第6話 一方、勇者(1)
時は遡り、枷月葵が女神の手によりどこかへ転送されたところまで戻る。
俺たち勇者8人は女神に案内されて屋敷を見て回っていた。
女神は枷月葵を転送した後、まるで何も無かったかのように俺たちに着いてくるように指示を出した。
もちろん俺たちに異論があるはずなく、黙って指示に従うだけだった。
駿河屋光輝や桃原愛美から見れば、ただ無能を処理しただけに見えただろう。だが、女神の実際の目的は違うように思えて仕方がない。
デモンストレーション──役に立たないと分かれば簡単に切り捨てるぞ、という。
ついさっきまで地球で生きてきた俺たちに、死への危機感を簡単に植え付けるための。
それに気づいていない幾人かの勇者も、無意識中には必ず恐怖がある。この女神は本当に俺たちを殺し得る存在だと。
それだけでなく、精神平衡の為にかけたという魔法も胡散臭い。
その魔法をかけたことは間違いないだろうが、この世界に無理に適応するように精神を弄られている感覚を覚える。
それは同郷の仲間に死のリスクが迫っても誰も言葉を発しなかったことから明らかだ。
「皆様にはこれから魔獣や魔族と戦っていただくことになります」
大方屋敷の案内も終わり、最後に連れて行くべき場所があるということで女神の後ろを着いていた時、女神は本題と言わんばかりに話を始めた。
「基礎ステータスが高いとはいえ、戦闘経験が皆無な皆様がいきなり戦うのは厳しいでしょう」
「それは戦闘の稽古をつけてくれるとお聞きしていましたが……」
「はい、そのとおりです。ですがその前に武器を選んでほしいのです」
武器なんて、俺たちが今まで生きてきて触れる機会などあるはずがない。そんな物騒なものを現代日本は決して許さない。
ただ、妙にその言葉が腑に落ちるのは何故だろうか。
まるで武器を持つことが当たり前かのような感覚に陥っていた。
「では今から行くところは……武器庫のようなところですかね?」
察しの良い駿河屋光輝の発言に、女神は機嫌の良い声で答えた。
「そのとおりです。流石は光輝様、理解が早くて助かります」
理解させるように意識を弄ったのはお前だろうと、俺は内心で突っ込む。
「紫怨様、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
思っていたことがバレたか、それとも顔に出ていたか、俺は咄嗟に表情を繕うことで誤魔化した。
女神も特に深堀りしたいわけでは無いのか、すぐに前へ向き直った。
「あ、着きました。ここが武器庫です」
てっきり”庫”というから外にあるのかと思ったが、武器庫は屋敷の中にあるようだった。
入り口は5メートルはありそうな大きな扉で、中に入るのにも一苦労しそうだ。
「開きなさい」
入るのが大変そうと思ったが、どうやらそうでは無いらしい。女神が右腕を前に突き出し扉に向かって何か呟いた時、自動ドアかのように扉は開いた。
自動ドアというよりは、タクシーのドアに近い。あれよりはゆっくりとした動きだが、両開きの扉がゆっくりと自動で開いていく様子はそっくりだ。
5秒ほどで扉は完全に開き切る。
中を見ると───そこは黄金の採掘場のようだった。
中には無造作に投げられた一級品と思われる武具。剣は長いものから短いナイフのようなもの、そして細いレイピアのようなものまである。それだけでなく、弓、斧、槍と数多くの武器が揃えられていた。
部屋の大きさは想像もつかない。ただ、そこに投げ込まれている武器の量は優に100を超えるだろう。
武器庫の中はシャンデリアで照らされていて、その光が武器に当たって反射する様子は神々の世界に迷い込んだようだ。嗜好品の知識は全くと言って良いほどないが、もしもこれが地球で売られていたら、一本数百万円はするのだろう。
「この中からご自由にお選びください……と言いたいところなのですが、その前に説明だけさせてください」
目前に広がる黄金に、皆駆け出したい気持ちが昂ぶる。
だが、一応は高校生なのだ。その気持ちを理性で抑え込み、女神の方に振り返った。
「まず、この武器庫にあるものはすべて魔道具です」
聞き慣れない言葉だが、その思いを駿河屋光輝が代弁する。
「魔道具?」
「はい。魔道具とは魔法が込められた道具のこと。例えば───」
女神は置いてある黄金の剣を一本拾い上げる。
「───この剣は刃こぼれしません」
刃こぼれは、刃がついているものであれば確実に起こる。ハサミでも、包丁でも、剣でも。
それが物質でできている限り使っていけば欠けるのだから、刃こぼれがしにくくなることはあっても、しなくなるということは不可能だ。
だが、それはあくまで科学技術の話。
この剣には魔法が込められている。だからこそ魔道具なのであり、その魔法の力が”刃こぼれしなくなる”ことなのだろう。
「つまり、何らかの特殊な力が宿っている道具を魔道具と呼ぶ、ということで合っていますか?」
「はい、そのとおりです。ですが注意してほしいのは、中には効果の発動に魔力を必要とする物もあります」
魔力については屋敷の案内中に女神から説明されていた。
魔力とは魔法の元。通俗的な言葉で言えばMPといったところだ。
そもそも魔法自体、魔力を他のものに変換することで起こす。
例えば火を起こす魔法であれば、魔力を魔法陣を仲介し、火に変換することで発動するのだ。
魔法陣は魔力を変換するケーブルのような役割を担っている。
魔力は大気中にも存在しているが、魔法発動に使用する魔力は基本己の体内にある魔力だ。
体内に貯まった魔力が魔法陣を通すことで魔法を使うということになる。
そして貯められる魔力にはもちろん、個人差がある。それもその優劣はかなり大きい。元々のポテンシャルや本人の努力によって魔力量は決定されるのだとか。
消費した魔力は一定時間で回復する。これは大気中の魔力を体で吸収することが出来るからだと言う。
これが魔力という概念と魔法発動までのプロセスである。効果の発動に魔力が必要なのは、魔法と同じような扱いだということだろう。
「常時効果を発動するものは大気中の魔力を利用していますが、効果の発動には己の魔力を利用する必要があるものもあるのです。これだけ聞くと前者の方が優秀ですが、己の魔力を使うということは自分で効力を調整できるということであり、周りの環境に頼らないということ。単純に優劣をつけることはできません」
「なるほど」
武器庫にあるのは何も武器だけではなかった。防具のようなものからアクセサリーまである。一見装飾品としての色が強そうな指輪やネックレスのようなものも魔道具なのだろう。
「ここにあるものは頂いてもいいのですか?」
「はい、好きなだけ取っていって頂いて構いませんよ」
流石は女神というところだ。懐が広いというよりは、この程度では気にしないという余裕を感じられる態度だった。
俺たちは女神の説明が終わったと判断し、武器庫に足を踏み入れていく。
やはり黄金の世界だ。無造作に積み重ねられた武具がそれを形作っている。
他の7人が武器を選び始めているのを見て、俺も武器を選ぶ。
選ぶ武器ははじめから決まっていた。細剣だ。元々フェンシングを習っていたとかではなく、単純に使いやすいだろうという理由からだ。
弓や斧などの武器も面白そうだが、最も直感的に使用できるのは剣だろう。俺はSTRがそこまで高くないから細くて軽いやつが良い。
こうして考えると最も合っているのが細剣なのだ。
俺は白銀で出来た一本の細剣を手に取り───そして、その隣にある白銀のショートソードも手に取る。
近くに転がっている指輪やネックレスも幾つか貰い受けておく。あまり多く貰うのも不自然なので、アクセサリーは合わせて5個程度だ。
「言い忘れてましたが、込められている魔法はあそこで───」
女神は武器庫入り口付近にある鑑定盤と酷似したものを指差す。
「───確かめることができます」
他の勇者はまだ武器を迷っているようなので、俺は一足早く武器の鑑定をしに行く。
───何をワクワクしてるんだか……。
他の勇者たちの子供のように輝く目を見て、俺は馬鹿なものだと侮蔑の念を心の内に浮かべた。
───まぁ、鑑定するか。
努めてその感情は外に出さないようにし、俺は鑑定盤に武器を1つずつ置いていく。
・ ・ ・
全員が武器を選び終わったところで、各々の部屋に案内された。
部屋は1人1つ用意されていた。勇者様と言っているだけあって、高校生の一人部屋にしてはやけに広い部屋が用意されていた。
屋敷は3階建てで、広さは歩いただけでは計り知れないほどだ。大型ショッピングモール程はあるんじゃないかと思われるその屋敷では、道中でかなり多くの使用人とすれ違った。
俺たちの部屋があるのは2階だ。余った部屋がこれしかなかったということで、部屋は端っこから9つ用意されていた。ただ、余った部屋とは思えないような広さがあった。
部屋は向かい合うように配置されていて、向かいの部屋とは廊下を挟んで直ぐだ。廊下は幅4メートルほど。近いようで遠い距離が取られていた。
部屋は奥から駿河屋光輝、桃原愛美、北条海春、夏影陽里、角倉翔、夢咲叶多、空梅雨茜、そして俺が使うことになった。
部屋の内装はどの部屋も同じようだから、言い合いになることは決してない。そもそも女神の前で喧嘩を起こすほど、馬鹿ではなかった。
はじめに部屋に入って覚えたのは安心感だ。それは魔法が施されているとかではなく、急に異世界に連れてこられてからの初めての休息だったからだ。
遅れてやって来たのが驚愕。これは部屋の広さに対してだ。軽く高級ホテルの一室程度はあるだろう。
部屋に入って奥へ行くとリビングがあり、更に進めば寝室がある。リビングと寝室はちゃんと扉で仕切られている。リビングの手前には洗面所がある。洗面所には風呂も着いている。
ただ、何よりも驚いたのはトイレだ。汲み取り式ではなく、水洗トイレだったのだ。
文化レベルは中世だとばかり思っていたが、どうやら魔法によって進むところは進んでいるらしい。
女神にはしばらく休息の時間だと言われていた。部屋から窓を見ると外は黄昏時。もう直に暗くなるだろう。
およそ1時間後に夕食だから使用人が呼びに来る、と話は聞いている。それまでは自由時間なのだろうが、部屋の中が監視されているとも分からない現状では自由とは言えなかった。
「特に気にしなくてもいいか?」
俺はどうしても確かめたいこととやっておきたいことがあった。それは周りに誰かがいる状態ではとてもリスクが高くてできない行為だ。
そもそも俺は他の勇者と女神を信頼していない。女神は詐欺師のような印象があるし、勇者はそれに上手く騙されているように見えるからだ。
だから、手の内を簡単に晒すわけにはいかない。固有スキル<陰陽聖魔>についての検証は一人でいる時に済ませたいのだ。
本来であれば夕食も一人で摂りたいところだが、女神に呼び出されてしまっては仕方がない。できる限り、”女神に騙されている人間”を演じ続ける必要がある。
───時間もないし、始めるか。
俺の固有スキル<陰陽聖魔>の能力は、現状で2つある。
1つは<闇空間>。これは指定座標に無生物を転送する能力。
そしてもう1つは<光次元>。これは光源の光量を調整する能力だ。
お世辞にも能力は強力とは言えないが、<陰陽聖魔>の真価は聖属性と魔属性を兼ねて習得できる点だ。
まずは<光次元>を試す。
自室の天井にあるのは小さな光。電球と似ているが別物だろう。その光は眩しく部屋全体を照らしており、生活に困ることはない。
だが、部屋内にその光量を調節できるような仕掛けは見当たらなかった。
つまり、この光はオンオフこそできるが、光量を自在に変えることは出来ないということになる。
「<光次元>」
そんな電球(仮称)に向かい、俺はスキルを行使した。
使い方は───なんと言えばよいのか。呼吸を意識してすることがないように、このスキルによる光量の調整も意識せずにできる。
───少し暗くして、と。
少し暗くするように使えば、光量は狙い通りに低くなった。能力のチェックは完了だ。
───元の明るさに戻すか。
怪しまれるのを防ぐため、電球の明るさは元に戻しておく。
「あとは……<闇空間>の方か」
武器庫で余分に剣を貰ったのはそのためだった。この剣をどこかに転送するのは勿体無いと考える人もいるだろうが、俺には送るべき座標は決まっていたために勿体無いとは思わない。
部屋に入ったきり玄関に立て掛けておいた剣に俺は腕を伸ばす。
透明な銀に光るその剣が、俺が腕を伸ばすとそれに対応するようにきらと光ったような感覚に襲われる。
「まあ……送るか。───<闇空間>」
スキルを発動すると、突如剣の周りに紫色の粒子が舞い始める。
その粒子に釣られるかのように、剣もまた、先端からその身を紫の粒子に分解していった。
「派手だな……エフェクト……」
そんな神秘的とも幻想的とも言える光景は長くは続かず、やがて剣の全身が粒子に変わる。
すべてが粒子になると、蜘蛛の子を散らすようにそれらは霧散した。
「──成功と見ていいのか?」
あたりを見渡して見ても剣はどこにもない。一先ず、この部屋から消えてなくなったのは確かなようだ。
「屋敷で見つからなければ成功か」
送り先とどれほど距離が離れているかは分からないが、距離の制約はなさそうだ。それに、実際に見たことや行ったことがない場所でも転送は可能。
「かなり便利な能力だな」
コンコンッ
「ん?」
<闇空間>が発動し、その効果の考察をしていたタイミングでドアがノックされる。
もう一時間も経ったか? と内心訝しみながらもドアの方まで歩いていく。
しかし、その予想は裏切られることになる。もちろん、悪い意味で。
「駿河屋光輝です。少し皆さんでお話したいことがあるので集まりませんか?」
てっきり夕食だと呼びに来た使用人だと思ったが、俺の部屋に来たのはもっと厄介な奴だった。