第8話 聖女
話していくうちになんとか誤解を解き、彼女の怒りは収めてもらった。もちろん、俺が別世界から転生してきたことや、固有スキルを持っていることなんかは話していない。
彼女は名前をラテラと言った。それに対し、俺はアオイと名乗った。
聞く感じアオイという名前は一般的ではないのだろう。
ただ、外国人っぽい名前の中、日本人ネームは浮くかと思ったが、そうでもないようだった。
ラテラが言うには、この森は危険な場所として有名らしい。女神が俺を殺すために転送した場所なのだから納得だ。
「まぁ……やはりか」
「え? 何か言いましたか?」
「いや、こっちの話です」
光輝の提案に乗ったのは、あくまで光輝からの好感度稼ぎか。光輝たち勇者には肯定的な態度を見せつつ、最初から俺を殺すつもりだったに違いない。
「アオイさんはどこからいらしたんですか? 顔立ちがこの大陸の人ではないですので」
地球と同じくいくつかの大陸に別れている。そしてその大陸間での交流は然程多くないと見れる。交流が盛んならば、俺の顔立ちからすぐにどこの大陸出身か分かるはずだ。
俺の顔立ちは日本人のそれなので、この世界の大陸の一つに日本のような場所があるのだろうか。となると、大陸毎に文化が違うということも考えられる。
「詳しくは言えないです」
正直、どこの大陸とか聞かれても分からないので困る。適当に誤魔化すことにした。
ラテラは言及することなく、何か事情があるのだろうと察してくれた。それっぽい発言をしておけば向こうが勝手に勘違いしてくれるのは、こちらとしてもありがたい話だ。
それに、俺は嘘はついていない。向こうが勘違いしただけなのだ。
「アオイさんにも色々あるのでしょうね」
「まぁ、そんなところです」
「それで……何か目的とかあったりするんですか?」
「いや、特にないですね。ここらへんに街があったら行きたいところですけど」
「街ならばありますよ」
どの規模の街なのか、俺みたいな身分がハッキリしない人間でも入れるのか。
もし俺でも入れそうならばラテラに付いていきたいところだ。
「ここからだと歩いて2時間程ですが……この暗い中を歩くのは危険なので、今日はここで野宿をする予定でした」
「危なくないんですか?」
そこで、先程ラテラが言っていたことを思い出す。
「ちゃんと自衛手段があれば危なくないですよ」
「自衛手段?」
「ええ、例えば───」
ラテラは話しているとき、彼女の右腕が何かを探るように宙を切る。
ただ、宙を切ったと思った手の中には、橙色に光る蝋燭が握られていた。
───空間系の魔法だったりするのか?どこかに収納しておいたりできる?
「───こういうのですね」
俺は驚いた表情を隠せずにいたが、どう受け取ったのか、彼女はそれを意に介さず話を続けた。
「それは?」
「これをご存知ないのですか? 橙の灯籠と呼ばれる魔道具で、半径20メートルに魔獣が近づいたときに知らせてくれるというものです」
魔道具とは何か、聞きたいところだが、これ以上無知を晒すのは危険。あまりにも世間知らずというのは、俺が異世界人であると特定する手掛かりになってしまう。
橙の灯籠と呼ばれた15センチほどの蝋燭も普通ならば誰しもが知っている道具なのだろう。
であれば、なんとか誤魔化すのが得策。
「あぁ……。俺の大陸では形が違ったので気付きませんでした」
博打のような一手。
全世界で共通のものだったら、怪しまれて終わり。
だが、文化の違う大陸がいくつもあるなら──それぞれの特徴があるとも考えられる。それは、基本的なものであればあるほどに。
「あ、そうだったんですね。となると、アオイさんはアマツハラの大陸から来たのでしょうか?」
「……そうです」
勝負に勝った。
やはり、文化の違う大陸では、形状も異なる。世界の一体化が進んでいないこの世界ならば余計に。
そして、新たに得た情報”アマツハラの大陸”。アマツハラはどこかで聞いたことがあるような気もするが、気のせいか。
重要なことではないか、とあまり心に留めない。
「なるほど。道理でこの大陸に詳しくないわけです」
何が”道理で”なのか。何に”なるほど”なのか。
分からないが、とりあえず上手く会話を誘導して情報を多く引き出すことに成功している。
<支配>してしまえば良いと思うかもしれないが、女神のような能力があった場合など、俺が美少女に触れようとした怪しいやつになる。
だから<支配>は不採用だ。
ただ、人の<支配>に関しては一度しておきたいので、街に行く機会があればすることを心に留めておく。
「この大陸の街は身分証のようなものが無くとも入れるのですか?」
「基本的には身分証は必要ですが、身分証がない人でも入れますよ。難民の受け入れみたいなものです」
難民の受け入れまで行っているとなると、かなりの規模の街だと予想できた。
身分証がない人間が存在することはおかしくないし、その対応も決まっているのだろう。
「ですが、私が連れてきたとなればすぐに入れるでしょう」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。こう見えて私、聖女なので」
若干胸を反らせて自慢げに言うラテラ。
それに対し、「やはりか」と思ってしまう。
この弱肉強食の世界で、あそこまで優しい人間はおかしいと思ったのだ。
俺の認識にある聖女と一致しているなら、その行動も頷けるというもの。
彼女が”聖女”を自信満々で俺に言ったということは、流石に別大陸出身でも聖女は知っていて当然ということだろう。
「そうだったんですね……。聖女様ですか……ラテラ様とお呼びしたほうが……?」
「いやいや、その必要はないですよ……。私なんて聖女の中でも下の方ですし」
聖女の中にも上下関係があると。凡そ力の有無だったり、能力の強さによるものか。
そういえば、勇者の中にも聖女が居た。
聖女は天職のことなのか、と納得する。
「聖女様が一人で森になんていいんですか?」
「まあ、嫌われ者の聖女なんですよ、私は」
自嘲するように呟くラテラに、俺はこれ以上言及はしない。
「というか、アオイさんは戦闘手段を持ってるんですか?」
「えぇ、少しですが」
「それは、腰の剣が関係してると見ても?」
ラテラは視線を俺の腰に落として言った。
ここまで美しい剣を持っているとなると、余程剣への思い入れが強いように見えるのだろう。だから、剣に自信があると取られたのか。
「いや、剣にはそこまで自信はないです」
ここは嘘をつかない。剣は構えてしまえば、その人の実力が分かってしまうからだ。
剣の構え方もろくに知らない俺が、この嘘を貫くのは厳しい。
「あ、そうなんですね。やはり貴族の方でしたか…」
───貴族?
さっきから意味深に納得していたのは俺が貴族だと思っていたからなのか。つまりは、アマツハラの大陸の貴族が、お忍びで別大陸に旅行中であるとか、そんなところか?
ふと帯びた剣を見れば、確かにそれは美しい。状態も良いことから、パッと見れば装飾品のようにも見えた。
これらを踏まえると、お忍び旅行中の金持ちである、ということは想像できそうだ。
お忍びだからあまり俺の身の上話をしない方が良いと思ってくれたのだろう。
「すいません、詳しくは言えません」
この嘘を貫き通す為に、意味深な発言で隠しておく。嘘というか、向こうの勝手な勘違いなのだが。
ラテラが俺を貴族だと思っているならば、身分証が必要と思われる入国審査の場面でも、俺の身分や正体がバレないように気遣ってくれるだろう。
「分かりました。では」
「一つ聞きたいことがあるのですが良いですか?」
「あ、はい。どうぞ」
「今って何時くらいですか?」
素朴な疑問。だが、重要な疑問。
時間という概念が存在するにしても、それは太陽暦なのか、太陰暦なのか。24時間表記なのか、そうではないのか。
俺の知っている通りの時間表記ならいいが、そういう思い込みが身を滅ぼす。
どんな小さなことでも確認しながら前に進まなくてはならない。ここでは俺はあまりにも無知なのだから。
「そうですね……20時くらいでしょうか?」
20時。
外は暗く、太陽は完全に落ち切っている。
少し肌寒い。季節があるなら秋くらいだろうか。
つまり、24時間表記で合っている。秋の20時と考えれば、丁度そのくらいの暗さと寒さだ。
正直、ここらへんはどれだけ推測しても、魔法という概念がある以上、全てが覆る可能性もある。
「時間を確認できる物は持っていないのですか?」
「あいにくと、荷物は何も」
俺はわざとらしく手を上げるようにして示すと、ラテラは呆れたように溜息をつく。
「この森に何も持たずに入るとか……馬鹿なんですか? せめて護身用に魔道具をいくつか持っておくべきです」
「奪われちゃったんです」
治安の良さは不明だが、盗賊が居る事は確かだ。盗賊や犯罪者がいるから、身分証の提示を必須とする。身分証があれば、犯罪者の特定もしやすい。
「盗賊ですか……。それはご愁傷さまです」
「命はなんとか助かったという感じです。連れは全員命を落としましたが」
ここに来て初めて”嘘”をつく。
どうやらラテラの勘違いは本気らしく、これを利用しない手は無いからだ。
先程までの状況では、彼女が俺を試そうとしていた可能性も考えられた。
だから、俺から嘘をつくことはなかった。
「そうなんですね」
ラテラの瞳に影が落ちる。
演技ではない。本気で悲しがっているのだ。
魔獣が蔓延り、殺害と死亡が当たり前な世界。そんな世界で人の死を悲しめる彼女は、本当の聖女なのかもしれない。
……どこかの勇者と違い。
「アオイさんだけでも生きててくれて良かったです」
彼女を騙していることに心は傷まない。こうでもしないと俺は辻褄を合わせられないのだ。
だが、彼女の優しさに漬け込んでいる自分には嫌悪感を覚えた。
「ありがとうございます。俺も絶体絶命のところでラテラさんに会えて嬉しいです」
「そうですか? それは良かったです」
ラテラははにかみながら返事をした。
嫌われ者と言っていたから、中々感謝されることはないのだろうか。それでもその笑顔は──この世界で輝いて見えた。
「それでは、寝場所を作りますね」
そう言うと先程同様、ラテラは宙で手をもぞもぞとした後に、今度は一辺15センチほどの立方体を取り出した。
「これもアマツハラの方には無いものですね。見ててください」
ラテラはそう言うと、その立方体を地面に置き、それに向かって右腕を突き出した。
───よく分からないが、何か力を込めている感じか?
彼女のその行為は、右腕から何かの力をその魔道具に注いでるように見えた。
5秒ほどだろうか、彼女がその行為を続けてそれくらい経った後、その立方体は急に膨らみはじめた。
出来たのは簡易的なテントだ。地球でも稀に見る、キャンプとかに使うそれと類似している。
「ここで寝るんですか?」
「はい、そうですよ。当たり前でしょう?」
これに関しては流石の俺でも分かった。だが、俺が言いたいのはそういうことではない。
「ラテラさんはどこで寝るんですか?」
「私は寝ませんよ?」
「え?」
「だから、私は寝ませんよ?」
言われた言葉に俺は、まさに鳩に豆鉄砲といった顔になる。
「寝ないんですか?」
「疲労回復の魔法を使ってますから、3日くらいは寝なくても大丈夫です」
───便利だな、魔法って。
魔法という現象の便利さを実感すると共に、地球にはなくてよかったと同時に安堵する。
もしも現代日本にそんな魔法があったら、世の中の社畜はどうやって生きていくというのか。
「俺だけ寝るのも申し訳ないのですが……」
「気にしないでください。というかむしろ寝てください。私が守ってますので安全ですよ」
───まさか女の子に守られながら寝る時が来ようとは……。
正直色々あって体に疲労は溜まってるし、一度ゆっくりと寝ておきたいところだった。それに、街へ行けてもお金のない俺からしてみれば寝れるかどうかも分からないのだ。
それに、美少女と同じテントで寝るというのも──なんというか、体に悪い。
「では……お言葉に甘えさせてもらいますね」
この世界では力を持つものが強者として扱われる。それは、社会的にも同じことなのだ。
であれば俺とラテラでは、ラテラの方が立場は上、彼女に甘えることも許されるだろう。
純粋な戦闘力では俺よりラテラの方が強いし、守ってもらうくらいなら良いはずだ。
「では寝ますね」と言ってテントに入ろうとした時、ふと疑問を思い出した。
「そういえば、どうして急に怒ったんですか……?」
「屈強な大人かと思えば子供だったからですよ! 子供がこんな時間に森にいたら心配でしょう?」
「まぁ……?」
この世界にも日本のような常識があったことに驚きだ。俺たちを少年少女を勇者として扱うくらいだから、この年齢は既に大人と同じ扱いなのだと思っていた。
「あなたが成人してることは分かるんですけどもね……? そういうことではないのです。若いのですから命を大切にしてください」
一応成人ではあるのか。
中世西洋の文化レベルと考えれば15歳が成人だろう。
それにしても、別に身長が低いわけではないと思うのだが。
筋肉のない、弱そうな体格がダメだったのかもしれない。
そんなことを考えていると、ラテラが俺をじっと見つめて来ていることに気が付く。
「分かったらもう寝てください。疲れているでしょうから……」
「はい、おやすみなさい」