声
数日後。あの一件以降、西園寺は美術品みたいな扱いを受けていた。
要するに、『触れちゃいけない』人として判定を下されたのである。ルッキズムが定着した僕らの年代において、あの人外じみた美貌は、傲慢と言わざるを得ない態度を超越しているようだ。そのおかげと言うか、その所為と言うか、村八分にされたり、やっかみを被る訳でもなく、ただ単純に距離を置かれている。数日経つ頃には、クラスメイト達もその状況に慣れ始め、今ではもう、彼女の周りに近寄る生徒は殆どいない。
今日も、西園寺が転校してくる前の焼き直しみたいに普通な一日が過ぎて、部活動の時間となった。
僕の所属する青城高校サッカー部は、ガクが所属するバスケ部や、バレー部といった強化指定クラブとは違い推薦枠を持っておらず、良い選手が揃うかは、天運に身を任せる他ない。しかし、誰かが徳を積んできたのか、僕の代は中々に粒揃いであり、ここ十年間の中で最も質の高い世代と言われている。
そんなサッカー部の新人戦が残り数ヶ月で始まろうとしていた。大会が近づくにつれて練習に熱が帯び、人工芝のグラウンドには選手達の叫び声がよく響いている。
彼らは、薄々と勘づいているのだ。一つ一つの練習がそのまま、レギュラー選考に繋がる事を。
今日は週末の練習試合に向けて、5体5の形式でミニゲームを行っている。僕のポジションはフォワード。攻撃の花形だ。
人工芝に敷き詰められたゴムチップの香りが風に乗って鼻腔に届くと同時に、試合開始の笛がなった。
試合が始まるや否や、敵の守備選手がサイドの選手の動きにつられた瞬間を、僕は見逃さない。左右にフェイントをまぶし、全速力でディフェンスの視界から外れる。
最後の手段とばかりに、伸びてきた敵の腕を掻い潜った瞬間、味方中盤からラストパスが発射される。美しい弧を描きながら地を這い、敵陣地右上に空いた空間へと向かうボール。
僕は更に加速し、大腿四頭筋が伸縮を繰り返しながら、僕の大きな体を、前へ前へと押し出す。加速する身体、上がる体温に反比例して、視界はスローに、頭は冷静になってゆき、余計な情報が遮断される。
キーパーは速攻に対応し切れていない。その証拠に重心が右に傾いている。つまり、彼の重心の逆に、トラップしてから優しく流し込むだけで余裕に点を取れる場面だ。
決断を下すと、相手ゴールキーパーさえも消え、この瞬間、僕の世界には、ボールとゴールしか無い。この全能感にも似た孤独を僕は愛していた。
しかし、ゴールを確信した僕の脳裏に浮かんだのは————いつもの声だった。
『俺ならダイレクトで打つな』
身体中に救った声を振り払い、右足を振り抜く。しかし、響いたのは、得点を告げる福音ではなくポストを叩いた無機質な金属音。それと共に、現実へと引き戻され、世界が崩壊する。
「くそっ!」
「こぼれ球抑えろ!」
敵ディフェンスが瞬時にボールを回収しカウンターが発動する。少人数サッカーの展開は通常時のそれを遥かに凌駕する。その展開の早さに追随する為にも、苛立ちを最小限に留め、より一層の集中を己に課した。
練習も終わり、片付けに取り掛かると、純白の校舎の裏に、全てを飲み込んでしまいそうな夕日が浮かんでいた。少し前のこの時間帯は、既に空が暗くなっていた気がしたけれど、今ではもう日も伸び、一面が茜色に染まるに留まっている。
今日の練習を通して、僕は4回、ゴールを逃した。自分の不甲斐なさを茶化されているようで、僕は夕焼けから目を逸らして片付けに没頭し、一人部室へボールを運ぶ。すると、声をかけられた。
「よう涼。お疲れ」
「お、お疲れ様です。斎藤先輩」
差し出されたボトルを受け取り飲み干す。疲労と熱がこもった体内に水分が補給され、体が冷えていくのを感じる。夏季の部活動の醍醐味の一つだ。
「良い飲みっぷりじゃねえか。こりゃあ今日も期待できそうだな」
そう言って歪に笑うのは、青城高校3年生、齋藤龍樹先輩である。浅黒く日に焼けた肌に、鍛え上げられ、隆々とした肉体。スポーツ刈りに近い短髪にスポーティな印象を受ける。
彼は、例年青城高校の不動のレギュラーとして君臨していたが、最近は調子が芳しくなく、苦戦を強いられている。
「……そうですね。今から楽しみです」
僕は、また愛想笑いを浮かべる。
「今日は、お前もちゃんと呑めよ」
そのまま部室に戻っていく先輩の後ろ姿を見ながら、僕の背筋に、練習の時とは異なる汗が流れ落ちた。




