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「夜空が、赤い」

 花が咲誇る楽園ミディル国の王女、オリヴィア・ミディルは、薄い寝間着に外套を羽織っただけの格好で、侍女数人と一緒にバルコニーにいた。

 赤く染まる夜空には、丸い月が浮かんでいる。

 敵国のレオンティオ帝国兵が、街や城に炎を放っているからだろう。さっきからずっと焦げ臭い。

 庭を挟んだ向かいには時計塔があり、針は十二時を指し示していた。砲弾があったのか、一部が欠けている。

 城内は騒がしく、うめき声や怒号が絶えず聞こえていた。


「お兄さまは大丈夫かしら……」

 オリヴィアの兄ウエル・ミディルはこの国の王で、敵の兵が城壁を突破したときから姿はなく、心配だった。

 自室に隠れているように指示されてじっとしているが、状況は悪くなるばかり。霧が濃くなっていくように、不安が募っていく。

 自分はなんて無力なんだろうと思った。

「神さま。兄と、この国の民をお守りください……」

 オリヴィアは胸の前で手をぎゅっと握ると、月の女神に祈った。


 レオンティオ帝国は開戦して半年もしないうちに、ミディル国の主要都市四つを制圧した。そして今、王都は火の海、王が住まう城は陥落するのも時間の問題だった。

 ミディル国は水が豊かな国で、城内のいたるところに泉や池がある。バルコニーの真下にも泉があった。

 泉の水で消火活動をしたいのに、敵兵がいるために動けない。やきもきしながら湖面に映る月を眺めていると突然、足にふわりとした何かが触れた。

 猫の姿をした精霊だ。


「にゃーん!」と鳴いて、オリヴィアの足に頭をこすりつける。

「ルカ」

 精霊猫の名を呼びかけると、ルカは柵の手すりにぴょんと飛び乗った。狭い場所に器用に立っている。毛並みはふわふわで、色は瞳と同じ金色だ。

「ここは危ないわ。あなたも逃げて」

 話しかけてもルカは耳をぴくぴくと動かすだけで、そのまま腹ばいに座ってしまった。

「気ままな精霊猫ね」


 精霊猫は、国に繁栄をもたらす招き猫といわれている。

 昔は野良の精霊猫が城のいたるところにいたが、今はこのルカだけだ。

 オリヴィアはルカの頭をよしよしとなでた。

 精霊の姿を見たり触れたりできるのは、特別な力がある王族の者だけ。そばにいる侍女たちには何もない空間に話しかけているように見える。

 しばらくかまってあげると満足したのかルカは腰を上げ、手すりを移動しはじめた。

「待って」

 追いかけたが追いつけず、精霊猫は手すりから屋根に飛び上がってしまった。もう、手が届かない。

 ――まるで、お別れを言いに来たみたい。

「ルカ、またね。……元気で」


 オリヴィアが屋根の向こうに消える猫の姿を見送っていると、何人もの歓喜に似た雄叫びが、遠くで聞こえた。

 事態が動いたと察した。心臓がぎゅっと縮み、息が苦しい。嫌な予感がオリヴィアを支配していく。


「姫さま! お逃げください」

 いきなり荒々しくドアが開けられた。城の護衛騎士シグルド・オーディンが一人、転がり込むように部屋に入ってきた。

 オリヴィアがバルコニーから室内に戻ると、彼は膝をつき恭しく、先が欠けている剣を差し出した。

「これは……」

 見覚えのある剣だった。さあっと全身の血が引いていく。

「ウエル兄さまの剣が、どうしてこんな……無事なの?」

 訊いてもシグルドは顔を上げなかった。

「王は敵兵と交戦し、抵抗されましたが多勢に無勢で……敵の(やいば)にかかり、ご落命、されました」

 オリヴィアは息を呑んだ。

 首を横に振ると、その場に膝から崩れ落ちた。

「嘘よ。そんな……!」


 兄のウエルはオリヴィアより八つ上の二十五歳だ。

 歳が少し離れていたからか、妹のオリヴィアをかわいがってくれた。兄のやさしい笑顔を思い出していると、目頭が熱くなって、涙があふれた。

「王のもとへ、……連れて行って」

「オリヴィアさま、なりません。危険です。……逃げましょう」

 侍女頭のマーラがオリヴィアを止めた。

「姫さま。敵はまもなくここにも来ます。今は早く、お逃げください!」

 額から血を流しているシグルドも険しい顔でオリヴィアに言った。


 ――逃げる? どこへ?

 王都は火の海、味方の兵の数も少ない。貴族も民もたくさん失った。逃げる場所はこの国のどこにもない。


「私は、逃げません。国が滅びるというのなら、私も共に滅びます」

 オリヴィアは、震える手で切っ先が折れた剣の(つか)をぎゅっと握った。

「なりません! 王家の血を引くのはもう、姫さまだけです。今は危機から脱するべきです」

 シグルドの悲痛な訴えを聞きながら、オリヴィアはゆっくり立ち上がった。

「これ以上犠牲者を出したくないの。まだ命ある者は逃げるように伝えて。あなたたちも、これまでありがとう。どうか生き延びて」

「姫さま……」

 不安と恐怖を必死にがまんしていた侍女たちは泣き出し、その場に跪いた。すすり泣きが響く重い空気の中、オリヴィアは侍女たちの肩をやさしく抱いた。


 レオンティオ帝国は、ミディル国を隅々まで蹂躙するつもりだろう。隣国がそうだったからだ。

 戦いに敗れた隣国の王族貴族は、一人残らず首をはねられた。地名や風習、文化は面影を残すことなく消された。そうすることで、レオンティオ帝国は人々を支配し、領土を広げている。


「姫さま、私は部屋の前で敵の侵入を阻みます。その隙にお逃げください」

「だめよ。あなたこそ逃げて」

 まだ諦めていないシグルドはオリヴィアに頭を下げると、静止を無視して部屋を出て行った。

「どうしよう……」

 ――私がいれば、みんなが命がけで守ろうとする。


 オリヴィアは再びバルコニーに出た。手すりから身を乗り出して泉を見つめた。

 二階のバルコニーから落ちたくらいでは死なないかもしれない。ただ水深はある。兄の剣で胸を刺し、泉に落ちたあと泳がず沈めばいい。

 オリヴィアは、守るべき王族の自分がいなくなれば、侍女たちを生かせるかもしれないと思った。

 震える手で、折れた刃を自分に向けたときだった。

 急に室内が騒がしくなった。

 見ると敵国の兵士が数人、無遠慮に部屋へ入ってきていて、侍女たちから悲鳴があがった。

 侵入を阻むと言って出て行ったシグルドの姿はない。


 一人だけ、外套の襟元が毛皮の身なりのいい男がいた。その男がオリヴィアに気づき、バルコニーに出てきた。

 暗闇に光る金色の瞳と目が合った瞬間、心臓を鷲づかみされたみたいに痛くなった。

 オリヴィアは、あわてて兄の折れた剣を侵略者に向かってかまえた。


「きみが、オリヴィア王女?」 

 男は長身で、凜々しい眉と奥二重の目、整ったきれいな顔をしていた。さらさらの髪は月に照らされて、淡く金色に輝いている。 

 ――ルカの毛色みたいな髪色だわ。

 こんな場所と時でなければ、見とれるような美しい人だった。


「初めまして。カルロス・レオンティオだ」

「あなたが、今のレオンティオ帝国陛下ですか?」

 訊ねると、カルロスはにこりと笑った。


「王家はきみが最後だ。悪いが、死んでもらう」

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