第54話 族長
「はぁ、はぁ、はぁ……」
大した距離を走ったわけではないが、エリスを背負っていたのが影響して、疲れはかなり溜まっている。
とはいえ、あの家から距離を取れたのも事実だ。
一安心と言えよう。
「……ここまで来れば──」
「安全だ、と。そう言いたいのかね?」
後ろから、声が掛けられる。
「──確か、族長だったか」
「ははっ。冷静を気取るなよ、勇者」
ここまでが作戦通りなのだろう。
正確には、これも予防線の一つだったのだろう。
そして、支配能力の正体は、族長だ。
会話する能力、そして自分の意志を持っている点。
操られていた彼らとは明確に違う。
つまり、族長は操られていない。
だが、俺に敵対している。
それは要するに、彼が黒幕だと言うことである。
「さて、状況も分かってくれたようで何よりだよ。まぁ、君の戦闘力が私の想定以上だったことには驚いたけどね。まさか、あの家から抜け出されるとは思わなかったとも」
族長の周りには、10人の武器を持った男たち。
彼らも操られているのか、静かに佇んでいた。
族長の命令一つで、彼らは俺に襲いかかるだろう。
「要求は?」
「そう急くな。──急く気持ちも分かるがな。とりあえず、エリスが生きていることは保証しよう。見れば分かると思うがね?」
族長の言うとおり、エリスは息をしている。
剣が胸を貫いたにも関わらず、だ。
意識はないが、呼吸だけはやめていない。
瀕死というほど、苦しそうでもない。
「それは呪いだよ。黒蟲の呪い、と言ってね。どれだけ深い傷を負おうと死ぬことはない。実際、胸の傷も治っているだろう?」
族長の言うことに間違いはなかった。
確かに、エリスの傷はなくなっている。
問題は、”黒蟲の呪い”の悪い部分。
”呪い”なのだ。当然、身体に良いものであるはずがない。
「君の考えていることは正しいとも。その呪いはね、代わりに3日かけて死が迫るというものなのだよ。今は特に影響はないだろうが──これから苦しみは増していくさ」
この情報をあえて開示したということ。
それはつまり、これを伝えた方が族長にとっては有利ということ。
脅しに使うのか、それとも交渉材料に使うのか。
どちらかだろう。
「──要求は?」
「話が早いね。もちろん、私が欲するのは君の──勇者の首さ」
「勇者……ね」
皮肉なことだ。
勇者失格として殺されかけた俺が、今は勇者として命を狙われている。
俺には勇者としての価値など無いというのに。
目の前の魔族が考えることは、あまりにも馬鹿らしいことに見えた。
───これが人と魔族の溝、か。それとも欲に目が眩むのは仕方のないことなのか。勇者の首を魔王にでも献上すれば、大手柄となりそうだからな。
「俺の首に何の価値がある? 魔王もそんなものには興味が無いと思うぞ?」
「ふんっ。言っていろ。命乞いは聞かぬぞ?」
「俺が魔王の客人だとしたら?」
「関係ないとも」
───関係ない、か。
魔王が勇者を招待することは無いと切り捨てているのか。
「もちろん、君が素直に差し出してくれると言うならば、エリスは助けよう」
「確証がない」
相手は武力を持っていながら、それを行使する気配はない。
つまり、話し合いをする余地がある。
であれば、聞き出すべきは情報だ。
より多くの情報が、必要だ。
「確証、か。どうすれば確証が持てる?」
「お前にエリスを助ける手段があるのかが分からない。そもそも、黒蟲の呪いを解く方法があるのかも分からない」
「なるほど、なるほど」
エリスを庇いながら、相手は11人。
勝てる保証はない、どころか勝てないだろう。
数の差が大きいだけでなく、相手は頭もある程度回る。
厄介だ。
「解呪方法を聞き出したいのかね? 単純な手段じゃないか。とはいえ、私も交渉で終わらせたい以上、それに答えるのが公平というものだろう。取引というのは、フェアであることが重要だからね」
───本当に、厄介だ。
簡単に乗ってくれるわけでもない。
こちらの目的を理解した上で、あえて乗っている。
「解呪方法は2つ──いや、3つある。まず1つ目は、白蟲の呪いで相殺することだ。黒蟲の呪いと白蟲の呪いは共存せず、同時になった場合はどちらも消える。これが最も現実的だ。そして、私は白蟲の呪いを付与する手段を持っている」
「……その証拠は?」
「ないとも。信じるしかないだろう?」
「…………」
「さて、2つ目だが、黒蟲の呪いは呪いとしては中位のものでね。呪いに対する薬、ある程度強力なものであれば治すことができる。値は張るが、それでも確実に治療が出来るだろう」
これは堅実というか、想像どおりの方法だ。
状態異常を回復するアイテム、のようなものか。
魔法に満ち溢れた世界だ。
病気と同じように、呪いへの対策があるのは当たり前だろう。
「最後に3つ目だね。まぁ、これは現実的な方法ではないが、赤龍に治療してもらうというものさ。赤龍は全ての病気や呪いを治療できると言われている存在でね。彼ならば黒蟲の呪いなど、容易に解呪するだろうね」
最も非現実的。
赤龍──この世に1人しか居ない個体。
竜種の中でも知能が高く、魔獣でありながら、魔族として考えられることが多い存在。
力は強大と聞く。
「さて、これで全てだよ。解呪方法は存在する。その確証は持てたかな?」
「あぁ」
「エリスを捨てて逃げるのもいいんじゃないか? その時はエリスは死ぬことになるがね」
たしかに、エリスを見捨てれば俺は逃げ切れるかもしれない。
アイツが、そう簡単に逃してくれるとは思わないが、負担がだいぶ減るのは事実だ。
それが出来るかどうかは、俺の気持ち次第、ということか。
「エリスを見捨ててはどうかね?」
「それは……出来ない」
恩を仇で返すようなことは、俺にはできない。
恩は恩で返したい。
一度救ってもらったのだ。そんな彼女を、俺は裏切れない。
「ならば、交渉に応じるのかね?」
「それは────」
「どうした? エリスを救いたいのではないのか? 君に解呪の宛がないのは知っているとも。それに、勇者の中でも孤立しているということもね。助けなど無いぞ?」
「それでも、俺は交渉には応じられない」
俺が言い切ると、族長は驚いた様子もなく、直ぐに口を開く。
「エリスを救えないというのにか?」
「俺が死んでエリスさんが生きる。それじゃあ恩返しが出来ないからだ」
「ははっ。エリスが死んでは元も子もないだろう。頭を使え、勇者よ」
俺も生きて、エリスには恩返しをする。
その方法は、まだ潰えたわけではない。
「お前を殺し、俺が解呪すれば良い」
「そうか、そうか。まぁ、これも想定範囲さ。もう十分だろう。勇者を殺せ」
族長の合図と共に、周りにいた10人の男が同時に襲いかかってくる。
全員、槍を持ち、動きは単調。
思考せず、ただ俺にがむしゃらに向かってきているのが分かった。
そうは言っても、エリスを守りながら10人を相手にするのは不可能だ。
エリスから離れれば、命令はエリスを殺すことに変わるだろう。
エリスの近くで、10人を捌く必要がある。
幸いなのは、族長は何もして来ないことか。
───族長が何もして来ない……?
そんなはずはない。
こちらに向かってこないのには、理由があると見れる。
命令をしている時は自分が動けないとか。
他に、何か準備をしているとか。
「<火炎>ッ!」
兎に角、今は目の前の10人だ。
槍を持ち、愚直に向かってくるならば。
こちらへ到達する前に、魔法を撃ってしまえば良い。
族長の周りに居たこともあってか、10人は固まっている。
<火炎>1つで、3人ほど巻き込める。
「<火炎>ッ!」
もう1度、赤い魔法陣から炎を放つ。
INTが高いおかげか、MP効率こそ悪いが、魔法の威力は高い。
───残り4人。
「<火炎>ッ!」
MP的に、最後の<火炎>を放つ。
何も考えていないからか、仲間が倒れても愚直に向かってくる彼らは、やはり避けずに続々と倒れていく。
最後の1人になっても、何も考えずに向かってくる。
───族長は……焦りが無い、か。
最後の1人が、俺に向かって槍を振り下ろす。
その動きは、遅い。
俺でも簡単に捉えられる程には、遅い。
槍を振り下ろす男の脇に潜り込み、俺は腕に触れる。
一応、戦闘をする思考はあるのだろう。
対応しようとするも、俺の方が早い。
「<支配>」
その一言で、男は槍を下げる。
脱力し、腕をだらんと。
既に、俺への戦意は見当たらなかった。
「ほう? そのスキル、支配系統か」
「やれ」
聞く耳は持たない。
端的に命令を出し、向かわせる。
他のなにかに集中している今こそ、攻め時だと判断した故だ。
槍を構え、全速力で族長へと向かっていく男。
それに対し、構えるでもなく。
族長は一言、言葉を放った。
「ローウルフ。やりなさい」
現れる、20のローウルフ達。
それらが男目掛けて飛び掛かり、一瞬で絶命させる。
───先程のはあえて魔法を使わされた、か。
策に嵌った、とかではない。
あそこで魔法を使わなければ死んでいたのは間違いないのだ。
つまり、最初から戦力差があっただけ。
元から、族長は俺を倒すだけの準備をしていた。
───だが……なぜ、俺が勇者だと分かった?
そう、不思議なことでもないが。
俺を倒すだけの戦力を用意していたのだから当たり前とも言える。
予め、俺の情報を掴んでいた。
誰かから、聞いていた。
勇者、枷月葵の生存を知っている人は、数少ない。
そのうち、俺が<支配>していない人間となれば、尚更。
タクトか。
魔夜中紫怨か。
それとも、他に俺を知っている人間がいるのか。
魔夜中紫怨は、無いだろう。
俺を殺す気ならば、そもそも助ける必要がなかった。
殺しておけるものを、わざわざ延命させる理由はない。
であれば、タクトか。
そもそも、魔王城へと促したのは彼だ。
そのまま、俺を殺すつもりだったのかもしれない。
延命させたのは桃原愛美を殺させるため。
そう考えれば、納得はいく。
ただ、どちらにせよ。
「チッ!」
危機に陥ってることは、間違いない。
迫る20匹のローウルフをどう処理するのか、その手立ては思いつかない。
枯渇した魔力と、あてにならない剣術。
とりあえず、この場を乗り切りたい。
ローウルフは、そんな俺に容赦はしない。
確実に、20匹同時に襲いかからんと来ている。
───スクロールも残り僅か、か。
グルゥッ!と。
20のローウルフは一斉に飛び掛かった。
俺を殺すため、爪と牙を立て。
特徴的な素早い動きで、襲いかかる。
「<炎闘牛鬼>ッ!」
躊躇する暇は無い。
咄嗟に懐からスクロールを取り出し、魔法を使った。
真紅の魔法陣が描かれ、牛頭を模した巨大な炎が顕現する。
それは迫るローウルフを包み込むように放たれ──
グルアァッ!
──ローウルフたちを、焼き殺した。
「はは。スクロール、まだ残っていたのですか」
───”まだ”、ね。
ローウルフが一瞬にして殺されたにも関わらず、族長は余裕の態度。
まだ、手はあると見て取れる。
「次はどうする? お前の策はもう終わりか?」
「そんなわけがないだろう? 私には──君を確実に殺すだけの力があるのだよ」
スクロールの残数を、手探りで確認する。
残りは、4つ。
全て攻撃魔法だ。
<炎闘牛鬼>のような、強力な魔法は残っていない。
あるのは第2階級程度の魔法のみ。
「いでよ、ローウルフ」
族長は再び、ローウルフを呼び寄せる。
数は先程と同じ、20。
一発の魔法で倒せるような状況ではない。
「もう一度聞いてあげましょうか。大人しく命を捧げてはどうだね?」
同じように、20匹を同時に流してくるなら兎も角。
同じ手を使うようには思えない。
俺の魔力枯渇も理解しているだろう。
対策されると、俺に勝ち目はない。
だが──
「ふん。言ってろ」
敗北が決まったわけではない。
手持ちの魔法は、<火炎>が2つと、<雷撃>、<水生成>の4つ。
<雷撃>はその名の通り、雷を放つ第2階級の魔法。
<水生成>も第2階級で、こちらは水を生成することができる。
どちらも使い道はありそうだが、決定打には欠ける。
「そうですか。では、いきたまえ」
族長の指示と共に、走り出すローウルフは5匹。
風の如き勢いで、それらは地面を蹴って迫って来る。
───<火炎>2つがあれば処理可能……。
ただ、<火炎>を使えば、残りは<雷撃>と<水生成>のみ。
どちらも、ローウルフに対して有効とは言い難い。
グルァッ!!!
そんなことを考えている間に、5匹のローウルフは目前に迫っていた。
「──<火炎>ッ!」
考える余裕はない。
すかさず懐からスクロールを取り出し、使う。
紅の魔法陣が現れ、3匹のローウルフは為す術なく焼き尽くされていく。
「<火炎>ッ!」
そしてもう一度、残りのローウルフを殺すように、最後の<火炎>のスクロールを切った。
躊躇があれば、死んでいるだろう。
だからこそ、一切の迷いなく、目前のローウルフを殺した。
「行きたまえ」
そして、更に駆け出す5匹のローウルフ。
残っている魔法は<水生成>と<雷撃>。
<水生成>の後に<雷撃>を使って感電させる──強力そうだが、動きが素早いローウルフに上手く使える自信はない。
炎で攻撃していたから良かったが、ローウルフ自体はそこそこの魔物だ。
魔法に対する耐性も、低くはない。
<雷撃>1発で、5匹を殺すことは不可能だろう。
「ふむ、万策尽きたかね?」
焦燥に駆られる俺を見て、嘲笑うような族長。
俺にもう手がないことを察したのだろう。
───逃げるか? エリスさんを置いて?
エリスを置いて行ったところで、逃げられる自信はない。
ローウルフの素早さに対して、俺如きが走って逃げられるわけがない。
───クソッ。
すべてをやり尽くした上で、圧倒的な物量の差があった。
5匹で動いているローウルフ相手に、<支配>で上手くやり切るのも不可能に近いだろう。
ただ、やらないわけにはいかない。
俺は右手を前に出し、迫るローウルフに構える。
「はああぁぁぁぁッ!!!」
叫びとも、悲鳴とも取れる大声を上げながら、ローウルフに右腕を伸ばした。