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第177話 パンドラの箱

 箱は開かれた。


 主は、その力を受け入れた。


 人が持つ、始まりの罪。

 すべての悪魔の根源となる、始祖の咎。


 右手を前に突き出し、標準をイブルに合わせる。

 この力の本質は、箱を開けたその瞬間、俺の頭に記憶として流れ込んできた。



 ”虚飾”。その力が持つのは、高度な幻影能力だ。

 幻視を起こすような魔法は多々あれど、その全てを凌駕する精度を誇る。


 普通、幻影能力というのは見掛け騙しに使うものだ。相手が魔力探知に慣れていれば、魔力によって構成された幻影部分は容易に見抜かれてしまう。

 当然、幻には現実へ干渉する力はない。それを幻影だと認識できるのであれば、何の問題もないというわけだ。


 もちろん、探知に気を割かせる、魔力を隠蔽することで騙す──そういった意味では決して弱い能力とはいえない。

 それでも、幻影の生成に魔力を使うならば、攻撃魔法を唱えた方が良いとされるのがこの世界だ。

 故に、幻影魔法は他の魔法と比べて発展していない。


 <虚飾(パンドーラ)>が他の幻影能力の追随を許さないほど突出していることには、そういった背景ももちろんあった。

 炎や水、時空や治癒なんかであれば、圧倒的と言えるまでの差は付かなかったのかもしれない。


 しかし、それはそれとして、<虚飾(パンドーラ)>が強力なことも事実だ。

 通常の幻影能力とは違い、現実に干渉する力を少なからず持っている。


 正確には、幻影を幻影と認識していない相手に対して、現実的な影響を与えることが出来る、というものだ。

 例えば<虚飾(パンドーラ)>によって作り出された炎があったとして、その業火に燃やされた対象が、”これは幻影によるものだ”と認識できていなければ、本当に熱さを感じてしまうということだ。感覚だけでなく、実際に火傷を負わせる結果にもなる。


 ある種、行き過ぎた思い込みの力──プラシーボ効果だ。<虚飾(パンドーラ)>によって作り出されたラムネが「癌の治療に効果的だ」と言われ、それが嘘だと気付かなければ本当に癌を治療できてしまう。

 馬鹿げた話ではあるが、それを容易くやってのけるのが虚飾の権能であった。


 更に<虚飾(パンドーラ)>に付け足して言っておくべきことは、魔力の隠蔽も超一流の精度であることだろう。

 つまり、大抵の者であれば、どれだけ目を凝らしてもそれが幻影か現実かを区別できないということだ。幻影だと言われても、「え、本当に?」と疑いから入ってしまうこともおかしくない。

 ともすれば、この魔法が現実に影響を与える可能性というのは非常に高まる。普通の魔法の代替として使うには些かコスパが悪いものの、その非現実性は他の能力から頭一つ抜けていた。



 ここで問題となるのが、<虚飾(パンドーラ)>はイブルに通じるのか、ということだ。これを思案しているのは葵ではなくパンドラである。

 これを考える時点で葵と契約をしていないパンドラではあったが、それはそれとして葵の精神世界内部には侵入できていた。ベルゼブブがやっていたのと同じことだ。


 これまで葵との接触ができなかったのはベルゼブブのせいである。葵とパンドラの接触を恐れ──いや、これ以上悪魔の力を取り入れることのリスクを考慮し、パンドラが表に出てこないように抑え込んでいた。

 葵からパンドラは認識できないが、パンドラから葵は認識できる状態だったのだ。


 イブルによってベルゼブブが引摺り出され、更にはその力を削がれた。今までパンドラを縛り付けていた存在がいなくなったことで、晴れて彼女は自由の身となった。

 葵と契約するための言葉を考え、そして与える力まで考えた。


 イブルという相手に<虚飾(パンドーラ)>で戦うのは、葵では難しい。

 虚飾の能力になれているパンドラ自身であれば、上手く使ってイブルに効果を及ぼすこともできるだろう。しかし、初の虚飾の権能でイブルの相手というのは荷が重い、そう考えた。


 ここで思い出して欲しいのが、”暴食”の権能のことだ。

 暴食の力の本質は、喰らうこと。その上で、物質や魂を魔力に変換し、己の糧とすることができる。


 虚飾の力の本質は、嘘。後戻りの出来なくなった嘘が独り歩きし、やがては現実にまで干渉し始めるというもの。

 これは、虚飾自体が他の能力と融合することが容易であることを意味する。それが”有り得ないこと”だとしても、嘘は現実になるのだから。


 パンドラが目を付けたのは、”暴食”の権能。

 どこまで行っても幻影能力というのは現実への干渉力が問題となる。魔力を”幻影の構築”に割くせいで、現実的なエネルギーを作り出せていないからだ。


 そこで、現実と魔力の変換能力である暴食の力を導入。それと、<支配(ドミネイト)>と”傲慢”も少し混ぜれば完璧だ。


 こうして作られたスキル、<狂乱魔宴(パンデモニウム)>。条件・消費魔力共に並々ならぬものがあるが、能力は現実改変という強力なもの。



「──<狂乱魔宴(パンデモニウム)>」


 標準は、イブル。

 俺がスキルを発動するよりも早く、イブルが何かスキルを使ったような気がしたが──何も効果は及んでいない。

 <狂乱魔宴(パンデモニウム)>の発動によって、イブルのスキルの軌道さえも歪められてしまったのだろう。


「うぐゥッ!?」


 現実改変──因果を無視して結果だけを反映させる力。

 ある意味、魔法といえば魔法らしい能力だ。


 <狂乱魔宴(パンデモニウム)>によって起こったのは、空間の婉曲。

 イブルの右腕付近の空間が歪み始め、結果としてイブルの腕が曲がらぬ方向へと無理やり曲げられた。


 左腕の消失と比べて痛覚を感じているのか、苦しそうに呻き声を漏らすイブル。見た目だけでも痛みが伝わる程の曲がり方なのだ。仕方ないだろう。


「お前────ッ!」


 今度は右脚を狙う。

 イブル自身を改変することは難しいため、その付近の空間を歪めることで間接的にイブルにまで影響を与える。

 今度は握りつぶすように拳をグッと丸める。


「ぐあぁッ!!」


 それだけで、いとも容易くイブルの右脚は潰れ去った。縮小される空間に押し潰され、見えないサイズまで圧縮されたのだ。


 体を支える片脚が消え去ったのだ。当然、バランスを崩してイブルは倒れ込む。


───次は……


 どんな手を隠しているか分からない。一気にトドメを狙うのではなく、着実に力を削ぐべきだ。

 治癒魔法を禁じているのはイブルの方。その制約を解除するのであれば、俺としても回復が叶う。


「ぐ、<Gloria Patri>ッ!」

「まあ、左脚でいいか」


 結界は確かに物理・魔法を防ぐものかもしれない。

 だが、それはあくまで一方から通り抜けることを塞ぐ壁の役割でしかないのだ。結界を挟まずに魔法を使われれば防ぐことはないし、物理・魔法以外を防ぐこともない。


 <狂乱魔宴(パンデモニウム)>が起こす現実改変は、決して俺から放たれているものではない。

 現象を直接、その場に起こしている。

 つまり、結界で防ぐ術はない。


「チィッ!!!」


 <Gloria Patri>など無視し、イブルの左脚は圧縮される。

 苦痛に顔を歪めるイブルの四肢は既に使い物にならず、ただ恨めしそうな視線を俺に向ける他に出来ることはない。


「ああ……」


 そういえば、忘れていた。

 最初に雫とラルヴィアに影響を及ぼした謎の結界、それも壊しておこう。


 意識をすれば、バリンッ! という音と共に結界は崩れ去る。呆気ないものだ。


「兄さん! 大丈夫ですか!?」


 結界が解除されるなり、雫が俺に向かって走り寄ってくる。

 <極光(エウロラ)>によって一度消滅した俺の体だ。たしかに心配は掛けただろう。


「ああ、雫こそ大丈夫か?」

「はい、私は大丈夫です」

「それなら良かった。──心配してくれるのは嬉しいが、ラルヴィアも見ててやってくれ」

「あ! はい、分かりました」


 咄嗟に駆け寄ってきたからか、意識のないラルヴィアが置いてけぼりにされていた。

 流石に心配なので雫に付いていてもらうこととする。


「ベルゼブブ、ルリを頼む」

「…………うん」


 重体のルリとラルヴィアはベルゼブブと雫に任せた。

 俺が意識すべきは、目の前の男。四肢こそ機能していないが、確実に奥の手は残しているだろう。


「なるほど。お前のその力、現実改変か。幻影にしては不自然だと思ったが、どこからその力を手にした? ああ、いや、そんなことはどうでも良い。お前を侮っていたこと、謝罪しよう」

「どうでも良い。早く見せてみろ、奥の手を」


 苦痛に顔を歪めながらも強気な態度を崩さないのは、やはりまだ手が残っているからに違いない。

 ただ、それさえも叩き潰してしまえば問題ないだろう。


「……く、くく! 面白いな、勇者よ! 良い、お前の名を覚えておいてやる。名乗れ」

「──枷月葵だ」

「良い名だ。覚えておこう」


 イブルは捻じ曲がった右腕を無理やり上にあげる。肘が逆に曲がっているので奇怪だが、それよりも集まりつつある神聖な魔力に目が奪われた。


「<Messiah>」


───そういうことか。


 苦痛を感じながらも、余裕の態度を崩さなかった理由は分かった。

 回復する手段を持っていたのだ。イブルがスキルを使えば、欠損した四肢も完全に回復される。


「さあ、来い、枷月葵(カサラギアオイ)。今度は本気で相手をしてやる」

「パンドラ、力を貸してくれ」


 『ええ、拙の力は葵のものですよぉ』と、そんな声が耳元で聞こえた。

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