第69話 赤竜山岳ドキマシア(5)
「くっ、はははははッッ!!」
突如、試練の間に笑い声が響き渡った。
ユウキも、魔夜中紫怨も、その声の主に振り返る。
そこに佇むのは、枷月葵。
先程ユウキの一撃を受け、地に伏せていたはずの一人の人間。
様子のおかしい枷月葵を、魔夜中紫怨は訝しむ目で見る。
いや、それは魔夜中紫怨だけではない。むしろ、ユウキの方がそれを怪訝な表情で眺めていた。
疑問は多くある。
なぜ、痛みで立ち上がれなかった男が余裕の表情で立っているのか。
そして、なぜ笑い声をあげたのか。
ただ、誰もそれらを枷月葵には問いかけない。
目の前に立つ枷月葵の雰囲気は、彼が持っていたモノではない。
「そんな目線で見つめてくれるな、ニンゲン共。────いやいや、こんな呼び方はちょっとした冗談だろう? 私はニンゲンを見下したりはしてないさ」
明らかに、枷月葵ではなかった。
模倣品だと言われた方が信じられるくらいの豹変。それにしては、出来が悪すぎるのだが。
魔夜中紫怨が驚いた表情をする中、ユウキの反応は少し違った。
どこか、警戒するような、焦っているような。見方によっては”面倒くさがっている”ようにも見えるかもしれない。
「────まさか、お前」
「何、続ける必要はない。君レベルの存在であれば、私を知っていることは何も不思議じゃあないさ」
「どうやって出てきた?」
「まるで私が乗っ取った、みたいな言い方をするねぇ。いやいや、持ち主の希望で私が出てきてるだけだとも。────あぁ、尤も、彼は私の存在など知らないだろうが」
「そんなことを聞いてるわけじゃねぇよ。真面目に答えろ」
「悪魔の石。彼、持ってるからね」
「チッ」
枷月葵がまるでしないよう話し方で、枷月葵は語る。
「ユウキ、これはどういうことなんだ?」
とうとう、話に置いていかれていた魔夜中紫怨から問いかけがかけられた。
ユウキにとって、これは隠すことではない。枷月葵の身に起きていることを、詳らかに話し始める。
「彼の体は、悪魔に乗っ取られている。悪魔の名前までは分からないが、冠者であることは間違いない。冠者を制御するために必要なアイテムが悪魔の石だ。まだ存在していたとはな……」
「それは……どうまずいんだ?」
「主人格が戻らない可能性がある。それと──いや、冠者についての説明は長くなるから辞めておこう」
「おいおい、私は乗っ取る気はないよ。こう見えて、彼のことは意外と気に入っているんだ」
「面倒な理由を説明する。アレを倒しても主人格が返ってくるわけではない。主人格が自らの意志で目覚めて初めて、返ってくることになる」
「つまり──?」
「アレの中にいる主人格を叩き起こす必要がある」
「別に私は乗っ取りたいわけじゃない。ただ、君は倒すけどね。枷月葵の心に傷がついた原因だろう?」
噛み合っているようで噛み合っていないような会話を繰り広げる3人だが、この中で余裕があるのは枷月葵だけだろう。
いくらユウキが”人類最強”と豪語しようとも、相手が冠者では油断はできない。尤も、人間──それも虚弱な人間の体を依り代にしている以上、元の力よりもかなり劣ってはいるのだが。
それでも、強力な悪魔の恐ろしい点──固有スキルは健在だ。悪魔が持つ固有スキルは少し特殊で、厄介なものが多い。
「魔夜中紫怨、お前は後ろに隠れてろ。流石にお前には荷が重い」
「だが」
「足手まといだから隠れてろ」
「──分かった」
そう言われたら仕方あるまいと、渋々だが魔夜中紫怨は了承する。
枷月葵を取り返したいのはそうだし、ユウキがそれに協力してくれるなら頼る他ない。
実際の例は知らないが、冠者は魔夜中紫怨では相手にならない。以前悪魔と戦ったときに痛感していることなのだから。
「もう良いかい?」
「ご丁寧に、どうも」
「それじゃあ、■■」
・ ・ ・
頭の中で警報が鳴り響いた。
”この攻撃を直で受けたらまずい”、と。
経験則に基づくような、直感的なものでしかないが。
目の前の悪魔が腕を伸ばした先、一直線上にいては危険だと理解した。
「ふっ」
ユウキはすぐさま横に跳ぶことで、その一直線上から逃れる。
それとほとんど同時に悪魔はスキルを使ったようだが──視覚的なエフェクトは何もない。
ただ、何も起こらなかったわけではない。
彼の掌の一直線上の魔力が一瞬、バグったのだ。
本当に、文字通り。
一瞬の出来事であるが、その部分の魔力がバグを起こした。
魔力の乱れと少し似ているが、明らかにそれではない。
どちらかといえば、魔力が別の”何か”に一瞬書き換えられたような、そんな不思議な感覚だ。
これに当たったらマズい、ということはユウキは十分に理解している。
見ただけで寒気がするような感覚になったのだ。正面から受けて良いことがあるはずもない。
「なぁ、お前」
「ん? なんだい?」
「目的はなんだ?」
「私の目的? いやぁ、彼に傷をつけた君への復讐、のようなものだよ」
「ふん、随分と重い愛だな」
「愛……? まぁ、それは私の担当ではないけどね」
色欲ではない、とユウキは心にメモをする。
相手の情報が不足している今、僅かな会話からの情報収集も重要だ。
幸い、相手は会話には乗ってくれる。ならば、多少話してみるのも悪くは無い。
───さっきの力はなんだ? クソ、分からないな。
「担当、か」
冠者と呼ばれる階級の悪魔は、全部で9人存在する。
悪魔の中では最上位の階級であり、存在は神話レベル。実力もユニーク個体の龍に引けを取らないレベルだという。
存在が確認されているのに神話レベルなのは、あくまで彼らは魔界と呼ばれる、こことは違った世界に住んでいるからだ。しかし、時間軸や空間軸が近いこともあり、彼らの中には自由に行き来できる者も存在する。
種族自体が強力な悪魔の、最上位の存在。すべての悪魔の憧れと恐怖の対象でもある。
そんな彼らはそれぞれ、二つ名を冠している。
”強欲”、”傲慢”、”色欲”、”暴食”、”嫉妬”、”怠惰”、”憤怒”、”憂鬱”、”虚飾”の9人だ。
それぞれ、その名にふさわしい能力と実力を持っている。
そんな強大な彼らだが、それでもこちらの世界に無償で降臨するのは難しい。故に、相性の良い人間の身体を依り代にしたり、時には生物と契約を結び、媒体を作ってもらったりして、現世に現れるのだ。
尤も、魔界に住む彼らが好き好んで現れるということはない。それに、彼らの力が強すぎることに起因して、依り代や契約する者は、それぞれの冠者との相性が求められる。
今回は、枷月葵を依り代に冠者が顕現しているパターンだ。
およそ、彼の固有スキルとの相性が良かったのだろう。
人間を依り代にしている割には動きやすそうだったし、心地よさそうだった。相当な相性の良さだ。
───とすると、少し面倒だな。
ここまでくれば言わずもがなかもしれないが、依り代との相性の良さは冠者の強さに大きな影響を与える。
たとえ悪魔がどれだけ強かろうと、その強さを十全に発揮できる器がなければ何の意味もない。
相性が良いとは、悪魔の能力を発揮しやすい器ということなのだから。
───支配系統の能力との相性…………”強欲”あたりか?
ある程度の推測はするも、彼の固有スキルに詳しくない以上、断言はできない。
丁寧に、相手の能力を明かしていく必要がありそうだ。
「<聖焔槍>」
ユウキの前に現れた魔法陣から、光の槍が高速で射出される。
「ハッ!」
しかし、それは枷月葵が腕を一振りするだけで、何か壁のようなものに当たったかのように霧散した。
───右手を動かしたところ、向けたところの魔力にバグを起こせる、と。攻守両用のスキルだな。
「<聖焔槍>」
「変わらん!」
再び同じく魔法を放つも、またもや同じ手段で防がれてしまう。
ただ、情報は少しずつだが得られていた。
───やはり魔力のバグは一瞬しか持続しない。再度の攻撃にはもう一度対応しなければいけない。
「<三連・聖焔槍>」
「何発来ようと変わらんぞ!」
放たれる3連撃の光の槍を、枷月葵は右腕の一振りで消し去った。
本当に、軽く右腕を振っているだけだ。
疲労感を覚えている様子もない。
───枷月葵本体の保有魔力量は多くない。つまり、魔力を消費していないか、極端に魔力消費が少ない。
情報は得れているものの、決してそれから打開策を思いつくようなものではない。
むしろ、目の前の悪魔の強さを証明しているだけのような、そんなものばかりだ。
「面倒だ──」
「来ないのか? ならば私から行くぞ、──■■」
再び、直線状の攻撃だ。
狙う先は、ユウキの頭部。
確実に殺すような狙いで腕を伸ばす枷月葵が居た。
「ちっ!」
ユウキはそれを、すぐさましゃがむことで回避する。
スキルを使おうとしてから発動するまでに、枷月葵の身体なこともあってか時差があるのが救いだ。
動きを見てからでも対応ができる。
───魔法が効かないなら近接に持ち込むか? いや、あのスキルを近距離で使われるのは面倒か……。固有スキルさえ使えれば…………。
ユウキは赤龍により課された縛りのせいで、ステータスの弱体化と固有スキルのほとんどを封印されている。
本来のユウキと比べて、その能力は段違いに低い。
───奥の手を使うか? いや、そもそも通じるのか?
安全に近接戦闘に持ち込む術がないわけではない。
いかにユウキが弱体化していようと、枷月葵ほど弱くはない。持ち込むことさえできれば、だ。
───<不死鳥の如く>、使うか? それで無理に展開を変えたとして、通じるか?
<不死鳥の如く>。ユウキの切り札の1つであり、200時間に1度しか使えないという長いクールタイムこそあるが、一定時間ペナルティなしで死から復活できるという強力な効果を持つ。
枷月葵の攻撃──防御に隙が発生しにくいから、死に覚悟で捨て身で近接に持ち込もう、というわけだ。
懸念しているのは、魔力のバグによって<不死鳥の如く>が無効化されてしまわないか、という点だ。
あのスキルに被弾して死んだ場合、復活の効果は得られるのだろうか。
───確証は得られない、が。
試さなければ膠着状態が続くのは事実だ。
相手も有効打がないように見えるし、ユウキも攻めあぐねている。
そうなってくれば不利なのはユウキの方だ。
相手は無制限に攻め続けることができるのに対して、ユウキは防戦一方になる。
───やるしかないか……。
よく考えれば、ユウキに無駄な”縛り”さえかけられていなければ、対処は容易だった。
試練だからといって、能力を下げる必要はなかったのではなかろうか。
そう考えると、赤龍に対する怒りも湧いてくる。
今度、絶対に文句を言ってやろうと心に決めた。
「──<不死鳥の如く>」
紅き火の鳥が、ユウキを祝福するように包み込む。
それは一度きりだが、死からの救済を与えてくれるスキル。
”一応”という理由で、赤龍が残してくれた数少ない固有スキルの1つだ。
「何をしても変わらないがね」
「ふん、言ってろ」