひと粒も残らなかったわけだ。
それらの失敗は潤沢だった王家の資金に、少なからず影響を与えるものだったという。そして同時期に、差出人不明の手紙により、ファビエンヌが多額の資金を横領して出身領地に送金していたことも判明。
まあその差出人は私なわけだが……。
勿論王子とは離婚。彼女の親が経営する領地も没収となった。
「本当に申し訳なかった」
王子は再び頭を下げた。王子は恐らく、国王陛下にしこたま怒られてここに来たのだろう。王家はアルヴィレット家との関係悪化を何より恐れている。広大な領地を有し、国防面で要衝にある我がアルヴィレット家との関係が悪くなれば、たちどころに隣国との紛争になりかねない。
「頭を下げられただけでは許せませんわ。だって私、公衆の面前でメンツを傷つけられたんですもの」
「ど、どうすれば許してもらえる……?」
恐る恐る顔を上げる王子に私は――。
「みーんみんみん!」
王子は王宮の壁に張り付いて、セミのように鳴いている。
「お、王子! 何をしておいでなのですか!」
「早くお降り下さい!」
使用人たちが慌てふためき、舞踏会に来ていた貴族たちは唖然として眺めている。これは私から王子に言い渡した条件。舞踏会の日、夜通しセミのように鳴いたら私を侮辱した罪を許すというものだ。
「みーんみんみん! ノエル! そろそろ降りても良いかな!」
「駄目ですわ」
「そんな!」
「セミなんだから人の言葉を話しては駄目ですわ」
「みーんみんみん! みーんみんみん! ノエル! 本当に済まなかった。心から謝るから、もう一度僕とやり直してくれないか」
「ふふっ、セミのマネなんかしている人とは結婚したくありませんわ」
「み゛ー゛ん゛み゛ん゛み゛ん゛!゛」
ちなみに、ここにいないファビエンヌは今マグロ漁船に無理やり乗せられ遠洋漁業に出ている。
王家に対して作った借金を返すまで降りられないそうだ。
私はセミの声が鳴り響く中、紅茶を一杯すすった。
おわり