26
◇カルロス◇
軽く湯浴みをすませたカルロスは、執務室で仕事の続きをしていた。
日中、オリヴィアが書類を仕分けてくれたおかげで作業効率が上がり、三日以上かかりそうだった雑務は、あと一日もしないうちに終わりそうだった。
執務室の左側は応接室だが、右側はカルロスの仮眠室。今そこにオリヴィアがいる。
廊下には護衛を多く配置しているし、隣の部屋にいるくらいなら、敵意を持ったものが近づけば気配で気づける自信があった。それでも目に入る範囲にいるほうが安心だ。
続きは明日やろうか。と思いはじめたときだった。ドアをノックする者がいた。
「キリア。遅くまでご苦労」
入室してきたのは、乳母のキリアだった。彼女は険しい顔でカルロスを見つめている。
「陛下、詰めすぎだと夫人が怒っています。今日のところはここまでにして、続きは明日にしましょう」
「切りが良いところまで進めたかったけど、わかった。いいよ」
同じく部屋に缶詰状態でくたくたのハリソンは速く帰りたいらしく、いそいそと片付けをはじめた。
カルロスはペンを置くと、キリアに話しかけた。
「まだ怒っているの?」
「あたりまえです。オリヴィアさまを我々から取り上げるどころか、しばらく働かせるおつもりだと知ったときは、呆れを通り越して、怒りがわきました」
誰もが畏れるカルロスを叱り諫められるのは、キリアとハリソンくらいだ。
キリアの説教になれているカルロスは、手を顔の前で組んでほほえみ返した。
「キリアは知っているだろ。俺は、王族貴族だからってふんぞり返って何もしない奴が嫌いなんだ。それ相応の報酬が欲しければ働け」
「陛下の考えは重々承知です」
「それを聞いて安心した」
キリアは、ふうっと張っていた肩の力を抜いた。
「オリヴィアさまはここに来たばかりの頃、陛下に怯えておいででした。見かねて割って入りましたが、本来、私は陛下の乳母だったというだけの侍女です。が、また苦言を言わねばなりません」
「オリヴィアに続いてキリアも苦言か。まあいいや、あれだろ。いくら婚約中とはいえ、結婚前だから同室はだめ、とかなんか?」
「だめではありませんよ。陛下が望んで叶わないことはありません。ただ、オリヴィアさまのことを思うと反対という私の主観でございます」
「主観、ねえ。はいはい、心配しなくても手は出さないって。大丈夫。ほんとに護衛だから」
「本当に、お約束していただけますか?」
「彼女は大事な人質だからね」
キリアはきゅっと眉根を寄せた。彼女の後ろでは、片付けをすませたハリソンが頭を下げてこそっと退室していく。話に加わりたくないのだろう。
薄情な臣下を見送ってからカルロスは口を開いた。
「優秀な護衛が二人減ったんだ。守る場所は二カ所より一カ所のほうが戦力も集中できて効率的だろ。やましい気持ちなんてない。先帝のように色欲に走ったりはしないから心配するなって」
「その心配はしておりません」
「じゃあ、何?」
「オリヴィアさまの気持ちをもっと、くみ取って欲しいのです」
今度はカルロスが眉根を寄せた。
「彼女の気持ちは尊重しているつもりだが?」
「では伺いますが、陛下はオリヴィアさまのことをどう思っておいでですか? 珍しいおもちゃですか?」
カルロスは口元に手を持っていくと、しばらく思案に沈んだ。
「そうだね。あれといると楽しいよ」
伝記で知った月の女神のような白銀の髪と、白い肌。朝焼けのような紫の瞳は美しく、まさに妖精のようだった。
美しいが反面、簡単に握りつぶせそうで、哀れだと同情すら抱いた。そんなか弱い彼女が、民を守るために自らを差し出し、敵地に乗り込んできたとなると、興味も湧く。
「震えながらも虚勢を張ってものを言う姿も愛着が湧く。次は何て言って困らせてやろうか。どう切り抜けるか、試したくなって飽きない」
「陛下は悪趣味ですね」
キリアはさらにしかめ面になった。
「温室育ちには、それなりの良さがあるんだろうね。彼女、人が痛い目にあうのを見て喜べないって言ってたよ」
過渡期のレオンティオ帝国には、強欲な貴族や、己の保身にしか興味がない者しかいなかった。
権力者にこびへつらって寄生しないと生きられない女も腐るほど見た。
他人が死のうが苦しもうが関係ない。むしろ、楽しんでいる者ばかりで、見るに堪えなかった。
「オリヴィアさまは純粋なのでしょう。穢れを知らないきれいなお方です」
カルロスは「そうだね」とキリアに同意した。
「完全室内飼いの、まっ白でふわふわの猫みたいだ」
「オリヴィアさまのお髪は輝く銀色できれいですから白にたとえるのはまあ、わかりますが、なぜ猫ですか?」
カルロスは目を瞬いたあと答えた。
「猫っぽいだろ? 牙も爪もあるし、俺に勝てないのに必死に、毛を逆立てて威嚇してくる。愛くるしい生き物だ」
キリアはくすっと笑った。
「陛下は、幼い頃から動物が好きでしたね。そういえば、おとぎ話に出てくる精霊猫にも興味がおありでしたね」
「俺の幼少期を知っているのはもう、キリアとハリソンだけだ。あまり他で俺のことを言うなよ」
釘を刺すと、キリアは「承知しました」と言いながらほほえんだ。
「オリヴィアは見た目頼りないが、自分を顧みず国を守るために自ら荒野に出て、猛獣の巣へ飛び込んでくる気概がある。民を守り導く、本来あるべき姿の王族だ」
「私も同意見でございます。とてもやさしいお方ですから、魅せられ、人がついて行くのでしょう」
「俺と正反対だね」
カルロスはふっと自嘲するように笑った。
「いっそう、ミディルの王女が、身分が低い民を虫けらのように思う者だったらよかったのに」
「そのような方だったらどうされたんですか?」
「殺して、開戦のきっかけにできた」
キリアはふうっとため息をついた。
「陛下。そのような思ってもいないこと、オリヴィアさまには絶対申さないでくださいね」
カルロスは首をかしげた。
「思ってもいないって、何のこと?」
「自覚がございませんか?」
「だから何の?」
キリアは厳しい表情を緩めると、慈しむような目を向けながら口を開いた。
「経った今さっき、陛下は申しましたよ。彼女は大事だって」
「それは、……人質としてだ」
「ミディルを攻め落としたい我が君が、あえてオリヴィアさまを人質に婚約者へ据えたのは、情報操作をしている諜報員が誰か、特定するためだったんですよね。陛下のことです。調べはもう、ついているのじゃありませんか?」
「目星がついただけでまだ取り押さえていない」
「ですが、陛下のことです。すぐに捕えるのでしょう?」
カルロスは、黙ることで肯定した。
今回、彼女が嫁いできたことでもたらされた情報を元に、内部の状況を精査し直した。そうすることでやっと浮かび上がってきたノーマークの敵がいた。
陣頭指揮を取れる将を欠いている今、カルロス自ら先陣を切ってミディルを攻め入る。その内部情報が漏れていたのだ。
――ミディルを落とすことは容易にできるが、その一方で城が落とされたら意味がない。
主が留守の間に襲うという、卑劣で小賢しい奴が取る方法だ。
「戦は速さが勝負というお考えでしたよね。本来の目的が成した今、オリヴィアさまは人質としての価値が薄くなっております。以前の陛下なら気にせず、ミディルに攻め入っているのではありませんか? それでも出陣を先延ばし、そばにおいて、守ろうとしている」
「キリアの言いたいことはわかった。もういい。認めよう。俺はオリヴィアを気に入っている。ハリソンにも最初にそう伝えているしね」
キリアに虚勢を張っても意味がない。カルロスは肩を竦めて答えた。
「陛下には、肩を並べ歩んでくれる人が必要です」
キリアの声は真剣なものだった。
「どうしても並び歩く人が必要なら、相手はオリヴィアだったらいいけど、俺、嫌われているからね」
「陛下は、嫌われてまま、誤解されたままでいいのですか?」
「誤解も何も、これが俺だ。嫌いなものを好きになれと強要するつもりはないよ」
去る者は追わないが、目にとまる気に入らないものは潰す。危害を加えようとするために向かってくる者は斬り捨てる。
そうやって守ってきたし、この国を変えてきた。今さらやり方を変えるつもりはない。
「オリヴィアは何の罪も犯していない。王族には珍しく、慈愛の精神があるやさしい彼女を、わざわざ敵だらけで、血に染まった俺と、破滅の道を進ませるのは酷というものだと思うよ」
「破滅の道と思わせないくらいの上回る愛で、彼女を守ればよろしいかと」
「上回る愛、ねえ……」
カルロスは苦笑いを浮かべた。
「陛下には愛し愛される歓びを知っていただきたいです」
「愛に飢えて帝国を傾けた哀れな先帝のようには、なりたくないなあ」
「陛下は大丈夫です。望めば、すべて手に入れられますよ」
「俺に絶大な信頼と期待をありがとう。キリア」
乳母の彼女が自分を案じてくれるのは嬉しいが、想いに答えることはできない。
誰かを愛し、愛される資格がないからだ。
――穢れた血など、滅びればいい。……俺もろとも消しさってやる。
「それより、ジラードとシグルドの様子は?」
日中、キリアに彼らの監視を頼んでいた。てっきりそれを報告死にきたんだと思った。
「陛下がオリヴィアさまを攫い、人質にしているためでしょう。シグルドさまが刃向かう様子はありませんでした。ジラードさまに攻撃的な態度もしていません。ジラードさまも猜疑的だったと反省しているようで、粛々と掃除を手伝ってくれましたよ」
「そうか。わかった。時間さえあれば、ちゃんと二人が決着付けられる場をもうけるんだけどね」
「そこに乱入したいんでしょう?」
「せーかい」
話を切り上げ、カルロスは隣の部屋に向かった。キリアがドアを開ける。
室内を見た瞬間、思わずふっと笑みをこぼした。
「なあキリア。見ろよ」
「まあ。……陛下、起してはいけませんよ」
オリヴィアは、カルロスの寝台の真ん中を占拠し、寝息をたてて熟睡していた。




