第182話 謀略
止まった時間が、動き出す。
「<零度>」
はじめに動いたのは雫だった。
その剣に特殊な効果が施されているためか、はたまた疲れが溜まっていることもあってか、攻撃を無効化することが出来ていない。回復も追いついていないようで、一先ずは自身を覆うように氷を生成した。
所謂、コールドスリープ状態だ。
一旦死までの時間を引き延ばす。そうして、俺たちが冷静になった時に助けてくれればいい、そういう魂胆だろう。
「…………」
「───ッ!」
それに合わせて、次に動いたのは紫怨と総帥。
<零度>を見て咄嗟に雫から距離を取った紫怨。彼の指に付けられている指輪が、青白い光を発した。
それと同時に、総帥も動き始めている。
空間魔法で取り出した刀を手に、床を蹴って紫怨目掛けて移動する。<縮地>も併用してのことか、その動きは目で追うことがやっとなほどだ。
紫怨が地面を蹴った、ダッ──という音。
総帥が地面を蹴った、タッ──という音。
それらが同時に響き、二人の視線は交錯する。
青白い光に包まれた紫怨に、総帥の刀は容赦なく振るわれ───。
「───」
しかし、それは空を切った。
青白い光──既視感のあるそれの正体は、転移魔法の前触れだったわけだ。
間一髪、魔法の発動が間に合ったおかげで、総帥の攻撃から紫怨は逃れた。転移先はこの空間ではなく、遠くへ逃げたことは容易に想像できる。
二人の刹那的な駆け引きの後、ようやく動き出すのは他の面子だ。
かくいう俺もその一人であった。他のステータスよりも頭一つ抜けて高いINTのおかげで状況こそ整理出来ていたが、体が追いつくには若干のラグがあるのだ。
努めて冷静に、今何をすべきかを考える。
雫の様子など、素人である俺が見てどうにか出来るものではない。それは他の魔族に任せれば良い。
では、紫怨を追うか。
その必要もないと踏んでいる。紫怨が魔王を殺そうと企てる理由はないのだ。紫怨とタクトとの接触は確定している以上、紫怨の目的に魔王の殺害があるとは思えない。
となると───
───女神……
支配能力によって操られていた紫怨が、雫の命を狙った。直前に女神に会いに行っていたようだし、それが一番納得の行く答えだ。
女神が魔王を狙う理由は言うまでもない。
そのための駒として、スパイ的な役割で紫怨を忍び込ませていた。本人にそのつもりはなかっただろうし、<支配>によってこう使われるとは考えてもいなかっただろう。
「追いなさ────」
「「「魔王さ────」」」
紫怨の転移が完了した直後、総帥以外のメンバーも動き始める。
雫の安否を確認するように、なにか動きを見せるわけではないが、皆の視線が雫に集中する。
総帥だけは、配下に指示を出そうとしていた。
雫をどうにかする、それよりも先に主犯を捕まえようという魂胆だろう。
さすが総帥、冷静な判断だ。
しかし、そうして動き出した全員の動きが止まる。
まるで何か恐ろしいものを見たかのように、場には緊張が走った。
───さて……。
妹が死にかけている状態にしては、酷く冷静だった。
この事態を予測できていた──そんなわけがない。全くの予想外の出来事だし、雫を心配に思う気持ちは強い。
ただ、それ以上に。
大切な家族に手を出した、女神に対する怒りが募っていく。
>固有スキル<生殺与奪>のスキルレベルをLv7からLv■に変更
───どうするかな。
紫怨の転移を見る限り、準備は入念だった。つまり、これから紫怨を探そうとするのは難しいだろう。
はじめから殺すつもりで来ていたのであれば、追跡への対策も考えてきているはずだ。
むしろ、紫怨の追跡に時間を使わせる──それこそが女神の目的のように見える。
このタイミングで魔王を狙ってきたということは、女神サイドの動く準備が完了しているということなのだから。
「……兄上、様……?」
紫怨の迎撃のために玉座付近まで移動していた総帥が、おそるおそるといった様子で俺に声を掛ける。
なぜそこまで畏まっているのだろう? と疑問を一瞬抱いたが、魔王が機能を停止している今、臨時でその兄である俺に指示を仰いでいるのだと理解する。
総帥にしては珍しく声に不安が宿っているのも、こんなことが初めてだからに違いない。
「あぁ、魔夜中紫怨を追う必要はない。黒幕は女神ベールだ。まずは女神が動き始めたことを警戒するように。魔王城──ガルヘイアの警備レベルを最大まで引き上げるように」
「はっ、かしこまりました。追跡は本当にしなくても良いのでしょうか?」
「考えてみろ、満を持して魔王に直接襲撃を仕掛けてきたんだぞ? 追跡対策は万全に決まっている。人員を割くのは無駄だ。それより、女神本体を攻める」
「承知致しまし───……女神を攻める、ですか?」
やけにしどろもどろな総帥を傍目に、考える。
女神は今を攻め時と見ているのか、それとも魔族に攻め入る以外の動きを見せるつもりなのか。
どちらもあり得る。
魔王を殺しにかかったからと言って、女神側のガードが緩くなるとは限らないということだ。
であれば、女神の配下への対処も考える必要がある。誰かお供させるべきかもしれない。
ルリが居れば頼むところだが、生憎彼女は休憩中。
ベルゼブブやパンドラを召喚するのには魔力を消費するし、俺への攻撃で召喚が解除される可能性もあるために却下だ。
「総帥、付いてくるように。女神の屋敷に攻め入る。その他の魔族は防衛を強化しろ。参謀、宰相が中心となって行え」
「「はっ」」
「かしこまりました」
一先ずは、これで良い。
雫を放置して行くのは気が引けるが、俺一人ここに残る意味もない。
それに何より──今すぐにでも女神は殺してやりたい。
「行くぞ」
総帥の返事を聞くよりも早く、俺は魔法陣を展開する。
<長距離転移>、転移の魔法だ。当然、<暴食>の効果で強化されているものであり、通常の<長距離転移>よりも魔力効率が良い。
目指す場所は、王都の外れにある女神の屋敷。
何度か転移を繰り返し、出来る限り近づく。総帥は少し遅れてついてきているようだ。
───流石に結界はあるか。
何度か転移を繰り返して屋敷に近付くも、転移で移動できる範囲には限りがある。
転移による侵入を防ぐような結界があるのだ。女神であれば当然、その程度の対策をしていることは想定通りではあるのだが……。
───思ったよりも近付けたな。
どちらかというと、ここまで転移が許されたことに驚いていた。
もっと遠くから──それこそ、王都付近から転移に対策を掛けているとばかり考えていたためだ。
「遅れました」
「ああ」
これを罠だと考えなければ、想定外だが決して悪いことではない。
既に女神の屋敷は目に入る距離まで近付いている。走って行こうと大した時間は掛からないだろう。
ただ───
「バレてるか」
「どうやらそのようです」
ここまで接近すれば、流石に女神には気付かれてしまっている。
その証拠に、俺たちの正面には、行く手を阻むように少女が一人立っていた。
簡単に通してくれるはずがない。そのために総帥を連れてきたのだから、これも想定通りといえば想定通りだ。
「…………」
金髪碧眼の少女。同郷の勇者ではない。
耳が長いのは種族的な問題か。エルフとか、その辺りだろう。
何より、神秘的な雰囲気を感じる。かつて相まみえた天使と似たようなものだ。
それを鑑みると、女神の手駒であることに間違いはない。かの天使よりもピリピリとした緊張感を覚えるのは、それ以上の強者故か。
「総帥、ここは任せる」
「はい、かしこまりました。お気を付けて」
「ああ。……危なくなったら逃げろ」
いつの間に抜刀している総帥を傍目に、俺は少女の横を駆け抜ける。
何らかの妨害を行ってくることも警戒していたが、俺に構っていてはその隙を総帥に狙われると考えたか、視線は総帥に固定されていた。
何の妨げもないまま、俺は女神の屋敷に向かって走る。
ここから女神の屋敷までは1キロもない目算だ。到達に1分は掛からないだろう。
───一人なわけもないよな。
なんてことを思っていたからか、またもや前方に敵が見える。
今度は少年──タイミングを考えても、女神の手駒に違いない。
「あはは、ごめんね。ここから先は通れないんだ」
「…………」
魔王城の警備より、もっと人員を連れてくるべきだったかと今更ながら後悔する。
エルフの少女に総帥を切ってしまった以上、この少年は俺自身の手でなんとかしなくてはならない。
面倒だ。
「と思いましたねぇ? えぇ、拙にお任せください」
「──パンドラか」
「はい、はい。コレは拙が処理しておきますので、気にせず先へとお進みくださいねぇ」
任せていいものか? と思ったが、パンドラの召喚に魔力を使っていないことに気が付いた。
魔力的な問題にならないのであれば、この場はパンドラに任せても良さそうだ。
「分かった。頼んだ」
「ねぇ、なんで僕を無視するのかなぁ?」
「えぇ、拙に頼ってください!」
少年の横を駆け抜け、女神の屋敷を目指す。
何か言いたげな少年が俺の方に視線を向けてきたが、パンドラが牽制してくれたようで、攻撃されることはなかった。
屋敷は目と鼻の先──俺は全力でそこを目指すのだ。
・ ・ ・
王都外れ。
女神の屋敷にある執務室にて、彼女はコーヒーを嗜んでいた。
この世界の権力者──富裕層が嗜む飲料といえば紅茶が主流なのだが、女神はコーヒーも好んで飲む。カフェイン中毒というわけではないはずだ。
机を挟んで、女神の前には一人の少女が佇んでいる。
瞳に意思は宿っていない。ただ女神の命令を待機しているような機械じみた印象を受ける。
「どうかしましたか? リリアさん」
そんな少女がピクリと動いたのを見て、女神は問い掛ける。
機械じみた、と言ったが、決して機械ではないのだ。肉体、魔力、魂の3つが揃ったれっきとした生物である。
振る舞いが機械じみているだけであり、何かがあればこのように反応も示す。逆に言えば、反応を示すということは何かがあったということに他ならない。
「侵入者です。魔王軍の総帥と、例の勇者……枷月葵が現れました」
「──はい? なんと?」
「魔王軍の総帥と枷月葵が現れました」
「……? なぜですか?」
「なぜ、と言われても分かりかねますが、事実です」
思考が止まる。
魔王軍の総帥と枷月葵。二人の接点があることはどうでもよく、なぜ今ここに攻めてきたのかが分からない。
こちらの戦力が分散しているタイミングでもないのだ。
───いや、それよりも……
「ユーフィリアさんはどうしていますか? 今日は警備に当たっていたはずですが」
「ちょうど、魔王軍総帥と交戦しているところです」
隠れ偲んでいるわけでもないらしい。
ユーフィリアは対応できているし、魔王軍総帥は足止めできるようだ。
であれば、枷月葵の対処をするだけで良い。陽動を思わせるほどに意味の分からない襲撃だった。
「ルークにも対応させてください」
「はい、分かりました」
「あなたはここにいるように。枷月葵がここまで来た場合、相手取って貰います」
あまりにも急な報告に一瞬頭がフリーズしたが、大した問題ではない。
この隙に魔王が襲撃してきている──とかなら大問題だが、それにしても対抗できるだけの戦力が揃っている。
───目的は何なのでしょう……?
不可解な疑問を胸中に抱きつつも、女神ベールは侵入者の迎撃に駒を動かした。