女神どすこい
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目がグルグルと回って、ツンとした草のにおいがして、それから、青い空が遠ざかる。
どこかを通り抜けた気がした。
尻餅をついてあたりを見回す。
ジリジリと焼かれていた夏の暑さはどこへやら。空気に爽やかさまで感じる。ついでに髪がボサボサになっていた。
ひっくり返る前に何かにぶち当たった気がしたが気のせいだろうか。
一瞬よぎった影がぶつかってきたような、しかしどこも痛くない。気のせいのようだ。
とそこに、目の前に忽然とマントの長身が現れた。
こんなもの妄想したこともない。夢だろうか。
フードを目深に被ったその立ち姿を、丁度仰ぎ見るような格好で、目が合いそうなほどばっちりと、はっきり見てしまった。
黒いマントの陰から背の高い女性の姿がのぞく。
その女性が口をきいた。
「適合者、ああ見つかった」
か細い声だった。
その声が終わるやいなや、ぱっと火花が散る。
気が付くと先ほどとちがう仄明るいどこまでも続く何もない空中にいた。
体が浮いている。
空中に浮けるようなすごい力を手にいれたのか。しかし、浮いている以外に変わったところはなかった。
強いて言うなら、肌をさすろうとしてできなかった。
はい!? なんで!? 体が言うことを聞かないではないか。
そんなことがあるはずがなくて。
そのはずだよね。
尻餅をついたはずだが、最初からそうしていたかのように、姿勢良く両手を脇に付けてただ立っている。動こうとして、できない。もどかしい。息まで早くなりそう。
何を見るでもない、何もない方向へ向けて、静かに立ちん坊していたのだった。
まわりはとても広い。
とらえどころのない感じがして、もの悲しくなる。
そしてなぜか、綺麗という思いが湧く。始まりの場所だという言葉の響きが頭に浮かんだ。
しかし、綺麗だと思ってはいけないのだとどこかで察してしまった。マントの女性の思いと自分の思いが、かさならず別々に同居している。警告するように胸が冷えてくる。
自分のなかに、重たい何かがいた。
気が動転した直後のように胸がドクンドクンと鳴っているのに何も思い出せない。
体は固まったままだ。
空の色合いは変わらない。
景色が澄んで、綺麗にさえ見える。何もない空、落ちることもなく飛んでいるでもない自分がいた。
色合いの変わりかけの空が、更けゆくのか明ける前なのかも分からない。
ただ突っ立ているみたいな無限のような瞬間が過ぎた後に、ふいにやってきた。
三人分の気配が現れたのだ。ただし、見える範囲では二人だけだった。
おそらくは、この動きのない空気に包まれている、静かな空間が、自分が感じる最初で最後の安らぎのような気がした。
自分は誰なのだろうか。
ここがどこなのかよりも気になった。
急に、五体満足でここにいることが仕組まれたような、贄のような予兆のような、厭な感じがしてきた。
「みんな来ましたね」
声は自分のものだった。けれど言っているのは自分ではなかった。
いつのまにかずいぶん遠くに一人と、そこよりも近いが顔が確認できないほどの距離にもう一人、つごう二人の見知らぬ少女が現れていた。見逃していたというよりさっきまでいなかったのだろう。
そうは言っても、自分も不確かで、漠としていて、ただ単におのれ独りと思っていただけかもしれない。こんなところで何が分かるだろうか。
涼しくて過ごしやすいのだけは救いだろうか。
きっといいことが起こるような、悪いことでも仕方がないような。
「この三人で勇者、魔王、聖女を務めてもらいます」
この果ての見えないどこでもありどこでもなさそうな空中が、声だけを響かせる。
その声は直接頭に入り込むようで、はやく言い終えて欲しい気持ちになる。
「ちょっと待て」
真後ろからもう一人の声が聞こえてきて、驚いた。
声が答えた。
「平行世界に同一人物が生まれ、交わることなく人生を全うする。けれど、例外もある。それが一人であり今は三人の貴女たちなの」
「へ……なんて」
「珍しいことだけど、平行世界の同一人物である以上、性別以外は同じよ。性別も同じになることが多いのに、例外ね。問題ないわ。平行世界ごとの特徴はあるのだから同じ人格に極めて同一の肉体で、でも、それはお互いに違うと言える。そこを活かして争うといいのよ」
「なに?!」
「魔王になりたければ、魔王は勇者に退治されるわ。勇者になりたいかしら。聖女には敵わないわよ。聖女は魔王に歯が立たないの。魔王に見つかってしまえば聖女は滅ぼされてしまうわ」
この空間に響いている声が、どうやらこの身から発せられているらしい。目の前の少年は前まで回ってきて、話し掛けてくるのだ。
ともかく甲高く説明口調な声は機械のようにまくし立て耳障りだ。えっそれが自分から出ているのか。イヤだが。
自分にそっくりだと思ったが、そんなわけはない。同一人物などいるとは思えないのだから。
それはすぐに確信に変わった。とはいえそれは全て鵜呑みにすればのはなしなのだが。
少年は言い返さず、口をつぐむと身を翻して遠くの少女へ駆け寄る。はやっ。というかおいていかないでくれ。
しかし体が動かない。些細な反応すらしてくれない。ぶるりと震えるような心細い気持ちになるのに、震えもせず指先は気が付いた時のまま垂れているなんて、あまり直視したくない。そもそも目線も動かせないけど。
この場には四人いると言うことだ。でもそれに入っていない者がいる。はーい。ワタシデース。
「いやよ、私は私よ」
男女のそっくりな双子のような二人がこちらへ歩いてくる。男の方はさっきの少年だ。少女はいやいやのようだ。
「理解したのか。話が早い。俺はもとの世界に帰るぞ!」
「それは無理だ」
「私も、え!?」
話し方が自分に似ている。なおかつ顔はがっつりそっくりだ。
「この人に手伝ってもらうまで動けなかったの」
「本来は動けない。例外のせいだ」
声が不愉快すぎる。できれば会話をやめて欲しいが、内容は聞きたい。歯痒い。
「待っていろ」
少年がもう一人の方へ行った。確かにぴくりとも動いていない。控えめに言ってシュールだ。
そしてこっちのことも動かせるのでは。そわそわする。できないけど。
「私が居るわ。鏡でも見るみたい」
感情を抑え気味の声で目の前の少女が言った。無理もない心持ちだ。それはそうと動けるらしい。
「何になりたいかだ」
「勇者、聖女、魔王でしたっけ。貴女はどうなるのですか」
「ここで消える」
「え」
まじか。
「どなたなのですか。平行世界の方なの」
「当たりだ」
「何にもなれないんですか」
「何にもなれないともいえる。でも既に女神だからだ」
「女神!?」
この少女もそこそこ声が大きい。自分もそうだったのだろうか。
遠すぎて遅くなったが、少年が戻ってきた。少女を連れている。またそっくりだ。
「聞いたぞ! 女神だ? 平行世界の俺が仕組んだのか!」
「そうだ」
違いますけど!? 身に覚えがなさすぎる。
「では女神には俺がなる!」
「えっ!」
「一番強そうだからな!」
「女神は勇者や聖女と比べものにならず、魔王の比ではないが」
「決まりだ!」
はやい。しかし、体が動かない。
「同一人物は一つの世界に一人だ。これから向かう世界では、魔王か勇者か聖女のうち一人しか生き残らない。そのために平行世界から喚んだのだ」
「なるほど、必ず決着を付けさせたいのだな。しかし聖女と勇者はどちらもいてもいいではないか」
「女神が滅び、聖女は最後の聖女となる。勇者と魔王も最後だがな」
「まてよ、女神が滅びたいのか?」
「そうだ」
「そのためにか。魔王もいなければ争いなど起きないのではないか!?」
「魔物は魔王から生まれるからな。間違っていない」
「意思があるだろう。この人の意思や、俺の意思だろう!」
「それはなくなる」
あー、今の私みたいな感じか。