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第176話 誤った選択

 すべて私のミスだ。


 驕りから来る油断。もっと相手をよく観察していれば、こんなことにはならなかった。

 どうせ、自分が負けることはない。

 能力を過信した私に責任があった。



 生物は、先の時代に生まれたものほど強力な能力を持つ。

 悪魔の中でも最初期に生まれた7柱は皆冠者と呼ばれるほどに強く、生まれる時期が遅くなるほどその力は薄くなる。

 残りの2柱のうち、1柱は原初の悪魔とは少し毛色が違い、もう1柱は後の世代に生まれながらも強力な力を得て、冠者へと上り詰めた悪魔だ。


 そういう意味で、短命な人間は種族的に弱小だ。

 世代を重ねるごとに力は薄まり、数千年も経てば全生物中最弱と言っても過言ではないほどにまで落ちぶれる。

 代わりに器用な性質ということもあり、種族的な強さとは別の強さも持つわけだが……。



 悪魔──それも原初の悪魔の誕生を考えれば、人間に負けることなど有り得ないと言えた。相性の差こそあれど、それでも覆せない力を悪魔は持っている。天使や神の力であれば自分は気付けているし、そうでないならば問題ない。


 そんな考えから油断し、敵──イブルをよく観察もせず、葵の戦いを許容した。

 本来であれば敵の異常性に気付き、逃げるのが最善手だったはずだ。


 イブルは最初期の人間である。

 この世界の人間は悪魔よりも後に作られた生物ではあるが、それでも彼が強力な力を持っていることに変わりはない。

 それも、<暴食(ベルゼブブ)>との相性も最悪。対策まで練られていれば、ベルゼブブに勝ち筋は見いだせない。



 倒れるラルヴィアと始まりの獣(ラストビースト)。結界に拒まれながらも力を振り絞っている魔王。

 そして、今も尚余力のあるイブルという男。


 状況は絶望的にも見えたが、彼女が言いたいのはそういうことではなかった。


「……なんだ、その顔は?」


 悪魔は生物の罪から生まれ、天使は生物の徳から生まれる。

 そういった概念が根強いのは人間なので、悪魔・天使共に人間を元に生まれたと言っても過言ではない。

 また別世界の、本当の意味で原初の人間たちから生まれたの悪魔だ。低位の悪魔はともかく、上位になれば身に罪の力を宿すし、古くから、より強く罪として認識されているほどに能力は強力になる。


 原初の悪魔が宿す罪は、”憤怒”、”暴食”、”怠惰”、”嫉妬”、”色欲”、”強欲”、”傲慢”。人間の奥深くに潜む無意識な罪であり、すべての生物が持つ罪の意識であることからも、私たちは原初と呼ばれる。


 しかし、本当にそうなのだろうか。


 人類が犯した始まりの罪は、この7つの中にあるのだろうか。


「まだ奥の手でもあるのか? 暴食、お前の力は私には通じない。ティフォネとそこの神もこのザマだ。魔王が何やら怒り狂っているが、それもすべて無意味。気付いているのだろう?」


 人は果実を食べるし、箱を開ける。

 たとえそれが”禁じられた行為”であったとしても、いや、禁じられた行為だからこそ。

 人々はその規則を破り、禁忌に手を付ける。


 約束事など、人の前では大きな効力を持たない。

 誰かと交わした約束は、あらゆる嘘──”虚飾”に塗れている。


 誰かを騙し、果実を喰らい、箱を開ける。

 その末に待つのが不幸と罰だとしても、人は騙すことをやめない。


───こんなものは……。


 罪ですらない。罪として認識してさえいない。

 だからこそ、これは”原初”たり得ない。


「──イブル、だっけ」

「なんだ、暴食。命乞いか?」


 無意識の罪でも、罪の意識を持つのが人間だ。

 そんな中で、意識さえ芽生えない、純粋悪。

 ある意味、無邪気な罪、とでも表現した方が良いのかもしれない。


 だからこそ、ベルゼブブにとって、それは最悪の選択肢だった。

 契約者(枷月葵)に迎えさせてはいけない、最低の結末だった。


「君のせいで、葵は苦しむことになる。未来永劫、その選択を悔やみ続けるかもしれない」

「アオイ──あの少年か。彼は天晴だった。私としても殺したくはなかったよ」

「もちろん私の責任でもあるから、こんなことを言う資格はないかもしれないけどね。それでも、葵に酷い試練ばかり課すのは──この世界の残酷なところだよ」

「──? 死んだ者の話に、なんの意味がある?」


 イブルから見れば、ベルゼブブの話していることは滑稽だ。

 枷月葵(カサラギアオイ)の死は絶対。この目で確かめ、魂の消滅まで確認した。

 つまり、この世にもう枷月葵は存在しない。それなのに、そんな男の未来の話をしている。


「あははっ! まあまあ、そんな怖い顔しないで? ちょっと思い出話でもしていいかな?」

「……くだらん」


 意味のない話だと分かっているはずなのに、目の前の悪魔の飄々とした態度が、恐ろしい。

 そんなイブルの心情が顔に出ていたのか、すべて見透かしたようにベルゼブブは話し続けている。


「…………ん……」

「あ、おはよう。ルリ」


 そんなことをしている間に、ティフォネも目覚めた。

 ──どちらかというと意識を失っていたことに驚きだ。意識はありつつ、戦意が喪失しているだけかとイブル思っていた。


「……どうなってる?」

「私たち全員こいつにボコボコにされたって感じだよ」

「葵が居ないけど?」


───面倒だなぁ……。


 始まりの獣(ラストビースト)が目覚めるのは自由だが、暴れられたら堪ったものではない。

 無理にイブルを刺激し、時間を稼げないことだけは避ける必要がある。


「彼は殺した。素晴らしい戦いぶりだったぞ」

「……そう。死ん───ぐッ!」


 しかし、どうやら要らぬ心配だったようだ。

 イブルの能力か、始まりの獣(ラストビースト)はかなり消耗している。それも、愛する人の死を知って仇討ちする力もないほどに。


「くっ……! 動け、動け……ッ! こいつを殺さないとッ!!」


 いつになく真剣な表情で、下唇を噛み締めながら叫ぶ始まりの獣(ラストビースト)

 どれほど強く噛んでいるのか、口元から血が滴っている。


 それでも、地に伏した体は動かない。


 そんな様子を見て、イブルは脅威にならないと判断したらしい。

 足掻く始まりの獣(ラストビースト)も数秒すれば自身の力の無さに項垂れ、場には静寂が舞い戻った。


「彼は──葵は、とても器の大きい人間なんだ」

「──は?」

「世界の均衡を崩した──自身が召喚された一因でもあるルリを許し、そもそも召喚の直接的な原因でもある魔王に対しても、叱ることなく安全を喜んだ。彼を裏切った勇者の一人の罪も水に流し、恩人の体を乗っ取っている神にまで優しさを振り撒いている。ね、すごいでしょ?」

「それがなんだと?」


 心底訳が分からないといった顔を見せるイブルを見ていると、気分が良い。

 これから起こる、ベルゼブブにとって都合の悪いことなど忘れさせてくれるような反応だ。それが面白くて、ついつい話してしまう。


「文字通り、器が大きいんだよ。その意味、分かるだろう?」

「何を言って─────。はい? いえ、そんなはず……」

「だからといってどうこうできるはずもない、と思っているのかもしれないね。けれど、こんな状況でも覆せる存在がいるとしたら?」

「まさか────ッ!?」


 イブルの全身を駆け巡る悪寒。

 鳥肌は止まらないし、背中には嫌な汗がつうと流れている。


 嫌な予感というのは、得てしてよく当たるものだ。

 違和感を感じたのは、先程枷月葵を殺した場所から。

 未来の話をしていたベルゼブブの様子が重なり、咄嗟にその方向へと振り向く。



「<Kyrie Eleison>!」


 案の定、予感は当たってしまった。

 そこに立つのは、一人の男。


 瞬時にスキルを放つ。彼に行動をさせてはマズいと、直感で悟ったためだ。


 しかし、それでも悪寒は拭えない。

 イブルの使ったスキルなど気にもしないように、冷たい目線を向けてくる枷月葵。


 その一挙一動に注意を払う。


「────」


───なに?


 その瞬間、彼が何かを語った。

 それは短く、およそスキルを発動したことは理解できた。


 警戒するイブルだが、彼は後にその無意味さを知ることになる。





◆     ◆     ◆





「あぁ…………」


───俺はまた負けたのか。


 力が及ばなかった。俺の持つすべての力が、あの男には通じなかった。

 完敗だ。守りたかったものも守れず、救いたかった人まで救えない。


 元より自身を勇者だとは思っていなかったが、これではただの疫病神だ。


「……ごめん、みんな」


 俺がメイを救うことを望んだばかりに、皆を巻き込んでしまった。

 ルリも、雫も、ラルヴィアも、ベルゼブブも、関係ない彼女らを、危険に導いてしまった。


「おやおや」

「────? 誰かいるのか?」


 真っ暗な空間。

 今はもう、ここにベルゼブブはいない。


───あれ?


 ではなぜ、ここに呼ばれたのか。

 既視感のあるこの空間に、再び訪れたのか。


 ふと声がして、その方向に振り返る。

 俺の視界に映ったのは、見覚えのない男の姿。フォーマルな衣装をキッチリと着こなす、高身長の──悪魔だ。


「これはとんだ失礼を致しました。それにしても、大変珍しいことです。葵様が弱音を吐くとは。何かありましたか? 私で良ければお話を聞かせて頂きますが」


 誰? という気持ちもあったが、それ以上に吐き出してしまいたいという気持ちもあった。

 いや、心のどこかに希望を持っていたのかもしれない。自分一人では見つけられない解決策も、誰かなら見つけられるかもしれないという期待があった。


「俺は──救えなかったんだ。俺のワガママにみんなを付き合わせて、そのせいでみんなを危機に陥れた。そして、彼女らを守ることができなかった。本当に──自分が無力で嫌になるよ」


 押し留めていた気持ちが崩れるように、目の前の男に俺は気持ちを吐き出す。

 男はそれを頷きながら聞いていた。


「はたして、葵様は悪いのでしょうか? 我儘とは言いますが、結局はそれに付き合う判断をしたのも彼女達なのでしょう。守れなかったと言いますが、第一に、自分の身は自分で守るものです。すべての責任を葵様が負う必要はないのではないですか?」

「──それは、そうかもしれないが……」


 ふと視線を泳がせると、男のすぐ隣に箱が置いてあることに気が付いた。


 紫色で禍々しいデザインのその箱は、開けてはいけない代物だと見ただけで分かる。

 ただ、何故か魅力的で、どうしても開けたくなってしまう。中に何が入っているのだろう? そんな疑問が胸中に渦巻くほどだ。


「待ちくたびれましたよぉ、ルシファー殿。拙にも限界というものがあるのはご存知なのですかぁ?」

「パンドラ。それほど時間は経っていないはずですが。あなたに出てこられると困ります」

「えっと……誰?」


 続いてどこからともなく現れたのは少女。甚平のようなものを羽織っているが、下は何も履いていない。オーバーサイズなこともあって、一見ワンピースのように見えるのでセーフか。


「葵、力が欲しいんですよねぇ? それならその箱、開けてくださいよぉ! 力、お貸ししますよぉ? あの性悪女と違って、対価は求めませんし?」

「……今回はお譲りしますので、私はこれで。葵様、くれぐれも無理はしないよう」

「あ、うん。話聞いてくれてありがとう……」


 男悪魔はどこかへと去っていった。

 残されたのは俺と怪しげな甚平少女だけだ。


「それで、どうですかぁ? 皆を救いたいんですよねぇ?」

「…………」


 悪魔の持ち掛けることだ。ロクでもないに決まっている。

 でも、そうと分かっていても、救える可能性があるのならば、賭けたい。

 既に死んだと言っても過言ではないこの身だ。今更、恐れるものは何もないのだから。


「分かった。だが、一つだけ聞かせてくれないか」

「どうされましたぁ?」


「この箱を開ければ、俺は皆を救えるのか?」


 これだけは、確認しなければならない。

 今度こそ、俺はイブルを殺してみんなを守る。そのための契約と言われれば、俺はどんなことでも厭わない。


 そんな俺の覚悟とも言える意思が少女にも伝わったのか、ニヤリと彼女は笑みを浮かべ、一瞬の後に真剣な表情を浮かべた。


「ええ、もちろん。イブルを殺すことなんて、赤子の手を撚るよりも簡単ですとも」

「……そうか。ならば、契約するよ」


 ゆっくりと、箱に近づいていく。

 思っていたよりも大きいサイズだった。中には何が入っているのだろうか?


 おそるおそる、重い箱の蓋を開く。

 鍵は掛かっていないようだ。


 俺が箱を開けている間、少女は隣で笑みを浮かべていた。薄気味の悪い笑みとも言えたが──手を差し伸べてくれているからこそ、何も言わなかった。


 そうして蓋は完全に開く。

 箱の中には────


「拙の名前はパンドラ。”虚飾”を司る悪魔ですよぉ」


 頭に響いた声と共に、俺の意識は闇へと沈んだ。

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