第172話 敬虔なる裏切り者(1)
「<暴食・火愚鎚炎>」
「<Gloria Patri>」
暴食の権能にて放たれる3匹の焔の龍。
複雑な曲線を描くようにしてイブルに迫る3倍の<火愚鎚炎>だが、それを素直に受ける彼ではない。
ルリによる攻撃の時とは違い、今度はイブルもスキルを使って抵抗する。
<Gloria Patri>、結界を構築する類のスキルだ。その強度が如何ほどかは分からないが、少なくとも<暴食・火愚鎚炎>は、黄金の壁によって容易に止められてしまった。
───一筋縄ではいかないか……。
遺跡──真偽どちらのインテリタスを見ても、この男がかなりの魔法・技術の使い手であることは分かっていた。
それこそ、雫よりもずっと長い時を生きているのだ。実力は魔王以上であっても不思議ではない。
<火愚鎚炎>──第5階級に分類される魔法ではあるものの、ちょっと魔法を齧った程度の俺が使ったくらいでは、イブルに傷をつけることは叶わないだろう。
ただ、”スキルで防いだ”という事実がある。
ルリの時はティフォネへの対抗手段として、スキルがなくとも無傷だった。それは、長い時を掛けて準備をしてきたからだ。
対して、俺は対策されていない。だからこそ素の実力では雲泥の差があるのだが、ベルゼブブのバックアップがあれば拮抗できる可能性は十分にある。
「……妙だな?」
「……? なんだ?」
「お前の使った魔法、あまりにも不自然だ。全く知らない魔法陣を無理やり構築している、そんな感じだろうか?」
「──だとしたらなんだ?」
先程から妙に余裕な態度を見せてくるイブルだが、この発言もその一環と言える。
魔法に精通しているからこそ、俺の使った魔法を一目見ただけで性質まで見抜いたわけだ。<暴食>というスキルがバレるのも時間の問題かもしれない。
「いや、なにも? ただ、それを可能としているのがお前の固有スキルの効果だということは分かる。それだけだ」
───短期決戦に切り替える。
バレて対策を取られるより早く、仕留めてしまおう。
魔法では結界で防がれてしまう。ならば、持てる最大の攻撃手段をぶつける他ない。
「<暴食>」
悪魔の力を行使することに、何の躊躇いもなかった。
容赦なく放たれる、暴食の権能。
一直線に、その場にあるすべての魔力を喰らう一撃は、イブルと俺の間にある空気中の魔力まで無に帰していく。
<魔力超過>の効果が感じられるほど、魔力の回収量は多かった。この空間に充満した魔力の量が異常なのだ。
それもこれも、ダンジョンが長期間放置されていたことに起因する。大量の魔獣を生み出してもなお消費し切れない魔力が、空気中に濃密な魔力として放たれていた。
「<Gloria ───ん?」
周囲の魔力を喰らいながら進む不可視の攻撃だが、いくら不可視とはいえ魔力の動きで攻撃自体は察知できる。
他の不可視の一撃と同じように、術者の動きや魔力探知によって<暴食>は認知できるものだ。
イブルもすぐさまそれに気が付き、再び結界の発動を試みた。
正面から迫りくる正体不明の一撃を受け止めるべく、再度発動しようとする<Gloria Patri>。しかし何を思ったのか、両腕を広げたところでスキルの発動を辞め、横に少しズレるように移動した。
音もなく<暴食>はイブルに迫る。
結界で正面から受け止めなかったことは正しい判断だったと言えよう。どんな結界であれ、魔力を使っている以上、結界ごと喰らわれておしまいだ。
とはいえ、イブルの判断が遅れてしまったのも事実。
初めは結界で受け止めようとし、準備をしてしまった。そのせいで回避行動が遅れてしまい、結果として左腕が<暴食>の効果範囲から逃れられなかった。
イブルの左腕は、容赦なく消滅する。
それが有効な一手であったかはともかく、彼に攻撃が通じることは立証された。
「──ふむ?」
イブルが痛みを感じている様子はない。
消失した左腕に視線を落とし、今起きたことの解明をするべく冷静に頭を働かせている。
それから3秒にも満たない沈黙があり、その末に結論を得たのか、彼は口を開いた。
「……魔力そのものへの攻撃か? それにしても──私の結界を破って攻撃できるほどの権能を持っているとは思えないな。人の力ではないのか?」
「<暴食>」
長年の知識故か、すぐに特定されてしまいそうだ。
ならば、それよりも早く倒してしまえば良いだけ。
俺はイブルに向かってまたも<暴食>を放つ。
直線状のスキルのため、この距離であれば回避はされてしまうだろう。だからこそ、その隙を突いて距離を詰める。
「<炎闘牛鬼>」
<暴食>に対して、イブルが何らかの検証を行ってくることも予想通りだ。
自身は回避しつつ、起動上に<炎闘牛鬼>の魔法陣を描く。
当然、<暴食>によって魔法陣は完全に消滅してしまうわけだが、それによってただの魔法では<暴食>に対抗できないことには気が付いただろう。
しかし、その代わりに俺が接近している。
回避するため右に大きく跳んだ先、彼我の差5メートル程度の距離に俺は立っていた。
「<暴食>」
「<聖霊福音>」
至近距離で放たれた暴食の権能に、イブルはすぐさま大きく飛び上がることで回避を試みる。
反射速度は凄まじく、着地と同時に飛び上がっているような勢いだ。それだけでなく、置土産と言わんばかりに天使の魔法まで発動していた。
響く福音を、<暴食>は容易に魔力に変換する。
イブルには大きく距離を取られてしまったが、仕方ない。想定より彼の運動能力が高かった。完全な誤算だ。
───流石に連発し過ぎ、か?
<暴食>を何回か使っているにも関わらず、特に反動のようなものは感じていない。とはいえ、回数は少なく済ませるに越したことはなかった。
「……上位天使の魔法でも対抗できないか。さて、そうなるとお前のその力、かなり上位の権能ということになるな?」
「──<暴食>」
なんとなく、嫌な予感が拭えなかった。
イブルに能力を特定されてしまったら、もう対抗できる策がなくなってしまうような。<暴食>でさえ、彼によって無力化されてしまう気がしたのだ。
多少の焦りを胸中に抱きながらも、俺は<暴食>を放つ。
距離は取られてしまっているため、回避されることは前提だ。どちらかというと、この<暴食>で距離を詰めることが目的である。
「ふむ。<神劇>」
使われる謎の魔法も、<暴食>によって喰らわれていく。
術者本人は既に安全な場所に退避済みだ。引き篭もっていた割にはよく動くイブルだが、その先を見越して今度は1メートル程度まで接近できていた。
「神の魔法でも相殺できない、か。かなり上位の権限を持つ能力だな? 系統からして……冠者の力を宿しているのか?」
「──ッ! <暴食>!」
───バレた……!
時間の問題だとは思っていたが、こうも少ないヒントから正確な答えを当ててくるとは思わなかった。
言い当てられた驚愕から、<暴食>の発動が一拍遅れてしまう。それでも、俺とイブルの距離は1メートル程。彼の回避は間に合わな───
「なっ……」
イブルが俺に接近していた。
すぐ隣で、<暴食>の放たれる俺の右腕を掴み、手を虚空に向けさせている。
何が起きているのか、それを理解するよりも早く、スキルは発動されてしまった。
何もない方向へと放たれる<暴食>。俺のすぐ隣で右手首を掴んでいるイブルには、当然命中していない。
「戦いに慣れていないな。強力な力に振り回されているだけだ。……いや、それが悪いとは言っていないさ。ただ、お前の体はそれ以上、その力に耐えられるのか?」
「<暴───がァッ!」
すぐ隣に密着しているイブルに向かい、俺は左手を突き出してスキルを使おうと試みる。
しかし、イブルがそれを許してくれるはずもなく、脇腹を思い切り殴られた。
勢いのまま宙を舞う俺の体は、暫しの浮遊感の後に強烈な衝撃を覚える。
どれほどの勢いで殴ったのか、俺と部屋の壁がぶつかると、ドゴォンッ! という凄まじい音が響き、同時に目眩にも襲われた。
それでもどうやら壁には傷一つ付いていない様子なのだから、どれだけ硬い材質で出来ているのか、という話である。
そんな軽口を叩いている余裕など、実際にはなかった。
数秒で収まる目眩に耐え、なんとか立ち上がるも、受けたダメージは多大だ。幸いにも<暴食>で回収していた大量の魔力があるおかげで、戦闘不能にまでは追い込まれていない。
「<暴食・完全治療>」
イブルが追撃を仕掛けてこないのを良いことに、一先ずは傷を癒やす。衝撃で全身ボロボロだ。
───……?
「<暴食・完全治療>」
…………
……
魔法が発動しない。
魔力は消費されているのに、<完全治療>が効果を発揮しなかった。
───なぜ……?
そんな疑問に答えるかのように、タイミングよく口を開くのはイブルだ。
彼は勝ち誇ったような口調で、言葉を紡いだ。
「この空間では回復魔法が禁じられている。治癒などできないぞ」
「……チッ」
さて、どうするか。
魔法では防がれる。攻撃手段は<暴食>くらいだ。
<支配>……もあった。触れていた時に試せば良かった。焦っていてそれどころではなかったわけだが──今更になって悔やまれる。
となれば、なんとかして<暴食>を直撃させたい。回復の禁止──その言葉通り、イブルも失った左腕はそのままなのだ。それで彼の実力がどの程度落ちているのかは分からないが、身体の状況では有利であることは間違いない。
───<暴食>でもう一度誘導して、今度は動きを見て<暴食>。密着されたら<支配>、で行く。
これしかない。
今の俺にできる最大限の攻撃手段だ。
「しかし、それでも戦うのは勇者だな。その誇り──いや、泥臭さと言おうか? それだけは評価に値する」
「<暴食>────ッ!!??」
時間が経てば不利になる──そんな思いから焦る気持ち。
そして、調子が良かったからと連発した<暴食>の代償。
放たれた<暴食>をイブルが避ける様子を最後に、俺の視界は暗転した。




