第25話 He is only the hero.
目の前に現れた男を油断なく睨みつける。
それは仲間も同じようで、皆臨戦態勢にすぐさまなっていた。
そしてアビーは姿を隠すスキルを使い、男の後ろに移動していた。
「お前は…何者だ?」
剣の先を男に向け、俺は油断なく問い詰める。
黒いローブを纏い、フードを深くまで被っている。そのせいか、顔は見えない。
声は聞いたことのあるようなないような声。肉体は弱々しく、身長もそこまで大きくないだろう。
ただ、警戒すべきは彼が誰にも気づかれずにあの場に現れたこと。気配を察知できないというのは異常事態なのだ。
「俺が何者か、か。不思議な質問だな、駿河屋光輝」
「はっ!!」
男が答えた瞬間──男の後ろからアビーが姿を現し、短剣を突き刺すように男へと向かっていった。
確実に避けられない距離での、視覚外からの不意打ち。
対魔獣戦では使わなかったが、盗賊である彼女の最強の攻撃とも言えるだろう。
短剣の切先は男のローブへと直行し、深く突き刺さる。
「取った…!」
アビーが狙った場所は、心臓。確実に息の根を止めるために、心臓を損傷させることを優先させたのだ。
ズブリと短剣が刺さり、男の心臓に深く傷を与えた────ように思われた。
「………」
男はふらりとよろめき、アビーに覆い被さるように倒れたのだ。
それは一見、アビーが男を殺したからのように見え、光輝たちは当然、勝利を確信していた。
その場で危機を覚えていたのは──アビーのみだ。
男はアビーに覆い被さった後、何かを小声で呟いた。
光輝たちには聞こえないほどの声量。近くで聞いたアビーですら、何を言ったのかはハッキリ聞こえないレベルだった。
何をしたのか、理解した者は居ないだろう。
アビーでさえ、自分が何をされたのかを理解しなかった。いや、出来なかった。
アビーの自我は深い闇へと誘われていく。
それをただ、朦朧とする意識の中で自覚する事しかできなかった。
「アビー、暗殺者か何かなのか?」
よろめいたように見えた男が再び姿勢を戻しながら言葉を発する。
「なッ!?」
光輝を驚かせるには十分だったことだろう。
アビーが確実に殺したであろう男が未だ、生きているのだから。
それも、隣にいるアビーの様子は大人しい。
死んでいるかのように、その様子は静かなものだった。
「何をしたっ!?」
光輝は問いかけるも、男は何も答えない。
「殺せ」
端的な言葉を発したのみ。それが答えになるはずもなく、光輝たちは一瞬疑問の念を頭に浮かべる。
もちろん、それは一瞬に過ぎない。
次の瞬間、死んだように止まっていたアビーが動き出し、光輝たちの元へ向かってきたのだから。
それも、歩いていくような仕草ではなく、短剣を構えて物凄い速度で、だ。
「まさかッ!」
光輝は剣を構え、アビーに応戦する。仲間たちは何が起きたのか理解できず、固まっていた。
「アビーが精神支配を受けた!ルーナ!解除を頼む!」
「は、はいっ!」
ルーナが魔法を詠唱し始める。
彼女が使う聖魔法の1つには、精神支配から立ち直らせる魔法がある。確か第2階級の魔法だ。
精神支配や精神を乱してくる魔獣、魔族は数多くいる。そういった敵への対処として必須なのだ。
「<洗脳解除>!」
アビーが神々しい光に包まれる。
これは魔法が発動した合図だ。
「ルーナ、ありがとう。アビー、大丈夫か?」
「……」
光は収まり、魔法は正常に発動した。
それにも関わらず、アビーは光輝への攻撃を辞めようとしない。
「アビー!目を覚ませ!!ルーナ!どうなってる!?」
「わ、わかりません!魔法は確かに発動しました!」
むしろ、その手が強くなっているかのような気さえしていた。
先程までと比べ、本気で光輝を殺そうとしている戦い方だ。
アビーの短剣が光輝を狙い、それを光輝が剣で防ぐ。そんな戦いを繰り広げていた。
「くそ!どうすればいい?どうすればいい!」
「こ、光輝様……」
苛立ったような光輝の声。
それにビクッと肩を動かすアビーを除く3人。
そしてそれを気にせず、見事な体捌きで光輝を殺しにかかるアビー。
アビーの剣は鋭さを増していくばかり。防戦には慣れていない光輝だ。その守り方にアビーが慣れてきたのだろう。
仲間はその様子を遠くから見ているだけだ。
何をすればいいか分かっていても、体が動かないのだろう。
「くっ………そが!」
光輝からしてみればギリギリの戦いだ。
幸いなのは黒ローブが参戦して来ていないことか。
俺を殺す目的ならば参戦すれば良いものを、なぜ上から眺めているだけなのだろうか。
そんなことを思うが、考える余裕は光輝にない。首元に一気に迫る短剣の切先をギリギリで受け止め、直ぐ様迫る追撃の一手を躱し、そんな瀬戸際の戦いを強いられていた。
素早さを重視したアビーの戦い方は、光輝にとって相性が悪い。一方的に防衛に回るなら、の話だが。
───殺すしかないのか?いや、気絶させるだけでもいいはずだ……だが、そんなことをする余裕はない…どうすればいい?
無駄なことを考えれば、光輝の命を確実の奪うべく、目前の仲間から剣が飛ぶ。一瞬の油断すら許されないだろう。
超近距離で行われる戦闘はアビーのスタイルにぴったりだ。そもそも短剣のリーチは短いし、この距離ならばアビーに敗北はないだろう。
───くそっ!くそっ!アビー、ごめんな………。
低い姿勢から繰り出されるアビーの突き。それは首元を目掛けていて──光輝を確実に殺す一手だ。
だが、それが光輝に辿り着くことはない。
「か…はっ……!」
光輝の剣がアビーを貫く。
それは確実に胸を貫いていた。
アビーが攻撃にすべてを振っていたからこその隙。それを上手く突いてアビーを殺したのだ。
どさりと、アビーの体から力が抜けていくのを感じる。言葉もなく、死に至ったことが理解できた。
「すまない、アビー」
そんな光輝の様子を見ていた仲間たちも、誰も光輝を責めようとはしない。全員が理解しているのだ。
光輝はアビーからゆっくりと剣を引き抜くと、彼女の遺体を丁寧に床に横たえた。
そして──仲間たちと同じく、憎むべき相手を睨み付ける。
彼が参戦しなかった理由。それは、光輝がアビーを殺すのを見たかったからだろう。
心の奥底から湧き上がる怒りと、勇者としての無力感。味方を死なせてしまったことに対する罪悪感も湧き上がってきた。
ただ、その全ては黒ローブへの怒りに飲み込まれていく。
───あいつが、あいつがアビーを殺した。
仲間たちも同じだろう。
皆、憎むような視線を送りつけていた。
「なんだ、その目は?まさか怒りの矛先を俺に向けているのか?駿河屋光輝、お前が殺したんだぞ?」
「違う。お前がいなければアビーは死なずに済んだんだ」
「俺を免罪符に使うな、勇者。いや、勇者ですらないか。味方を殺すようなやつが、な」
───そうだ、俺がアビーを殺したのは仕方がないことなんだ。違う、俺は勇者だ。俺は殺してない。あいつが殺した。あいつが悪い。俺は勇者なんだ。だから、アビーが死んだのは俺のせいじゃない。
「貴方ねッ!!さっきから黙って聞いてれば何をゴタゴタと分かったような口ばかり!光輝の気持ちも考えずにッ!!!<──」
「うるさい、死ね。<魔斬>」
「──あ…」
───俺は勇者だ。俺が勇者じゃなくちゃいけないんだ。違う。俺こそが勇者に相応しいんだ。
「よくもアーニャをッ!<盾突撃>!」
「<魔斬>」
鈍い音と共にカイルが倒れる。
───アビーも、アーニャも、カイルも。勇者だから…勇者だから?勇者ってなんだ?勇者は……勇者は何故必要なんだ?ただ、俺は勇者で…
「光輝さんっ!どうにかしましょう!光輝さん!」
───ルーナか。うるさいな。第一…
「うるさい!お前如きが勇者である俺に話しかけるなッ!」
「え?」
呆けたような顔を見せるルーナ。
───本気で理解できてないのか?やっぱりこいつも無能じゃないか。
「興醒めだな。よもや、ここまで落ちた存在だったか、駿河屋光輝」
「あ?お前はなんなんだよ。さっきか──」
「<炎闘牛鬼>、ルーナだったか?お前に恨みはないが、死ね」
「ちっ」
黒ローブが魔法を使い、俺が無傷であるということは、後ろにいるルーナが死んだのだろう。
ぶっちゃけ、あの無能が死んだところでなんとも思わない。むしろ、殺してくれたことに感謝をせねば。
「仲間が殺されて舌打ちか」
「おい、黒ローブ。俺は勇者なんだ。いや、お前は見る目があるな。俺を最後まで殺さないとは」
「ん?何を言ってる?」
───そうだ、俺こそが勇者なんだ。目の前に現れた悪を打ち砕く、そうでなくてはならない。
「勇者の糧となれ」
───違うな。そうなるように運命は決まっている。
「お前が勇者?仲間一人守れないお前がか?」
「違う。俺があいつらを守らなかったんじゃなく、あいつらが俺に守られなかったんだ」
───こいつも理解できないのか?やはり無能なんじゃないか?
改めて黒ローブを見る。
よく見てみれば、ローブは薄汚れているように見えた。
先程まで何か魔法を使っていたようだが、あいつらを瞬殺することは俺でもできる。
となれば、実力は互角というべきか。
───互角ならば…勇者が勝つものだ。
「何を言っているのか理解に苦しむが……まぁ、いい。死ね」
「<英雄道>」
光輝がスキルを唱えた。
瞬間、光輝の体が黄金の膜のようなもので包まれる。
───確か、ステータス強化だったか?
どの程度の上昇なのかは分からないが、ただでさえ俺よりもステータスの高い光輝と今肉弾戦をするのは不利だ。
元から長期戦に持ち込むつもりはない。
「<黒雷帝>」
その為に強力な魔法を宿したスクロールをいくつか持ってきている。制作費用の関係で数が多いわけではないが、打倒駿河屋光輝には十分だと思われる量を持っていた。
スクロールが消滅し、黒き雷が放たれる。
それは一直線に光輝へと向かっていき、その体を貫かんと喰らいついた。
だが、ステータスが強化されている光輝は伊達ではない。
剣を手に持ち、雷に対抗するよう、振り下ろした。
ズザッ
と。
魔法を斬りつけたにしては異常な音が聞こえる。
黒き雷は霧散し、そこには無傷の駿河屋光輝が立っていた。
───魔法を切り裂く…?スキルの効果か?それとも剣が?
俺は剣を持っていない。
ガーベラの話では、あの剣を持っているだけで女神の関係者だと分かるそうだからだ。
そもそも、俺の剣技よりもガーベラの魔法の方が強いことは火を見るよりも明らかだ。
多少は戦士長に教えて貰っていたものの、キッパリと才能がないと言われてしまっている。
俺の所持しているスクロールは残り10個。
内訳は、<透明化>が2つ、<鎖連捕縛>が1つ、攻撃魔法が7つだ。
<透明化>はその名の通り、自分を透明にする魔法だ。
欠点は動作を行うと解除されてしまうこと。
ドアを開けたり、攻撃したり、そういった動作時に解除されてしまう。
<鎖連捕縛>は3本の鎖が対象を捕縛する魔法だ。
これが中々難しいらしく、生物や物体を指定して縛るのではなく、座標を指定して縛るのだ。
つまり、相手の動きを予測して指定する必要がある。
ただし、使い勝手が悪い分、鎖の強度が高いなどと言ったメリットもあるようだ。
攻撃魔法は光輝に通じるだろうか。
かなり微妙なラインだ。
魔法を斬ったのが<群雄割拠>によるものなのか、剣によるものなのか。そして再使用時間はあるのか、何度でも使えるのか。
情報があまりにも少ない。
「その程度ですか、黒フード?次は俺から行かせてもらいますよ」
「ちっ!<透明化>ッ!」
剣を構えた光輝に、俺は堪らず魔法を使う。
中々厄介な相手だ。
死角から魔法を撃てれば早いのだが、それでも反応してくる可能性がある。
───<鎖連捕縛>で剣を封じ、続けて攻撃魔法で処理……だが、攻撃魔法で死ぬんだよな?
ここでも<透明化>の欠点が出る。
視覚以外の情報も騙さるならば近づいて<支配>すれば良いのだが、足音まで隠せないせいでそれは出来ない。
幸いにも、光輝は今透明化した俺を警戒しているだけで、攻撃までは仕掛けて来ない。
静かに耳をすませている様子から、聴覚を頼りに俺の居場所を突き止めるつもりなのが伝わる。
───仕掛けるなら早めに、だな。
「<鎖連捕縛>ッ!」
俺は先程から歩いていない。
それは光輝に「聴覚も騙されているのではないか」という妄想を抱かせるためだ。
それもあって、あらゆる角度からの奇襲を警戒していることだろう。
だからこそ、同じ場所からの攻撃には驚くだろう。
実際、魔法を避けることが出来ず、光輝の剣は3本の鎖によって拘束されていた。
ただ、それを断ち切る手段はあるのだろう。
直ぐ様、剣を振るように光輝は剣を握り直す。
だが、その隙を与える俺ではない。
「<炎闘牛鬼>ッ!」
連続してスクロールを使い、攻撃魔法を繰り出す。
炎の牛頭が光輝へと向かう。
光輝は鎖を断ち切ろうと剣を動かすも、<炎闘牛鬼>には間に合わず、その攻撃を受けることとなった。
炎が直撃し、光輝の体は後ろへ飛ばされる。
「がはっ!」
───まだ生きている…?
そこで、光輝がまだ生きていることに気がついた。
───まずい…。
同時に、空中で鎖から解放された剣を握り直そうとする光輝の姿が目に映った。
俺は光輝に向かって駆け出す。
剣を握られればお終いだ。
二度と同じ手段は通じないだろうし、<鎖連捕縛>のスクロールはあれがラストだ。
地面へと着地する寸前、光輝はその剣を使い、衝撃を和らげた。
それに向かって全力で走る俺。
光輝もその姿には気付いているようで、俺を殺すべく剣を構えようとしていた。
───やばい…っ!間に合え!
俺は飛び込むように光輝へと迫る。
光輝は剣を使えるように構えを取る。
光輝が剣を振り下ろすべく上段に構える瞬間──
「──<支配>ッ!!」
なんとか間に合った俺の手が光輝に触れ、スキルを発動した。
───勝った。
命懸けの勝負だった。
それをギリギリのところで制し、光輝の支配に成功した俺は、心の中で安心感を覚えると共に、駿河屋光輝を1秒でも早く処理したい気持ちに追われていた。
抵抗もなく、腕をだらんと下げている光輝。
俺はその手から剣を引き抜く。
握る力も強くないようで、先程の彼の身体能力からは想像もできないほど簡単に剣を手に入れられた。
それを両手で持ち、剣を上へと上げる。
「ま、待って!待ってください!」
剣を振り下ろそうとしたその時、突如として目の前の男が話し始めた。
───流石に命を落とす行為には抵抗がある、か。<支配>されようが本人の意思はあるのだから当たり前か。
「一応聞こう」
直ぐにでも殺すべきだろうが、もしかしたら何かあるのかもしれないと思い、俺は一度話を聞くことにする。
「あ、ありがとうございますっ!俺は、俺は勇者です!しかもそこらの無能とは違う!本物の勇者です!」
───”本物”の勇者?……あぁ、天職のことか?
「だから殺すのは考え直してはいかがでしょうか!必ずやお役に立てるでしょう!あなた様に楯突く者からお守りすることも容易ですとも!」
───そうか……。気付いてないのか。
もうこれ以上彼の話を聞くメリットはないだろう。
要するに、自分は選ばれた人間だから生かして欲しい、と。
自分は他とは違うから、無能とは違うから、と。
そんなくだらない自己顕示欲に巻き込まれ、俺は死にかけたのだ。
俺はフードを取り、素顔を顕にする。
その動きで俺の気持ちが揺れたと思ったのか、光輝は嬉々とした表情で俺の顔を見た。
そして、その顔は驚きに染まった。
「────枷月、葵?何故、何故生きている?」
「知る必要はない。まず、抵抗を禁ずる」
逃げられでもしたら厄介だ。
端的に光輝へと指示を出し、俺は剣を再び構える。
逃げたくても逃げられない状況を悟ったか、光輝は顔を絶望に染めた。
「お前は自分が勇者だと言ったな。そうだ、確かにお前は勇者だよ。だがな、覚えておけ。──お前はただの勇者に過ぎないんだよ」
ザシュッ
剣を振り下ろす。
余程切れ味が鋭いのか、光輝の頭はいとも容易く宙を舞った。
その顔には絶望の色があり、死への恐怖を感じられた。
まるで、勇者とは思えない死に顔だった。
・ ・ ・
剣は貰って行きたかったが、光輝の関係者だと思われるのは面倒だ。
ゆえに、ボス部屋の適当な場所に隠しておいた。
指紋検査などがあればバレるのかもしれないが、それは無いと踏んでいる。
あったとすればもっと、効率的に犯罪者を捌けるだろう、という考えからだ。
彼らの死体は<火炎>の魔法で焼却した。
流石に灰塵となった後では蘇生も難しいだろう。
それで出来るのであれば諦めだ。
剣を隠し、死体は焼却。
もちろんめぼしいアクセサリー等は盗んできている。
ガーベラから袋を貰ってきて良かった。ラテラも使っていた、空間魔法が付与されているアレだ。
やることを終え、枷月葵は部屋を出る。
達成感と、女神に一歩近付いた感覚。
枷月葵の中を埋め尽くす感情はそういった、彼にしては珍しく心地良いものだった。
<支配>の効能はどれ程細かく、どこまでを支配するものなのか。
枷月葵がそれを自覚するのは、まだまだ先のことだろう。
>固有スキル<生殺与奪>のスキルレベルをLv3からLv4に変更
これにて1章は完結です。
ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。
2章からは展開が変わっていきます。
魔王や女神、その他諸々……様々な思惑が重なることになりそうです。
これからも読んでいただけましたら幸いです。
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