第52話 魔族の村
森の中を歩く道中、魔獣に出くわすことはなかった。
ここら一帯は彼女らの縄張りのようなものなのだろう。
生活圏としているならば、危険を排除するものだと納得した。
彼女の村へ向かうのに、そこから15分とかからなかった。
やはり、縄張りと呼べる範囲なのだろう。
魔獣がいないことも、彼らがいることも腑に落ちた。
道中では、彼女の種族についての説明を受けた。
曰く、人族と仲が悪いわけではないのだそうだ。
そもそも、魔族の中に、根本的に人を毛嫌いしている者は少ないらしい。
彼女の対応を見るに明らかなことではあったが、改めて女神がついた”嘘”の存在を思い知った気持ちだ。
ここまで来れば、魔王が単なる悪ではないことも分かってくる。
そんな憶測をしながら、頭の中に一人の男を思い浮かべた。
また、
「でも、人族との交流は何年もなかったもので……村の皆は驚くかもしれないわ。どうかお許しを」
とも言われた。
急に暴れだすことなど考えていないが、現状の人と魔との関係が良いものとは思えない。
多少の警戒から入ってしまうのは、仕方のないことだろう。
村──あるいは集落の外観は、まさに”森の中に住まう種族”たるものだった。
木でできた高さ5メートルほどの柵に囲まれ、中までは覗けないようになっている。
もちろん、門のような物はある。
俺たちが目指していた場所はまさにそこなのだが、門にはちゃんと門番のような人たちが立っていた。
それは集落の規模に関わらず当然なのだろうが、サボることなく、警戒を怠らない姿勢を取っていたのは評価に値するとも思った。
上からになってしまうが。
集落に近づいていく俺たちに、門番が気づくのには時間はそうかからなかった。
とはいえ、弓を構えられたり、そういった行動が取られたわけではない。
エリスが居たからだろう。自分たちの仲間の帰還であれば、むしろ快く受け入れるものだ。
ただ、そんな対応を見せたのも束の間。
「エリス! その隣にいる男はなんだ!」
と。
門番の表情は険しいものとなる。
「悪人ではないわ。安心して」
そう返すエリスに対して、訝しげな表情で見つめ合う門番の2人。
やがて、決心したのか。
「少し話を聞きたい! エリス1人でこちらへ来て貰えるか!」
とのことになり、俺は絶賛取り残されたわけだ。
門の前、5メートルほど前には俺を見張る門番が1人。
連れて行かれたエリスはすぐそこで話しているのか、声が時々聞こえてきていた。
流石に見張りの門番とにらめっこをするのには抵抗があったので、地面を見て時間を潰していた。
特段面白いものが地面にあるわけではない。普通の森という感じなのだが。
どちらかというと、耳に神経を集中させていた。
エリスの会話の盗み聞きのためだ。
良くないことだとは分かっていても、気になるものは気になる。
途切れ途切れに聞こえてくる会話だったが、そこからでも内容は予測できた。
男がエリスに聞いているのは、俺がどういう存在か、だ。
正直、彼らにとって俺は信頼に値する人物ではないだろう。
同胞を殺し、更には自分たちの仲間に甘えるような人間。
それを正当化できるとは思っていない。
エリスが正直に話せば、俺はこの集落と敵対することになるかもしれない。
そこは、エリスを信用する他ない。
尤も、エリスに助けられた身だ。
彼女を信頼するのはある種の”当たり前”なのかもしれない。
───彼女なら言わないだろうという気持ちもあるのだが……。
そんなことを考えながら、今度は空を見上げる。
森の中ゆえに、木も多い。
木々の隙間から入り込む光は美しく、幻想的だ。
眩しさを感じないのは、日の光が控えめだからか。
季節の問題もあるのかもしれない。
今の季節はどれくらいなのだろう。そもそも、この大陸に四季という概念はあるのだろうか…。
…………。
正直、暇だった。
対面する門番も同じ気持ちだろう。欠伸をしているのがチラと見えてしまっている。
…………。
10分ほど経った頃だろうか。
何度見たか分からない空を見上げ、暇そうな門番に視線を移そうとした時。
遠くから、見覚えのある2人組が歩いてきた。
たかが、10分。されど、10分。
主役でない卒業式に出席している気分だった。それほど、暇なだけでなく、苦痛だった。
立っていることへの苦痛というより、行き過ぎた暇への精神的苦痛だ。
しかし、耐えきった。
更には、エリスが吉報を持って帰ってきたと見て良いだろう。
雰囲気からして、どうも許されたらしい。
「おまたせ! ごめんね、随分と待たせてしまって」
「いえ、お気にせず。むしろ俺のためにありがとうございます。それで……」
俺が本題に入ろうとする前に、彼女は遮るように口を開いた。
「条件付きだけど、少しの間の滞在は許可されたわ」
「条件……というのは?」
「滞在する家は私の家で、食事とか諸々は自分で用意すること、だそうよ」
意外と緩い条件だった。
むしろ、自分で生活を賄うのは当たり前だと思っていたくらいだ。決して、物乞いの為に来たわけではない。
やはり、エリスは黙ってくれていたのだろう。
ただ、問題が1つあるとすれば──
「えーっと……」
「どうしたの? 何か問題があったかしら?」
「あ、いえ。問題というか……」
「ん? 遠慮なく言っていいのよ?」
そう言ってくれるのならば、と。
遠慮なく、聞くことにする。
「エリスさんは……結婚とかはされてるのでしょうか……?」
「んー? あぁ! ふふっ」
「なんで笑うんですか……」
「いや、優しいのね、と思って。あいにく、私は独身よ。それに、まだ20歳なのよ、私」
「それなら……良かったですけど……」
それにしても、20歳だったのか。
魔族の年齢は外見では判断し難い。
言動で年齢を予測していたのだが、まさか数年しか年が離れていないとは思わなかった。
「それじゃあ、長老も、そういうことでよろしいですか?」
彼女が向いた先には、先程まで会話していた人──長老が居た。
彼は特に言葉を発することなく、ただ頷くことで返事をする。
無愛想なことだ、と思うが、俺に不満でもあるのかもしれない。
───できる限り、触れないでおこう。
密かに心に留め、先導するエリスの後ろをついていくことにした。
・ ・ ・
「ここよ」
門番に一瞥され、そのまま人通りの少ない道を歩いてきた。
着いた先は、一軒の家。ここがエリスの家らしい。
集落の規模は、人口300人程度だろう。家の大きさは控えめだが、集落全体はまあまあな規模だった。
木製なので引火に不安があるが、そこらへんはどうしているのだろうか。
尤も、俺が心配する必要はないに違いない。
今まで生活してきた彼らだ。
それ相応の知恵や工夫があることは確かである。
閑話休題。
エリスの家も、他の家と大きな違いはなかった。
一度大きな街に行った経験のある俺からすると、質素である。
そもそも、地球と比べれば質素なのは変わりないのだが、原始的な質素さを感じられた。
とはいえ、悪く言うつもりはない。家など、生活できればそれで十分なのだ。
「何も無いけど……とりあえず上がってくれるかしら」
「分かりました。靴は……」
「靴……? 脱ぐかどうかってこと……? 気にしないわよ?」
彼女らは常に裸足だった。
家に入るときも当然裸足のままなのだが、そうすると俺も脱いだほうが良いのかと不安になる。
外でも裸足なのだから、靴のまま上がるのと違いはないだろうが、一応確認は必要だろう。
「分かりました。お邪魔します」
丁寧に入ろうとする俺に驚いたのか、俺を二度見するエリス。
この世界の、ましてや魔族の作法は俺の知っているそれとはかけ離れているだろうし、仕方のないことだ。
「そこらへんにでも座ってて」
家の中は殺風景だった。
あるのは机と、ベッドと、椅子。
2つ椅子があるのは、客人用か。
収納箱はもちろんいくつかあり、キッチン──台所のようなものもあった。
簡易的な料理器具がある程度だが、それでも十分なのだろう。
俺はエリスが指した先にある椅子の1つに腰掛ける。
彼女は何やらコップのようなものを取り出し、水を入れてくれているようだ。
蛇口のようなものを捻る姿を見て、発展具合に少し感動する。
なんというか、予想外だったのだ。
そんなことを考えていると、水を入れ終わったエリスが机に向かってきた。
動作の流れでコップを机に置き、彼女も対面の椅子に座る。
「ありがとうございます」
「客人に水を出すのは当たり前よ。そういうことを言いたいわけじゃないだろうけど、これもお気にせずって気持ちだと思ってくれればいいと思うわ」
「それこそ、ありがとうございます」
「律儀ねぇ……」
そんなくだらない会話を交わす。
「まぁ、何でも良いけどね……。とりあえず、これからの予定について話しておきましょうか」
「そうですね」
「とりあえず、私は薬草の採集に行かなくちゃいけないのよ。それが仕事だからね。アオイくんはどうする?」
───薬草の採集、か。
そこでふと、彼女には”相棒”がいないことに気づく。
───彼女もまた、失った人なのかもしれないな……。
「俺も付いていきます」
「じゃあ決定ね。10分くらいしたら出るわよ」
こんなことを考えてもどうしようもないのだが、それを踏まえると彼女の言葉の重みも変わってくる。
「エリスさん」
「ん? どうしたの?」
「先程は、ありがとうございました」
俺は頭を深く下げる。
彼女の表情は見えないが、驚いているのは伝わった。
数秒して、彼女は照れくさそうな声で言った。
「いいのよ。そこまで感謝されると、なんだか照れくさいじゃ──────ぐふッ!?」
「エリスさんッ!!」
そして、言葉を紡ぐ彼女の胸には──
一本の剣が突き刺さっていた。
◆ ◆ ◆
一方、遠く離れたある部屋では。
勇者”枷月葵”を遠くから見る男が。
「彼は……大変だねぇ」
意味深に、その瞳を輝かせながら。
誰にも聞かれぬ呟きを、零したのだった。