第90話 女神の動揺
過去の話を読み直し、誤字脱字等の修正をしていました。
───枷月葵が、生きている……?
なぜ、こうなったのか。
”死の森”。名前通り、アンデッドが大量発生する危険度の高い森であり、アンデッドの完全な処理が面倒なためにそこは教会が管理していた。
教会が管理しているということは、つまり女神が管理しているにも等しい。
死の森にはアンデッドも多数存在するが、最も危険なのはそれではない。
神獣フェンリル──神が魔獣を真似て作ったが、失敗して終わったものをあそこに放っていたのだ。
生かすも殺すもベールに委ねられていたが、それは敢えて生かしておいていた。自分の手を汚さずに反乱戦力を処理する時の為、というやつだ。
───私のスキルはカルマ値をあまり参照しませんが……。
枷月葵はフェンリルの目の前に転移させた。
ちゃんと座標を特定して転移をさせたし、枷月葵があの時点でベールの転移を拒めるとは思えない。確実にフェンリルと対峙したはずだ。
───フェンリルが殺された?
いや、まさか。それだけはないだろう。
神獣を殺せるだけの能力があるのならば、ステータスに表れていたはずだ。
───まさか、隠蔽していた? 無能だと思われるために?
それになんの意味があるのだろうか?
それならば、ベールに上手に飼われている方が得策だ。あれだけ自分を売り出してた枷月葵に限って、それはない。
では、フェンリルからなんとか逃げ切ったか。
いや、それも無理だろう。あれは狩りに重きを置かれた性能になっている。枷月葵を逃がすようなヘマはしない。
「…………本当に殺された、というのですか?」
ありえない。そうして頭で否定すればするほど、「そうなのでは?」と心の奥底から訴えてくる。
───と、とりあえずメイと話して……
話して、どうするというのか。何か対策が思いつくというのか。
いや、とりあえず彼女のスキルで居場所を確認することに意味はあるか。
……あるか?
───ない。
枷月葵が魔王城に居ることは分かっているのだ。
ここまで来れば、アオイが枷月葵であることも分かる。
「め、メイ! いますか?」
焦ってか、ついメイを呼んでしまう。
しかし、そこであることに気が付いてしまった。
───メイはアオイと接触があったはず。支配されている可能性がある……?
戦士長も、魔術師ギルドマスターも。
はたまた、彼が接触したタラスの人間の殆どが支配されていてもおかしくない。
「はい、どうされましたか? ベール様」
───どこまでが支配されている?
それによっては、作戦の全てが破綻する。
それも、枷月葵が魔王側に付いているとしたら、尚更。
とりあえず、戦士長と魔術師ギルドマスター、冒険者ギルドマスターには話をする必要がある。
主戦力をもう一度、<支配>して回らなければ。
「ベール様?」
「ん? ああ、すみません」
いつの間に部屋に入っていたのか、メイは机に座るベールの隣に立っていた。
その表情を伺うも、今までと変わったところはない。
───メイが支配されているとしたら、そもそもアオイのことを私に話す必要がない。
これは支配の影響を受けていないと考えていいのか。
どちらにせよ、メイに<支配>を使うことは、できない。
「戦士長、魔術師ギルドマスター、冒険者ギルドマスターを呼び出してください、今すぐ。それと、付与師ギルドマスターはまだですか?」
「かしこまりました。付与師ギルドマスターですが、あと数日の予定です」
別に当初の予定から遅れているとかではない。なんとなく、焦りから聞いてしまっただけだった。
「でしたら、その3名の呼び出しをお願いします」
できるだけ早く、と付け足しておく。
支配されているのだとすれば、放置しておけば何をされるか分からない。早く、手を打たなければならなかった。
───3人を<支配>し直す。そうすれば一先ずの問題は解決するか。
そう思うと、少し落ち着きが戻ってきた。
枷月葵が生きていようと、大した損害はないのだ。
なにせ、彼は村人。
支配をしようとしても、その範囲には制限があるのだ。
3人を呼び出すのも、あくまで保険。
実際に支配されているとは、これっぽっちも思っていない。
───よくよく考えれば、強力な魔族よりも楽ですね。
「かしこまりました。では、失礼致します」
メイは頷くと、静かに部屋を出ていった。
その様子に、いつもとの違いはない。
───それにしても、フェンリルはどうしたんでしょうかね?
元から戦力としては数えていなかったので、正直どうでも良いのだが。
やはり、枷月葵は誰かに殺させるべきだったという考えが出る。女神の制約がある以上、勇者に手出しをできないからと急ぎすぎたか。
───あれ? ということは、駿河屋光輝も桃原愛美も枷月葵に殺されている……?
実は強い、とか? と思ったが、そういえばスクロールを使っていたのか。
となると、やはり魔術師ギルドマスターは支配されていそうだ。
───彼女は”格下”?
そんなことはないはずだ。
どちらかというと、枷月葵が村人でない、という方が納得できるが。
───鑑定盤が間違っていたことはないんですけどねぇ……。
考えても事実は変わらないか、と。
普段のベールよりも投げやりな態度で、彼女は思考を放棄した。
「ま、今することは変わりませんけどね」
結局は、できることを1つずつやるしかないのだ。
枷月葵の場所をこまめに確認しつつ、魔族領域にいるようであれば何でもいい。
まんまと出し抜かれたが、彼自身の戦力は大したことがない。懸念する点は少なかった。
一応、支配スキルの警戒もしておくが、触れるより前に殺せばいい。
それほど便利な能力でもないのだから。
女神の考えは間違いではない。
彼女の持つ支配スキルは、確かに便利なものでもないし、特別強くもない。
ただ、他の勇者の固有スキルの階級が強力なものなのに、なぜ枷月葵だけはそうではないだろうと。
そんな勝手な推測を持ってしまったのだろうか。
それが後に、大きな過ちになることは、ベールも知り得ないことだ。