第62話 帝国へ(2)
それから3日が経った。
道中、商人たちと何度かすれ違ったが、特に彼女らが勇者だと気付かれることもなく、帝国に到着していた。
勇者が召喚されていることを知っていても、その顔まで知っている人は少ないのだ。
日が沈みかけているからなのか、帝国の門には人は少なかった。
数人程度が入国しようとしているようだったが、スムーズに進めている。
並んでいる、ということはなかった。
───そもそも帝国がそういう国、というのもあるだろうけれど。たいていのことは上の人に掌握されているものね。
王国のように”自由”を尊重している国とは違う。少ない上位者によってほとんどのことが管理され、円滑に進行されているのだ。
国としては限りなく合理的な制度。
民からの不満がなければ、完璧な統治体制と言えるだろう。
夏影陽里たちも入国のために門へと向かっていく。
すると、それに気がついた一人の門番兵が駆け寄ってきた。
「これはこれは、勇者様御一行!! 皇帝陛下より申し付けられております。門からお入りください!」
「ええ、感謝するわ。私たちはどこへ行けば良いのかしら?」
「私どもが御案内させて頂きますので、お待ち頂けたらと思います!」
門番はそれだけ言って、先導し始めた。
その前に御者と何か話をしていたが、コソコソと話していたせいでこちらまでは聞こえていない。
およそ、馬車の運転を変わるかどうか、という会話だろう。
門番兵に先導されるまま、帝国内へと入っていく。
視界に映る街の様子──タラス王国と比べ、統一感のない町並みが目に入った。
───多種族が自分たちの技術を持ち込んで作った国。タラス王国とは違って、他の種族が郷に従うということはない。
道に人が全くいないのは、事前に人払いをしていたと見て良さそうだ。
家屋からはこちらを覗く視線がいくつもある。
隣国であっても、人々にとって勇者は興味深い存在なのだろうか。
それから特に何かあるわけでもなく、門番兵の足並みに合わせたせいで妙に時間がかかりつつも、城に到達したらしい。
国に入ってから40分近くは経った気がする。
帝国の広さもそうだが、門番兵の速度に合わせていたのが一番の原因だろう。
外を見れば、もう日が落ちている。
灯のおかげで街は暖かい光に包まれているが、空を見上げれば真っ暗だ。
「着きました」
「ありがとう」
角倉翔も会釈をしながら馬車を降りていく。
夏影陽里も同様に門番兵に感謝だけを告げ、馬車を降りた。
「お待ちしておりました、勇者様方。お食事もまだでしょう。細やかながら、宴をご用意しております。ささ、夜は冷えますゆえ」
馬車を降りた先には、小太りのおっさんが一人。
貴族であることは、その服装から容易に想像できた。
───宴……宴、ねぇ…………。
正直、今回の目的を果たすには最も手っ取り早い方法だ。もっと言えば、こうなることは概ね予想もできていた。
「ありがとうございます」
そもそも断るという選択肢はない。
貴族の誘いというのがそういうものであることを、彼女は女神から聞いていた。
小太りのおっさんを前に、城の中を進んでいく。
───皇帝に会うまでが色々面倒そうね……。
彼女のそんな不安とは裏腹に、その先で早速、皇帝と会えることになるのだ。
・ ・ ・
「此度の帝国への来訪、感謝する。勇者殿とお会いできたこと、女神様に感謝申し上げたい」
「こちらこそ、かの有名な皇帝陛下──アークトゥルス・ヴァルキュリア様にお会いできて光栄です。勇者、夏影陽里と」
「角倉翔と申します」
「これからは戦友となる仲だ。アークトゥルスと、そう呼んでくれて構わない」
「それでは遠慮なく、アークトゥルス様」
呼ばれたパーティー会場は豪華なものだった。
まず、ホールが夏影陽里が日本で見たことのないような形状だ。
2階構成、とでも言えばいいだろうか。
1階と2階に分かれた会場で、2階から1階を見下ろすことができるのだ。
2階はお世辞にも広い場所とは言えず、用意されているのはテーブル1つのみ。
席を囲うのは皇帝、夏影陽里、角倉翔のみだ。椅子が4個用意されているのは、御者が断った故である。
何より、直接皇帝に会えたというのは大きい。これから面倒な貴族との挨拶の末、皇帝との謁見になると思っていた矢先、直接どうぞ、なのだから。
そして、皇帝の後ろには護衛と思われる騎士が一人。
金髪の高身長イケメンで、全身をフルプレートに覆っている。その警戒は勇者に向けたものではないと信じたい。
そんな傍ら、角倉翔は静かにスイーツを食べている。
高級品であろう、一口サイズのケーキだ。様々な種類が用意されていて、それらを食べ比べるようにしていた。
───任せっきりにして良いとは言ったけど……。流石に気を抜きすぎじゃないかしら?
そんな彼の様子に少し苛立ちを覚えながらも、目の前の皇帝と世間話を進める。
彼女が抱いたアークトゥルスの印象は──話に聞いていた通りの皇帝というあたりか。
話から知性が伝わってくるし、護衛からの信頼も感じられる。
カリスマ性、容姿、知性。その全てを揃えている人物だ。
下を見れば、踊っている貴族たち。
何人かはちらちらとこちらを見ているが、勇者への好奇心だけでなく、皇帝を見たいというような視線も入っているような気がする。
───帝国は様々な種族が集まっていると聞いたわね。護衛の人と皇帝の髪色が同じなのは……同じ種族だから? とすると、皇帝は種族で地位を優先している?
「────それで、私たちからつまらないものだが、贈り物を用意してある。是非、受け取ってくれないだろうか?」
「ありがたく受け取らせて頂きます。中を見ても?」
護衛の騎士から渡された紙袋のようなものを覗き込む。
中に入っているのは──陶器だ。
───この世界に来てから初めて見たわね。王国にはなかったし。
「これは……陶器ですか。ありがとうございます」
───私たちの国の文化を知っているのかしら? だとすれば、油断していい相手ではないわね……。
「本当に些細なものだが、喜んでくれたようで嬉しい。ところで、ダンスの心得はあるのだろうか? 異世界人のことは詳しくなくてね、もし心得がないようであればここに居てくれて構わないのだが」
───嫌味ね。知ってか知らでか、まあ上の階を用意したということは知ってるのだろうけど。
帝国に行った時点でこうなることは予測できていた。なんとなく、貴族はパーティーで踊りそうだというイメージがあったのだ。
「失礼ながら、踊りの心得はありません。それより、女神様から言伝を預かって来ております」
「それはぜひとも聞かせてもらいたい」
会話を終わらせようとしていたので、ここらへんで本題を話すべきだろう。
今回彼女らが帝国に派遣された理由は、決して帝国への挨拶だけではない。
女神の思惑──計画に重要なことが、一つ含まれている。
「──ヴァルキュリア帝国が、タラス王国の属国となることを求めます。だそうです」
「は…………?」
それこそが、帝国の属国化。
アークトゥルスにさえ予想できなかった、女神の思惑なのだった。
◆ ◆ ◆
「もう一度、聞いても?」
「ヴァルキュリア帝国がタラス王国の属国となることを求めます」
冗談でも聞き間違いでもなかったことを知り、俺は心の中で焦りを覚える。
───どういうつもりだ? いや、今は女神の目的なんかどうでも良い。どう返すべきか、が問題だが……。もしや異世界人はこういうジョークが好きなのか?
「それは──」
「ちなみに私は、ある程度の暴力の許可を貰っています」
悪質な脅迫だ。力でもって属国にしようという考え。
だがしかし、こういったパターンを考えなかったわけではない。
流石に今切り出してくるのは予想外だが、いつか王国がこういった手段に出ることはあり得るだろうと考えていた。
───シリウスには感謝、だな。護衛として連れてくるのをシリウスにして正解だった。
「それで、答えはどうなのでしょうか? アークトゥルス様?」
答えは一つ。
「もちろん、断らせて頂くとも。ただ、暴力の行使はやめてくれると助かる。コチラとしても、勇者を失うのは本意ではない」
───2対1は流石に不利、か? ただ、下の会場には宮廷魔術師長もいる。戦闘が始まれば加勢に来るだろう。
ちらと、もう1人の男勇者──角倉翔を見る。
彼は未だスイーツに手を出していた。
やる気がないのか、全て夏影陽里に任せれば良いと思っているのか、それとも2人の間で意見が割れているのか。
戦う気があるのは夏影陽里だけのように見える。
「それはできない相談です。女神様より、そうしろと仰せつかっていますので。それに──勇者をなめないで頂きたい」
───夏影陽里は誇張するタイプ。シリウスが居れば勝てるか? 1対1に持ち込めればシリウスに敗北はない。
ただ、勇者を倒した後はどうなるか。
女神の怒りを買うことになるのではないか。
───ただ……女神も神器さえ使わせなければ勝てる。対魔王に備えている今、神器を使ってまで帝国を潰しに来ることはしないだろう。
属国になるのは、あり得ない。
それは帝国という国を馬鹿にするような行為であり、民を裏切る行為にも等しい。
皇帝として、帝国民として、その判断だけはできなかった。
───であれば、戦うしかないか。
「シリウス」
俺が一言、彼の名を発すれば、察した彼は剣を抜いた。
自分が今すればいいことを完全に理解している。
「翔くん、やっちゃいなさい」
───自分は戦わないのか?
「え、あ、はい……。マジすか、俺が行くんですか」
「つべこべ言わず、行きなさい」
「はい、はい、分かりました。もう、喜んでやっちゃいますよ」
スイーツから手を離し、やる気のなさそうな声を上げる角倉翔。
とりあえず、2対1は避けた。
自分たちを勇者だという理由で棚上げしているような奴らに負けることはないだろう。
なにせ、彼らがどれだけ才能を持っているとしても、それは磨かれていない。
対するシリウスは、持ち前の才能が最高まで磨かれている。
差は歴然──実践経験、戦いに身を置いた年数が違う。
「と、言うわけで。シリウスさんだったか? 申し訳ないけど、倒させてもらうぜ」
「待ちなさい」
「え、あ、はい」
「私は多くの人を巻き込みたいわけじゃないわ。下を見なさい。彼らは安全な場所に居させてもいいわ。そうね、安全な場所を作ってあげてくれるかしら?」
「はい、了解でーす。<創造>」
何やら分からぬまま、勇者二人は会話を続けていた。
結論から言えば、戦う人以外は安全な場所にいれる、ということだった。
創造魔法を使われ、ようやく眼下で踊っていた貴族たちが騒ぎに気づきだす。
逃げ出そうとする人もいるが、もう遅い。
扉は既に創造魔法によって塞がれていた。
代わりにできたのは、2階のフロアの延長。
自分たちは1階で戦い、それを2階で見てろとでも言うのだろうか。
石造りの創造物だが、素材は上質だった。
ついでに、安全性を考慮してのことだろう。被弾がないように覆われていたのは素晴らしい。
「皆、すまないが上まで上がって来てもらえるか。皆が想像している通りのことが起きている。もちろん、後ほど詳細は説明しよう」
貴族たちの様子を見れば、そりゃ当然だろう、慌てふためいているのがほとんどだ。
もちろん、そうでない連中がいるのは確かだが、ほとんどの貴族は動揺を隠し切れていない。
それでも今すべきことは理解しているのだろう。階段を使い、2階まで上がってきていた。
その間、角倉翔とシリウスは下へと降り、にらみ合いをしている。
全員が上に来れば、すぐにでも殺し合いを始めそうな雰囲気だ。
やがて全ての人が2階へと上り終え、二人の状態に変化が訪れた。
「ではそろそろ、始めよう」
「俺も夏影さんに良いところ見せとかないとやばいんで、本気で行きますよ」
シリウスが剣を抜く。
「かかってこい、勇者よ」