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セピア色の箱

 池袋のアスファルトに、終わりのない暑さが降り注いでいる。


 今年は例年を遥かに凌ぐ酷暑になるようで、6月も中旬に差し掛かった今日も、体にまとわりつく湿った熱気が世界を包むかのようだ。


 僕は、重い目蓋を擦ると、まばらな生徒たちの流れから抜け出した。そのまま校門をスルーして、校舎裏へ至る。すぐ近くの有名な桜並木へ足を伸ばし、中でも、一際大きな桜の間を抜け、廃屋に囲まれた雑木林へ進む。すると、昨晩の雨のせいか、あちこちに水溜まりができていて、ローファーにぬるい水が入り込んできた。


「……替えの靴下あったっけ」


 逡巡の後、部活用のソックスに履き替えればいいかと思い始めた矢先、茶色い大きな箱を見つけた。公衆電話ボックスだ。管理会社からも、所有者からも忘れられたのか、電話線は断たれ、通電すらしていない。陽光に焼かれ、セピア色に変色したそれを、葉桜が優しく、愛しむかのように覆い被さっている。


 柔らかな風が吹き、首筋に心地良い空気が流れた。しかし、日光に晒されていてはまた汗をかくと考え、すぐさま作業に取り掛かることにした。


 先日拝借した不法投棄の椅子を公衆電話ボックスの横につける。それを踏み場に、天井に設置したソーラーパネルから、ポータブルバッテリーを取り外した。


 重々しいバッテリーを片手に、軋みを上げる扉を開くと、反射材を張った甲斐もあって、室内は想定よりも涼しい。しかし、念を入れて、バッテリーを携帯型扇風機に接続し、その正面に持ってきた解凍前のアイスクリームを置く。これで準備完了だ。


 荷物を机の上に投げ捨てると、備え付けの丸椅子に腰掛けた。車椅子対応型の公衆電話ボックスということもあり、室内は思ったよりも余裕がある。僕は足を伸ばして溜め息を吐いた後、朝食を貪った。


 食後、リュックサックからラジオを取り出す。


 以前から、何かBGMとして流せるものを探しているのだけれど、スマホ接続型のスピーカーでは電池の消耗が激しすぎるし、CD再生機は単純に掛かるコストとスペースが段違いだ。最低限の値段で、最小限のエネルギー消費を目指すのならば、ラジオが適していると考え、わざわざ実家からくすねて来たのだ。


 側面のガラスにもたれ掛かる姿勢のまま、電源を入れて適当に調節した。どうやら、電波はしっかりと通っているらしく、大御所女性芸人と、その配下みたいな芸人が司会を務めるトーク番組が流れ始めた。視聴者参加型で番組を進めるようで、視聴者からの手紙を介したやりとりがコミカルに進んでいく。


「『お二人に質問です。透明人間っていると思いますか?』ペンネーム、ハーバードの叙事さんから頂きました」


 そのワードに、僕の細やかな幸福は消え失せた。


「懐かしいねえ。ちょっと昔に話題になったよね。透明な死体が出たーって」


「確か、現役高校生だったんですよね? あの時は凄かったなあ。『透明人間は実在した!』とか、『人類の新しい可能性!』だとか、世界中で話題でしたもん」


「そうそう。着替え覗かれてまうやんって恐怖した記憶ありますわ」


「夏子さんの着替えなんて、誰も見ませんて」


「確かにそうかもなあ。最近、大人2000円に値上がりしてもうたし……」


「いや、映画の料金か!」


 スタジオの笑い声が弾ける直前に、僕はラジオの電源を落とした。どうやら、ラジオもこの場所には適さないらしい。何か、他を探さなくてはならない。


 僕は、ラジオを適当な場所に置くと、縋るように、電話帳を入れるスペースに手を突っ込んだ。大きな空間を探り、指先に触れた硬い感触に安堵する。


『風の又三郎』。自分では、およそ手に取ることの無い小説だ。


 確か、田舎の小学校に三郎という転校生が訪れる話、だったと思う。東京語を話す赤髪の三郎は、地元の子供達には面妖な人物として写り、又三郎という伝承の人物なのではと勘繰られる。宮沢賢治作品は、高校受験の際に問題文として読んだだけだったが、当時の文体で描かれた繊細な情景描写と、現代人の心に訴えかけるノスタルジックな雰囲気に、試験中であることを忘れて没入した記憶がある。


 しかし、田舎の少年達のゴタゴタを描いたこの作品には、あの、身に迫るような雰囲気はないだろうと思い、あまり期待しないままページを捲る。


『どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ どっどど どどうど どどうど どどう』


 不安を煽るような、濁音の羅列からその小説は始まった。


 脚を組んで読み進め、このまま学校をサボってしまってもいいかもしれないと考え始めた矢先、スマホに着信があった。憩いの場を汚す不届き者の存在にため息をついた後、スピーカーにして通話ボタンを押す。


「もしもし?」


『お前、今どこにいる?』


 おっとりとした男の声。


「……今、池袋駅から学校に向かってる。まだ、ホームルームの時間じゃないだろ?」


 ほんのわずかに逡巡した後、僕は口を開いた。室内に設置した安物の時計を確認すると、午前8時。登校の予鈴まで、まだ30分以上ある。


『いやいや、今日は連絡事項があるから、いつもより早く来いって言われたろ?


 宇田の野郎、カンカンだぜ。悪いことは言わないから早く来い』

 大袈裟に、「不快極まりない」と、堅物担任教師、宇田の口癖を真似る。


「完璧に忘れてた。すぐに行くよ」


『おう。早く来いよ。みんな駆け込んできてるぜ』


 そのまま相手は電話を切った。


 僕は深くため息をつくと、イヤホンを装着した。そのままバッテリーを扇風機から取り外し、再び屋根へと戻す。サラダパスタのゴミと文庫本を通学用リュックに詰めてから、溜まり場を後にした。


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