第175話 リベンジ
意識が戻る。
頭が痛い。
……頭だけではない。全身に激痛が走っている。
───…………。
油断すれば一瞬で意識を持っていかれそうだ。今も頭の中が霞んでいる。
ハッキリとしない意識の中、冷静に視界に注力する。
散漫な注意力を集中させ、目の前の情報をなんとか得た。
倒れるルリに近付いたイブル。
彼は既に目の前まで迫っていた。反応がないルリに容赦なく、イブルは右掌を向けている。
「──やめろ」
「……ん?」
咄嗟に<暴食>を使っても良かったが、避けられて終わりだろう。
残り少ない<暴食>の回数を、こんなことに使うわけにはいかない。
心配性なイブルのことだ。
俺の意識があると知れば、必ず注意をこちらに向ける。
その目論見通り、<暴食>を使うまでもなく注意を引くことが出来た。
「動く余力はなかったはずだが?」
「とんだ大誤算だったな、イブル」
立ち上がり、ルリに向かって歩き始める。
早々にスキルでも魔法でもルリに使ってしまえば良いのに、何を警戒しているのか後ずさっていくイブル。万全の状態を徹底することに拘っている──もしくは、ルリ……ティフォネの力を甘く見積もってはいないのだろう。
窮鼠猫を噛む、とも言う。
これほどルリを追い込んでいようとも、生半可な攻撃で覚醒させてしまうかもしれない。そういった”もしかしたら”の可能性まで潰そうとする。
そうして準備をしてきた長い年月があったのだ。当然なのかもしれない。
「……なぜ動ける? お前の体は十分に損傷していた。治癒が働いている痕跡もない。手足が動かないどころか、呼吸すらままならない状態なはずだ。そんなお前が、なぜ私の前に立ちはだかる?」
「さあ? 見間違えたんじゃないか?」
ラルヴィアも気を失っている。
雫は──意識はあるのかもしれないが、蹲ったままで声も出せなさそうだ。
ゆっくりと歩いてルリに近付く俺に対して、イブルは俺から十分な距離を取る。<暴食>を警戒してのこともあるだろうが、まだ何を隠しているか分からない、という気持ちもあるだろう。
後ろに下がりながらも、「そんなはずはない……」と呟き続けるイブル。実際体はなんとか動いている程度だから、彼の見解に間違いはないのだが。
「今もだ。なぜお前の体が動いているのか、不思議でならない。まるで誰かに操られて無理やり動かされているかのような────ああ、そうか」
何かを理解したかのように、イブルは顔を上に向けた。
自信ありげな表情と、それに見合う声色で、彼は続ける。
「──暴食の力、ベルゼブブか」
「…………」
「魔力に分解する能力に、体を魔力で無理やり動かす力。お前が契約している悪魔はベルゼブブ、そうだろ? ……いや、答えは聞かないさ」
どういう経緯かは分からないが、どうやら契約している悪魔がバレたらしい。
冠者の能力だとバレた時点で時間の問題だとは思っていたが、能力がバレてしまっている以上、今更ベルゼブブの存在が露呈したところで問題はない。
「ところで、この世界の能力には相性が存在することを知っているか?」
「───相性……?」
「能力の優劣ではない。火に水を掛ければ火が消えて水だけが残るように、この世界のあらゆる力には相性が存在する」
いきなり何の講義だ? と思っていると、イブルが何やら右手を動かし始める。
人差し指を立て、空中に小さく円を描くようにすると、そこには魔法陣が現れていた。
金色の魔法陣。輝かしい光は、聖なる属性に類いするものであることが一目瞭然だ。
「まぁ、見ていろ」
描かれた魔法陣に、イブルは右手を突っ込む。
その先が異空間に繋がっているかのように、イブルの手は魔法陣を境に消滅していた。
手首のあたりまで腕を突っ込む。そのまま何かを探るように手を動かし──目的の物を見つけたのか、掴むようにして魔法陣から引っ張り始めた。
剣でも抜くのか? と身構えていた俺にとって、イブルが取り出したものは予想外だった。
「───ぅ……?」
魔法陣から抜き出されたイブルの右手には、何も握られていない。それでも魔法陣はその役割を終えたかのように消えていったので、何か効果はあったはずだ。
そんなことを思っていた矢先、俺のすぐ隣から不格好な声が聞こえた。聞き覚えのある──それどころか、つい先程聞いた声だ。
「ベルゼブブ?」
「──ん? あれ? 引っ張り出されたのかな?」
イブルが魔法陣から取り出したもの──それはベルゼブブだった。
急に呼び出されたベルゼブブにもその自覚はあるようで、不思議がる様子を見せながらも
イブルを睨みつけている。
「たしかに、冠者の力は強力だ。並の人間が持つ固有スキルで対抗することは難しい。ただ、一部は別だ。暴食の力では私には勝てないよ」
「■■」
「<Gloria Patri>」
すかさず、ベルゼブブはスキルを放つ。本質は<暴食>と変わらない、むしろ本家な分調整が可能なために強力なものだ。
正面から迫る■■だが、<暴食>の時とは違い、イブルは結界で受け止めた。
結界が■■によって喰われることはない。あらゆるものを魔力として己の糧にする暴食の権能が、正面から受け止められた。
「無駄だよ、神喰らい。お前の力が根源と交わった以上、私には届かない」
「なに───?」
「<Kyrie Eleison>」
暴食の権能が正面から止められた──その事実に驚愕するベルゼブブ。
それはイブルからすれば十分な隙だったのだろう。次なる一撃は、イブルの方が早かった。
咄嗟に反応して守りの姿勢に入るベルゼブブだが、そんなものはなんの意味も成さない。
警戒など、何の意味もなかった。彼女に襲いかかったのは、”理不尽”そのものだったのだ。
予備動作もなく、ベルゼブブが急に血を吐き、倒れる。
「え───?」
そんな声を漏らしたのは、俺か、ベルゼブブか。
ベルゼブブも意識を失っているわけではなく、なぜこんなことになっているのか理解できていない様子だ。
急に自分が大量に吐血して倒れたのだから、困惑するのも当然だろう。
「……なんだ……これ……?」
そんな率直な疑問を呟くベルゼブブに、イブルは見下すようにして答える。
「お前がベルゼブブである以上、私には届かない。それだけのことだ」
「……ぁぁ、なるほど。そりゃ、私じゃ勝てないわけだ……」
交わされたのは短い会話だったが、お互いに納得する部分があったようだ。
俺には何が何だか分からなかったが、それよりも体の限界が近い。
俺を支えていたベルゼブブが瀕死になったことで、支えられていた俺にも影響が及んでいる。
視界は朦朧とするし、立っているだけでも辛い。
───ルリ、ベルゼブブ、雫、ラルヴィア……。
全員が戦闘不能な状態。
それでも、守らなければ。戦わなければ。
最後の力で、俺は右手を前に向ける。
「なんだ? 最後の抵抗か? ──いや、耳も聞こえていないか」
覚束ない脚で、少しずつ前に進む。
目標は、イブル。視界がハッキリとしないせいで正確な距離は分からないが、それでも少しずつ近付いていく。
「加減をしていたとはいえ、私を追い詰めていたことは事実。その見返りとして、一撃を許してやる」
「やめろ…………やめるんだ、葵」
右手を前に──旗から見ればゾンビのような歩き方なのだろうか。
そんなことはどうだって良いのだ。今はとにかく、イブルを打倒しなければ。
4人を、救うためにも。
トンッ
それから少し歩けば、右手がなにかに触れた。
何か、ではないか。イブルである。
「さあ、何をする?」
「…………<支配>」
そのまま、俺はスキルを行使した。
俺が持つ、固有スキル。対象を支配する、成功すれば一撃必殺のそのスキルを。
────
──
「く、く……」
───あ……?
たしかに触れて使用したのに、成功した感覚が来ない。
「そうか、支配能力か。この私に対して、格下だと言いたいのか」
───失敗、か。
要因はなんだろう。
ガーベラのような問題か、この空間が支配を拒否しているのか、格下でないのか。
何にせよ、失敗したことに変わりはない。
これならば、<暴食>に賭けて使ったほうが良かったかもしれない。
「──不愉快だな。死ね、<極光>」
失敗したということは、もちろんイブルからの反撃を受けるわけで。
朦朧とする視界が、更に白く輝き何も遂には見えなくなる。
そして、意識も消滅した。
最後に何か、聞こえたような気がする。
「兄さんッ!」
「葵ッ!!」
と、そんな、俺を心配するような声だった。