第5話 聖女(?)
俺の目の前では今、先程まで圧倒的優位に居た百獣の王が事切れ、地に伏している。
そんな様子を見ても動揺はおろか、自身に対する嫌悪感さえ湧いてこない。
生物を己の手で殺したにも関わらず、だ。
元々の考えがサイコパス寄りなわけではない。むしろ殺人事件やグロ映画は忌避するタイプだった。
「異世界に来て価値観が変わった、か」
つまり、そういうことなのだろう。
180度とまでいかずとも、生物の生死に関わるかつての倫理観は俺から失われていた。
「そんなことよりも今はステータスの確認が先か………ステータス」
女神の屋敷で呟いたときと同様、青白い板が俺の目前に表れる。
名前:枷月葵 Lv52
ステータス:STR…D
INT…S
DEX…D
AGI…D
VIT…D
すべてがD以上になり、INTはSに到達していた。
ムラビトという天職故かは不明だが、レベルに対するステータスの伸びは大きくないように思える。
単純にレベルの上限値が高い、もしくは無いという可能性も考えられるのだが。
もしもレベルの上限が100ではなくそれ以上に上がるのだとしたら、レベル差である程度のステータスの差を埋めることが出来そうだ。
「格上の<支配>も可能となると……可能性が広がるな」
俺の<支配>はこの世界で広く一般的な支配系の能力とは違うことが判明した。
女神の言っていたことが全て出鱈目という可能性も出てくる。
触れなくては使えない等は女神の言った通りだが、服越しでも<支配>が使えるかどうかは不明だ。
「それもおいおい試して行くか……」
今回のレベルアップで分かったことは、<支配>対象を殺してもレベルアップに必要な要素──経験値と名付ける──は得られるということだ。
しかし、獣に殺された木が死んだ時の経験値は貰えていないので、自分の意志で殺害行為を行う必要があるか、それとも木などの植物には経験値がないのか、これも検証の必要がありそうだった。
また、<支配>によって殺す場合と俺が直接殺す場合で経験値が変化するのか。似たことで、<支配>している対象が殺す場合経験値は変化するのか、そもそも貰えるのか、そこも確かめなくてはならない。
───獣を殺したのは失敗だったか。
今となって、反省する。護衛としても、戦力としても、獣を感情に任せて殺してしまったのは失敗だったと言える。
ともあれ、今一番検証の必要があるのは植物に経験値があるかどうかだ。
「武器が欲しいな……」
丸腰となると、意図的にも生物を殺すことに手間を要する。それに、いざという時に戦うこともできない。
ステータスが低いので戦わないことが一番なのだが、念には念を入れたいところだ。
「ん?」
そう思い武器を探していた矢先、目の端にキラと光るものが映った。
視線を動かすと、少し離れた木の幹に一本の剣が突き刺さっていた。
ここら数十メートルに及ぶ範囲の木はすべて獣によって殺されていたので、剣の刺さった木は20メートルほど離れている。俺はそれを取るため、剣に向かって歩き出す。
そもそも”木が死ぬ”と聞いて何をイメージするだろうか? 木は生命力が高いから、なかなか命を落とすことはない。
木が死ぬというのは、幹が折れて倒れたりとか、そういうものではない。生命力を失った木は急激に茶色に変色し、枝、葉、幹の全てが朽ちていくのだ。
地球では考えられない現象だが、これは”魔法”とは違ったこの世界独自のシステムだろう。
「────」
20メートルほど歩き、剣の刺さった木の元まで辿り着き、言葉を失う。
近くで見ると、それほどまでに美しい剣だった。丁寧に磨かれているだろう刀身は、覗きこめば顔が反射して映るほどに透明な銀色をしている。
「さっきまであったか? これ?」
素朴な疑問を覚えるも、戦いに集中していたから気付かなかったのかもしれないと納得した。
ここまで綺麗な状態だと、この獣に殺された人物の持ち物だとしても戦ってはいないようだった。
音もなく近づかれ、気づいて咄嗟に剣を投げた結果か。あの獣が相手なら十分に有り得る話だ。もしかしたら他の魔獣がいるかもしれないが、魔獣の性質が獣と近しいと考えれば、ここら一帯はあの獣のテリトリーだろうからその説は考えにくい。
その証拠に、走りながら他の魔獣は一匹たりとも目にしていない。
「もしかしたら大切なものだったのかもしれないが……貰っていくぞ」
この世界の物価は分からないが、ここまで美しく手入れされた剣だ。決して安いはずはなく、思い入れがあることは確かだった。
だが、俺は俺の命のためにこの剣を抜く。
剣に手をかけ───力を木と反対側にかける。スッと勢いよく剣は抜け、その全身を露わにした。
光を反射し、より幻想的に輝いている。
刀身60センチほどの白銀の剣。抜いた勢いのまま、それを一振りした。
ブンッと風を切る音がする。
STRは然程高くないはずだが、簡単に振り回すことができた。見た目に反して軽い作りなのか、はたまた魔法の一つなのか。
「鞘はないのか……?」
また辺りを見渡せば、さっきの位置からは死角で見えなかった木の陰に、剣と同じ色の鞘が落ちていた。それも、剣を腰に巻くためのベルトもセットで。
「こんな都合のいいことがあるか……?」
流石にこんな都合のいいことばかり起こるのはおかしい。棚からぼた餅どころか、金貨が降ってきた気持ちだ。
それでも───
「これを利用しない手はないよな」
既に異世界に召喚され、女神に利用された身だ。今更、何かの策略に嵌ることなど恐れない。
それに、女神のあの言葉は俺が死ぬことを確信しているものだった。つまり、誰かしらの策略とは考えにくい。
───豪運、か。もしかしたらLUCとか隠しステータスがあったりするのか?
適当に考えたつもりだったが、なんとなくありそうな気がしてならなかった。これもどこかで調べておきたいと、心にメモをしておく。
「さてと」
俺は鞘を拾い上げ、剣をそれに仕舞う。剣の扱いなど知らないが、最低限は直感的に使用できそうだ。ベルトは鞘に着いていたから、そのまま腰に巻いてしまう。
「これでようやくまともに戦えるな」
剣さえあれば様になる。敵対的な意思を持つ生物に対しての牽制になるかもしれない。
「というか、経験値は見れないのか?」
経験値が見れないのは不便だ。木を殺したところで、それが実際に経験値になっているのか、それとも木の経験値が僅かしかないのか、判別できない。
>経験値の表示をONに変更
と思っていたら、どうやら出来るようだ。意識的に考えることで変更できるのか。
───変更できるならデフォルトでONにしとけよ。
内心で愚痴を零すが、早いうちに気づけたので良しとしよう。
「そしたら……検証するか」
近くにある木を殺してもいいが、植物という括りならば花の方が早いだろう。
───まずは……
「ステータス」
俺は現状の経験値を確認する。どうやら値ではなく、次のレベルアップまでの割合を百分率で表してくれるものらしい。
花で1パーセントも満たせるか? と疑問に思うが、そこは数だ。とりあえず100殺しても経験値が得られなければ、植物からは得られないと考えて良いだろう。
眼下には様々な色の花が咲いている。獣から逃げているとき、木のドームの中で見た花々と同じようなものだ。
「と、忘れてた」
獣の時の二の舞にならないよう、周りにある木は事前に<支配>しておく。こうすればいつ来られても安心だ。
スキルレベルの方は経験値の表記がないが、条件によるレベルアップだろうか?
はっきりしない現状ではとりあえず花も殺す前に<支配>しておく方が吉だろう。
「よし」
下準備も終わったところでようやく、検証に入ることができる。
俺は剣に手をかけ、腰から抜いた。
・ ・ ・
結果として、植物に経験値は無かった。どれだけ殺しても1パーセントも増えることがなかった。
経験値は魔獣を倒した時のみ手に入る、もしくは意思のある生物を殺した時のみ手に入ると考えておこう。
経験値が無かったのだから当たり前と言えば当たり前だが、スキルレベルが上がることも無かった。
ただ、スキルレベルが1から2に上がるときは植物への<支配>でも問題なかったので、スキルレベルは条件を満たすと上がるのだろう。
当然、その条件は分からない。手探りで確かめていくしか無さそうだ。
「これが検証できたなら一先ず良いか……」
レベルの上限やステータスの伸びなんかは確認のしようが無い。
するにしても、まずは人との交流が先だ。
「食べ物も飲み物もないし……何より森の中で生活なんて危険だしな。感染症とかありそうで……」
できれば、枷月葵という身分を隠しながら街で生活したいところだ。
女神は既に俺を死人として扱っているだろうし、生きているとバレたら後々面倒なことになる。
この世界の地理は分からないし、どっちの方向に街があるかなどの知識は皆無だ。
当てずっぽうで歩いて身を危険に晒すのも躊躇われるし、だからといって留まり続けるのも愚策。
「うーん……困った……」
一般常識の大切さをまざまざと思い知らされる。世界に関する知識が全くないだけでここまで苦戦するなど誰が想像するものか。
「チート能力があったらどうにかなったのかもしれないけどなあ」
水が無限に出せる魔法とか最初から使えたら良かったのにと思い、そんな能力があっても使いこなせないだろうとも思う。
なんやかんや<支配>で助かった場面もあったから、俺にはこの能力が合っているのだろう。
「ん?」
不意に、後ろから規則的な音が聞こえる。スタスタと言うその音は──人の足音のようだ。
足音の主は木なんかは避けているのか、草にぶつかったような音はしない。草木を避けながらゆっくりとこちらへ向かってきているようだった。
「人? こんな森に?」
先程から、ありとあらゆることがタイミングよく起こっている気がする。
LUCというステータスがあったらこればっかりはSだろう。
だが、油断は禁物だ。本当に人かどうかは分からないし、人であっても盗賊だったらむしろピンチなのだから。
俺は警戒しながら、音によく耳を澄ませていた。いつでも木に指示を出せるよう、神経を尖らせる。
「あれ、誰かいるんですかー?」
足音の方からかけられる声。
俺の警戒を比べればあまりにも軽い調子で言われるその言葉に、俺はつい脱力した。
緑を挟んで向こう側から聞こえた声は、まだ声変わりする前の男子のような声だった。
呆気に取られて返事ができない。
「あれ、確かに居たと思ったんですけどね……。盗賊かなんかでしょうか? それなら退治しますよー?」
俺がいると判断できたのは気配というやつなのか、魔法なのか。
どちらにせよ、俺がここにいることは既に相手にバレている。
だとすれば、盗賊だと間違われるよりも、自分から返事をしたほうが良いだろう。ここで無言を貫くことは盗賊だと肯定するようなものだ。
それに、彼は今”退治”と言った。声は幼く聞こえるが、実力は確かにあることも想像できた。
「はい、いますよ」
特別大きな声ではないが、ある程度遠くまで聞こえるような声量で俺は返事をする。
その返事を聞きつけ、あからさまにホッとした雰囲気が俺の方まで伝わってきた。
「あ、良かったです」
言葉の端々からも、彼が好戦的でないことが伝わってくる。どうやら、戦闘行為にはならずに済みそうだ。
ガサガサと木々の隙間を通ってくる音が聞こえるので、俺はその場から動かないことにする。もちろん、襲われても大丈夫なよう、木はすぐにでも動かせるようにして。
「よいしょ、と」
音が近づいて来たかと思うと、俺の前にあった木の陰から一人の人間が飛び出してきた。声の主だ。
その可愛らしい掛け声は何だ、と思ったが、実際に彼女を目にするとその理由にも納得がいった。声だけで分からなかったが、彼女は女性だったのだ。
身長は低いが、美しい金髪はショートに切り揃えられている。決して男の髪型ではない。容姿は端麗。なんと表現すれば良いか分からないが、日本には居ないレベルの美少女だ。それでも、女神と比べれば多少劣るのだが。
そんな美少女が目の前まで迫っていた。表情はなんと言ったら良いか……怒っているような感じだ。
「こんな暗い森で一人で何をしているんですか?」
目の前に居る美少女が怒りを隠さず俺に質問してくる。それに対し、俺の答えは当たり障りの無いものだ。
「迷ってしまって……」
「こんな時間に森に来る人がいますか!」
……………………。
彼女は聖女か何かなのだろうか?