第76話 メイの苦悩
人の賑わう王都の大通りを、一人のメイドが歩いていた。
特徴的な赤髪に、気の強そうな顔。その顔からは想像できない豊かな体を持つ彼女こそ、女神ベールのメイド、メイだ。
憂いなどなく、真っ直ぐと前を見据えて歩いていることの多い彼女にしては珍しく、視線が沈んでいた。
それは本当に僅かな違いだが、完璧主義の彼女にしては異様なことだ。
人の多い通りを、彼女はそそくさと抜けていく。
混んでいるからと言って、裏道を使うようなことはしない。路地に入れば、危険が待っているとも知れないのだから。
目的地は、ない。
ただ、何もせずに時を過ごすのは惜しいと、意味もなく歩いているに過ぎない。
あるいは、何かをすることで思考に耽りたくないのかもしれない。せめて憂さ晴らしに散歩でもしようと、そんな考えなのかもしれない。
なんとも、珍しいことだ。
計画を重視する彼女が、休日の暇を無計画に歩き続ける。
天地がひっくり返ろうと起こらなそうなことである。
「────」
ただ、ひたすらに歩く。
前を見据えて、しかし、何も目に留まらない。
───私は……どうすれば…………。
胸中に渦巻く思いは、彼女の心に靄を作っていく。
ベールが信用ならないとか、そういうわけではない。
もちろん、心から崇拝している。それでも、ユウキのことは頭から離れなかった。
───「随分と熱心でしたものね」
女神にかけられた言葉が、頭の中で反芻された。
それだけで、頬が少し熱くなるのを感じる。
───そんなのでは、ないはずです……。
決してそんなものではない、と。
そう己に言い聞かせ、平静を保つ。
そんな理由があって起こったミスではないのだと、心の中で繰り返す。
───私は……ベール様を裏切ったのでしょうか。
最近、幾度となく浮かぶ疑問だ。
自分から、故意的に裏切ったつもりはない。
今でも主の役に立ちたいと思うし、ベールのことは心から尊敬している。
では、しかし、過去に戻ればアオイを処理できるかと聞かれると、それもまた頷きにくい。
───私は…………ベール様を尊敬している。では、アオイさんについては…………
どうして、こんな想いを抱くのだろう。
思えば、そもそも自分のミスから始まったものだった。
判断を誤り、面倒な事態を引き起こした。
その時、手を差し伸べてくれただけ。
メイはその見た目からか、好んで人に話しかけられることはない。
怖がられている、とかではない。単純に愛想が無いと思われているのだ。
かつて、ベールに拾われる前。
虐げられるメイを見て、手を差し伸べてくれた者はいない。
皆、見て見ぬふりをする。
それは、どこへ行っても同じことだった。
───それでも、アオイさんは助けてくれた。
多分、これだろう。
メイがアオイに特別な感情を抱くキッカケとなったのは、この出来事だ。
最初は、感謝だと思っていた。
誰でも抱く、ありきたりな感情。
特別なわけでもない。
だが、少しずつ違うことにも気付いてきた。
───これが、恋だと言うのですか?
その問いに、解は出ない。
恋など知らないベールに、そんなことは分からないのだから。
何も考えないための散歩が、気づけばメイは思索に耽っていた。
じっくりと、答えの出ないことを考えながら、道を進んでいく。
街ゆく人は、メイにぶつかろうとはしない。
明らかに異様な雰囲気な彼女に、あえてぶつかろうというバカは多くないのだ。
ひたすら、目的地もなく進んでいく。
トンッ
と、そんな時、肩が何かにぶつかった。
メイは表通りでは絡まれることはないと思っていたが、思い違いだったかと反省する。
そうして、沈んでいた視線を前に向けた。
「これは、申し訳ありません」
メイは前を向きながら、謝罪を口にする。
「いえ、こちらこそ────って、メイさん?」
「え?」
メイに絡んでくる馬鹿はそう居ない。
しかし、メイであるからと気にせず街を歩いていた人は居た。
彼女がぶつかった人物は、勇者夏影陽里だった。
「今日は休日?」
夏影陽里はそのまま通り過ぎることはなく、メイに質問を投げかけた。
思いがけない出合いに驚愕していたメイだったが、すぐさま意識を現実に戻し、回答する。
「はい。夏影陽里様はどうしてこちらへ?」
「私も似たようなものよ。考え事をしていたから、ぶつかってしまったの」
彼女も同じだったのかと納得する。
メイの目には、彼女がとても人にぶつかるようには見えなかったからだ。
「帝国の件はどうでしたか? ベール様への報告はお済みでしょうか?」
「それは翔くんがやってるから大丈夫よ。ところで、何か考え事をしていたようだけれど?」
自分の心が見透かされていたことに、メイは驚く。
「…………いえ、大したことではありませんので。夏影陽里様は、何処へ行くつもりなのですか?」
「実は、甘いものでも食べようと思ったんだけどね。中々いいお店が見つからなくて、困ってたところよ」
「それで考え事を?」
「ま、そんなところね」
「あっ」と、夏影陽里は何かを思いついたように声を上げる。
「メイさんのオススメの店はある? あるなら、是非とも紹介して頂けるとありがたいわ」
ふと、アオイと食べたパンケーキのことを思い出した。
あまり行きたくはなかったが、いっそ行ってみるのも良いかもしれない。
考えても分からないのだから、なにか思い切った行動が必要だ。
「はい、あります。ご案内させて頂きますよ」
「それはありがたいわね。メイさんも一緒にいかがかしら?」
夏影陽里の申し出に、メイは思案するような表情を見せる。
「もちろん、私の奢りよ」
そして、そんな発言が申し訳なさそうな彼女から発せられた時、メイはぱっと前に向き直った。
「いえ! そういうわけではなく、ですね」
「あなたのその悩みに関係しているのね。とにかく、行きましょうか」
しかし、夏影陽里にはそれを見抜かれていたようだった。
有無を言わさぬ勢いで、メイは彼女と共に時を過ごすことになった。
メイは夏影陽里を連れて、パンケーキを食べに向かうのだった。
・ ・ ・
「…………美味しいわね」
メイにとって、夏影陽里はやりにくい相手だった。
理由は単純で、彼女は賢いのだ。
賢い者特有の話し方というか、雰囲気というか。
何もかもに深い思考を巡らせているような態度が、あまり好きではなかった。
しかし、
「気に入って頂けたようで、幸いです」
彼女は、そうではなかった。
たしかに、賢いのだろう。
だが、場を弁えている、とでも言おうか。
なにせ、目の前にいる彼女は、スイーツを楽しむ一人の少女。
純粋な心をもって、感想を述べていた。
「それで、何を悩んでいたのかしら?」
それ故に、信頼できると感じた。
パンケーキを嗜みながら、軽く質問をする夏影陽里にメイは答えていく。
「お恥ずかしい話なのですが………………。えぇ、と、笑わずに聞いて頂けますか?」
ふと、彼女らの世界では”恋愛”が普通のことだったと思い出した。
かもすると、メイの悩みは彼女の目には幼稚に映るかもしれないと、不安になったのだ。
「安心して。人の悩みを笑うほど、落ちてないわ」
しかし、そんなメイの悩みなど気にするなと言わんばかりの力強さで、夏影陽里はそれを否定した。
そんな、自己に絶対の信頼を置く彼女だからこそ、信頼に足ると判断したのだろう。
「…………今の私が感じている想いが────恋なのか、どうなのか。それが、気になるのです」
言い切った後に、頬が少し熱くなるのを感じる。
目の前の少女は、どんな顔で自分を見ているのだろうか。
パンケーキを食べることすら忘れて、視線を机に落としている。
そんなメイを見てか、夏影陽里はふふっと微笑んだ。
「笑わないでくださるのでは……!?」
「ふふ、申し訳なかったわね。それにしても、可愛い悩みだと思って」
その微笑みに侮辱の意味がないのは分かっていた。
「私には、分からないのです。恋など、無縁でしたから」
「思春期って感じね」
「思春期…………? 夏影陽里様は、恋をした経験があるのですか?」
問うと、彼女はきょとんとした顔になった。
「あるように見えたかしら?」
「──────いえ、ないのですね…………」
メイには、とても彼女が恋をする人間には見えなかった。
どこか、そういう感情自体を俯瞰していそうな感じがする。
「とはいえ、恋愛に詳しくないわけではないわ。というより、私たちの世界では恋愛の話というのは盛り上がるものなのよ。だから、それなりに他者の恋愛話は聞いてきたわよ」
「そうなのですか」
「だから、話してみなさい」
淡々とパンケーキを食べる彼女を前にして、話してしまいたいという気持ちが溢れる。
これこそ、恋バナをついついしたくなってしまう女の性なのだが、そんなことをメイが知っているわけもなく。
ゆっくりと、その口を開いた。
「この前────といっても、最近のことではないのですが………………。いえ、何から話せば良いのでしょうか………………」
再び、目の前の少女はくすりと微笑みを漏らした。
あたふたと、話の纏まっていないメイの様子が面白かったのだ。
「それじゃあ、出会いから聞こうかしら」
「出会い、ですか…………。私は女神様のメイドで、更にはこんな顔ですから、中々人に突っかかられることはないんです」
「こんな顔、と卑下することはないと思うけどね。すごく、美人だと思うわよ」
すかさず入る夏影陽里のフォローに感謝をしながらも、続ける。
「休日はこうやって王都に出向くのですが、王都は中々人通りが多いので、裏道を歩いていたんです」
夏影陽里はフォークとナイフから手を離し、真剣に話を聞いている。
「王都の裏道は人の数が少ないです。単純に、危険が多いということもあります。ですが、私は大して気にはしていませんでした。それは実力があるという慢心というより────」
一呼吸を挟む。
「────私が絡まれたことがなかったからなのでしょう。それで、悠々と路地の裏を歩いて居ました」
「迂闊にも、ってことね」
「はい。お察しの通り、男3人組に絡まれました。正直、こういうことを考えなかったわけではありません。こうなれば実力行使をすれば良い…………、そう考えていました」
「実際はそうはいかなかった、と?」
理解の早い夏影陽里の合いの手に、「はい」と返事をする。
「ベール様は、敵も多い立場です。敵、という言い方はともかく、目を付ける人が多いのは事実。例えば、大陸最大級の闇組織である、三獄頭、などです。
私は、その可能性に至りました。故に、手出しができないことに気がついたのです」
「なるほどね」
「夏影陽里様は、三獄頭の理念をご存知ですか?」
「たしか、”金”、”暴力”、”女”、だったかしら」
特に迷うこともなく、夏影陽里は回答してくれる。
「はい、そのとおりです。路地裏で絡んできた男たちは、狙いは私自身のようでした。人質、とかそういうわけではなく────」
「体目的だったと。”女”に該当する以上、それだけで闇組織の可能性は消せなくなったわけね」
「お恥ずかしながら、そうです。いっそ殺してしまおうと思いましたが、ベール様の最も側近である私には、軽率な行動ができませんでした。
その時、彼が、路地裏にやってきたのです」
最初から話の流れ、結末は読めていたのだろう。
夏影陽里は驚く様子もなく、こちらを見つめていた。
「彼は一直線にコチラへ向かってくると、私に絡んでいた男3人を魔法で消し炭にして、私の手を引いて行きました」
「路地裏に来る人は、少ないのでしょう?」
「はい。私も、なぜ彼があの場に来たのか分かりません。しかし、彼は一直線に私を助けに来てくれました」
「それで、ね」
「はい。それから────彼には感謝………………特別な感情を抱いている、のかもしれません」
話し終えると、メイは急くようにパンケーキに手を付け始めた。
前に座る彼女は、鷹揚に首を縦に振っている。
そして、もったいぶったような口調で、言った。
「それは、恋ね」