第51話 女神の怒り
「それで、桃原愛美は殺された、と?」
タンタン、と。
規則的なリズムで机を叩きながら、女神は口を開けた。
先程まで流れていた沈黙の時間が嘘のように、その語気には感情が籠もっている。
向ける先はもちろん、目の前にいる赤髪のメイドだ。
「それは──申し訳ありません」
「申し訳ありません、ですか? 頭を下げても許されないことはあるんですよ」
「承知しています」
「そもそも、なぜ守れなかったのですか? ずっと隣に居たのでしょう?」
女神の質問に、メイは口を閉ざした。
理由は自分でも分かっている。
桃原愛美への襲撃者がアオイであったからだ。
それに気づいた瞬間、多少の動揺があった。
その一瞬の隙を見逃さず、彼は命を刈り取ったのだ。
これは完全に自分が悪い。
そうはいっても、それを口に出すのは憚られた。
気恥ずかしさというか、情けなさが前面に現れたからだ。
「まぁ、言わなくても分かりますよ。どうせ、アオイとかいう男の登場に動揺したのでしょう? あの様子だと、随分と熱心でしたものね」
「ッ……、そんなのでは……」
「ない、とでも? その言い訳、本当にできると思ってますか?」
「……」
女神がわざとらしく溜息をつく。
「あなたは気が楽で良いですね。こちらは魔王を倒すべく、本気で作戦を練っているというのに。あなたのその勝手な行動が面倒なことに繋がりましたよ」
「……申し訳ありません」
「その言葉は聞き飽きました。どうするか、と聞いているのです」
机を叩くリズムが早くなっていく。
メイは頭を垂れているため、女神の表情を伺うことはできない。
しかし、その表情に怒りと呆れが浮かんでいることは理解できる。
「私の命をもって償います」
ダンッ!
メイが言葉を発した瞬間、轟音が鳴った。
音源は見ずとも分かる。
女神が思い切り机を叩いた──叩き割った音だ。
「ふざけているのですか? 私が聞いているのはどう挽回するかという話です。あなたが死んで解決するのですか? ただ責任から逃れるだけでしょう? あまりふざけたことを言うようならば────」
「申し訳ありません」
「だからッ!」
スッと、
気配が目前まで迫った。
それを感知し、メイは頭を上に上げる。
そこにあったのは女神の拳だ。
いつの間に近付いたのか、それは言うまでもない。
ただ、自分を殺すべく振りかざされた拳が、顔の目の前で止まっていた。
「それをやめろと言っているでしょうッ!? 何度言えば分かる! お前、ふざけてるようならば殺すぞ!」
メイは女神に忠誠を誓っている。
決して、彼女を怒らせたいからこその態度ではない。
単純に、咄嗟に謝罪が出てきてしまうだけだ。
だが、それが女神の癪に障るならば、意識的に直す必要があるだろう。
「はい」
「まぁ、良いです」
今度は謝らなかったことに満足したのか、目の前にいた女神は居なくなった。
ほんの瞬きの間だが、彼女が椅子に戻り、割れた机が元に戻るのには十分なものだった。
「こうなってしまった以上、あなたを主戦力として使わざるを得ません。本来であれば各地にいる勇者を招集したいところですが、それはやめておきましょう。夢咲叶多もここにはいることですし、暫しの間は問題がないでしょう」
女神の言うことを黙って聞く。
こんな時でも冷静に次の最善手を考えられるベールは凄い。
これ以上、彼女に相応しい言葉は思いつかない。そして、その言葉こそがベールには最も相応しいものだと、メイは実感していた。
とはいえ、それを表に出せば不快感を募らせる結果になってしまう。
そっと心の内に仕舞い、これからのことに頭を巡らせていく。
「私に……お任せいただけないでしょうか?」
「うん? そのつもりですよ。主に対魔王の話になりますが。あなたを軸に、勇者たちとで戦ってもらうことになるでしょう」
「はい、かしこまりました」
「ああ、そういえば──その、アオイ、でしたか? 彼はどのような手段で桃原愛美を殺したのでしょう?」
そういえば詳細を省いていたことを思い出す。
「忘れていました。私のミスがあったのは置いておくとして──主な戦術はスクロールを使ったものでした」
「スクロール、ですか? 彼自身が魔法を使うわけではなく……? 魔道具士のような天職なのでしょうかねぇ……」
「詳細は不明ですが、<炎闘牛鬼>レベルまでは使っていました。桃原愛美様を仕留めたのがその一撃です」
「<炎闘牛鬼>……。まぁまぁな魔術師でもいるんでしょうか」
よく考えてみれば、戦い方は謎である。
<炎闘牛鬼>レベルの魔法のスクロールは売っているものではなく、自身で作成する必要がある。彼が魔族と密通していれば、他者から譲り受けたという線も辿れるが、もし彼が自作したにだとすれば、わざわざスクロールで使う必要はない。
それこそ、スクロールを使えば魔法の威力が上がるような天職であれば話は別だ。しかし、その場合は彼にスクロールを流している存在がいることになる。
魔術師ギルドマスター、ガーベラレベルの魔術師が背景にいると考えるよりは、魔族と繋がりがあると見て良さそうだ。
「魔族との繋がりがあるのでは無いでしょうか? あえてスクロールを使うあたり、<炎闘牛鬼>を彼自身が使えるとは思いません。────そう考えると、駿河屋光輝様を殺したのも彼ではないでし
ょうか……?」
「あぁ、言われてみればそれもそうですね。およそ、魔族の手先のようなものでしょう。まさか人族にまで手を出しているとは思いませんでした。
案外、近くにスパイが潜んでいる可能性はあるのかもしれません」
「はい。動きは決して強者のものではありませんでした。むしろ、戦闘にはあまり慣れていないような印象を受けたくらいです。一つ気がかりなのは……一瞬で姿を消した能力です。詠唱も見られなかったので、スキルだと思うのですが……」
「なるほど。瞬間移動のスキルですか……。聞く限りでは固有スキルでしょうね。貴方のことだから確認済みかとは思いますが、スキルで彼の位置を特定できたりはしませんか?」
「残念ながら……。何らかの対策をしているのか、はたまた偽名なのかと」
「後者でしょうね。そもそも、こんなことを計画する人間が、素直に名を打ち明けるとは思えません」
全く持ってそのとおりだ。
駿河屋光輝を殺したのも彼だとすれば、それこそ名を名乗るわけがない。
メイを助けたのは気まぐれだったのか、はたまた何か計画の一部なのか。
深読みするも、答えは得られなかった。
「当面、こちらから動くことは出来なさそうですねぇ。まぁ、仕方のないことでしょう。これは相手が一枚上手だったということで……」
「その、ベール様」
「ん? どうかしましたか、メイ?」
「どうやら……魔夜中紫怨様がアオイさ──アオイを追跡しているようです」
そこで、ふと調べたことを口にした。
なにか理由があったわけではないが、急に思い出したゆえに調べたのだ。
結果、勇者の一人である魔夜中紫怨がこの街に居ないことが判明した。
決して裏切ったとかではなく、追跡をしていたのだ。
それを聞いた女神は、少し間を置いて、
「────そうですか。それは素晴らしいことですね。暫しの間、観察をお願いしても良いですか?」
と、口にした。
形容し難い覇気を纏ったその言葉に、メイは「かしこまりました」とだけ呟く。
それが聞こえなかったのか、はたまた意図的に無視をしたのか、ベールは話を続けた。
「こうなってしまってはどうしようもありませんから、魔族がすぐそこまで攻めてきているという意識を民に与えます。教皇を使いましょうか。こればかりは致し方ありません。
対魔王の戦力は今は考慮するべきところではありませんね。暫くは守りの姿勢を貫きましょう。
最悪、戦力をかき集めればなんとかなります。他の勇者が殺されないよう動くべきでしょう」
「そうすると、現在一人で行動している魔夜中紫怨様は危険ではないでしょうか?」
「彼は大丈夫でしょう。生存する能力だけは──どの勇者よりも凄まじいものですからね」
「そうなのですか」
「えぇ。ですからそこは特に心配せず……。後は、夢咲叶多にルークを付けておいていただけますか? 護衛役として、です。人前には出せないですが、影から守るのには十分でしょう」
「かしこまりました。すぐに手配します」
「はい」と軽く返事をし、ベールは割れた机を撫でるように触った。
それだけで机は元の形に戻っていく。
この再生能力のようなものは、メイでも数回しか見たことがない。しかし、ベールであれば容易だろうと思っている。
「今頼むことはこれだけです。直ぐに行動に移してください」
「分かりました」
深く頭を下げ、ベールへの忠誠を示した後。
メイは急くように、部屋を出た。