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カルロスより体格がいいハリソンをオリヴィアは見上げる。彼は同情のような眼差しを向けながら、深くため息をついた。
「私ももう歳です。少し状況についていけないので整理させてください。陛下はたしか外が騒がしいからと、私が止めたにもかかわらず、単独で様子を見に行かれたんですよね」
「ああ、ジラードとシグルドが噴水庭園で剣を交えていたのが窓から見えた」
「それで、駆けつけた陛下はどう対処されたのですか?」
「剣を取り上げ、三日間の謹慎とオリヴィアの護衛任務から外した。だから姫はここに。俺が護衛することにした」
カルロスは笑顔のままオリヴィアの肩をつかみ、ハリソンに押しつけるように前へ押す。
「陛下。やめてください。ハリソンさまが困っておいでです」
「こいつは普段からこういう顔だ。気にしなくていい」
ハリソンは渋い顔で「ふむ」と思案してから口を開いた。
「陛下は私の忠告を無視なさるおつもりなのですね」
「忠告? なんのことだっけ」
笑顔でとぼけるカルロスを見て、ハリソンは深いため息を吐いた。緩慢な動作でオリヴィアに向きなおった。
「オリヴィアさま、正直に申しあげます。ここは我が帝国の最深部です。明かせない情報が詰まった場所です。私は陛下が妃を迎えることには大賛成ですが、現状、ミディル国の王女の貴殿に、わが帝国の情報をお渡しすることはできません」
ハリソンは恭しく、頭を下げるとドアを開けた。
「気まぐれが過ぎる陛下をどうぞお許しください。王女さまはお部屋でおくつろぎくださいませ」
ハリソンは、『妃としては歓迎するが、余計なことはするな』と釘を刺してきた。
オリヴィアがここに来てまだ一月も経っていない。他国の、しかも開戦間近の国の王女に機密情報あふれる場所をうろつかれては困るというハリソンの気持ちは理解できる。彼の苦労や事情が多少わかるオリヴィアは申し分ない気持ちになった。
「気まぐれが過ぎるって、まるで俺が考えなしみたいだ」
カルロスは肩を竦めると、オリヴィアの肩をぽんと叩いて、部屋の奥へ入って行く。
「連れてきたのは俺だけど、部屋に残るか、出て行くかはオリヴィアが選んでいいよ」
オリヴィアは、ぱっと振り返った。
――やっぱり、つかめない人。
カルロスは、シグルドたちの仲裁に入ったかと思えば、もっとケンカしろと煽り、今も無理やり連れてきたと思えば、出て行ってもいいと言う。
強引でわかりにくい。けれど、最近わかってきたこともある。
――陛下は、自分の考えとは別に、相手の気持ちも聞いて吟味してから、最終的に決めている。
前回、ミディル国が滅んだのは、こちらが『戦う』と意思を表明したから。
今回はオリヴィアの独断で、『戦わない』を示した。
ーーこのまま友好を訴え続ければ、未来は変えられる!
そうとわかればすることはひとつ。すっと背を伸ばしてからオリヴィアは口を開いた。
「私は、おっしゃるとおりミディル国の王族です。それは、陛下の妻になっても変わらない事実でしょう」
オリヴィアはドア付近にいるハリソンではなく、部屋の奥にいるカルロスを見た。
「陛下は他民族のかたたちもたくさん受け入れていらっしゃいます。強いだけじゃなく、懐が大きいです。私のことも信じてくださっている。だから、ここに連れてきてくれたんだと思うんです。私は、陛下の考えと期待に応えたいと思っています」
窓を背にこちらを見ている彼に、オリヴィアはゆっくりと近づいた。
「陛下は、やさしいかたです。私は、あなたとともに、平和な世界を実現したいと思っています」
「それは、本当にきみの意思?」
「はい。私オリヴィア・ミディルの意思です」
カルロスは、オリヴィアをじっと見つめた。
「ここに初めて来たときにも言っていたね。平和のために俺との婚姻を望むと。敵国で人質として暮して不便もあるだろう。それでも、その気持ちは変わらなかったんだ?」
「変わりません」
彼の言うとおり、オリヴィアはここに来て、何もできない日々をおくった。
シェンナによるカルロス暗殺計画を阻止したことで、開戦に至っていないが、それだけだ。
少しずつ、侍女たちから信頼を得ようとはしているが、正直時間がかかりそうで焦っていた。
カルロスの手伝いは運良く巡ってきた大きな機会。どんな小さなミスでも命取りになりかねないが、自分かわいさに逃げ腰になってなどいられない。
「秘密を漏らさないのであれば、オリヴィアさまが我が帝国の皇妃として、陛下の傍に仕えることに反対はありません」
ハリソンはドアを閉めると、もう一度頭を下げた。
「理由も申し上げましょう。陛下がオリヴィアさまのことを大変お気に召しているからです」
「それは、どうも……」
――正直、嬉しくはないけれど。
オリヴィアは、ちらりとカルロスを見た。目が合った彼は、にっと口角を吊り上げた。
「きみって、磨けば輝く宝石になりそうだよね。今は原石って感じだけど」
「……人のこと世間知らずと言ったり、いたぶりがいのある小動物と言ったかと思えば、今度は石ですか……。生き物ですらないんですけど、さすがに失礼じゃありませんか?」
「あれ? 褒めたつもりなのに、なぜか怒られた」
「前言撤回します。陛下、やさしくないです」
笑っている彼と反対に、オリヴィアは眉間にしわを寄せた。くるりと反転して、ハリソンを見上げる。
「ハリソンさま。私、居座る気満々ですが、はっきり言って政務関係のお手伝いはしたことがありません。邪魔にならないように雑用からさせてください」
一応兄の代理ができるように知識は詰め込まれているし、見学もしたことがある。しかし、兄のウエル王はオリヴィアに甘く、政務には一切関与させてくれなかった。
『オリヴィアには煩わしいことや、つらい思いをさせたくない。政務はこの兄に任せて。その代わりにときどき、僕のお茶の相手をしてくれたら嬉しいな』
なんて言って、いつもウエルはオリヴィアを執務室から遠ざけた。
「雑用、まさにお願いしたいのはそれだよ」
答えたのはハリソンではなく、カルロスだった。
「……陛下に聞いていません」
「うわ、冷たい。寂しいな」
カルロスは口で言うほどショックを受けていない。けろっとしている。
ハリソンは難しい顔をしたまま、机に高く積まれた紙を指差した。
「書類は陛下と私が目を通します。問題は保管方法でして……後回しにした結果、山が築かれ、何度か紙の山が崩れて、私と陛下は生き埋めにあいました」
チェックした書類、まだ未処理の書類すべてが今混ざってしまっているという。
「わかりました。私は分類わけと、保管をすればいいんですね」
「はい。お願いいたします。……オリヴィアさまにこのようなことをさせるのは本当に心苦しいのですが……」
秘密書類も多いのだろう。ハリソンはオリヴィアが手伝うことに、まだ渋っている様子だった。
「ハリソンさま。私、キリアさんからも陛下のことを頼むってお願いされているんです。だからじゃないですけれど、どんなことだってしますし、がんばります」
「オリヴィア、どんなことでもするって本当に?」
ハリソンと話をしていたのに、カルロスは邪魔をするようにオリヴィアの顔を覗き込んできた。思わず後ろに下がる。
「ええ、……しますよ。陛下が私を傷つけるようなことをしないかぎり、私のできる範囲と、限定されますが」
カルロスは、すっと目を細めた。
「オリヴィアのこと大事にするつもりだけど、傷つけない自信はないな」
「……へ、ええっ?!」
――待って。普通、そこは傷つけないよって、約束するところでは?
オリヴィアは「陛下ってやさしくない」と、二度同じ言葉を繰り返した。




