第21話 あるメイドの話(2)
貴重なスクロールを1つ消費したのは惜しいが、力づくで女性に手を上げようとする奴を見過ごすわけにはいかなかった。
単純な正義感というわけではなく、ただただ不快だっただけだ。
威力を試せる良い機会にもなったことだし、そこは割り切ることとする。
俺は今、助けた謎の美女に手を引かれ、現場から離れているところだ。
流石にあの場に留まり続けるわけにいかないのは俺も同意なので、特に抵抗することなく共に走っていた。
もちろん大通りの方へ出ることとなった。路地裏で男女2人、この世界ならばどういった目で見られるか分からない。地球でさえ怪しいところだろう。
大通りへ行き、そのまま少し走った。
あまり現場からは離れていないだろうところで彼女は足を止め、俺の方へと振り返った。
やはり、美人だ。
この世界の人全員に言えることだが、顔──顔面偏差値とでも言おう、それが高いのだ。
比較対象は地球の日本だが、地球でも稀に見るレベルの美女がわんさかと居る。
彼女はその中でも別格ではないだろうか。そう思わせるほどには美しかった。
「先程は助けていただきありがとうございます」
感謝を伝えられ、俺は少し狼狽する。
だが、直ぐ様意識を現実へと戻し、笑顔で返事をする。
ここ数週間、俺は顔を隠して生活はしていない。リスクはあるが、顔を隠し続けるほうが怪しいと思っての判断だ。
「いえいえ、困っていたようですので当然のことです」
助けた理由は自分でもよく分からない。
ただ、恨みがない人が嬲られるのを見て喜ぶ趣味は無かっただけだ。
本当に、気まぐれに過ぎない。
ただ、
───人を殺す罪悪感はない、か。この世界に来て初めての殺人だが…<支配>同様、罪悪感を覚えることはないんだな。
そんな思いはあった。
「それでも助かったことは事実です。何かお礼をさせてください」
どうするか。
受けない理由もない。
実際、今日はこの後暇だ。
ならば──
「ありがたく受け取らせて頂きます」
──誘いには乗っておくか。
人と話す機会も少なく、もっと多くの人と関わりを持つのは悪いことではないだろう。
「分かりました。とりあえず、ご飯でも食べませんか?」
と思ったのだが、よく考えると金銭を持ち歩いていない。
使う機会が無いのだから当たり前だが、この世界に来てから貨幣文化に一切触れていないことを思い出した。
「もちろん、私から奢らせて貰います。オススメのカフェがあるのです」
───カフェ?この世界にもそういった概念はあるのか。……それにしても、見た目に反して甘い物が好きなのか?
彼女のクールな容姿と話し方からはとても想像ができない。
「分かりました。お願いします」
「はい。それでは行きましょうか」
そんな思考を巡らせつつ、また一方では先程殺した人の処理は大丈夫なのかという不安を抱き、彼女に連れられていった。
・ ・ ・
大通りからやや貴族街寄り、人通りはまだまだ多い商店街のような立地にその店はあった。
現代視点から言えばオシャレさはそこまで感じられないが、この街の中で相対的な評価をするならばかなりオシャレだ。
店に入り、俺たちはテラス席へと向かった。
座ったテーブルは2人用のもの。丸テーブルに向かい合うように座っている。
テーブルの上にはメニュー表と食器。もちろん、メニュー表は俺でも読むことができる。
女神の言っていた”翻訳”というやつだろう。
この世界に来て何度か食事をしているが、文化レベルにしては美味しいものが多い。
美味しいというと上からだが、単純に味の種類が豊富なのだ。
最も驚いたのはマヨネーズの存在だ。
異世界転移モノのお決まりではマヨネーズをはじめとする調味料は存在しないはずなのだが、マヨネーズ・ドレッシング・醤油など、多様な調味料を見つけられた。
以前にも転移者が居たと考えていいだろうか。
女神の態度も慣れたものであったし、もしかしたら勇者召喚も複数回目なのかもしれない。
彼女は慣れた手付きでメニューを開き、俺に向けた。
「オススメはこの──」
メニュー表を指差しながら続ける。
「──特製パンケーキです。是非食べてみてください」
「ではそれでお願いします──そういえばお名前は…?」
「申し遅れましたが、メイと言います」
メイは俺に名前を言うと、店員らしき人に注文を伝える。
態度は丁寧なものだ。彼女の所作言動からはやはり、上品で優雅な様子が感じられた。
「改めてですが、先程は助けて頂きありがとうございました。お名前を聞いてもいいですか?」
名乗るか、一瞬考える。
考えれば、ラテラにもアオイと名乗っているし、今更気にすることでもないのかもしれない。
勇者の名前──枷月葵の名前は周知していない。
ただのアマツハラ出身の人間だと思われるか。
「アオイ、と言います」
「アオイさん、ですか。──出身はどこなのでしょうか?」
何故か神妙な面持ちをするメイ。
アオイという名前に何か印象があるのか。
まさか勇者枷月葵を知っているわけではないだろうから、個人的に関わりがある人物なのか。
「アマツハラの方です。今は観光のようなもので訪れています」
「そうなのですね」
ただ、その表情は直ぐに崩された。
思うところがあっても、俺とそれとは関係が無いと割り切れたのだろう。
「アオイさん、ちなみに午後は予定か何かあったりしますか?」
「予定ですか?ありませんよ」
「もしよろしければ…お礼も兼ねて、何か贈り物をさせてください」
お礼は食事を奢ることでは無かったのか。
それほどの感謝をしているのか。
あそこで俺が助けなければ人生が終わっていたとも考えられるし、感謝の気持ちは当然のものかもしれない。
「あまり高価なものは受け取れませんが、良ければご一緒させてください。この街のこともよく分かっていないので、案内をしてくれると嬉しいです」
「観光で訪れていたのでしたね。でしたらこの街を案内させて頂きます」
メイにとって、この街は慣れたものだ。
目の前の男にとってはそうでないだろうが、だからこそ、観光目的の人間に案内することは容易である。
尤もしたことはないのだが、心の内では少し楽しみにしている自分がいるのは事実だった。
「ありがとうございます」
俺からしても彼女の存在はありがたい。
街を誰かに案内させることはないし、いつもは自分の用事のある場所へしか赴かない。
この機に街を把握しておくのも良いだろう。
「お待たせしました。特製パンケーキ、2人前になります。伝票はこちらに置いておきますね」
と、そこで料理が運ばれてきたようだ。
ここにケーキの見た目とか
「アオイさん、食べましょう」
「そうですね」
文化として、「いただきます」を言うことはない。
俺とメイはフォークとナイフを手に持ち、パンケーキを食べ始めた。
パンケーキにフォークを刺し、そこを切り取るようにナイフを使う。
スッと、柔らかいパンケーキは抵抗もなく切れ、一口サイズのパンケーキが出来上がった。
シロップのようなものが潤沢に使われているパンケーキは、見た目からその甘さが想像できる。
蜂蜜のようなものだろうか、とろりとした透明なシロップから漂う甘い香りは、俺の食欲を掻き立てる役割を十分に果たしていた。
フォークを口に運び、パンケーキを口に含む。
その瞬間、甘い蜜の味が口の中に広がった。
”幸福”の2文字を連想させる甘さに、ふわふわとしたパンケーキの食感。
甘さがくどくなりすぎないよう、パンケーキの味はさっぱりとしたものなのが、また良い。
ふと目の前を見ると、メイもまたパンケーキを口に入れていた。
表情を崩さない彼女だが、少し頬が上がっているような気がする。
余程の好物なのだろう。
「美味しいです。メイさん、ありがとうございます」
「美味しいですよね、ここのパンケーキ。また機会があれば食べてみてください。もしでしたらまたご一緒しましょう」
饒舌だ。
甘い物に対する情熱。
そしてそれを初めて人に語ったかのような嬉しさ。
そこからくる次の誘い。
深い意味があるわけではなく、自分の好物を美味しいと言ってくれる人への友情のようなものを感じ取っているのだろう。
「ぜひ、また食べに行きましょう」
そこからはほとんど無言だった。
俺とメイは目の前のパンケーキに集中し──気づいた頃には全てを食べ終えていた。
・ ・ ・
「アオイさんは魔術師なのですか?」
隣を歩くメイから質問が投げかけられる。
ローブを着ているからそう思ったのだろう。
その質問は想定のうちだ。
「魔術師ではありませんが、魔法の研究をしています」
「研究者の方でしたか。でしたら紹介したい店があります」
「店、ですか?」
「はい。宝石を取り扱ってる店なのですが、錬金術はご存知ですか?」
錬金術。
ある物質から全く異なる別の物質を作り出す魔術のことだ。
これは地球でもある知識だ。もちろん、この世界の錬金術には詳しくない。
「はい、知っていますが…専門ではないので詳しくはないです」
「錬金術は宝石と密接に関わりますから……それ以外の魔術も石との関わりは大きいものですが。どういった研究をされているのですか?」
これも想定内だ。
答えは予め用意していた。
「魔法に対抗する魔法を研究しています。魔法と魔法をぶつけることで魔法を相殺するのではなく、魔法陣自体に影響を与え、魔法の発動をキャンセルさせるようなものです」
ここで<魔術拒否>の話を出しても良かったのだが、<魔術拒否>は戦士長の固有スキルが有する能力の1つらしく、軽々しく他人に言うのは良くないため、控えている。
「そのような研究が行われているのですか。それはアマツハラの大陸では有名なのでしょうか?」
「いえ、俺が個人で行っているだけです」
ふむふむ、と興味深そうに話を聞くメイ。
彼女も魔法に興味があるのだろうか。
「なるほど、そうだったんですね。でしたら尚更、石というのは触れてみると良いかもしれません。我が大陸でしか採れない物もあります」
───特産物のような物か?貴金属…レアメタルのような概念はあるのか?
「それは興味深いです。案内してもらっても?」
「はい、任せてください」
───テンションが少し高い?魔術研究に興味を示してくれている?
メイにとって、宝石集めは趣味のようなものだ。
キラキラしていて可愛いというのが理由で、決して魔術的なコレクションではない。
彼女の部屋には宝石たちを飾るショーケースがあり、そこには各大陸の珍しい宝石までもが集められていた。
俺は彼女に着いて歩く。
食事をとった店よりも更に貴族街に寄っているのだが、宝石を購入する層を考えればそれも当然のことだろう。
「そろそろです」
歩き始めて数分。
慣れた足取りで歩く彼女の後ろに付いていくと、宝石店というには質素な店に辿り着いた。
その質素さは逆に、貴族街の店々と比べれば浮いているほどだ。
「この店です。入りましょう」
店は外観も大事だが、それでも彼女が行きつけというくらいの店なのだから、品揃えはちゃんとしているのだろう。
メイが店の扉を開け、俺がそれに譲られる形で店へと入る。
本来男性がするべきエスコートだな、という思いも生まれるが、その思いは店内を見た途端、かき消えてしまった。
キラキラと光る宝石が360度あらゆる場所に飾られている。
赤、青、緑、紫。金、銀、黒。
ありとあらゆる色が飾られていた。
「いらっしゃい──メイちゃん、久しぶりだねぇ」
「お久しぶりです」
店主はおばさんだ。
話し方や気の良さは近所のおばちゃんと言ったところか。メイは常連なのか、挨拶をしていた。
───というか、この店の常連ということは金持ち?所作や言動から貴族のメイドのような立ち位置か?
正体不明の女だったメイだが、ようやく実態が掴めてきた気がする。
この財力は、かなりの大物貴族のメイド──しかもメイドの中でも立場は上の方だろう。
そうなると、今日は休日か。
店主と話すメイへの気遣いは要らないだろうと考え、俺は店内を回る。
向こうから「あの子は?」のような会話が聞こえるが、努めて無視だ。
入り口付近から店内の宝石を網羅するように見ていく。
そこで、1つの宝石に目が留まった。
それは黄金色の宝石だった。
大きさは親指の爪くらいか。
あらゆる光を吸い込むような輝き。
まるで自分が主役だと主張するかのような色。
そして──見る者を誘惑する”何か”を持っていた。
「坊っちゃん、それが気になるのかい?」
後ろから声が掛けられ、肩がビクッと跳ね上がる。
集中していたが為に後ろの視線に気付いていなかった。
「はい。これは?」
「これは悪魔の石という石さ。世界でも産出量は数少ないんだ。それに目を付けるとは中々お目が高いねぇ。石と精通しているのかい?」
「魔術の研究を少々、と言ったところです。これは幾らなんですか?」
「金貨50枚と言ったところさ。産出量の割には格安なんだよ、こいつはね」
銀貨は聞いたことがあるが、金貨は分からない。
「なぜ安いんですか?」
「悪魔の石は縁起の悪い宝石なのさ。だからこんな名前が付けられている。産出量が少ないが、それ故に掘り当てた者は不幸者と呼ばれるんだよ。実際、これを掘り当てた奴は全員もれなく死んでいるのさ」
「そんな危険なものをなぜ?」
「コレクターだからさね。一度、実物を見たかっただけさ」
さしずめ呪いの石と言ったところか。
「アオイさん、その宝石で良いのですか?」
「良いというのは?」
後ろで話だけを聞いていたメイが声をかけてきた。
「お礼です。何か一つ贈らせてください。遠慮はいりません」
断るべきか、否か。
断らないでおこう。
善意を無駄にするのも気が引けるし、何よりこの石は凄く気になる。
「この石が欲しいです」
「本気かい?死んでも文句は言われちゃ困るよ」
「はい、大丈夫です」
なぜか分からないが、この石からは魅力を感じた。
まるで石がこちらに語りかけているかのような錯覚さえ覚える。
───やっぱりメイさんは金持ちのところのメイドか、お嬢様だったりするのか。お嬢様は一人で出歩かないだろうし…メイドで確定だな。
宝石を贈ると軽く言うメイの素性はほぼ明らかだ。
「分かりました。ではこちらを頂けますか?」
「はいよ、金貨50枚だが……48枚と銀貨50枚に負けるさ」
「それはどうも、ありがとうございます」
メイは袋のようなものを懐から取り出し、店主に直接渡した。
あんなものをどこに隠し持っていたのか。
見るからに重そうだし、今まで持っている気配は無かった。
それと、金貨48枚と銀貨50枚。この言い方から、銀貨は100枚で金貨1枚になるのだろうと推測が付いた。
「それじゃあ、持っていきな」
おばちゃんは丁寧な動作で宝石をショーケースから取り出し、小さな箱へと入れ替えた。
それをゆっくりと俺に手渡しする。
「メイさん、ありがとうございます」
「いえいえ、これはお礼ですから」
人に高いものを買わせてしまった申し訳なさが残る。
メイを一瞥するも、そこまで気にした様子がなさそうなのが救いだ。
「ありがとうございました。また来ます」
「はいよ、またいつでもおいで」
そうして、俺とメイは店から出た。
それから俺はメイに案内され、5件ほど店を回った。
何か買うことはなく、紹介してもらっているという感じだ。
衣服や道具を揃えるための店がほとんどだった。
この街での勝手に困らないための計らいだろう。
俺はそんなメイの思いやりに感謝しつつ、街を回っていた。
メイの紹介が終わった頃には、既に夕方になっていた。
太陽も沈み出し、空は切ない色で染まっていた。
「今日は本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ助けて頂きありがとうございます。救われました」
解散、という雰囲気になり、俺たちは互いに感謝を述べ合う。
「またどこかでお会いしましょう」
「そうですね。その日を楽しみにしています」
何だか社交辞令臭いが、俺たちはそのまま別れた。
互いに連絡手段を確立するわけでも、身分を明かすわけでもなく。
ただ、この一日は不思議と、異世界に来てから始めてゆっくりと出来た気がする。
心落ち着く一日を過ごした俺は、メイがある程度まで離れるのを見届けた後、帰路についた。
・ ・ ・
「只今帰りました、ベール様」
「あら、おかえりなさい、メイ……と、どうしたのです?」
「何がですか?」
普段のメイとは違った表情にベールは気付く。
街でなにかがあったのだろうと推測するが、それは想像もつかない。
「何だかいつもとは違って見えますので、何かあったのかなぁと」
「特に、そういうことはありません。ただ──」
メイは今日出会った男について語り始めた。
街で不良に絡まれたこと。
そこをその男に助けてもらったこと。
アマツハラで魔術の研究をしているらしいこと。
などだ。
それを聞いたベールはにやにやとした表情を作る。
「メイが男と食事なんて──初めてでは?」
「からかわないでください、ベール様。ただお礼をしただけですので」
宝石を贈った話はしていない。
そんな話をすればベールにからかわれることを分かっているからだ。
「メイにも春が来ますかねぇ〜」
「ベール様、おふざけはお辞めください」
低いトーンで注意するメイに負け、ベールは「はいはい」と返事をする。
それすらもからかう口調であるのだが。
「まったくもう…」
メイにとって、彼への行為は全て礼なのだ。
あそこで助けてもらえなければ──後々かなり面倒なことになっていた。
ただ、殿方に助けてもらったのが初めてで、礼の度合いを間違えてしまっただけで。
深い意味など、本当に無かったのだ──。