第179話 2つ目の
「───え?」
血飛沫が舞う。
イブルの体は何かに押し潰されるように──あるいは、内側から爆発するように、一瞬にして粉々になった。
文字通り、外からみれば弾け飛んだように見える。肉塊が飛び散っているわけではないので、実際には押し潰されていたのかもしれない。
何にせよ、パンドラが手を叩いただけで、イブルは死んだ。
その気軽さが、パンドラとイブルの間にある圧倒的な差を表していた。当の本人も飄々としていて、イブルを殺したことに何も思っていなさそうだ。
「葵、大丈夫ですかぁ?」
「あ、ああ……。ありがと────う?」
「どうしたんですか、そんなに怖い顔をしてぇ」
脚の力が抜け、ペタリと地面に座り込んでいた俺は、パンドラは手を取って立ち上がる。
その時、ちょうどパンドラが死角となって見えていなかった彼女の背後に、人影が映った。
ルリ、ベルゼブブ、雫、ラルヴィアの4人は、俺の後ろにいる。つまり、今俺の視界に映っている人影は、彼女等ではない。
「後ろ──ッ!」
「はい? 後ろぉ……?」
俺の言葉を受け、ゆっくりと振り返るパンドラ。
しかしそれよりも早く、影は接近してきていた。
ザシュッ! という音が響く。
何かを斬りつけたような音──正体はもちろん、俺の目の前で起こった出来事だ。
パンドラが背後から斬り付けられた。
瞬く間に鮮血が吹き出し、人影は返り血を浴びる。
「こ、れは……」
騎士のように見えた。
真紅の鎧──返り血を浴びていることは関係なく、元より赤い鎧だ──を纏っており、顔もヘルムで覆われていて確認できない。
重厚なフルプレートは厳つく、対面する者に重圧を与える。
首無し族のように鎧の中が無いのでは? と思ったが、鎧の節々には肉体が垣間見える。鎧を纏った人間、あるいは魔族であることは確実だ。
「ぐぅ……」
真紅の騎士が持つ巨大な剣も印象的だ。
騎士の身長が2メートルを越えているであろうこともあり、それ故に自在に振り回せるようなサイズである。背中から即座にそれを抜きパンドラを斬りつける速度は、いくら疲弊と消耗があるとはいえ、俺が全く反応できなかったほどである。
騎士は大剣に付いた血を振り払うことなく、背負っている鞘に収納した。
所作はスムーズで、どこか優雅さまで感じさせるほどだ。
「大丈夫か! パンドラ!」
「いやいや、拙としたことが油断してしまいましたよぉ……」
騎士は反撃を恐れてか、パンドラに傷をつけたことを確認するとすぐに距離を取った。
手本のような一撃からの、流れるような動作。騎士が強者であることは明確だ。
「葵、大丈夫?」
「兄さん、無事ですか!?」
「大丈夫かい?」
ルリ、雫、ベルゼブブからの心配の声も聞こえる。
ベルゼブブはまだ十分に動けないようだが、ルリと雫はすぐ近くまで来てくれていた。
真紅の騎士が距離を離した隙に、パンドラは背中の切り傷を治癒する。
隙を突かれて攻撃されたこともあり、かなり大きな傷だった。パンドラが小さいこともあり、傷が尚深刻に見える、ということも合わさっているのだろう。
「大丈夫、だけど……」
───それよりも……
心配の声に答えながらも、胸のざわつきに違和感を覚える。
イブルは強力だった。勝ち筋を見いだせず、死まで悟った。
悪魔の力の乱用もあり、そのせいで体はボロボロだ。そこまでのリスクを冒した。
それにも関わらず、こんな胸の騒がしさを感じることはなかった。
嫌な予感──なにか不吉なことが起こるような、そんな感覚だ。
「預言者の死により、封印は解かれた」
意味不明な言葉を、騎士は呟く。
その声は低く、どこか恐怖を覚えるような声色だった。
発声は口からちゃんとしているようで、首無し族の時のようなおかしさはない。鎧の中には生きた人間がいることの証明でもあった。
───聞き覚えが……ある……?
そして、その声には聞き覚えがあるような気がした。
気のせいなはずだ。考えても、こんな声の人に覚えはない。渋いような、それでいてどこか爽やかな、それなのに恐怖を覚えてしまうような、独特で格好の良い声。
親戚にもそんな声の持ち主はいないし、この世界に来てからなはずがない。
だが、気のせいというには妙に引っかかりを覚えてしまう。
思い出せそうで思い出せない──喉のすぐそこまで出てきているのに……そんなもどかしさだ。
「■■■■」
パンドラも負けじとスキルを使う。
騎士がパンドラを見て再び剣に手を掛けたからだろうか。
いくら背中を見せていたとしても、騎士の先ほどの攻撃が速かったことは事実。なにかされる前に仕留めてしまいたい、そんな気持ちがあるのだろう。
右手を広げて騎士に向け、スキルの発動と同時に拳を握る。
現実改変による狙いは明白で、イブルにしたことと似たような攻撃を想定しているに違いない。
対する真紅の騎士は、拳が握られるタイミングとほとんど同時──ほんの少し遅れて、背中から大剣を抜き一閃した。
一見素振りのように見えるものの、明確に何かを狙っているような迷いのなさでもあった。もちろん、距離が離れている俺たちに斬撃が届くことはない。
「はぁ……?」
そんな中、不服そうに声を上げるのはパンドラだ。
理由は言わずとも分かる、騎士がパンドラのスキルを斬ったかのように、現実改変が発動しないのだ。
幻影ではなく、現実への干渉力を多分に含んだ■■■■だ。
結果のみを投影するこのスキルに、攻撃の過程は存在しない。
───結果を断ち切った……?
真偽は不明。
ただ、たしかに言えることが一つ。原理がどうであれ、パンドラのスキルは不発だったということだ。
そして───
「……危ないッ」
結果に啞然とする俺たちに対して、騎士は一瞬で距離を詰めてきていた。
既に大剣を上段に構え、パンドラの目の前に転移してきたかのように現れる。
呆気に取られていたのはパンドラの対応は遅れていた。
代わりに近くにいたルリが咄嗟に前に出て、パンドラを庇うように腕を構える。
ルリでさえ多少対応が遅れてしまっていて、辛うじて受け止める姿勢に入っているだけだ。<凶獣化>を発動しているわけでもないので、拮抗した勝負は期待できない。
「……くっ……」
<凶獣化>を使っていなくともルリの腕は相当な硬さを持っているはずだが、騎士の剣はそれを感じさせることがない。
ザシュッ! という切断音と同時に、ルリの手首に深い傷が入った。
「あぐッ!?」
更には、攻撃の当たっていないパンドラまでもが呻き声を上げる。
何事かと思って彼女を見れば、先ほど治癒したはずの背中の傷が元に戻っていた。ルリへの攻撃に連動するように、パンドラの傷が再び付けられたのだ。
───厄介な……。
一度付けた傷を再発できる能力か。
それも、自身の攻撃に連動させている。ルリへの斬撃にも関わらずパンドラに発動したのさから。
手首の傷をルリは治しているが、騎士の能力を考えるならば、それもまた再発するだろう。
長期戦になればなるほど不利な立場に立たされるのは俺たちだ。
「<散魂>」
それを理解してか、雫が反撃の一手を打つ。
大剣を振り回している割に隙の少ない真紅の騎士は、気付いた頃には大剣を背に仕舞っている。
雫の放ったスキルに対して、■■■■を無効化した時のように剣を振るった。
「<暴食・火愚鎚炎>」
ベルゼブブの回復もあってか、暴食の権能は復活していた。
残り少ない魔力を振り絞り、<暴食・火愚鎚炎>を放つ。
魔法陣から現れる3匹の炎の龍が、剣を振り切り無防備な真紅の騎士に迫る。
彼はそれを目視し、剣では間に合わないと思ったか、手甲を装備している左手で<暴食・火愚鎚炎>を受ける。
炎と左手が衝突した瞬間、ブワッと炎が広がるが、それも一瞬のこと。
<暴食・火愚鎚炎>は騎士に対する有効な手段とはならず、文字通り手で止められた。
<散魂>に続けて<暴食・火愚鎚炎>までもを容易く無力化した騎士のヘルムが、俺に向けられる。
先程までは興味の対象がパンドラだったようだ。預言者の死──それが何を意味するかは正確に把握できないが、タイミングから考えてイブルを殺したことだ。
であれば、殺した本人であるパンドラを注意するのは不思議ではない。
雫やルリに対しては一瞥する程度だった。
それなのに、俺のことは注視している。
なんとも言えぬ寒気を感じた。
「──ウーヌス、居たのですか」
「ウーヌス……?」
「ならば言ってくれれば良いものを。相変わらず人が悪い」
───何を言ってるんだ?
全く話に付いていけない。俺に話しかけているのか疑問に思うレベルだ。
だが、目線は俺を捉えているし、俺に話していることに間違いはないはず。
多分、人違い──ウーヌスと呼ばれる人物と間違っているのだろう。
素直に間違いを教えるべきか、それとも騙すか。
考えている間にも、真紅の騎士は一人で会話を続けていた。
「私としたことが気付きませんでした。どうやらこの場は貴方の物だったご様子。水を差すような真似をお許しください」
動きにくそうな鎧の割に、優雅な所作で一礼する真紅の騎士。
不思議なことに、悪寒と敵意は感じず、目の前の男からは誠意のみを感じた。
そんな様子を見ても反撃しようとするルリや雫を俺は手で制止する。敵対せずに済むのならばこしたことはない、そういった判断だ。
「これ以上世界の均衡を崩すのも良くないでしょう。このお詫びはいつか。それではこれにて」
矢継ぎ早に色々話した後、真紅の騎士は虚空に消えていった。
気付けばパンドラの背後に立っていたし、最後は溶けるように消えていく。まさに神出鬼没の騎士だった。
「なんだったんだ?」
「いやぁ……いくら再生するとはいえ痛いものは痛いですからねぇ……」
数々の疑問を残したまま、無事(?)インテリタスの攻略は完了した。
謎の騎士も去ったし、部屋の奥にはどこかに繋がるであろう扉が用意されている。
「とりあえず、進もうか」
「そうですね」
人工魔力器官──俺たちの求めていた物は目と鼻の先だった。




