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 いつの間にか生徒で溢れた教室。僕はクラスメイト達に軽い挨拶と世間話をしていた。


 前に話した海外サッカーの事やお笑い芸人の話をしていると、ホームルームの鐘が鳴った。そのビッグベンの音に乗って、ガクが駆け込んで来た。第三ボタンまで開いたシャツが、だらしなくはみ出している。慌ただしくクラスメイト達に挨拶すると、ガクは、自席に着くすんでの所で、こちらに何かを投げた。うまくキャッチして観察すると、炭酸飲料の缶。その下に油性ペンで『次は負けないゾ!』と書かれている。


「……はっ」


 思わず、その中年男性のような文面に吹き出す。


 それと同時に、担任教師の宇田がやってきた。元サッカー全日本選抜選手の肩書きに恥じぬ、老いても鍛え上げられた肉体。その豪快そうな見た目に反して、毎回一分一秒遅れず几帳面に入室することから、サイボーグなのでは無いかと言う噂が流れていた。


「伊藤、お前は少し、落ち着きってもんを覚えろ。不快極まりない」

「サーセン」

「出席をとるぞ、相川」


 ガクの気の抜けた返事が聞こえたのか判らぬまま、宇田はメガネを指先で持ち上げ、業務的に生徒の名前を読み上げる。


「はい」


 淡々と、名前が呼ばれてゆく。暑さからか、皆、声に生気が無い。


「……全員いるな。一旦そのまま座っとけ」


 点呼を終えると、普段は興味を失ったかのように退出する宇田だが、今日は教室の端に座り、文庫本を開いている。どうやらガクの言った通り、連絡事項があるらしい。


 しかし、来年に受験戦争を控える身として、別段興味も沸かなかった。少しでも時間を無駄にしないように、一限の日本史の用語集を開き、鎌倉仏教開祖の名前を掘り起こす。


「失礼します」


 風が吹いた。


 ざわめいていた教室が静まり返り、荘厳な空気さえ帯びる。


 入室し、教室中を見据える女子生徒。たったそれだけに目を奪われ、記憶から捻出した日本史の用語など、とうに頭から霧散していた。


 少女は、黒い髪を靡かせて教壇に上がった。透き通る様な肌と白を基調としたセーラー服が、髪の漆黒をさらに強調させている。


 女子生徒は、チョークを手に持ち、お手本の模写みたいな文字で名前を綴る。


「西園寺薫です。都立旧豊島高校から来ました」


 すっと縦に伸びる、しなやかなシルエット。手足の長さの影響もあるが、何より、黒い絹の様に艶やかな長髪がその印象を決定づけている。


 緊張は皆無で、それどころか、堂々とした振る舞いに余裕すら感じさせる。自分と同い年である彼女に、どこか大人びた雰囲気があるのはそれが原因だろう。


 すると、目が合った。


 こちらの考えを見透かされている様に思われ、思わず心拍数が上がる。


 扁桃型の美しい瞳が、真っ直ぐに見つめている。キャンバスに描かれた絵画が黒い絵の具に塗りつぶされるように、ゆっくりと、僕の全身が、彼女の漆黒に溶けてゆくようだった。


 永遠に続くかにも思える数秒の後、西園寺はクラス全体を見渡し、最大限の笑顔で宣誓した。


「これから、よろしくお願いします」


 だが、僕が彼女に見入った理由は、その振る舞いでも、美貌でもなかった。


 ————全てが、偽物じみている。


 出来の良い映像を流しているような、無機質な演技っぽさが肌で感じ取れた。その痛々しい様を、僕はどこかで見たような気がしたのだ。


 それに、二年生のこの時期に転校生がやってくるなど、あり得るのだろうか。海外留学の影響などであれば、入学時期は夏明けになるはずだろうし、どうも釈然としない。


 自己紹介が終わると、先ほどまで静寂に包まれていた教室がざわめいた。


「おい、マジで美人じゃね?」「肌綺麗……」「旧豊島高校つったら名門じゃないか」そんな声が混ざり合って、大きな雑音として教室を埋め尽くす。


 その音に負けないよう、宇田が声を張り上げた。


「というわけだ。本人の希望もあって、転校生が来る事は直前まで伏せておいた。それじゃ、授業の準備をしろ」


 宇田はそのまま興味をなくしたかのように立ち去り、西園寺はあらかじめ指定されていたのか、所定の机へと向かい、その周囲の生徒から質問攻めにされていた。


 僕は、反社会勢力員にも似た宇田の強面に感謝した。彼の強面がならなければ、自分もあの輪に混ざろうとしていたかもしれない。のぼせきった頭に鞭を打ち、授業の準備へと取りかかる。だが、頭の中で、あの一文がずっと流れていた。


『どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹き飛ばせ すっぱいかりんも吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどう』


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