第97話 神の剣
痛みで転がる勇者1人と、土下座する勇者が1人。
字面ではあまりにも奇怪だが、それが目の前に広がっている景色であった。
「──なんだ?」
未だ<凶獣化>を解除していないルリも、美しい土下座を決める夏影陽里に困惑している様子だった。
「私たちの敗北だから、命だけは見逃して欲しい、そういう意味の土下座よ」
土下座をしながら律儀に説明してくれた。
勇者2人がかりで始まりの獣に完全敗北とは如何なものかと思うが、負けを確信して無理な争いをしないところは頭脳の明晰さが伺える。
ルリの方を見るも──任せるといった感じだ。空梅雨茜はともかく、夏影陽里について思うところは無いらしい。
ただ──
「なぁ、夏影陽里」
これは、俺の問題だ。
勇者には一度「見殺しにされている」。
しかし、それが間違いかと言われればそうとも言えない。
あの時点で女神に歯向かうことが難しかったのは、魔夜中紫怨で分かっている。
だから、あの場で俺を庇わなかったことを攻め立てる気はない。
空梅雨茜のように「どうでも良かった」という考えにも恨みは抱かない。実際、他人の命などどうでも良いものなのだ。
ただ、見殺しにされていることに変わりはないわけで、特別彼女を助けようとは思わないが。
だが、夏影陽里は違う。
駿河屋光輝や桃原愛美同様、女神に口添えしている。
あれが女神に歯向かわない姿勢を見せるためのブラフならば良いが、光輝や桃原愛美のように本心で言っていたのであれば、許せない。
「俺が女神に転移させられる前、俺を突き放したのは何故だ?」
「それは──」
「嘘はつかないでくれ。判別するスキルがある」
そんな脅しをかけておくが、もちろん嘘だ。
<支配>を使って聞けば正直に話をさせることが出来るが、嘘を判別できるわけではない。
それでも、不利な状況な夏影陽里にこの嘘は効くだろう。真偽問わず、彼女は嘘を吐けない。
「……あの場で女神様に敵対するのが怖かったからよ」
恐る恐るといった様子で顔を上げながら、夏影陽里は答えた。
嘘か本当かは分からないが、その目が嘘を吐いているようには見えない。それに、こんな状況で嘘をつくような豪胆な性格ではないだろう。
「──そうか」
あれから時間が経ったこともある。怒りが薄れたわけではないが、実際自分が同じ状況だったら動けていたかどうか。
よく知らない世界で、圧倒的に強い存在を前にして、異を唱えられるのか。
難しいだろう。
長いものには巻かれた方が良いのだ。
そう考えれば、彼女の行動を一概に否定はできない。
自分の命を優先するのは、生物として当然のことなのだから。
「ルリはどうしたい?」
「……私に聞く?」
「俺のために怒ってくれていたから」
いつの間に<凶獣化>を解除したのか、少女形態のルリにそう言うと、彼女ははにかみながら微笑んだ。
その笑顔に一瞬見惚れてしまうが、理性でなんとかこちらの世界に戻ってくる。
「葵の好きにしたら良い。これは葵の問題。葵が許すなら、私は口を出さない」
そして、真っ直ぐと俺の瞳を見据えて言葉を続ける。
「葵は自分に素直になっていい。自分を欺き続ければ、人生は辛いだけ。多少の自分勝手は許される。私が許す」
ルリにしては珍しく饒舌だった。
それは俺への気遣いなのだろう。
過去をいつまでも引きずるわけにはいかない。折り合いを付ける必要はあるが、それは我慢することではないのだ。
「ルリ、空梅雨茜を治療してやってくれ」
「……ん、分かった」
もちろん、ルリにも思うところはあるだろう。あれほど容赦のない姿は王都でも見せなかったのだ。
それでも、俺の意思を尊重してくれた。少女の見た目をしてはいるものの、長年ゆえの母性──優しさが彼女にはあった。
ルリは地面に伏せている空梅雨茜の元に行くと、回復魔法をかけていく。凄まじい回復力があるもので、腕は一瞬で生えてきていた。
ガーベラの拷問を思い出しそうになるが、目を逸らすことでなんとか回避する。
「葵くんの能力が支配に関するということは知っているわ。その上で、私も空梅雨さんも支配を受け入れる。それを条件に命だけは見逃して欲しい」
「分かった。だが、もう一つ条件がある」
「条件?」
「女神の元に戻ることと、俺と会ったことは秘密にすることだ」
俺が付け足すと、彼女は納得したような顔になった。
「分かったわ」
「それじゃあ、手を」
<支配>の発動のために、夏影陽里に手を差し出す。
彼女はそれを見ると理解した表情をしたが、一瞬でそれを崩して引き気味に言った。
「葵くんって大胆なのね」
「……殺すか?」
「冗談よ」
なぜこの状況でそんなことが言えるのか不明だったが、彼女はクスクスと笑いながら俺の手をとった。
「<支配>」
速やかにスキルを使えば、成功した感覚を得る。これで一安心だ。
「葵、治療が終わった」
続けて、負けたからか不貞腐れて横になっている空梅雨茜にも<支配>を使う。
話は聞いていたし理解もしているのだろうが、反応したら負けとでも思っているのだろう。
抵抗することはなく、素直に<支配>を受け入れていた。
「ルリもありがとう」
「ん」
意外となんとも思っていないのか、未だ伏せたままでいる空梅雨茜の側を離れて俺の隣に戻ってきた。
「そういえば、葵くん」
「ん? なんだ?」
「メイって覚えてるかしら? 赤髪メイドの」
桃原愛美の護衛をしていた──俺が街でナンパから救った女性だ。赤髪で気の強そうな顔をした、甘いもの好きの彼女のことだろう。
「それが?」
「彼女は女神のメイドなのだけれど、貴男ともう一度話がしたいそうよ」
「俺と? なぜ?」
「それは本人に聞いて頂戴」
あまり良い別れ方とは言えなかったから、正直恨みを買っていると思っていた。
実際、勇者を2人殺しているわけだし、女神の側近という立場から考えれば宿敵だろう。
それでも話をするというのは彼女の優しさか、甘さか。どちらにせよ、「機会があれば」としか言えなかった。
夏影陽里もそこまで強制するつもりはないらしく、「ありがとう」とだけ言って話を締めた。
───それにしても……
想像よりも得たステータスとスキルが多い。
ちゃんと勇者をしている彼女らはレベルも高いのだろう。当然、ポテンシャルが高いのだからステータスの上がり幅も大きいものとなっている。
少女形態のルリと渡り合えるだけでも十分な強さだと思った。
「そういえば、どうしてガリアに?」
概ね答えは予想できていたが、それでも質問は投げ掛ける。
彼女から返ってきた答えは、俺が予想してた通りのものだった。
「魔族領域の内乱に乗り込んで、有力な魔族──ヒュトールを始末しに来たのよ。葵くんが倒した後だったけれど」
「そうか」
───女神は魔王の交代に否定的か。
非好戦的な現魔王の方が弱いと考えていそうだ。魔王が変わるということは好戦的になるということだし、それを嫌っているのかもしれない。
しかし、ガリアにヒュトールが残ることを分かっていたかのような勇者の使い方だ。
2人も投入したのだから、確信があっての行動に見える。
「やはり……」
魔族の情報を得る何かがある。
まだ魔族領域に入って日が浅い俺には分からないが、これは確実と言えるだろう。
「? どうかした?」
「いや、こっちの話だ。それで、これからどうする予定だったんだ?」
「一度戻った後に、内乱の終わりを見計らって魔王討伐って流れね」
女神らしい狡猾なやり口だ。
最も魔族が消耗しているタイミングで攻め込む。勇者を2人失っている以上はそうせざるを得ないか。
───ん?
騎士たちと戦士長、ガーベラの<支配>の解除を感じた。
俺たちの間にあった繋がりがプツンと切れる。
死んだのか、<支配>を解除する手段があったのか。枷月葵の生存に気付いた女神が何かしたと考えるのが妥当か。
<支配>を解除する手段があるのは厄介だ。
支配の上書きによる支配権の奪取の可能性も捨てきれない。そうなると、夏影陽里と空梅雨茜に施した<支配>も絶対とは言えなくなってくる。
「──夏影陽里」
「陽里で良いわよ」
「……夏影」
「その名字、嫌いなのよ」
「…………陽里」
「どうしたの? 葵くん」
「陽里と空梅雨茜を女神の元へ帰すのはナシだ」
妙に押しが強い陽里にとやかく言われながらも、俺は目的を伝える。
女神に<支配>を解除する手段がある可能性が存在する以上、彼女らを女神に引き渡すことはできない。
もう一度戦って<支配>することは出来るだろうが、ルリと正面から戦わせなければ彼女らも脅威となる戦力なのだ。
「理由は……聞かないでおくわ。正直、どっちでもいいもの」
女神側であることに執着があるわけではないようで、意外にもすぐに同意を得られた。
なんとか言って女神の元に帰ろうとするかと思ったのだが、それは杞憂だったらしい。
「空梅雨茜は……」
まだ、地面に伏せている。
うつ伏せのような姿勢のため、表情は伺えない。ルリの回復によって腕が完全に戻っているので、痛みではないはずだ。
「空梅雨さん、そろそろ────」
「うるさいっ!!!」
>「空梅雨茜」の<支配>が解除
───は?
「どうして私が従わなくちゃいけないの! なんで負けなくちゃいけないの!!!」
空梅雨茜の<支配>が解除された。
何者かによる接触は見受けられない。
つまり、自力で解除したということになる。
彼女は癇癪を起こしていた。とても理性的とはいえない状態だ。
そこから考えるに、彼女が意図的になんらかのスキルを発動したとは考えにくい。
感情が昂ぶったことによって固有スキルのレベルが上がり、<支配>に耐性を得たとか。あまりにも都合が良いが、事実は小説よりも奇なり。その可能性も否定できない。
「許さない、許さない! 私に力を寄越せ、神剣ヴァールレミュイユ!!!」
気付いたら立ち上がっていた空梅雨茜の瞳に、正気の色はない。
表情も怒りに染まっていて、その金髪も乱れていた。
右手には、白く輝く焔で形作られた剣を握っている。神剣ヴァールレミュイユ、それが名前なのだろう。
先程までとは比にならないレベルの力だ。
何かが覚醒した──そう考えるのが妥当だろう。
「ルリ」
「……<海神乱槍>」
ルリの右手に描かれた青い魔法陣から、等身大はありそうな水の槍が放たれる。
焔の剣を持っている故に選んだ水の魔法なのだろうが、空梅雨茜がヴァールレミュイユを一振りすれば、<海神乱槍>は簡単に消滅した。
「……あれは少しまずい」
「葵くん、私は何をすれば?」
「あなたは何もしないでいい。葵も、そこから動かないで」
緊迫した俺らの間に流れる雰囲気を察知してかせずか、空梅雨茜は己の右腕を高く上げる。
握っていた神剣ヴァールレミュイユも高く掲げられ、その炎が眩しく見えた。
「千の剣に貫かれて、処されるといい。──<千剣降臨>」
ヴァールレミュイユの眩さが増したかと思うと、次の瞬間には空に無数の剣が浮かんでいた。
それらはすべてヴァールレミュイユ同様、焔で出来ている。
切っ先は俺達へと向けられていた。
「<硬度強化・妖護界決>」
向かってくる千の剣に対するは、ルリによる結界魔法。
薄く広がる壁のようなものが焔の剣から俺たちを護るが、さすがは千剣の襲来。
結界にぶつかった剣はブワァと焔を放って消滅していく。そのこともあり、視界はひたすらに眩しかった。
20秒ほどだろうか。
短いようで長い時間が経過したのち、千剣の襲来は終わっていた。
「……疲れた」
かなりの魔力を消費したであろうルリは、ぐったりとしている。結界の維持は大変だったはずだ。
「大丈夫か? ルリ」
「……ん。それより、逃げられた」
俺たちの視界を潰すのが目的だったのだろう。
<千剣降臨>を撃ち終えた空梅雨茜は、既にそこには居なかった。