13
天蓋付きの広い寝台で寝ていたオリヴィアは、夜が明けきる前に、飛び起きた。
走ったあとのように、心臓がどくどくと速い。はあっと深いため息を吐いたあと、自分の長い髪を耳にかけた。
「……ここは、レオンティオ帝国だった。寝ても覚めても悪夢だわ」
再び寝る気にはなれなかった。そのままのっそりと寝台から抜け出そうとした時だった。
「わっ。ルカ、いたの?」
毛布をめくると、金色の精霊猫が丸まって寝ていた。オリヴィアが話しかけると目が開いたが、眠いのか、うっとうしいのか、細められたままだ。
そっと、ルカを抱き上げた。窓に近づき、まだ暗い空を見上げた。
オリヴィアは時が戻ってからずっと、ミディル国が滅びたあの夜のことを夢で見続けていた。
赤い夜空と、人々の叫び声。そしてカルロスの暗闇で光る殺意のある瞳。ぎゅっと胸が痛んで、思わずルカを強く抱きしめた。
室内はまだ薄暗く、寒かった。寝汗をかいてしまい着替えたいが、まだ寝ているはずのマーラを起すのは忍びなかった。
正妃の部屋は続き部屋で、応接室兼書斎とは別に、浴室や衣装部屋が離れた場所にあった。
ルカを放し、広い部屋を横断する。一人でも着脱できる質素なドレスを選んで、着替えた。
オリヴィアがドレッサーの前に座り、自分で髪を梳かしていると、「失礼します」と言って、マーラが入って来た。
「マーラ、おはよう。早いね」
「オリヴィアさま、おはようございます。お一人で身支度をされていたのですか? お目覚めでしたらお呼びくださいませ」
「長旅で疲れているでしょう? もっと寝て欲しいと思って。それに私、もう小さな子どもじゃないのよ? 着替えくらい自分でできるわ」
「オリヴィアさまを着飾るのは私の勤めです。仕事を奪わないでください」
オリヴィアは近寄ってきた彼女にしぶしぶブラシを渡した。
「昨夜はろくに話をせずにすぐに眠ってごめんね。心配したでしょう?」
オリヴィアは、馬車移動の疲れが溜まっていたのと、カルロスと対峙したことで気力も体力も尽きてしまった。彼が退室してすぐ、気を失うように眠ってしまったのだ。
「心配で、外で待機しておりましたら、陛下が追い出してすまなかったとお声をかけてくださいました」
「陛下が? そう……」
――怖い人なのか、やさしい人なのかよくわからない人。
マーラも同じ感想を抱いたらしく、「噂以上につかめないかたですね」と小声で言った。
空が白みはじめた頃、部屋のドアがノックされた。
入って来たのは、髪に白色が混じった、やさしそうな笑みを湛えた女性だった。カルロスとハリソンが話し合って付けてくれた侍女の一人だ。
「オリヴィアさま、初めまして。キリアと申します。陛下の乳母を務めておりました。どうぞよろしくお願いいたします」
「キリアさん、世話になるわね。こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げると、キリアは少し驚いていた。
「どうかされました?」
尋ねるとキリアはやわらかく笑った。
「いえ、私にまで丁寧なあいさつをしてくださるので、少々驚いてしまいました」
「ああ、そうよね。ごめんなさい。その、私の祖母の影響なの。気をつけるわね。それよりも何か、用があるんじゃなくて?」
訊ねると、キリアは頷いた。
「陛下から言伝です。お食事を一緒に取るため食堂へ来るようにとのことです」
「陛下と、食堂で?」
オリヴィアが驚いて聞き返すと、キリアはにこりとほほえんだ。
「はい。朝食は七時半からです。正装には及びませんが、ご支度されたいかと思い、速めにこちらへ来させていただきましたが、もうすまれているご様子ですね」
他の侍女も紹介され、定刻になるまで雑談を交わして時を潰した。
キリアに案内されて向かった食堂は一階にあった。足を一歩踏み入れてみれば、美味しそうな匂いで満ちていた。
長いバンケットテーブルには、作りたての料理が大皿に盛り付けられ、すき間なく並べられている。
中庭に面しているらしく、全面ガラス窓で、開放的な場所だった。窓際で、景色も日当たりも一番いい場所に、この国の皇帝は座っていた。
オリヴィアは、彼の前の席に案内された。
「よく眠れたか?」
「陛下。おはようございます。おかげさまでよく休めました。朝の食事にお招きいただき、ありがとうございます」
「堅苦しいあいさつはいい。さぁ、好きなだけ食べて」
カルロスに会釈してからオリヴィアはもう一度、料理に目を向けた。
みずみずしい採れたての野菜で作られたサラダと季節の果物が今にも皿から零れ落ちそうだ。肉や、魚料理まである。焼きたてのパンからは美味しそうな香りがするが、問題は種類と量の多さだった。
これでは朝食というより夜食だ。それでも多すぎる。
「陛下はいつも、この量を朝から召し上がっているんですか?」
「朝にエネルギーを供給すると、その日は活力が漲り、精力的に行動できる。効率よく成果が上がるんだ」
「それにしても、量が多すぎます」
「好きな物を食べられるだけ取り分けるから、給仕に欲しい物を言え」
――つまり、残りは破棄するの?
オリヴィアも王族だが、この贅沢ぶりには胸が痛んだ。
「残ったら料理は、あとでみんなが分け合って食べる」
彼は分厚いステーキ肉をナイフできれいに切り分けながら、オリヴィアが浮かんだ考えに答えてくれた。
「何だその顔は、ああ。毒の心配? それなら毒味もすんでいるから安心していいよ」
毒の心配をしているわけじゃない。オリヴィアはふるふると首を横に振った。
「このお料理、陛下専用の朝食ではないんですか?」
ミディル国では、王家や貴族にはそれぞれ専用に食事を用意していた。みんなで分け合ったりはしない。
オリヴィアが質問すると、カルロスのそばに控えている側近のハリソンが口を開いた。
「陛下独自の習慣でございます。戦場にいた頃からこのスタイルでして。同じ物を食べ分け合うことで、共感と仲間意識を高める。いわば儀式のようなものです」
「儀式、ですか……」
彼に習慣があることも、仲間との共感を大事にしていることも、意外だった。
「序列は大事ですので毒味以外は、先に陛下が食べ、我々臣下はあとから食べます」
「まるで獣の群れのようだ。とでも言いたげな顔だね」
ハリソンの説明を遮ると、カルロスは水が入ったグラスを傾けながらにこっと笑った。
「昨日、俺のことが知りたいと言っていただろう。食事はいい機会だと思ってね」
目を細めるカルロスからは、刃向かう? それとも従う? と、問われているみたいだった。
使用人や臣下と同じでは格が下がる。だから、自分専用の料理を用意しろ。と、普通の王族や貴族ならば怒ったり嘆くところだろう。
「わかりました。では、野菜サラダとパンをいただきます」
オリヴィアはそばで控えている給仕に伝えた。
ここはレオンティオ帝国。ミディルの王族としてのあたりまえを貫くよりも、新しいことに試みたほうが彼の理解に繋がる。
彩りよく盛られたサラダが目の前に置かれる。皿に取り分けられたパンをつかみ、ちぎって口に運んだ。焼きたてのパンには胡桃が入っていた。ほのかな甘みが口の中に広がった。
「美味しいっ! いくらでも食べられそうです」
思わず感想を零すと、カルロスは満足そうに目を細めた。
「口にあってよかった。たくさん食べな」
「はい。ありがとうございます」
オリヴィアはさらにパンを口に入れた。
「三ヶ月後、結婚式と舞踏会を開く」
彼からさらりと出てきた単語に驚いて、オリヴィアはパンを喉に詰まらせそうになった。あわてて水が入ったグラスをつかみ、胃へと流し込む。
落ち着いてから口を開いた。
「三ヶ月は、急ですね」
「そう? 俺は今すぐにでも式を挙げたいくらいだよ」
甘いほほえみを向けられて、オリヴィアは乾いた笑いを返した。
――昨日まで妃を迎えるつもり、これっぽっちもなかったはずなのに。即決即断ってこと?
話と仕事が早い。しかも昨夜彼が言っていたとおり、リップサービス付きだ。悲しいくらいにオリヴィアの気持ちが追いつかない。
カルロスの溺愛演技は完璧で、本当に式を待ち望んでいるように見えた。真に受けていると思われたくなくて、ぱっと視線を逸らした。
「果物も食べたいので、取り分けてもらっても?」
給仕にお願いすると「かしこまりました」と言って、すぐに目の前のマンゴーが皿に盛られた。
「照れるきみもかわいいね」
初めてマンゴーで、窒息しそうになった。
ここに来る前にキリアに聞いた話だと、城仕えの人間の入れ替わりはとても激しいらしい。
政敵の間者が多いのかもしれないと、オリヴィアは予想した。情報を曲げている人物は、両国間を不和に導きたいのだろう。小さな不信が大きな歪みに変わり、取り返しのつかない事態に進むことがあるからだ。
――相手の思惑を探りたいのはわかるけれど、こんな朝から飛ばさなくても!
オリヴィアはこれまで、王女という立場と、妹を溺愛してくるウエルの影響で、男性と親しい交流関係を持ったことがない。免疫がないのだ。
殺気を消した見目が麗しいカルロスに甘い言葉をかけられて、過剰反応を起した。
全身がかっと熱くなったかと思うと、頭から血の気が引いた。
――気の休まらない日々をおくる覚悟はしてきたつもりだったけれど、こんな辱めをうけるなんて!
もう嫌だ、帰りたい。と挫けそうになったときだった。
外が騒がし胃ことに気がついた。何だろうとちらりと視線を向けた。




