第2話 異世界転移(2)
俺たちはごくりと唾を飲み込む。
この女神が俺たちを殺し得る存在であり、場合によってはそれを躊躇うことなく実行するだろうということを、頭と心で理解したからだ。
俺たちは流れに従い、テーブルの上にある一つの鑑定盤に触れようとする。
「鑑定できるのは同時に一人までですので、順番にお願いしますね」
同時に触れようとしたからか、女神は注意した。
女神の言葉に忠実に従わざるを得ない俺たちは、全員が一斉に手を引く。
「まずは僕から行きます」
しかし、ここで誰も行かなければ埒が空かない。
それを読み取ったのか、はじめに手を上げたのは光輝だった。
彼は自分の手を恐る恐る鑑定盤に近づけ、ゆっくりと触れる。
瞬間───
お決まりのように、鑑定盤が光を発することはない。
本当にできたのか? と疑問に思ってしまうほどに、静かだった。
「あの……?」
「光輝様、大丈夫です。石盤をよくご覧ください」
女神に言われ、光輝は石盤から手を離す。
俺たち9人は光輝触れていた場所を見つめた。
するとそこには───
名前:駿河屋光輝
天職:勇者
固有スキル:<群雄割拠>Lv1(ステータス上昇系)
と、青白い文字で書かれている。
見れば分かる。これが俺たちにそれぞれ与えられた”強力な能力”なのだろう。
天職が何かは分からないが、言葉通りに受け取るならば、その職に対する才能、とでも言えるだろうか。
「これが、僕に与えられた能力……?」
「光輝様! 素晴らしいですっ! ステータス上昇、しかも固有スキルレベルとなればかなり強力なもの。天職も勇者とは、これは素晴らしい……!」
「えっ? そ、そうですかね……?」
べた褒めの女神と、満更でも無さそうな勇者こと駿河屋光輝。
女神の言い草からして、”固有スキル”と”天職”にはやはり優劣がある。
だからこそ、俺たちは強力な能力を与えられていたと言えるのだ。
「次は俺がしよう」
次に鑑定盤に触れたのは魔夜中紫怨。
恐れる様子もなく、声を上げると同時、スムーズに鑑定盤に触れた。
名前:魔夜中紫怨
天職:司書
固有スキル:<陰陽聖魔>Lv1(聖属性、魔属性の魔法能力)
「紫怨様も素晴らしいです……! 聖属性と魔属性を兼ねて会得できるものなど……この世界には紫怨様しかいないでしょう!」
「そうか……」
クールに対応しつつも、魔夜中紫怨も内心喜んでいそうだった。
彼の考えは良く分からないが、少なくとも不愉快には思っていないようだ。
それから俺たちは次々と鑑定盤に触れていく。一人一人、女神は褒め過ぎじゃないかというくらいまで持ち上げ、褒め続けた。
本心なのか、お世辞なのかは分からないが、これから戦闘経験を積ませる以上、慢心や油断を誘う可能性のあるお世辞は言わないだろうから、本当に強いのだろう。
それぞれの能力は───
名前:桃原愛美
天職:聖女
固有スキル:<聖文神武>Lv1(強化・回復・攻撃系)
名前:夏影陽里
天職:調教師
固有スキル:<海内冠冕>Lv1(召喚系)
名前:夢咲叶多
天職:大賢人
固有スキル:<魔術大典>Lv1(魔術系)
名前:空梅雨茜
天職:剣聖
固有スキル:<風神雷神>Lv1(魔法攻撃・強化、物理攻撃系)
名前:角倉翔
天職:占星師
固有スキル:<震慄創造>Lv1(創造系)
名前:北条海春
天職:総帥
固有スキル:<四面楚歌>Lv1(指揮系)
天職については女神から説明があった。
天職によって、ステータス等に補正があるのだとか。
例えば勇者は全ステータスが1.5倍になり、魔獣・魔族へのダメージが上昇する。司書は記憶能力の強化。聖女はINTの上昇と聖魔法の威力補正。
女神からの説明をところどころ挟み、最後にとうとう俺が鑑定する番が来た。
少しだけ、緊張する。
他の8人の能力はそれぞれ違い、それぞれ強力なものだった。
俺の能力も同じように強力なものに違いない。
俺は満を持して石盤に触れる。
刹那の空白の後、鑑定盤には青白く文字が刻まれた。
名前:枷月葵
天職:斑人
固有スキル:<生殺与奪>Lv1(精神支配系)
俺の能力は精神支配系統らしい。確かに今までの8人にはなかった、特徴的な能力だ。
「はぁ…………」
だが、女神は俺の能力を見て溜息をついた。
溜息? どうして溜息なんだろうか?
精神支配、使い方によっては恐ろしい能力だと思う。それこそ、今までの能力のどれよりも。
「葵様の能力は……お世辞にも優秀とは言えませんね。というか、無能です」
「む、無能……?」
無能という言葉に俺は驚愕した。
「はい。そもそも天職が”ムラビト”な時点でお分かりですよね?」
「で、でも、斑人って村人とは字が違うから何か特別なんじゃ……」
「あのですねぇ……そもそもこの世界にあなた達の世界の言語は存在しないんです。私が召喚の際にある程度の翻訳機能を付与しただけですから、それはきっと翻訳のミスですよ?」
天職村人。これが果たして天職なのかはともかく。
「村人は……どういうステータス補正があるんですか?」
「ステータス補正が唯一ないのが村人ですよ」
嘲笑するように話をする女神。
俺は内心に焦りを覚える。
このままもし要らない存在だと思われたら──確実に捨てられる。
一人にされたら、この世界で生きていくことはできない。
「で、でも!」
「では……ステータスを教えていただけますか?」
「────はい。STRがE、INTがA、DEXがD、AGIがE、VITもEです」
「そういうことですよ。光輝様もよろしければステータスを」
女神の言葉に光輝が反応し、口を開く。
「はい。STRがS、INTがA、DEXがA、AGIがA、VITがSです」
「なっ──!」
同じレベル1で、同じ世界から来たはずなのに。
この差はなんなのだろう。
村人とは、そんなにも無能な天職なのだろうか。
俺は、そんなに無能なのだろうか。
「わかりましたか? それに支配能力って……格下にしか使えないんですよ?」
村人という、どの天職よりも格下の存在では使えないものだと、そう言いたいのだろう。
ただ、それを素直に受け入れられる俺ではない。
「使い方によっては……強いかもしれないじゃないかっ……!」
「んー……。そもそも支配能力って相手に触れないといけないんですよねえ……。試しに私に触れてみます?」
女神は玩具を与えられた子供のようだった。俺という玩具を得て、それを罵倒し見下したいように見えた。
女神に提案された通り、俺は席を立って女神の元まで歩いていく。
女神も同様に席を立ち、俺が触れるのを待っているようだ。
そして、女神の前に立つ。
いざ女神の前に立つと、その美しさと神々しさ、そして女性らしさから、どこに触れて良いものかと躊躇ってしまう。
「早くしてください」
そんな俺を見てか、女神は不快そうな表情を顕にした。
女神に急かされたこともあり、俺は女神の腕に触れようとする。
──。
しかし、俺の伸ばした手は女神の腕に到達することはなく、不可視の障壁に拒まれているかのように、あとちょっとのところで先に進めなくなる。
俺の能力が無能というのはこういうことだったのかと、俺は直感的に理解した。
「わかりましたか? あなたの能力は使えないんですよ?」
「使えない」という部分をやけに強調して女神は言う。
その声色は、先程までの丁寧な対応でもなければ、殺意を込めた時とも違う。
これは───誰かを見下す時に使う声だ。
このままでは殺される気がした。
だから、俺は自分を有効に使える方法を必死に考える。
「だが!! 魔王軍のやつを捕まえて弱らせれば……情報を吐かせられるかもしれないじゃないか!」
そんな必死の抵抗に、女神は深い溜め息をつく。
「それならわざわざ貴方じゃなくてもいいですよねぇ?」
「逆に俺でもいいじゃないか……!」
「あのですね……わざわざ無能な村人なんて天職の人を雇う意味ないでしょう? それに……異世界の勇者がこんな無能だなんて知られたら、女神の恥ですよ」
侮蔑の念を込めながらも、淡々と語り続ける女神に対し、俺は恐怖以上の感情を抱く。
”こんな無能だなんて知られたら”、この言葉から、女神は俺のことを確実に殺すつもりだということが理解できた。
そして、同時に気付いた。女神にとって、最初から俺は見下す対象でしかなかったことに。
そして、使えなければ簡単に切り捨てると、他の勇者に教えつける為の道具であることにも、薄々気が付いていた。
だからこそ、俺は自分を売ろうと必死になる。
どうにか縋りついて、ここで死なないようにと必死に声を上げる。
「だったら隠しておいてくれててもいいっ! その時だけ俺が隠れて能力を使えばいい! それじゃ駄目なのか!?」
「なんでそんなリスクの高いことをしなくちゃいけないんですか? だったら今貴方を処理したほうが楽じゃないですか」
女神の言い分が合理的なことも分かっている。
だが、誰が好き好んで死のうと思うのだろうか。
「それに、衣服とかがあると駄目なんですよねぇ。そもそも、魔王とか邪神と戦える勇者を召喚したのに……」
脚からガクッと力が抜けた。女神になにかされたわけではない。死が目の前に迫った恐怖と、己への絶望によってだ。
「というか、格下支配って……村人軍団でも作るんですかねぇ?」
先程までの隠していた嘲笑ではない。ニヤニヤと笑いながら、女神は完全に俺のことを馬鹿にしている。
それに対し、”特別”という存在が減ることを嬉しく思うのか、はたまた俺の能力が使えないということに賛同しているのか、勇者たちが口を挟むことはなかった。
───いや、誰も死にたくないのだろう。
多分、そういうことだ。
別に、俺に死んでほしいとかじゃない。誰も彼も、自分が可愛いのだ。
それでも、一部に頭のおかしい奴らは居た。女神と同じように、へたりこんだ俺を蔑むような目で俺を見下してくる人も存在するのだから。
「じゃあ……そろそろ殺しますね? 穀潰しの無能なんていりませんから。皆様もよろしいですか?」
あえてそれを聞くあたり、女神もいい性格をしている。
そんな女神の言葉に口を開いたのは桃原愛美だった。
「同郷とは言え、葵さんみたいな無能は私たちには要らないよ?」
キョトンとした顔と声でそういう彼女。
俺は呆気にとられ、彼女のそれは”天然”を作っている演技の一つだろうと理解した。
───人の死をなんだと思ってるんだ!
心の内で怒っても、それが彼女に届くことはない。
ただ、全力で彼女を睨みつけたからか、桃原愛美もこちらに気づいたようで、誰にも見えないような角度で俺に蔑む目を向けた。
それでも、他の7人は無言だ。
俺はその事実が───悲しかった。
”穀潰しの無能”という言葉も、同郷の人間が俺を容赦なく見捨てることも。
好きで召喚されたわけではないのに、能力が無能というだけで殺されそうになっていることも。
その全てが悲しく、悔しかった。
目から涙が流れ出し、目の前が霞む。
「あー、泣かないでください。気持ち悪いです。…………はぁ、死んで下さい」
心底気持ち悪いと思っているのか、少し後退るように離れながら女神は言う。
ただ、その目は未だ俺を嘲笑っていることに変わりはない。
女神が何やら手を前に出す。
魔法か何かわからないが、俺を殺そうとしていることは間違いないだろう。
そしてそれが俺を確実に殺すであろう行為なことも、簡単に感じることができた。
───殺されるのか。
死への恐怖より、寂寥感が俺を襲っていた。
断頭を待つ囚人のように、今の俺は哀れなものだろう。
周りの同郷はどう思っているのか、想像するまでもなくその心情は理解できる。
項垂れる俺には、女神が何をしているのかは分からない。
ただ、自分のすぐ前では、女神が俺を殺すべく何かをしているだろうことは分かる。
そして──女神が俺を殺す為に何かをしようとした瞬間、駿河屋光輝がそれを止めた。
「女神様、お待ちください」
「どうしたんですか? 光輝様?」
俺を殺そうとしたのを止められたからか、女神はどこか苛立っている様子で光輝に振り返る。
テーブルを囲むように未だ椅子に座っている7人の勇者と、女神の前にへたりこんで泣き崩れている俺。
そしてそれを止めんと女神の後ろから来た光輝。
部屋の中にはそんな異常な光景が広がっていた。
「腐ってもコレは勇者です。そこらへんに野放しにして、生きていたら許してあげるというのはどうですか? もしかしたら強いかもしれませんし」
が、それは決して助け舟などではなく、より俺を絶望に陥れる一手だった。
それを聞いた女神は、先程の苛立ちはどこへ行ったのか、満開の笑顔になった。
「あ、それいいですね〜! 流石は光輝様です!」
言葉を紡ぐ気力もなかった。
ただ”能力が使えない”というだけで、どうしてここまで言われる筋合いがあるのか、俺には分からなかった。
他の7人も変わらない。
俺を助けようともせず、まるでそれが”普通”であるかのような顔をしてみせる。
ついさっきまで日本で生きていた、平凡なはずの高校生だったにも関わらず。ここにいる9人の誰しもがそうだったはずなのに。
「どうして……」
「ん? なにか言いました?」
「どうして……こんな扱いを受けなくちゃ」
「葵さん」
俺の言葉を遮ったのは駿河屋光輝だった。
「貴方がそんなに往生際の悪い人間だとは思いませんでしたよ」
「は─────?」
誰だって命の危機が迫れば、必死になるものじゃないのか?
「ていうかさぁ。恨み言とか言ってるなら、今すぐ筋トレでもしたら? STR上がるかもよ〜?」
「…………」
続けて俺を煽る桃原愛美。
「無能なら早く死になさい。こっちだって時間を無駄にしてるのよ」
更に追い打ちをかける夏影陽里。
わけも分からず異世界に召喚され、わけの分からない能力を与えられ。わけの分からない敵を用意されては、わけも分からず殺される。
誰が望んでこんな運命を選ぶのか。
「どうしてって……それは貴方が使えないからですよ?」
「あぁ…………」
絶望という言葉で今の俺は表せない。
気づいてしまった。
コイツらはダメだということに。
価値観が合わない、異世界の”化け物”であるということに。
そしてそれは、とても俺には理解できないということに。
「もういいですね? 転送しますよ? 遺言あります?」
”遺言”と女神は言った。つまり、彼女が今から俺を送る場所は、俺程度では生きていけないような場所なのだろう。
「お前ら……」
自分には関係ないと、関わりたくないと言わんばかりに目を逸らす勇者。
見下すようにこちらを見る勇者。
嘲笑う勇者。
蔑む勇者。
そしてニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる女神。
その全てが憎い。
彼らの強さが、
才能が、
精神が、
その全てが憎く、恨めしい。
そして何よりも、羨ましい。
だから───
絶対にその立場から引きずり下ろしてやる。
「待ってろ……! 確実に殺してやる!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、その場にへたりこんだまま、俺は力の限り叫んだ。
そんな全力の叫びも、彼らは涼しい顔で見下した。
女神は───そのニヤニヤとした仮面を脱ぐことはせず、俺の方に右手を向けた。
青い粒子のようなものが女神の右手に集まってくるような錯覚が見える。
それは死の予兆のように、冷たく、残酷な色で───
「<長距離転移>」
そう女神が呟いた瞬間、俺の下には青白く光る魔法陣が現れ────俺はその場から消え去った。
あたりから嗚咽が消え、静寂と落ち着きが舞い戻った。