第71話 赤竜山岳ドキマシア(7)
「────」
悪魔の右手に集っていた魔力が、霧散するのを感じた。
先程までの威圧感が、一瞬で消え去る。
場を支配していた緊張感さえ、それが嘘だったかのようになくなっていた。
「何が──?」
驚愕の声を上げたのは、魔夜中紫怨だった。
何が起きて膨大なエネルギーが消えたのか、理解に苦しんでいた。
そんな中、ユウキは状況を理解している。
悪魔の行動が、その主人格によって止められたこと。それを理解するのに時間は要らなかった。
───魔夜中紫怨の一言によって、覚醒したか?
ただ、目前の少年を眺めても、主人格が出てきているようには見えない。
未だ纏う雰囲気は悪魔のままであり、あの行動だけを止めるべく出てきたようだった。
「──そうか」
悪魔が再び、スキルを使おうとすることはない。
腕をだらんとしたまま、佇んでいる。
ユウキは警戒を緩めないが、先程のような敵意を感じることはなかった。
「魔夜中紫怨、だったっけ。葵の友人、なのか?」
「あ、ああ。一応、友人だ」
「なるほどね」
何やらわけの分からない事を聞かれ、困惑した様子で答える魔夜中紫怨を傍目に、悪魔は納得したようだった。
「葵に友人と呼べる人が居て安心したよ。もしも彼がひとりぼっちだったら──本当にこの世界を壊さなくちゃいけないからね」
できるかどうかは置いておいて、それくらいなら本気でやると思わせる話し方だった。
枷月葵の為なら、それくらい躊躇しないという強い意志がある。
───ヤンデレ悪魔め。
力を持つ存在が、個への異常なまでの固執を見せている。
ユウキから見ても、世界から見ても厄介なことだ。
それも、ただ力がある存在というだけではない。
原初の根源を喰らった、災厄の悪魔と言われる”暴食”がそんな状態なのだ。
それに仇にされているとも言える女神が不憫とまで思える。
───全力で戦えば負けることはないだろうが、な。
それでも、暴食に負ける気はしなかった。
人類最強の意地、とでも言おうか。
なにせ、暴食がこの世界で最強なわけではない。
悪魔の中で最強、というわけでもないのだ。
「気が抜けたね。この辺で引っ込むことにするよ」
まるで何事も無かったかのように、”暴食”は言い放った。
先程まで、あらゆるものを滅ぼそうとしていた力は消え去り、雰囲気もガラリと変わっている。
確かに自分勝手なことを言っているが、それを咎めようという気は更更ない。
むしろ、辞めてくれるのならば好都合だ。
───友情、ね。
魔夜中紫怨が枷月葵を一瞬でも覚醒させたのは、彼の能力ではない。
単純に、二人の間に確かな友情があり、故に友の忠告を聞いたということ。
一見、あり得ないことのように思えるが、ユウキは友情の力をよく知っている。
「ああ、ユウキ、だっけ。私の正体は彼に言わないように。魔夜中紫怨もね」
釘を指すように、声に力を込めて”暴食”はそう言う。
「何故だ?」
魔夜中紫怨が聞くと、”暴食”は淡々と答えた。
「今、彼の中に私が居ることが知れると、彼が苦しむことになるからね」
「苦しむ?」
「とにかく、お願いするよ」
有無を言わせぬ願い方に、ユウキと魔夜中紫怨が渋々了承の意を示すと、”暴食”は満足したようにその顔に笑みを浮かべた。
「────それと、魔夜中紫怨」
また、どこか厳かな言い方で付け加えた。
「君の友情に感謝を。細やかだけど、礼をさせてくれるかな?」
「礼…………?」
疑問を浮かべた魔夜中紫怨だが、”暴食”はそれに答える気はないようで、ゆっくりと彼の元へ近づいていく。
元より距離は近かったが、それは手を伸ばせばすぐに届くほどに近くなる。
「────?」
わけが分からないといった表情の魔夜中紫怨だが、次の瞬間、彼の右目に衝撃が走った。
「ぐっ────!!」
”暴食”が、魔夜中紫怨の右目に手を突っ込んでいた。
そのまま手を引っ張り、彼の右目を刳り出す。
”暴食”の右手に収まった瞳は、軽い調子で握り潰された。
「あ────?」
ただ、絶叫は聞こえてこない。
それは、魔夜中紫怨が痛みに耐性を持っているわけではない。
彼の右目には、失われたはずの瞳が存在していた。
───魔眼、か。
その目には、見覚えあった。
魔眼は呪いの一種だ。
その瞳に、特殊な能力を宿すというもの。
代償として、魔力を常に吸収され続ける。魔眼が存在するために必要な栄養を、宿主の魔力という形で摂取しているのだ。
呪いとは言っても、他の呪いとは一線を画し、ほとんどの場合は対象に良い効果を与える。
彼に与えられた魔眼が何かは分からないが、褒美として与えられている以上、悪いものではないはずだ。
それと、魔眼は元の瞳に効果を付すものではない。
新たな瞳として、元の目の代わりとして埋め込まれるのだ。
その際感じる痛みは、一瞬であれど、死と同等の苦しみだと言われている。
魔眼の最も呪いらしい部分といえば、これだろう。
とはいえ、魔眼という呪いは一般人が簡単に使えるものではない。
魔眼を与える行為ができるのは、この世界でも限られている。
一部の神と、その神から資格を授かった者たち。また、それらから無理に力を強奪した不届き者くらいだ。
見れば分かる。”暴食”は後者の類だ。
そんなユウキの推論を確信付けるように、”暴食”は言葉を放った。
「それは魔眼。君に適正のあるものを選んだ」
魔夜中紫怨の右目を指差しながら、続ける。
「未来視の魔眼。名前の通り、数秒先の未来を見ることができるものだよ。奪ったものだけど、ちゃんと使えるはず」
右目を押さえていた手を、魔夜中紫怨はゆっくりと離していく。
そこに現れたのは、濃紅に染まった瞳。
中には魔法陣のようなものが描かれており、それが未来視の能力を形作る根幹であることが分かる。
「適正があるから。上手く役立ててくれれば幸いさ」
「あ、あぁ」
まだ慣れないのだろう。魔夜中紫怨はフラフラと立ち上がり、返事をした。
「もちろん、それを私から貰ったことはくれぐれも口外しないように、ね?」
魔眼を授けたんだから、自分のことを言うな、と。そう言いたいのだろう。
魔夜中紫怨もそれを理解したのか、再び首を縦に振っていた。
そこまでして枷月葵に正体がバレたくない理由はあまり想像できないが、それに興味はない。
兎にも角にも。
「────試練は合格だ。第3の試練に進むと良い」
ユウキはそう、口にした。
そして、困惑した表情の2人を、試練の間から追い出した。