第183話 剣を振る理由
お久しぶりです。遅れて申し訳ありません。
インフルエンザになったり、元々書くつもりではなかったパートだったので単純に時間が掛かったり……と散々でした。
代わりに長めです。
敬愛する魔王の兄の後ろ姿を見送り、自身は目の前の敵に意識を集中する。
金髪碧眼のエルフ。宿す魔力は上質で、全身の末端まで魔力で溢れているかのように、神聖な気で満ちている。
右手に握る剣は小ぶりだが、手入れはよく行き届いている。総帥は聖剣に精通しているわけではないが、雰囲気からそれが聖剣であることは一目瞭然だ。
───何をしてくるのでしょうか。
よく、相手を観察する。
全く知らない相手だ。どんな攻撃手段が出てきたとしても、焦らず冷静に対応できるように。
そのためには、事前にある程度準備をしておくことも大切である。
一挙一動、呼吸に至るまで、少しの変化も見逃さないよう、総帥は目を細めて観察する。
───それにしても……
奇妙なモノを作る、と、心底呆れに似た感情を抱いてしまう。
目の前の少女は、不思議なまでに肩が揺れ動かない。呼吸の動作による小さな揺れさえないのだ。
どこかの流派の達人が、達人同士の睨み合いでは呼吸さえ消し、相手に情報を与えない──そんなことを言っていたことをふと思い出す。
目の前の少女の動きはとてもそれには見えないが、もしかしたらそれさえ彼女にとっては作戦である可能性もある。
しかし、そうというよりは、元より呼吸をしていないように感じる。
魔王城に連れてこられた魔力器官を失った女──人造人間であるメイと同じ、人ではないために酸素を必要としない。
たしかにそれ無しで動けるのならば、呼吸を取り除くのは合理的だ。
とはいえ、合理的にのみ作られた生命など、悍しい以外の何物でもないわけで。
その上、生命に対する侮辱とも捉えられる、なんとも神らしい考え無しの行動だ。
「───斬ってしまえば変わりませんが」
尤も、それが人工的であれ天然物であれ、斬ってしまえばその結末は変わらない。
敵として目の前を塞ぐ以上、総帥が躊躇をする必要は全くないのだ。
「…………」
無言を貫くエルフの少女に向かい、総帥は一歩踏み出す。
手に持つは斬魔刀。魔力を斬る、万能の刀だ。
地を強く蹴り、一気に少女まで接近する。
コンマ数秒の間で彼女の目の前に迫った総帥は、構えていた刀を上から振り下ろした。
ジャギッ!
そんな鋭い音が響き、予備動作の少ない総帥の一撃が少女に襲いかかる。
その切先を睨み付けていた彼女は、咄嗟に自身の持つ剣を横に構えた。
ギンッ! と、金属の擦れる音が漏れた。
斬魔刀と聖剣が勢いよくぶつかり、両者の勢いが殺される音だ。
勢いよく振り下ろした反動で、斬魔刀は大きく弾かれる。大した予備動作もなく片手で容易に防ぐ少女の筋力には驚かされたが、想定内ではあった。
弾かれた斬魔刀から手を離し、働く力のまま刀を宙に浮かせる。
その間に空間から別の刀を取り出そうとするも、少女は隙を与えてはくれない。
横に構えていた聖剣を、少女は力任せに構え直す。
片手で受け止めていた反動はかなりあるはずだが、持ち前の怪力でむりやり押し殺したのだ。
「…………」
「───」
それを見て、別の刀を取り出すことは諦めた。
聖剣を持ち直す右手を狙い、すかさず死角から放つ左膝蹴り。
「…………っ!」
想像より綺麗に蹴りが入り、少女の手には衝撃が走る。
反射でバッと手を開いてしまったこともあり、聖剣は宙に投げられてしまった。
咄嗟に掴もうと視線を落とすエルフの少女だが、総帥を前にそれはあまりにも不用心だ。
パッと聖剣に向かって手を伸ばした隙に、先程弾かれた斬魔刀を右手で掴む。
聖剣を拾うために若干前傾姿勢になった少女は、総帥から見て無防備そのもの。
丁度良い高さまで落ちてきていた斬魔刀を右手で掴み、そのまま横薙ぎする。今から聖剣を構えるほどの余裕はなく、無理な姿勢のせいで避けることも叶いそうにない。
───技術がない。
たしかに身体能力は目を引くものがあったが、それだけだ。
戦闘に関する技術はなく、全くの初心者。少しの搦手で容易に隙を晒す。
回避が間に合わないことを悟った少女は、自身の左腕を構える。
横から振られる斬魔刀に対抗すべく、身を守るように華奢な腕を動かすが───
───斬れる。
その細い腕で、総帥の一閃を防ぐのは荷が重いだろう。
腕ごと体まで一太刀で斬る。総帥の技術であれば、それくらいは容易だ。
ギッ!!
「──ふむ」
勢いよく振られた斬魔刀が少女の腕に触れた瞬間、金属がぶつかり合うような音が響き渡った。
聖剣との剣戟を想像させるその音は、少女の腕が人のものではないことを証明するようなもの。それも、斬魔刀を持ってしても斬ることのできない──上質な素材で作られていることを表していた。
すぐさま刀を引き、数歩下がる。
受け止められた以上、聖剣による反撃がいつあってもおかしくないからだ。
斬魔刀を構え直しつつ引けば、少女も無理な反撃は行って来なかった。
前傾姿勢から持ち直すことが最優先だったのだろう。あの姿勢から倒れることなく起き上がれているのは身体能力の凄まじさを発揮していた。
しかし、いくら斬魔刀が魔力を斬ることに特化した刀であるとはいえ、切れ味が鋭いことに違いはない。
使い手の技術も相まって、大抵の物質であれば斬ってしまえるほどの威力を発揮するものだ。
それでも少女の体には届かなかった──このことを考えると、使う刀を変える必要が出てくる。だが、斬魔刀を捨てるということは、魔力に対する手段を捨てるということ。
少女の持つ膨大な魔力は、今行われた戦闘ではさほど消費されていない。身体能力が魔力で強化されていたわけではなかった。
となると、彼女は魔法を使える、という線が捨てられない。斬魔刀を手放すのはリスクが大きい。
───いえ、良いでしょう。
そんな思考の最中、何を思ったか、総帥は斬魔刀を仕舞った。
代わりに空間から取り出すのは、禍々しい黒を纏った一本の刀。白銀の細い刀身は鏡のように磨かれており、纏う黒の魔力と相反してより一層美しく見える。
漆黒の柄を持てば、死を漂わせる魔力が総帥の手に絡みついた。
神剣”死告”。
死そのものを剣の形に落とし込んだ、神器だった物。
かつてこの刀を持った神が居たが、神器として扱うにはあまりにも概念的な側面が強過ぎるために手放した。
生半可な使い手ではその性質に飲まれてしまう。”死”という性質に飲まれる──直接的に言えば、死んでしまうのだ。
忌むべきものとして力を奪われたものの、それでも内面に強大な死の力を秘めている。邪神から魔王に渡り、魔王から総帥に託された至上の一品だ。
総帥がこの刀をなるべく使いたくないのは、周りへの被害が出る可能性の考慮、そして、魔王に授かったこの刀を使って万が一にでも自分が負ければ、それは魔王の敗北を意味してしまうから、だ。
逆に言えば、総帥にとってこの刀を抜くことは覚悟の現れであり、勝利への貪欲な姿勢の意思表示でもある。他にも使える刀がある中でこれを選んだのは、目の前の少女の秘める魔力に出し惜しみしていては、勝負は一瞬で付いてしまう──そう考えたためだ。
対する少女にも、緊張が走る。
見て分かる死の気配。
それが形を持って、たしかに総帥の手に収まっているのだ。
元より出し惜しみをする気はないが、余計手を抜くことが出来なくなった。
本気で、目の前の男を処理しなければならなくなった。
自然な姿勢で、剣を持つ。
腕はだらんと垂れているが、決して油断しているわけではない。構えを知らない──ただ技術がないだけだ。
「──それでは」
タッ! と軽い音がして、風の如く総帥は進み出す。
凄まじい勢いで迫り来る彼から、少女は決して目を逸らさない。切先でも触れることがないように、手に持つ死の剣に意識を集中する。
一瞬の間。
それほど距離が開いていなかったとはいえ、常人には不可能な速さで少女の目前に現れた総帥は、右手に持つ刀を少女の胸目掛けて突出す。
音よりも速く繰り出される突きに、咄嗟に少女は体を横にずらすことで回避するが───
「意味がないことです」
それに対応するように、空振った刀を横に持ち替え、薙ぐような姿勢へと移行する。
本来であれば総帥から距離を取るべきだったが、判断を誤った少女の落ち度だ。
「……<霊火>」
しかし、ただ受けるだけの少女でもない。
突如として彼女の持つ剣が赤く光り出し、魔力が解放された。
魔法陣が描かれることもなく、総帥に向かって炎が畝り迫る。意思を持ち、少女の反撃の意志に呼応しているかのように、威力を増しながら総帥を飲み込まんとしていた。
「────」
横に薙ごうと刀を構え直した総帥ではあったが、流石に炎を気にせず攻撃に出ることはできない。
一度刀を引き、地面を蹴って思い切り退いた。
その間も炎は総帥に迫り来る。
だが、それだけに専念できるのであれば何も問題はない。”死告”を軽く振れば、炎は簡単に霧散した。
───聖剣、ではありませんでしたか。
聖剣かと警戒していたあの刀は、どうやらその部類ではないらしい。
見た限りでは、精霊の力を宿した──精霊剣とでも呼ぼうか。精霊に鍛えられた刀剣は稀ながら存在するものの、自在に属性を切り替えられるものは初めて見た。
聖属性精霊を宿していたために聖剣と錯覚したのだ。今は炎属性精霊に切り替わっている。
およそ、少女の意思で切り替えは可能なのだろう。
精霊魔法であれば、”死告”の性能は十分に発揮できる。精霊を宿すという性質から、”死”という属性は彼女にとって大敵に違いない。
───尤も…………
ダッ!!
地面を蹴る音が耳に入った。
今度は少女からの攻撃だ。
精霊剣は白く光り輝いている。光属性の精霊を宿したようだ。
総帥も迎え打たんと刀を構えた。
精霊魔法は精霊によって行使されるため、魔法の発動にリソースを消費しにくい代わりに、精霊が殺されれば魔法は失敗する。
斬魔刀のように魔力を斬る性質がなくとも防ぐことが出来てしまう、というわけだ。
”死告”の性質上、精霊魔法にはめっぽう強い。斬ってしまえば確実に防げる、斬魔刀で通常の魔法に対抗するよりも簡単だ。
「<霊光>」
肉薄した少女によって、魔法が唱えられる。
少女の周囲5箇所に魔法陣が現れ、そこから光線が放たれた。
光線は眩い光を伴っており、それだけで視界の妨害になりそうなレベルだ。
尤も、総帥がその程度の猫騙しに引っ掛かるはずもない。確実に見極め、回避に徹した。
同時に迫る3つの光線は避け、避けた先に迫る2つは切り伏せる。”死告”の一振りで2つの光線を斬れば、いとも容易く霧散させることができた。
ジャキッ!
その直後、僅か下から金属音が聞こえる。
少女が精霊剣を構えた音、総帥はそう判断し、咄嗟に視線を下に落とす。
予想通り、<霊光>の眩さに隠れて身を低くした少女がそこにはいた。
奇襲のつもりか、精霊剣を今度は黒く染め上げ、総帥の胸目掛けて突き上げるような姿勢を取っている。
「──甘い」
「……<霊闇>」
突き上げを防ぐよう、すぐさま刀を構え直した総帥に対して、少女はまたもや魔法を行使した。
その瞬間、総帥の視界が一瞬揺らぐ。強烈な目眩に襲われたような感覚だ。
「────」
徐々に平衡を取り戻しつつある視界を、無理やり現実に引き戻す。目眩の状態から一瞬で感覚を取り戻した総帥は、まず周囲の確認から入った。
刀の構えは、突き上げに対抗できるようになっている。ならば、この目眩の間に少女が別の手を打って来ていることを警戒すべき、そう考えたためだ。
そんなことを考えていた彼の視界に映るのは、3人の少女。
屈んでいた彼女の姿はどこにもなく、一人は総帥の右側から首を跳ねるように、一人は総帥の正面から眼球を突くように、一人は総帥の左から腕を狙うように位置していた。
───闇魔法、ですか。
精霊剣の色から属性は予想できるが、それ以上に、この幻覚を見せるような効果は闇魔法に近い。
幻影とは違い、あくまで総帥の脳内に対するデバフのような攻撃。錯覚を起こしているだけだ。
冷静に、観察する。
3つ見えるが、本物は1つだけ。他2つは偽物──無視でいい。
咄嗟に避けたくなってしまう眼球への突きも無視して、よく見る。魔力の流れ、精霊の存在──あらゆる判断材料を駆使し、彼は一瞬で判断を下す。
「左、ですか」
眼球を狙う正面、首を狙う右側、その2つは罠だ。
咄嗟に防御に回りたくなるような場所を狙い、同様と誤解を狙った行動。本命は着実にダメージを与える腕への攻撃だった。
敵ながら、良い狙いだと言える。
もしも判断ができない状況であれば、腕への攻撃は許容してしまうに違いない。反射で動いてしまうような位置に本命を隠す、賢い使い方だ。
───技術が無いわけではないのですね。
総帥は冷静に刀を左に寄せる。
幻覚に頼っているからか、攻撃自体は単調なものだ。もちろん、一つだけ本格的ではバレてしまう、なんて理由もあるに違いない。
故に、本物が分かれば防ぐことは簡単だ。
ガギンッ! と、刀剣がぶつかり合う。少女の怪力もあって、刀を持つ右手に大きな衝撃が走った。
力任せに振るわれた剣筋だ。剣の道は初心者に違いない。
それでも、驚異的な身体能力と動体視力で戦っている。ステータスの差が大きな武器であることに違いはないので、決して否定する気はないのだが。
ふと少女の顔を見れば、表情を驚愕に染めていた。
こんな手が通用すると思っていたのか──いや、確かに通用する一手ではあったに違いない。相手が悪かったのだ。
隙だらけの少女に向かい、総帥は刀を構え直す。
その動きを見て初めて自身が危機的な状況であることに気が付いたのか、少女はハッとした表情で精霊剣を変色させた。今度は赤だ。
「<霊───」
しかし、間に合うはずもない。
総帥が刀を構えてから魔法を詠唱し始める──不可能にも程がある。
それでも必死に魔法を唱えようとする。精霊剣を構えたほうが可能性はあるだろうに、なぜ魔法に拘ったのか、イマイチ理解が及ばなかった。
そして、総帥のやる気も削がれた。
なぜだか、このまま刀を振り下ろすのが馬鹿らしく思えてきたのだ。
”死告”を振り下ろす手を止め、代わりに少女の腹に思い切り蹴りを入れた。
「───が、ふッ……」
怪力からは想像できないほど、少女は軽快に飛ばされる。
それに驚くのは、総帥が非力だからではない。むしろ、彼は魔族の中でも高いステータスを持つ方だ。
少女の体格程度の相手であれば、これくらい蹴り飛ばすことは容易。今の行動に対して起きた結果は普通だった。普通だったのだ。
斬魔刀を通さなかった彼女の体が、普通なのだ。それが総帥に驚きと違和感を与えていた。
そして、同時に理解する。彼女の身体能力は、精霊によって自然と強化されていたものなのだと。
<霊火>、精霊魔法の行使に精霊を稼働したから、身体能力を強化していた作用に回らなくなった。考える限り、それが原因だろう。
”死告”の一撃は文字通り必殺だ。身体強化を捨てて反撃を試みるのは悪い手ではない。
「───くだらない」
神剣”死告”が強力、それは事実だ。
しかし、それ以上に彼我の差が明らかだった。”死告”を抜いた自分が愚かに思えるほどに、なぜ相手の力量を見抜けなかったのかと後悔するほどに。
飛ばされながらも体勢を整え、綺麗に地面へと着地する少女を傍目に、総帥は”死告”を仕舞う。
代わりに取り出すのは斬魔刀だ。
対する少女は、再び剣を構え直す。
”死告”を仕舞った総帥を訝しみながらも、睨み付けて。精霊剣は彼女の闘志に呼応するように、七色に輝いていた。
少女が、地を蹴る。
先程までとは比較にならない、重く厚い音。その衝撃で小規模なクレーターを作る勢いで前進を開始した少女の表情は、どこか焦りが見て取れる。
ピュンッ! と風を切る音を置き去りにして、少女が総帥に迫る。
鬼気迫る表情で精霊剣を突くように構えており、精霊による身体能力の強化も先程の比ではないのか、想像よりも遥かに速い。
「<霊風>」
道中、微かではあるが、魔法の詠唱の痕跡も見つけた。風魔法──風精霊による速度強化だ。
全身に風精霊の加護を受けて、少女は迫る。七色に光る精霊剣を総帥の心臓目掛けて、軽快に突出した。
総帥は精霊剣の突きを、刀の先で受け止める。
確かに速いが、無駄が多い動きだ。最速で防御に移れば、ステータスで劣る総帥でも防ぐことは出来た。
続けて、剣先を左に思い切り弾く。<蛇斬>の応用で、受け止めた剣先をずらすついでに弾いてしまうのだ。
込められた力が大きいほど、力を流された先への反動は強くなる。少女のステータスに精霊の加護も含め、かなりの威力で出された攻撃だった為に、精霊剣の切先は勢いよく弾かれてしまった。
ただ、少女もそれで負けはしない。
左に──少女にとっては右だ──弾かれたのであれば、その勢いを利用してくるりと右に一回転。総帥の反撃を遠心力で更に高威力にしてやり返そうという算段だ。
常人の体幹ならばその回転も上手くできないであろう速度で回る少女。少し滑稽に思いながらも、総帥は決してその隙に攻撃を繰り出すことはない。
代わりに、着実に防御の姿勢を取った。完璧だと思い込んでいる少女の反面、総帥からすればこれも無駄な動きでしかないのだ。
もちろん、高威力であることに違いはない。
だが、攻撃には必ず弱点がある。そこを突かれれば無に帰してしまうような、力の弱点があるのだ。
それを上手く見抜き、そこに斬魔刀を合わせて防御する。どれだけ高威力な回転切りだとしても、それだけで総帥の刀に弾かれてしまった。
それでも、諦めない。
左から、右から、次は上から、そして下から、右、左、今度は突いて、上から斬り下ろし───
何度も何度も、精霊の加護を受けたステータスをがむしゃらに使いながら、剣を振り回す。
数秒間に数十度繰り出される剣戟は、それでも総帥には届かない。着実に防がれてしまう。
旗から見れば目で追うのも難しい速度で行われる刀剣のぶつかり合いは、もはや散る火花が美しいと感じるほどかもしれない。少女にとっては必死の攻撃姿勢なのだが、やはり総帥には一歩届かないのだ。
───剣筋は悪くないのですが……
高い能力を持った素人が剣を振り回しているかのような、総帥にとっては幼子を相手にしているような感覚だ。
固有スキルを使うまでもない、純粋な技術による戦い。少女は固有スキルを使って妖精の能力を引き出しているにも関わらず、だ。
無駄な動きが一切ない総帥の刀使いに、無駄の多い少女の剣筋。
そんな彼女の攻撃が届くはずもなく、風精霊の限界か、斬魔刀とのぶつかり合いから剣に宿る魔力が消耗されてきたか、少女の動きは鈍っていく一方だ。
1秒間に数度繰り出される攻撃も、全て完璧に受け切られる。反撃をされないのは総帥にも余裕がないからなのか──いや、そう思わなければやっていけないのが少女の内心だろう。
「どうして、どうして届かないの……?」という彼女の心の内は顕著に動きに現れる。
動きは鈍くなるし、剣筋も雑になる。彼女の闘志に妖精が反応したように、焦れば妖精も力を失っていく。
しかし、これで諦めてなるものか。
連撃が駄目ならば、一撃に力を入れてみよう、と。大きく剣を振りかぶる。
何度も試しているはずなのに、また同じようなことを繰り返すのは焦りからか。
更には、そんな焦りが行動に出ているせいで、彼女の内心は総帥に読み取られている。
「お終いですよ」
ボソッと総帥が呟く。
それと同時、振り下ろした七色の剣は、斬魔刀によって弾かれていた。
ステータスで勝る自分が思い切り振り下ろした一撃が、なぜ軽く刀を振り上げただけで防がれるのか、少女にとってこの状況は意味不明だった。
精霊の力も弱まった今、弾かれた反動を最小限に抑えることもできない。剣を握っていた右手だけは離すまいとした結果、無理な姿勢になり隙が生まれてしまう。
この大きな隙は、逃さない。今度こそ、総帥の反撃だ。
刀を地面と水平に構えて、右足を一歩引く。大きく隙が出来ている今なら、彼女に届く攻撃をする余裕が出来る。
精霊の力が弱まった今こそ、総帥の狙っていたタイミングだった。先程は弾かれたが、今度はそうはさせない。
狙いは人工魔力器官──メイで学んだ人造人間の弱点を、確実に狙う。
「お終いですよ」という言葉通り、総帥と少女の戦いは終幕を迎えようとしていた。
なまじステータスが高いばかりに、無闇な反撃を控えていた総帥。確実に仕留めるためには少女に大きな隙を生ませるしかない。
ようやく、そのタイミングが来た。
そう、思わせることが出来た。
反撃のために──少女に届く攻撃をするために、総帥に生まれる隙。
その隙を彼は、少女にも出来る隙で相殺しようとした。
この瞬間を、狙っていた。
精霊剣に割く精霊のリソースを減らして、伺った隙を。
少女の左手もまた、精霊剣のように虹色に輝き始める。その輝きは精霊剣をも凌駕するほどで、それだけの精霊が彼女の一撃のために集っているのが見て取れた。
「───あぁ、なるほど」
流石に魔力の流れが大きかったからか、総帥の視線が少女の左手に向けられる。
精霊剣を持った右手こそ未だ弾かれた反動で上に持ち上げられているが、左手であれば自由だ。
今まで剣だけに注目していた総帥では、この一撃は避けられない。剣技では優れずとも、戦闘においては少女が一枚上手だった。
「<精霊───」
<精霊光>。神の使徒さえ一撃で消し炭にする、全属性精霊の力を組み合わせた、究極の一撃。
魔力と妖精の力を単純な破壊力に割いているため、その分威力も高いというわけだ。
全属性精霊の力を使えることが前提な上、仲の悪い異属性精霊を同時に使用する手腕が求められる。彼女以外に完璧に使いこなせることはない、ある意味専用の魔法と言っても過言ではないものだ。
虹色の光が少女の左手に集い、高密度のエネルギーを収束する。
コンマ数秒もすれば七色の光が総帥を包み込み、彼を消し炭──いや、炭さえ残らぬ始末にするはずだ。
「──────え?」
そんな、勝ちを確信した瞬間。
少女の左手に、違和感が走る。急速に熱を帯びるような、その上感覚まで遮断されるような───
恐る恐る左手に視線を向け、疑惑は確信へと変わる。
少女の左手は、視線を向けた先にはなかった。
「な────」
咄嗟に退く。
<精霊光>を警戒してか、総帥が反撃を中断したのは幸いだった。
大きく総帥と距離を取った少女は、状況を整理する。<精霊光>の負荷に左手が耐えられなかったのか。
案の定、総帥が動いた様子はない。いや、今までの彼を見る限り、そもそも動いたところで対応は間に合わないはずだ。
精霊に左手を復元させながら、少女はそんなことを考える。
───そんなことを考えているに違いない。
実際には、総帥が左手を斬り落としただけである。少女の認識できないような速度で刀を抜き、斬った。悔しいことに”死告”を使ったことと、固有スキルの能力も使ってしまったのだが。
暖色の光の粒子が彼女の左手に集っている。”死告”による傷なので、いくら治癒に特化した精霊とはいえ時間は掛かるだろう。
総帥も鬼ではない。少女の怪訝そうな表情の理由は理解しているし、必死に治癒をしている中に追撃をしようとは思わない。
───尤も、良い手でしたから。
なんて気持ちもある。
”死告”を抜かされた、抜かざるを得ない状況に持ち込んだ。そういう意味では、総帥は少女に上手く出し抜かれたのだ。
精霊剣に付属するように魔法を使っていたため、魔法単体の攻撃を考慮出来ていなかった。
発動されていれば耐えられなかっただろう一撃だ。総帥の隙を狙っていたと考えれば、良い一手である。
「貴女に問いたいのですが」
「な、なに……?」
ようやく理解が追いついたのか、怯えたような、有り得ないものを見るような視線で総帥を見つめる少女。
左手の治癒はほとんど終わっていて、精霊の治癒力には驚かされるばかりだ。
「先程は抜かぬと決めた剣を抜くことになりました。名前を」
「…………ユーフィリア」
「良い名です。私は貴女に聞きたい。なぜ貴女は剣を振る?」
「……なぜ……?」
自問なのか、彼女は考え込むように俯いた。
そんなこと、考えたこともない、とでも言いたげな反応だ。
「……女神に、そうあれと言われたから。そのために剣を…………でも、私は元々……」
「貴女の剣はがむしゃらですが、真っ直ぐではありません。剣を振る理由を忘れてしまったかのように、虚しく見えました」
「……私は元々、誰かを救うために剣を振るいたかったのかもしれない。そんな気がする」
「あぁ、通りで」
よく考えてみれば、おかしかったのだ。
精霊への理解度、親しみのある少女が、ここまで精霊剣を扱えない。あまりにも不自然だった。
どこか記憶が抜け落ちているような──それこそ、作られた際に誰かの記憶を植え付けられ、その大事な部分が抜け落ちているような感覚だ。
そのせいで、戦闘能力とセンスに対して、技術があまりにもない。
「……それでも私は──女神に言われた通りに……」
「貴女が女神との契約──いえ、支配関係に囚われていることがよく分かりました」
「───支配……?」
記憶のことなどどうでも良い。
しかし、彼女自身に抗う気がないならば、そこまでして殺さなければならないのだろうか。
ユーフィリアには素質がある。ここで潰すのは簡単だが、根も悪ではないように見えるのだ。
ただ、それが主──枷月葵の意思に背くことになる可能性はある。それだけは、総帥の望むところではない。
ならば、女神との支配関係を斬り、彼女は死んだことにしよう。それで良いはずだ。
「いえ、気にしないでください。無駄話を申し訳ありません。お詫びと言ってはなんですが、少々本気を出させて頂きます」
「……それならば、私もあなたを殺す」
左手は完全に元通りだ。
数回グーパーと手を閉じたり広げたりし、不具合がないことを確認すると、ユーフィリアは精霊剣を構え直す。
「ええ────」
総帥は動き出す。
<縮地>だ。地を蹴り、一瞬で彼我の差を詰めた。
ただ、流石は精霊に愛された少女。それも見えているようで、振り下ろすように構えられた斬魔刀を防ぐべく、精霊剣を横に構えていた。
「───できるものなら」
しかし、それがなんだというのか。
今までとは比にならない速度で、総帥は刀を振るう。
精霊剣に斬魔刀が叩きつけられ、ガンッ! という鈍い音と共に両者は弾かれた。
弾かれた精霊剣を持ち前のフィジカルで無理やり立て直す少女。
反撃するほどの隙はないか──と視線を総帥に向けた瞬間には、斬魔刀の切先は自身の胸に向けられていた。
<精霊光>を防いだ時もそうだが、どれだけステータスに差があっても、刀剣の扱い方一つで振る速度には雲泥の差が生まれる。
精霊剣を持ち直すことに気を取られている瞬間さえ総帥から見れば隙でしかなく、止めを打つには十分だった。
今まで手加減をされていたという感覚と共に、諦めの念も湧く。ここまでの差があっては、勝てるはずがないのだと理解した。
総帥はそのまま、ユーフィリアの胸に斬魔刀を突き刺す。人造人間なので心臓があるわけではない。総帥が斬りたいのは、女神ベールによる縛りだ。
───これですか。
魔力を斬る性質を持った斬魔刀と、総帥の固有スキル、魔眼によって成し遂げられる業だ。支配の元を見つけ出し、斬魔刀の標準をそれに合わせた。
そのまま、斬る。支配の縁を断つように、勢いよく斬り伏せる。
人造人間がこの程度の傷で果てるはずはないのだが、負けたと確信した精神的作用からか、ユーフィリアは精霊剣を手放し、倒れ込む。
総帥がそれを支えると、数秒経ってユーフィリアは目を開けた。
自身が総帥に支えられていることに気づき、咄嗟に自身の力で地を踏みしめ、次になぜ生きているのか疑問に思うように自身のあちこちを触り始める。
その様子が面白おかしいが、総帥は決して笑わない。死んだと思いこんでいた人間であれば、普通の反応だからだ。
「…………なぜ?」
「ただ、貴女を殺す意味が見当たらなかっただけです。女神との支配は断ちました。貴女は死んだことにします。好きに生きれば良いでしょう」
敬愛する魔王は、無駄な殺生を好まない。それでも、体裁上はユーフィリアは死んだことにしておいた方が良い。
総帥なりの気遣いだった。
更に、総帥は異空間から一通の手紙とペンを取り出す。
既に何かが書かれている手紙にサラサラと多少の筆を加えると、再度封をしてユーフィリアに手渡した。
「魔族領域の中央にある、ガルヘイアという都市。その都市から少し離れた北側に、マウルという小さな町があります。その町へ行き、この手紙を誰かに渡してください。衣食住の面倒は見てくれるはずです」
技術のない今でもロザリア程度には強いだろうユーフィリアのスカウトも忘れない。出来れば魔王軍に──目の届くところに置いておきたいという思いから、彼女に手紙を与えておく。
その優しさが不思議だったのか、少女は目を丸くして総帥を見つめた。
しかし、何を言及しようと総帥から情報は得られないと悟ったようだ。素直に受け取り、自身の異空間に手紙を仕舞う。
「名前を聞いていなかった」
「──ルイ、と申します。魔王軍の総帥を務めていますが、関係のないことです」
少し突っぱねたような言い方をする総帥だが、彼女はどうやら気にしていないらしい。
「ルイ、ルイね」と口で転がした後に、再度総帥に向き直った。
「ありがとう、ルイ」
そして、先程まででは考えられない真っ直ぐな笑顔を咲かせ、総帥に礼を言った。
流石に予想外で、総帥が驚いてしまうほどだ。それほど、彼女の笑顔が見れるとは思っていなかった。
「いえ、気にする必要はありませんよ」
そんなユーフィリアに応えるように、総帥もまた、彼にしては珍しく微笑んで返答したのだった。