第67話 赤竜山岳ドキマシア(3)
溝を超えた先は、一方通行のような細い道が続いていた。
溝越しで上手く見えていなかったのは、魔力の乱れが何らかの影響を及ぼしたからだろう。
こんな”あからさま”な道が続いているとは、思いもしなかった。
そんな道を俺と紫怨は進んでいく。
赤竜が襲ってくるということもなく、むしろ違和感を覚えるほどに順調に進めていた。
歩を進めて5分くらいだろうか。
距離にして数百メートル進んだあたりで、この道の出口を見つけた。
緩やかな坂だった為そこまでの疲れはないが、さすがにこの道を歩き続けるのは精神的に来るものがある。何もないからこそ、急に何か仕掛けてくるのじゃないかと疑ってしまう気持ちもある。
「次の試練だろうな」
紫怨が口を開いた時には、試練の場と思われる広場に出ていた。
本当に何もないまま辿り着いたため、疑念を拭えないでいたが、それはすぐに払拭されることになる。
広場の中央に、男が立っていたのだ。
身長はそこまで高くなく──容姿は少年という感じ。
雰囲気は、分からない。
存在しているのに、誰もいないような、そんな異質な感覚だ。
咄嗟に俺は構える。
紫怨も同じようで、武器に手をかけていた。
「ようこそ、第2の試練へ」
男が口を開く。
放たれた言葉は予想通り、ここが試練の場であることを示すものだった。
俺と紫怨が身構えていることなど気にせず、男は続けた。
「第1の試練の突破、おめでとう。この試練では俺と戦ってもらい、その力を示してもらう。第1の試練で試されたのが勇気だとすれば、第2の試練で試されるのは力、になるな」
説明を聞く俺たちの反応を待つ間もなく、男は淡々と語り続けていく。まるで、俺たちが聞いているかどうかより説明する義務を果たす方が重要、とでも言うような態度だ。
「俺の名はユウキ。”人類最強”…………、と言っても伝わらないか」
「枷月葵だ」
「魔夜中紫怨、勇者だ」
「挑戦者の名前に興味などない。ただ、己の全てをぶつけてみるが良い」
”人類最強”という通称は、聞いたことがなかった。
ここまで偉大な二つ名だ。どこでも聞かないことなどないだろう。ましてや、紫怨も聞いたことがない様子だったので、自称しているだけだと思う。
名前はいかにも日本人らしいものだが、アマツハラと呼ばれる大陸ではこれが普通の可能性もある。実際、アオイという名はそれで通っているのだから。
もちろん、最強を自負するのだから、過去の異世界人──勇者の末裔なんてことも考えられるだろう。
だが、それよりも着目すべき情報がある。
それは、彼が”人類”であるということだ。
赤龍という存在が用意した試練、それも力を示す対象が、竜でも魔族でもなく、人間なのだ。
決して赤龍にコネクションがなかったとかではなく、あえてのことだろう。
すなわち、目の前の人間にはそれほどの実力があるということ。そして、赤龍と繋がりを持てるくらいの実力者であるということ。
重々、油断ならない相手であることを意識しなければならない。
「かかってこい。試練の開始は君たちのタイミングで構わない」
男──ユウキは、俺たちの準備や作戦会議の時間を許してくれるという。
ならばと、紫怨は腰から剣を抜き、俺は収納袋から剣を取り出し、ユウキに向かうようにして構えた。
「葵、その剣…………」
「ああ、拾い物だがな」
「そうか」
そういえば、この剣はガルデが作ったものだったかと思い返す。
ガルデが何者かは知らないが、その作品のほとんどは女神が所有していると言う。俺が持っているのを不自然に感じたのかもしれない。
「いや、別に深い意味はない。それより……第2の試練、頑張ろうか」
「あ、ああ……そうだな…………?」
どこか様子のおかしい魔夜中紫怨のことは頭から排除して、俺たちは作戦を話し始めた。
・ ・ ・
作戦と言っても、緻密に考えられたものではない。
というより、緻密に考えられた作戦を練るだけの情報量は俺たちには無かった。
相手の能力、戦い方、人柄、その全てが分からないだけでなく、俺たちはお互いができることさえ詳しく知らない。
そんな状態で決められることと言えば、今までどおり紫怨が道を開き、俺が<支配>するという戦術だ。
尤も、シンプルながらに決まればその効果は絶大である。”人類最強”と名乗る相手に通じるかどうかは──やってみなくては分からないだろう。
「行くぞ────ッ!」
そうして、先陣を切ったのは魔夜中紫怨だった。
腰に帯びていた細剣を構え、風の如く勢いでユウキへと向かっていく。
とても俺が出せる速度を超越しているのは、ステータスの差故であろう。
一瞬にして彼我の距離を詰めた紫怨は、ユウキの胸目掛けて突きをお見舞いする。
「ふんっ」
が、そう簡単に攻撃が通じる相手ではない。
ユウキは後ろに跳び退くことで、剣の射程外へと逃げた。
このユウキの判断は正しいものだ。
もし、少し横に避ける程度であったならば、紫怨から追撃の一手が飛んでいたに違いない。
相手の能力が分からないのはお互い様なのだ。慎重に行動する姿勢は当たり前だろう。
「はっ!」
とはいえ、紫怨の攻撃が終わったかといえば、それも違う。
後ろへ跳んだユウキを追うように、すぐさま地面を蹴って肉薄した。
「<聖焔槍>」
そこへ繰り出されるユウキの反撃。
手を突き出したユウキの前には、黄金に輝く魔法陣が現れていた。それが光を増し、輝きを得たかと思うと──そこには光で出来た槍が生成されていた。
勢いよく飛び出したためか、やや姿勢を崩し気味な紫怨に、光の槍は無慈悲にも射出される。
魔夜中紫怨を殺さんと、その胸を目掛けて放たれた。
「くッ!!」
「ほう?」
姿勢を崩している紫怨に、それを避ける術はない。
苦肉の策であったが、刺突のために構えていた細剣を防御に回し、魔法を断ち切ることで事なきを得た。
ガルデの作った細剣──宝飾細剣アルゲントゥムは魔力を切断する能力を持つ。
そもそも、ガルデの作った武器シリーズである”宝飾”は全て、魔力を切断する能力を持っている。かつて駿河屋光輝が持っていた宝飾剣アルゲントゥムも同様だ。
尤も、魔力の切断も無制限ではない。無制限で魔力に干渉できる能力など、チートにも程がある。切断できる魔力の量はそれほど多くはないが、それでもいざという時には役に立つものだった。
ユウキが声を漏らしたのもおかしなことではない。魔力に直接干渉する行為をやってのけたのだ。
魔法陣でも魔法でもなく、魔力に干渉されたからこそ、関心を持ったということである。
「<聖焔槍>」
退こうとする紫怨に対して、ユウキは再び光の槍を放つ。
この目的は追撃ではなく、魔力を切断する術の限度を知るためだ。
「ふっ」
その一手を、紫怨は大きく後ろに跳ぶことで回避した。
妙に放たれる槍の速度が低いおかげなのだが、戦闘に集中する紫怨はそれに構っている余裕はない。
「────なるほど」
続けて、タンッ、と軽快な音を立ててユウキの姿が消えた。
何かに納得したような声を残し、その直後には紫怨に肉薄していたのだ。
「なッ────!?」
「遅い」
容赦なく打たれる拳を防ごうとするも、それよりも先にユウキが紫怨の腹を捉えた。
衝撃を吸収できず、紫怨は吹っ飛んでいく。
───隙がない……。
それが一連の流れを見た率直な感想だった。
足下を掬われることを恐れ、あくまでも慎重に、冷静に戦いを進める。一手一手を軽視せず、ジワジワと盤面を詰めていくようだ。
相手の出方、能力、癖。あらゆることを異常になりうるものだと考え、それらを極力知ろうとする姿勢。
俺たちを侮るどころか、むしろ警戒まで見せる様だった。
───だが…………
それでも、ユウキの抜けている点が一つだけある。
───俺たちを格下と見て疑わない、そこだ。
慢心ではない。むしろ、彼の戦い方は慢心とは程遠いものだろう。
ただ、足下を掬われない戦い方、だということだ。
俺たちの能力を自分より下のものだと決めつけた上で、「もしかしたら」で起こる逆転劇を無くそうと行動している。
それが唯一の、ユウキの欠点だ。
───そこを崩す。俺の<支配>は格下の能力ではない。
俺の能力が格下だと思われていることが、ユウキを崩せる最大のポイントだ。
様子見のために許容すれば、その瞬間に勝敗は決する。
まさに一撃必殺を隠し持っているのだから。
「弱いな。全力をぶつけてこい。そうでなければ、この試練は突破できないぞ」
吹き飛ばされた紫怨も態勢を整え終わっていた。
方針は変わらない。
紫怨のサポートを受けながら、ユウキに<支配>を叩き込む。
「<聖炎>!」
「<真護結界>」
肉弾戦が駄目ならと、紫怨から聖なる炎が放たれる。
しかし、それもユウキに届くことはない。
結界魔法によって、全て防がれてしまった。
「<聖炎>ッ!」
「<真護結界>」
「<天魔破断>ッ!!」
「おっと」
続けて、魔法からの剣術での追撃だ。
初激こそ結界魔法で完全に防がれてしまったが、それを見越して紫怨は接近していた。
むしろ、<聖炎>によって発生した火を目くらましに使うような戦い方だ。
聖なる炎を打ち消した時、既にユウキの目前に紫怨は迫っていた。
細剣をユウキの首目掛けて突き出しており──しかしそれは、間一髪でユウキに避けられてしまった。
「<聖炎>ッ!」
ただ、それで諦める紫怨ではない。
相手が姿勢を崩したのをいい事に、至近距離から魔法での追撃だ。
聖なる炎が魔法陣から現れ、瞬く間にユウキへと迫っていた。
「<魔炎>」
「なッ!?」
だが、ユウキも負けじと魔法を使った。
薄暗い魔法陣から現れるのは、<聖炎>とは対局の、漆黒の炎。
それが聖なる炎を呑み込むように広がっていき、一瞬で対消滅を起こした。
それに紫怨が驚くのも仕方ないことだ。
その手段があるならば、最初から結界魔法に頼る必要はない。なにせ、結界魔法の方が消費魔力が多いのだから。
その上であえて結界魔法が使われたことで、ユウキは魔属性の魔法は使えないものだと判断していたのだ。
しかし、その推測が外れていた。
つまり、予想外の一手ゆえの困惑──隙が生まれてしまった。
「マズっ──!」
その隙を突かれ、ユウキが攻撃の姿勢に入っていた時にはもう遅い。
低姿勢で拳を引くユウキの姿に息を呑むも、体が追いつかない。
「ぐふ────ッ!?」
そうして放たれた右ストレートが腹に直撃し、妙に酸っぱい液体を吐き出しながら、紫怨は吹き飛ばされた。
「悪くは無い。物理と魔法の交互攻撃は確かに強い」
腹部を抑えながら立ち上がる魔夜中紫怨に対して、ユウキが言葉を発する。
紫怨はそれを聞きながらも、聖属性の回復魔法で痛みを緩和しているようだ。
「ただ、お前に足りなかったのは”思考力”だな。相手との力量差を考えろ。お前のその戦い方は、余裕のある魔力量と強靭な肉体がなければ成立しない。才能と伸び代はあるが、俺には通用しない」
ユウキの言っていることは、俺でも理解できた。
魔法と剣技を合わせて戦う──つまり両刀の戦い方は、同じステータス同士が戦えば弱い。魔法も剣技も中途半端担ってしまうのだから、当然だ。
ましてや格上相手であれば、通用すらしないだろう。中途半端な魔法は容易に躱され、剣技も対応される。相手との実力差があって初めて成立するのだ。
その才能があるというのは、剣技と魔法の両方が上達できるような固有スキルを持っているということなのか。なにせ、その戦い方が悪いというわけではなかった。
ただ、頭を使って戦ったほうが良い、と。がむしゃらに剣技と魔法を織り合わせただけでは弱いというアドバイスだ。
───”試練”、か。
こうやって助言をしている姿を見ると、試練という言葉に納得がいく。勇者は試練を通して強くなる、とはありがちなRPGのようだが。
「かかってこい」
聖魔法による治癒を終えたのか、再び剣を構えた紫怨にユウキは告げる。
言葉もなく、ただ真っ直ぐユウキを見据える紫怨は何を考えているのだろうか。
そんなことを考えていた矢先、紫怨が動き出した。
タンッ、と軽快に地面を蹴る紫怨は、細剣を突くようにユウキへと向かっていく。
先程と同じような行動だ。
「────」
それを不審に思っているのは俺だけではないようで、ユウキも警戒を怠ることはない。
安易に正面だけに注意を向けていない様子だ。
「<聖炎>」
「それは効かない、分かっているだろう? <魔炎>」
そしてまた同じように魔法を放ち、ユウキにそれを打ち消される──が、今回はそれだけではない。
ビュンっという音と共に、紫怨の持っていた剣が投げられた。
ユウキに向かってではない。ユウキの遥か上を目掛けて、だ。
「なに──?」
意味不明な行動にユウキは困惑した声を漏らすが、その意味は数瞬後に分かることとなる。
「──<縮地>」
「ほう!」
<縮地>、対象との距離を詰めるスキルを、紫怨が使ったのだ。
その対象とは、上へ投げられた紫怨の細剣。
発動に対象が必要だからこそ、敢えて上に投げたということだ。
「<天魔破断>ッ!」
そして紫怨は空中で剣を掴み──下にいるユウキに振り下ろすよう、スキルを使った。