27
カルロスは、寝ているオリヴィアに近づいた。そばには精霊猫のルカもいる。
「陛下。オリヴィアさまを大事にしてくださいね」
「だから、俺は無理強いするような趣味はないって」
「さあ、それはどうでしょう。陛下は悪評ばかりですから」
キリアはすっかりオリヴィア贔屓だ。カルロスはもう一度肩を竦めて見せた。
彼女はほほえみながらも厳しい眼差しを向けたあと、静かに部屋をあとにした。
オリヴィアはカルロスが寝台に腰掛けても起きなかった。すやすやと寝息が聞こえてくる。
「この姫はほんと、良い度胸してる。弱いくせに無防備すぎ」
――平和のために婚姻を結ぶ、か。
庇護欲を感じる相手など、久方ぶりだった。
最初は、剣を突きつけられても気丈に振る舞うところに好感を持った。そばにおいたのも打算と、おもしろいと思ったからだ。婚約はきっかけにすぎなかった。
想定外はこの短期間に、触れ合うたびにオリヴィアに惹かれていることだ。
――だが、彼女はミディルの王女。この先恨まれことはあっても、振り向かせることはできない。
ここで引くべきだといつも思う。その度に、つい深追いをしてしまう。
大事にしたいと思う一方で、手に入らないのならこの手でめちゃくちゃにしてやりたいという感情がカルロスの頭をもたげた。
「やっぱり、悪評どおりに振る舞おうかな」
手を伸ばし、オリヴィアの顔にかかっているやわらかい銀色の髪に触れる。
まだ本気じゃない。仕留めたりはしない。だから、遊んでいるうちにオリヴィアのほうから逃げて欲しかった。
カルロスは、彼女の白くてやわらかい頬の上で、指を滑らせた。親指で下唇に触れたときだった。そばで寝ていたルカがむくっと顔だけを起した。
「爆睡は、おまえの仕業か」
ルカはにゃーと鳴くと、両の足を前へ伸ばした。起き上がり背伸びをしながらあくびをした。
オリヴィアではなく、ルカの頭をよしよしする。顎のあたりをなでていると、ゴロゴロと聞こえてきた。
「本当に、普通の猫みたいだ」
昔から動物が好きだった。人間のほうが嫌いだった。
「おまえがいるとよく寝れるが、夢見は悪い」
ルカが現れるようになってから、カルロスは毎晩同じ夢を見るようになった。
夢の内容は今から半年後。
レオンティオ帝国兵を率いるカルロスは、ミディル国を陥落し、ウエル王を殺す。そして……
カルロスは、自分の手のひらを見た。
夢の中のオリヴィアは、折れた剣を持って、こちらに敵意を向けてきた。だから、剣で彼女の胸を貫いた。
手に伝わる感覚は生々しいもので、はっきりと覚えている。
銀色の髪が鮮血で赤く染まっているのを眺めていると、彼女は自分の髪を切って投げて寄こした。
最後まで諦めずに抗うその姿は気高くて、美しかった。
何人もの人を斬り捨て、死に立ち会ってきたが、彼女のような人には会ったことがなく、惜しいと、殺さなくても良かったんじゃないかと、初めて後悔した。
『オリヴィア、今……助ける』
思わず手を伸ばしていたが、届かなかった。
カルロスの月の女神は、泉の中へと消えた。
「あれが正夢になったら、俺は……」
――この手で、オリヴィアを殺す。
カルロスは、記憶を握りつぶすようにぎゅっと、手を閉じた。
時を操る精霊獣は、月の女神の使いだという。伝承だけの、幻の存在とされてきた。
精霊猫は幸福を招くと伝え聞いているが、未来視をさせるとは聞いたことがない。
ルカが、時を操る精霊とは限らないとカルロスは小さく首を振った。
「まあ、いい。そのうちわかる」
カルロスがミディル国を滅ぼすには理由がある。
オリヴィアがその事実を知ったとき、どういう反応をするのか想像した。
――夢のように、死ぬのかもな。
カルロスは、眉尻を下げた。今まで感じたことがない感情に驚く。自嘲するように笑うと、彼女の横に仰向けに寝転んだ。
◆オリヴィア◆
遠くで、猫の鳴き声を聞いた。それがルカのものだとわかり、目を開けたオリヴィアは、起き抜け早々に、息を飲んだ。
上体をがばっと起して、口元を抑えた。
「なっ……え。うそ、どうして?」
部屋は明るく、朝陽が窓から差しこんでいた。オリヴィアは横で眠っているカルロスと、ニャーニャー鳴いているルカを交互に見てパニックだ。
狸寝入りをしてすぐに、本当に眠ってしまったらしい。彼がいつ来たのか、昨夜のことがまるでわからない。
カルロスは、ルカの泣き声がうるさいのか、「うーん」と唸りながら、きれいな顔の眉間にしわを作った。
――どうしよう。起きる!
ひとまず距離を取ろうと彼から離れようとしたときだった。カルロスが目を開けた。
逃げるのが一歩遅かった。オリヴィアは、カルロスに手首を掴まれてしまった。
「……どこへ行く?」
オリヴィアはすっかり目を覚ましてしまったが、カルロスはまだ寝ぼけているらしい。ただ、手首を掴む手の力は強く、振りほどけそうにない。
「陛下、おはようございま……、」
「まだ、ここにいろ」
じっと見つめられて、言葉が出ない。
「……御意」
絞りだしたオリヴィアの返事にカルロスはふっと笑った。
――あ、またこの笑顔だ。
あどけない年相応の彼の笑みを見て、胸がぎゅっと締め付けられた。




