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胡蝶の葬列~天足女官は後宮を翔る~  作者: ぐるた眠


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第2話 お願い

三娘さんじょうという名は、読んで字のごとく『三人目の娘』という意味である。

生まれた赤ん坊が女とわかるなり処分されることすらある地域で、こうして17まで育ててもらったことは、感謝せねばならない。


そんな三娘には新たに『胡蝶こちょう』という名が与えられた。


「こんな綺麗な名前、あたしには似合いませんよ」


郭美人かくびじんの住む延寿宮えんじきゅうで、茶を注ぎながら不満をもらす胡蝶。

美人というのは“美しい人”という意味ではなく、郭氏に与えられた嬪の位のひとつである。同期のかん氏やちょう氏にも同じ“美人”が与えられている。


14歳の郭美人は菓子をつまみながら、無邪気にこたえた。


「ええ?あなたとっても綺麗よ。それにその大きくて速い足で、どこまでも飛んでいけそうじゃない」


言葉選びが絶妙に痛いところをつくが、悪意を感じないので余計たちが悪い。


胡蝶はあきらめて、ため息をついた。


「……もういいです。蝶だろうが蜂だろうが、好きに呼んでください」


本当に『どこまでも飛んでゆける』と言うのなら、燕や鷹のほうがふさわしいではないか。

蝶など、せいぜいこの塀で囲われた狭い庭を、あてなく飛び回ることしかできない。

死ぬまで後宮で暮らす女たちの『どこまでも』など、しょせんその程度なのだ。

そんな複雑な想いなどつゆ知らず、あるじは笑う。


「ふふ。蜂だなんて、胡蝶ってば面白いこと言うのね」


郭美人こと郭芙蓉(ふよう)は、まさしく芙蓉の花のような令嬢であった。

いつも穏やかでほほえみを絶やさず、怒ったところを見たことがない。

その証拠に今もこうして、無礼な女官をとがめもせず、のんきにお茶をすすっている。

たまにおちゃめな一面も見せるあるじは、宮人たちからも広く愛されていた。


一方でその無礼な女官こと胡蝶は、名に似合わず大雑把で口が悪く、気のきかない女だった。

学のなさを古参には叱られ、同期には馬鹿にされる毎日。

特に足をからかわれた時には、その足で相手を蹴飛ばすという粗暴ぶりを披露した。

ただ、あるじである芙蓉だけは、そんな胡蝶を重用した。


その理由をたずねても「だって、足が速いおなごって珍しいでしょう?」とほほえむだけで、決して本音を明かそうとしない。


しかし意外なことに、胡蝶がその真相を知るまで、さほど時間はかからなかった。




「じつは……胡蝶にひとつ、お願いがあるの」


胡蝶が延寿宮に入って一月ひとつきほど経ったある日、芙蓉から自室に呼び出られると、神妙な面持ちでこう切り出された。

そのお願いとは、『明日の夜、皆が寝静まったあと、芙蓉の寝室で彼女のふりをしていてほしい』というものだった。


「どうしても独りでこっそり出かけたいの。行き先は後宮の北にある御花園ぎょかえんだから、用を済ませたらすぐ戻るわ」


加えて当日は、胡蝶の女官服も貸してほしいと頼む芙蓉。

確かに、真夜中に妃嬪がひとり歩いていたら間違いなく怪しまれる。女官であれば何かと理由がつくだろう。


「かまいませんが、夜中におひとりで何を?」


「ちょっと、その……」


芙蓉にしては歯切れが悪かった。


「……逢引(あいびき)でもするんですか?」


気をきかせることを知らない胡蝶は、頭に浮かんだ推測をそのまま口にした。


「……」


芙蓉の顔がみるみる赤らむ。


ああ図星なのかと胡蝶は思い、また一切の気づかいもなくたずねた。


「もしかして、芙蓉さまがあたしをそばに置いたのって、自分と背格好が似ているから?身代わりにして男と会うためだったんですか?」


ずけずけと質問を浴びせる胡蝶に、初めはただ口をぱくぱくさせていた芙蓉もついに反論する。


「そ、そうじゃないわ!明日だってほんとうは、誰にも内緒で抜け出すつもりだったの!でも、直前になるとやっぱり、不安になって……」


花がしぼんでいくように、芙蓉の顔はだんだんと下を向き、言葉尻はほとんど聞こえなくなった。


男と会うのを否定しないところに、芙蓉の人柄が出ていると胡蝶はむしろ感心する。


さらに聞くと、逢瀬の相手は芙蓉の従兄いとこで、幼なじみの青年だそう。


「お会いするのは2年ぶりなのよ。ここ数年、わたしたちは色々あったから……」


芙蓉の生まれた郭家もその従兄の家も、代々官僚を出す名家であったが、敵国との結託けったくの罪に巻き込まれ官職を失った。いわゆる没落貴族だ。


「明日少しの間だけ、お兄さまが宮中にいらっしゃると手紙をもらって……。それでわたしが無理を言って、誰にも見られない時間に会うことになったの」


「へえ」


胡蝶は卓をはさんで芙蓉と向かい合い、椅子の上で足を組む。

まるで昔からの茶飲み友達さながら、興味津々で話を聞いた。


男子禁制とも言われる後宮だが、じっさいそこまで厳格ではない。

皇族の男子はもちろん、宮中警備をつかさどる錦衣衛きんいえいの男たちも自由に歩き回れる。

加えて正式に呼ばれさえすれば、官僚だろうが庶民だろうが簡単に後宮の門をくぐることができるのだ。


「少しお話したら戻るつもりだけれど、わたしは足が遅いから、もしもその間に気づかれたらと心配になって。胡蝶なら、内緒で協力してくれると思ったの。本当よ?」


膝の上でこぶしを握り、声をしぼり出す芙蓉。

その様子からして、ふたりはただの従兄妹いとこという関係ではないのだろう。


「わかりました。できる限り協力します、が……」


顔を上げた芙蓉の、丸く茶色い瞳をするどく見すえる胡蝶。


「無事に帰ってきてくださいね」


ほっとした様子の芙蓉は、ぶんぶんと頭を縦にふりながら「ありがとう」と連呼した。


「ああ、だけど胡蝶がうらやましいわ。わたしも足が速かったら、毎日でもお兄さまに会いに行けるのに」


胸の前で手を組み、心はすでに明日の甘いひと時へ飛んでいるようだ。


「……」


彼女のこういう、呆れるほど純真なところが、胡蝶は苦手だった。

ふいに視線を落とすと、ぷらぷらとゆれる芙蓉のつま先が目に入る。

桃色の絹に緑の刺繍がほどこされた小さな靴は、まるでお人形だ。


「……あたしの足が速いのは、家が貧しかったせいですよ。うちは子どもも働かなければ食べていけなかったですし」


幼少期の辛い日々がよみがえり、つい余計なことを口走ってしまう。

仕事のない日は朝から山を越え遠い村へおもむき、畑から作物を盗んで逃げ帰ってくるなんて、良家の令嬢には想像もつかないだろう。

それに、17歳の胡蝶が14歳の芙蓉と同じ背丈なのは、幼い頃から十分な栄養が得られなかったせいだ。


最後に、自嘲するように唇をゆがませて言った。


「わかりませんよね。親にも愛されず、あげく売りとばされた女の気持ちなんて」


母親譲りの顔だけは綺麗だと、昔から言われていた。

だけど嫁に行けなかったのは、この大きな足のせいだった。

纏足をしない娘はそれだけで貧乏人の烙印らくいんが押され、まともな家には相手にされない。

胡蝶とてこの女官募集がなければ、本当は“別の場所”へ売られる予定だったのだ。


「……そう……よね。ごめんなさい」


驚き固まっていた芙蓉の、小さく開いた唇から声が漏れる。

部屋には重い空気がただよっていた。

さすがの胡蝶も正気に戻り、慌てて謝罪する。


「いえ!こちらこそ、申し訳ありませんでした……」


おのれの不幸に、目の前の少女は何ら関係がないというのに。

八つ当たりするなんて最低だ。いっそ自分を殴り付けたい気分だった。

胡蝶は精いっぱいの謝意を示すため、椅子から降りて床に両膝をつく。


「ご存知の通り、私に役立てることは少ないです。身代わりでも何でも協力させてください」


「ありがとう」と言われ、おそるおそる顔を上げると、そこにはいつもの、無邪気なほほえみが咲いていた。


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