第49話 俺は、お前を
「怪我はないか?」
俺が魔夜中紫怨に気付いたように声をかけたからか、はたまた本当に心配しているのか、彼はいつもの澄まし顔で俺に問いかけた。
怪我という怪我は、ない。
だから、それは素直に答える。
「怪我……? そんなもの、ない」
しかし。
「そうか。それは良かった。危うく死ぬところだったぞ」
何が、良かったのか。
俺には分からない。
死ぬところだった。
それはそうだ。
だが、だからと言って。
そもそも俺が作った問題を、俺が受け入れるだけの問題だったのに。
それを、魔夜中紫怨という人間の手を借りて片付けるなど、卑怯ではないか。
「死ぬところ…だった?」
然るべき死ではないのか。
確かに、死ぬことは怖くて、嫌だが。
それでも、彼らが悪かと言えば、そうではない。
断然、俺の行為の方が悪だろう。
妻を殺されて復讐に走った男を、悪だと言うだろうか。
皆、口を揃えて、仕方のないことだ、と言う。
同じようなものだ。
俺のした行為は、それと何ら違いはない。
それを咎められず、身勝手に相手を殺すことなど、悪でしかない。
それを何もないかのように遂行した魔夜中紫怨も、また同じ悪なのだ。
「どうした? 葵?」
「なんで…殺した?」
「は…?」
何を言っているのだ、という顔になる魔夜中紫怨。
ただ、俺はそれを気にせず続ける。
「なんで、あいつらを殺したんだ? お前の力ならば、殺す必要はなかったんじゃないか? そもそも、なぜ俺を助けた?」
「な、何を言っている? 落ち着け、葵。多分、混乱している」
「混乱? そりゃしてるかもしれないな。俺の目の前には殺人鬼が居るんだからな。何の理由もなく、人を殺すような、殺人鬼が」
「人……? 俺は魔族を殺しただけ…」
「ほらな。魔族が人じゃないとでも言いたいのか? 流石勇者様、言うことが違うじゃねぇか」
戸惑うように答える彼に対し、俺は言葉を止めなかった。
いや、何か内に溜まっていたものが止まらなかったのかもしれない。
一度溢れ出した言葉は、留まることを知らず、魔夜中紫怨へとぶつかっていく。
それをどう思っているのか、彼は困ったように俺へと対応していた。
それもまた、俺にとっては不機嫌になる要素の一つでしかない。
なぜ、殺した本人が何も無かったような反応をするのか。
俺にとっては不思議で仕方が無かった。
「落ち着け、葵」
「落ち着いてられるかよ。逆に、どうしてお前がそんなに落ち着いているのかが分からないね」
「何か勘違いをしているんじゃないのか…? 俺は、葵が危険な状態にあったから助けただけだ。決して、魔族だから殺したわけじゃない」
「危険な……状態?」
ははっと、乾いた笑みが零れた。
「それは俺に責任がある。そもそも、何かなければあんな状況に陥るわけがないだろ? お前はそれを分かっていて首を突っ込んだんだ。それとも、あれか? そんなことは考えていませんでした、とでも言うのか?」
「そんなことを言うつもりはない。ただ、俺は葵を助けただけだ」
「はっ! 助けた? そんなことを俺が願ったか? お前が勝手に首を突っ込んだだけだろ?」
「………」
こいつの理由は、どこまでも自分勝手だ。
全て、魔夜中紫怨のエゴゆえの行動でしかない。
人と魔族であれば、人を助ける。
そんなものは正義でも、勇者でもなく、ただの差別行為に過ぎない。
「どうした? だんまり決め込むのか? お前は良いよな。罪の無い魔族を殺すだけで、正義のヒーロー扱いだ。何も考えず、それを悪だと斬り捨てるだけで良い」
「そんなことは……ない…」
「全部、人のためって言えば許されるんだもんな」
「そんなことはない!」
ついに、魔夜中紫怨も怒るように話を切り返した。
それでも、俺が引くことはない。
「ならば、なぜ殺した?」
「それは…お前を助けるためだ」
「じゃあなんだ? 俺を助けるために、大切なものを失った、家族のいる魔族を殺しても良いのか?」
「………」
「都合が悪くなったらだんまりか? そうやって、都合の悪いことから目を逸らし続けるのか? お前が殺した生物の家族のことなど考えず、お前本位の考えで殺すのか? これからも、そうやって罪から逃げるのか?」
「………」
俯き加減で無言を貫く彼に対し、俺はキッと睨めつけるようにして、まだ話を続ける。
「いつまで逃げ続けるんだ? お前はそうやって、これからも数多の魔族を殺すんだろうな。都合の悪い現実からは、目を背けて。なぁ、殺人鬼?」
「もう、分かった。葵の言いたいことはよく分かった。だから、もう黙れ」
「黙れ? それは出来ない相談だね。自分は相手の質問に答えないのに、俺には言うことを聞かせたい、と? そんなわけはないだろう、魔夜中紫怨?」
「そうか……、そうだな。確かに、俺はこれからも、都合の悪い現実からは目を背けるかもしれない」
「認めるの───」
「だが、俺はそれを間違いだとは思わない。葵がどう思うかは自由だ。分かってほしいとも思わない。今回のことは悪かった。ただ、俺のエゴだと思って見過ごしてくれると、ありがたい」
「何勝手なこと───」
「話は終わりだ。俺はここらで分かれる。もしかしたら、またどこかで会うかもしれないな。その時、考えが変わってなければ、また俺を叱ればいい。その時はもちろん、俺も葵の質問に答えよう」
流れるような動作で、魔族を切った剣を腰へと仕舞う魔夜中紫怨。
細剣を腰に帯びると、そのまま俺に背を向けるように振り返った。
「それだけだ。葵の旅の無事を祈っている。じゃあな」
そして、力強い声で別れを告げ。
生い茂る木々の間へと、消えていった。