第84話 内乱の予感
「兄さん、もう大丈夫ですから……」
先程まではよほど感情的になっていたのか、雫は恥ずかしさに襲いかかられているようだった。
顔を見られるのが恥ずかしいのか、俺の胸に顔を埋めている。
そのせいで離れろと言われても離れられないのだから、言動が支離滅裂だ。
───感動の再会くらい、良いと思うけどね。
家族と再会できたのだから、これくらいのハメの外し方は良いと思う。というこの意見も達観し過ぎかもしれないが。
兄としては、妹に甘えられるのは悪い気はしない。
もともとはここまでベタベタな妹ではなかったが、やはり長い孤独の時が寂しさに繋がったのだろう。
血が繋がった家族は、特殊なケースを除けば最も信頼できる間柄だ。
もう少し甘えさせてやろうと、背に回した手は離さない。嫌がっているわけでもないし、良いだろう。
何より、俺にとってもこの世界で信頼できる数少ない人の一人なのだ。
再会を楽しませてくれても良いと思う。
「兄さん、ルリが見てますよ」
「ん?」
ふと、扉の方を振り返ってみると、恨めしそうな表情でルリがこちらを見つめていた。
今にもこちらに飛びかかってきそうな勢いだったが、なんとか理性でそれを抑えている様子だ。
「……魔王様、ずるい」
「…………ルリは兄さんのことが好きなの?」
「……ん」
可愛らしい少女──どちらも俺よりだいぶ年上だが──の会話を聞きながら、雫の頭は撫でておく。
ルリにはしない。絵面が犯罪になってしまうからだ。
───まぁ、ぶっちゃけルリのそれは愛というよりは依存に近いのかもしれないが……。
ルリとはこれから愛を育めばいいのだ。
そう言って、問題は先延ばししておく。
「ふーん。兄さん、ロリコンだったんですか?」
「いや、違うから!」
「まあ、いいですけど。とりあえず、固有スキルの話をさせてください」
固有スキルは遺伝の影響を受ける。
雫の固有スキルは支配系統だと聞いた。
俺と似たようなスキルなのだろう。
そう考えると────
「魔王軍は、支配しているのか?」
「当然、その疑問は出ますよね。支配には、合計で支配できる量が決まっているんです」
初耳だ。
俺の<支配>と雫の支配が別物の可能性はあるのだが、もしかしたら俺の<支配>にも上限があるのかもしれない。
よく考えれば、無制限で支配できるというのもおかしな話か。
「私は<支配>に加えて、<魔王支配>というスキルを持っています。これは一度だけ格上を支配できるというスキルです」
支配の基本は”格下”であること。
それを一度だけ覆せるというわけだ。
固有スキルとして、優秀なものなはずである。
「私、地球で死んで転生してるんです。兄さんは転移だと思うんですが、私はそうではありません」
「それがどうかしたのか……?」
「私を召喚したのは女神ベールでは無いんです。邪神と呼ばれる神に呼ばれました」
一見ベールに勇者として召喚されたように見えて、その実は違った。
邪神──名前からろくでもない神なのは想像できるが、その邪神が何らかの目的の為に召喚したというわけだろう。
「その邪神が私に接触を計ってきたので、支配してやりました」
雫自身をこんな世界に呼び出した元凶なのだから、当然鬱憤は溜まっていた。
接触してくるというのなら、<魔王支配>で支配下に置いてやろうと。
そして、支配に成功した。
「それで、支配できる量──リソースをすべて使い切ってしまったんです。やはり、神を支配するのは難しいことですから」
<支配>できる総量は、単純に数ではない。
支配した個体の能力などから考えて、合計値が決まっているというわけだ。
強大な個体を数体にするのか、有象無象を大量にするのか。
さながら、タワーディフェンスに似たものを感じた。
邪神という強大な個体の支配のために、雫は<支配>の力をすべて使い切ってしまった。
となれば、魔王軍を支配することなど不可能。
己の力と信頼で勝ち取った地位ということになる。
「特に限界を感じたことは無いな。それより、俺の<支配>は格上も支配できるが……」
「兄さん、それはあり得ませんよ。今まで兄さんより強い存在を<支配>できていたのは、格上ではなく格下だからです」
「つまり……?」
格上とか格下とか、固有スキルについて研究できる余裕が無かった俺からするとよく分からないのだ。
その分、雫が知識を持っているのは助かった。
「私は魔王ですので、兄さんは魔王の兄なんです。それが所謂、格ですね。魔王の兄ともなれば、大抵の支配には成功しますよ。女神は無理ですけど」
なるほど。
俺が転移した時から存在としては”魔王の兄”だったわけだ。
魔獣であれば支配できるし、人間も支配可能だろう。
それに、雫は勇者と魔王のどちらも倒して魔王になっている。勇者の<支配>も可能なわけだ。
「……ユウキは?」
「”人類最強”は、魔王も勇者も殺しています。同格です」
ガーベラの時と違い、触れていても支配出来なかったのはそういうカラクリだったということだ。
そもそも格下じゃないのだから、<支配>出来るはずもない。
「兄さんの支配能力に上限があるかは分かりませんが、<支配>を切り札にするのは止めた方が良いです。万が一上限が来た時に危ないですから」
「となると、俺自身の強化か?」
「そうです。ステータスを見てみてください」
「ステータス」
名前:枷月葵 Lv81
ステータス:STR…SSS
INT…SSS
DEX…SSS
AGI…SSS
VIT…SSS
───いつの間にこんなに強くなったんだ?
思い当たる節は<奪取>と<模倣>の強化くらいだが。
いや、それだろう。僅かしか得られなかったステータスの量が増えれば、これくらいになっても不思議ではない……か?
「ステータスの表示の上限はSSSです。後はスキルの獲得ですね。兄さんは<支配>した対象からスキルとステータスを得れるのだとか」
表示の上限、という言葉から、実際はこれ以上も伸びることは想像できた。
俺の固有スキルの効果を知っているのは、タクトにでも漏らされたか。
そんなことを考えていると、雫が忘れてたと口を開いた。
「あ、そういえば確認を忘れていました。ベールを殺す、それが兄さん目的ですよね?」
「ああ。雫は違うのか?」
「いえ、私も同じです」
そうでもなければわざわざ魔王になる意味もないだろうし。近年攻めていないのは、戦力の確保──軍事力の拡大だろう。
「兄さんが勇者を殺してくれたおかげで、攻めるチャンスが生まれました。ですが、まだ機会では無いんです」
「というと?」
勇者の欠損。
魔王軍の拡大。
十分に攻められる戦力はあるという話だった。
しかし、今は攻める機会ではない。その理由を、雫は語った。
「内乱です。私は魔王ですが、すべての魔族を統べているわけじゃないんです。魔王城の裏には大きな街があります。魔都ガルヘイアと言うのですが、そこに住む魔族は全魔族の約7割です」
人族だって同じだ。
全ての人間の思想が一つになれないからこそ、国が複数に分かれている。
魔王としての雫は穏健派だ。
無意味に人間に攻め入ることはしない。
この考えを全ての魔族が理解できるかと言われれば、それは不可能だろう。
先代魔王のように、過激派な魔族だって多くいるわけなのだから。
「残りの3割の魔族が結託して、内乱を起こそうとしています。魔王の交代を求めているんです。魔族の意思は魔王の決定によって決まりますから」
目前の問題は内乱。
政治に詳しくない俺だが、面倒なことになるのはよく分かった。
「兄さんも、タイミングが悪かったですね。魔王の兄として、兄妹共に頑張りましょう」
どうやら、俺が魔王城に辿り着いた時期は最悪のようだった。