第42話 女神の苦悩
死傷者数は少ない。
ベールの軍事力に影響を与えるレベルには及ばない。
最も深刻な被害は民の動揺だろう。
だが、こちらも大きな問題にはならなかった。
桃原愛美の才能ゆえだ。
総評しても、こちらに被害は無かったと言える。
では、此度の侵攻の目的は何だったのか、という話になる。
分からない。
これは陽動で、裏で何かが起きているのかと思い調べるも、何もない。
ただただ魔王軍が3万の兵を失っただけなのだ。
こちらの戦力を見誤っていたのだろうか。
それにしてもDランクばかりの魔獣の軍勢を使うわけがない。
せめて、Bランクの軍勢ならば考えられる。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
───いえ、一度考えるのを止めましょう…。
今回の侵攻は何も悪いことばかりでは無かった。
桃原愛美の実力。
そして、夢咲叶多の強さ。
今まで不明だったその2点を知ることが出来たのだ。
結果はどちらも期待以上であり、女神としては嬉しい誤算だった。
正直、過小評価していたかもしれない。
戦士長率いる騎士団の戦果も素晴らしいものだ。
何より、戦士長はバジリスクを一撃で殺したという。
大したものだ。
こうして見ると、どうもベールに都合の良いことばかりだ。
付与師ギルドマスターからの返事が来ていないことにイライラしていたが、今となってはそれもどうでも良い。
───ではでは、狙いはなんなのでしょうね?
先日の始まりの獣を始め、今回の侵攻。
立て続けに起こった2つの攻撃。
───もしやもう1度ある…?その可能性も十分にありますが……3万もの大軍を使ったあと、それも転移を使用したと見ていますし。次はせめて1ヶ月の猶予はありそうですが……。
よく分からない魔王軍の思惑も、潰してしまったので問題にはなっていない。
もう一度攻めに来るとしても時間は開くだろう。
そうなれば今度は準備ができるし、勇者をもっと育てておける。
何より、付与師ギルドマスターの協力を仰ぐ時間が出来る。
展開はベールにとって良好。
順調中の順調だ。
この調子で少しずつ。
魔王も今はさぞ焦っていることだろう。
コンコン
と、その時。
不意に部屋の扉がノックされる。
メイのものだとは理解はできたが、形式上ベールは口を開く。
「なんでしょうか?」
「はい、メイです。至急報告したいことが」
想像通りの人物だ。
至急報告という言葉に、「またか」という思いを抱きつつも、メイをとりあえず部屋の中に入れることにする。
「ありがとうございます。早速報告をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
礼を言うメイだが、ベールの内心をよく知っているだけあり、すぐさま本題を始めようとする。
軽く頷くことで先を促すと、メイは話し始めた。
「昨日の襲撃に続いてなのですが、本日も王都が魔獣に包囲されています」
「はぁ…?」
またまた、想定外の展開だ。
魔王の狙いはこれだったのか。
狙い、と言えるほどその狙いは分かっていないが。
なんにせよ、二度目の侵攻に繋げるための布石だったに違いない。
「それで、今回の規模は?」
「はっ。Bランク、Cランクに相当する魔獣がおよそ800体ほど。更には始まりの獣も居るようです」
「………」
昨日のは、茶番とでも言いたいのだろうか。
そう思わせるほどの戦力の用意だった。
なんとか、対処は考えなくてはならない。
だが、なぜこの時期を狙ってきたのかが分からない。
ちょうど勇者がいない時期を狙ったのか。
答えは分からないが、ピンチであることに違いはない。
ぶっちゃけ、こちらの戦力不足だ。
DランクとBランクでは、魔獣の強さに天と地ほどの差がある。
Dランクであれば余裕で倒せた騎士でさえ、Bランクの魔獣は10人がかりでやっと倒せるかどうか、と言ったレベルだ。
幸いなのは、夢咲叶多のレベルが上がっていること。
Dランクとはいえ、あの数の魔獣を倒せば──レベルは40弱くらいだろう。
Bランクの魔獣も複数体同時に相手取れるはずだ。
更には対集団戦に向いた固有スキルと天職。
残ってもらう勇者として最も正解である。
ただ、それでも不安は残る。
始まりの獣のことだ。
彼女の動き一つで、全てが崩れる。
冒険者は総動員しよう。
騎士団、魔術師ギルドのメンバーも総動員したとする。
だが、彼女が気まぐれでそこを攻撃すれば、たちまち再起不能になるだろう。
逆に言えば、彼女さえ動かなければ大した問題はないのだ。
Bランクも強力とはいえ、現在王都には、それに対処するだけの戦力は残っている。
「さて、どうしますか……」
虚空に呟いたはずの独り言だったのだが、意外と声が大きかったのだろう。
メイがその言葉に反応した。
「私が出るというのはどうでしょうか?」
「メイが、ですか。確かにありでしょう。ですが、出来る限り使わない方針で行きたいですね」
ベールがそういえば、メイは素直に引き下がる。
「メイ、現在王都にいる戦力を挙げてもらえますか?」
「はっ。──勇者が、夢咲叶多様、魔夜中紫怨様。桃原愛美様は参加なさらないでしょう。
続いて、戦士長率いる騎士団です。数にして1000ほどです。
魔術師ギルドのメンバーは参加なさるか分かりませんが、ガーベラ様は参加なさるかと。
冒険者ギルドマスター、アギト様。そして王都にいる15人のAランク冒険者。
各貴族の衛兵もありますが、戦力としてはアテにならないどころか、雇うのも面倒でしょう」
ベールはうんうんと話を聞く。
戦力的には問題ない。
死者は出るだろうが、そこに追加してベール直属の戦力を足せば撃退も可能だ。
始まりの獣は戦士長、ガーベラ、冒険者ギルドマスター、アギトの4人で相手させるべきだろう。
この4人であれば、最悪誰かが死んでも代えは利く。
それに、彼らは腐ってもエリートだ。
全滅の恐れはないだろう。
「始まりの獣には戦士長、ガーベラ、冒険者ギルドマスター、アギトの4人をぶつけます。彼らには生き延びることを優先するようにお伝えください。
最も面倒なのは民の騒動でしょう。
さすがに三度目の侵攻とあれば、上に状況説明を求める者も少なくないはず。
そこで、桃原愛美様を使います」
そこで、ある可能性に気付く。
ここまでの戦力を用意してやりたいことは、勇者の抹殺なのではないか、ということだ。
駿河屋光輝を殺した犯人は、次の勇者の殺害も狙っているに違いない。
であれば、今回も何かと隙を突いて、誰かを殺そうとしているのではないか。
多分、その対象は桃原愛美だ。
確証はないが、夢咲叶多や魔夜中紫怨は戦う気でいるだろうし、相手取るのは厄介なはず。
街で演説をしている桃原愛美こそ、狙い目なのではないか。
「──メイ。あなたには桃原愛美様に付いて、その護衛をお願いします。
もしかしたら……駿河屋光輝様を殺した犯人が出てくるかもしれません。
犯人は一人とは限りませんから、無理はせず。桃原愛美様を守ることを最優先してください」
「はっ」
始まりの獣には4人を。
他の魔獣にはその他の戦力を。
冒険者たちには報酬を払う必要があるが、それは王が出すだろう。
民は桃原愛美が抑え、それを守るメイ。
問題はない。
この通りにやれば、滞りなく対処は可能なはずだ。
計画は滞るが、魔王軍の戦力を大幅に減らせるのは大きい。
「………以上です。では、対処を始めましょう」
完璧だ。
問題はない。
そのはずなのに。
ベールの気持ちはなぜか、不安に満ちていた。
結果として、この侵攻に対する戦力は集まった。
勇者からは、魔夜中紫怨と夢咲叶多。
騎士団1000名と、戦士長。
魔術師ギルドの魔術師が300名と、ガーベラ。
冒険者が1200名と、冒険者ギルドマスター、”黒魔”のアギト。
人類と魔王との戦の幕は、この日、落とされることとなった。