第170話 むかし、むかし、あるところに。
これは、遠い昔のお話。
私たちの世界ができて、ほんの数年の頃。
神は創世に携わり、世界を管理する”システム”も完成していなかった。
それ故、世界の管理には神が密接に関わっており、人々は神々を信仰していた。
「人にとって神は上位存在だ。それを崇拝し、敬うのは至極当然だろう」
未完成な世界。
それを完全にするためには、神々にとっても世界の住人は重要な存在だった。人に生活を営ませ、魔族・魔獣という敵を作り、見守りながら欠陥を見つける。
時に直接人の前に現れ、時には陰ながら、神々によるテコ入れもあり、世界は完成へと近づいていった。
そうして世界が絶妙なバランスを保ち始めたことで、始まりの神は規定を作る。神々による過干渉のせいで、この世界が神域と同じ属性に傾くことのないように。魔界や天界のように、終焉の果てを迎えないように。
今こそ神による直接的な干渉を禁止しているが、当時はそうではなかった。
”法則を捻じ曲げる程度の干渉を禁ず”が、当時の方針。そして神々への縛りとして、相応の対価無しに改変することを禁じた。
つまり、悪戯に世界を変えることが難しくなったのだ。
そうしたいのならば、それなりの対価を支払うように。そこまでして世界にちょっかいをかけたがる神は居なかった。
しかし、そんなことは神々の都合でしかない。
人にはそれを知る由もないのだ。神が人への手助けを止めた、と思われるのも無理はない。
「私はこれを理不尽だと思ったことはない。これまで施しを受けられていたことこそ、感謝すべきだ」
神々の事情は知らずとも、施しを常だと思う者は少なかった。
神から援助を賜れないのならば、自分たちの手で未来を切り拓いていくしかない。そんな決意を固めるほどに、彼らは強かった。
もちろん、神の手助けがなくなった分、世界は不自由に映る。作物の成長は遅いし、天気は荒れるし、病気は流行るし……で。
上手くいかないことの方が多い。栄光を知っているからこそ、苦痛は三割増だ。
それでも、諦めることはなかった。
それ以上の栄光を求め、文明は凄まじい速度で発展していく。農業、医学、兵学、魔法──あらゆる分野で着実な成長を見せていた。
こうして見てみると、かつて縛りによって人々への興味をなくした神も、再び興味を持ち始める。
しばらくやっていなかったゲームを久しぶりにやってみたらどハマリしてしまった、みたいな感じだろうか。
なにせ、一時はどうでも良いと思っていた人々の成長が想像以上に面白く、また干渉したいと思い始めたのだ。
神の手を離れ、一人で歩き始めた人類に、もう一度。余計なお世話だと思うのが普通だが、神にとって人は”下”の存在。自分たちの意欲を満たすことが最優先だった。
神は人に触れ始める。
対価が必要ならば、人に払わせれば良い。狡猾な神の閃いたこの手法が、神々の間に広まってしまったのだ。
とはいえ、一度自立した人々は簡単に神を頼ることはしない。そのチャンスを作るために、神は凶作を起こした。
未だかつてないほどの、不作。持ち得る手段をすべて施しても覆しようのない神の奇跡に、それが神の仕業だと気付かぬまま、人々は窮地に陥れられる。
そしてなんとタイミングの良いことか、神は人々に手を差し伸べた。
事情を知っている者からすれば、白々しいほどの自作自演だ。だが、人々からすれば、未曾有の危機に神々が手助けをしてくれるようなもの。
その手を取ることに迷いのなかった人々に、神は要求を突き付ける。
「神は贄を求めた。それが何に使われたのか、そんなことは知らない。我々の知ることは、贄を捧げれば神が我らを助けてくれる、それだけだ」
生贄を捧げなければ、人類の滅亡だ。
小を切り捨て、人類全体を救う。そのため、人々は喜んで贄を捧げた。
約束通り、凶作は解決した。
神が起こした事態だ。それを収束するのも容易だった。どちらかというと、凶作を起こした対価のために生贄は消費された。
人類史最大の危機を乗り越え、再び歩き始める人々。
──なんて甘い現実があるはずもなく、再び彼らを危機が襲う。
凶作を起こした神とはまた別の神が、今度は魔獣を使った実験を始めた。
あらゆる”魔”の産みの親、始祖の龍ティフォネ。神が産み落とした個体ではなく、全ての生命のルーツとも言われる。神よりも先に生まれていたとか。
百の首を持ち、その全てが世界を焼き尽くすほどのブレスを使えると言われている。神でさえティフォネを殺すことは敵わず、最高位神3柱との戦いでも、ティフォネは圧勝したとされる。
問題視した神により、なんとか手を打ち百の首を散らすことに成功。百揃うからこそ強力な力を発揮できるティフォネは、それだけで数百倍以上は弱体化したと言えた。
それでもティフォネの凶暴性は消え去ることはなく、彼女は散らされた己の首を求めて彷徨い続ける。やがて68の首を食らった1つの個体が現れたが、隙をつかれて神に封印された。
封印されたティフォネを、ある神が世界に放った。他の首を取り込むことで知性を取り戻したティフォネに争いを求む性質はないが、それでも始祖としてあらゆる魔獣を生み落とす。
世界の魔獣が強化され、人々との絶妙なバランスは一瞬で崩れた。
尤も、これは神が予想していたことではない。ティフォネの性質を知ること自体が危険とされていたため、神々は知らなかったのだ。
興味本位でティフォネを世界に解き放っただけ。それが大きな災いを齎すことなど、想像していなかった。
安寧を取り戻した人々に襲い掛かる魔の手。言葉通り、凶暴化した魔獣が襲い掛かり始めた。
これは後の話だが、ティフォネを解き放ってしまった以上、この事態を収束させることは不可能。勇者召喚が行われる一つの要因ともなった出来事である。
「私たちは戦った。魔獣共に敗北するわけにはいかなかった。人類の存続をかけ、我らは一つの生命として戦ったのだ」
しかし、状況は劣悪。
今までが丁度良いバランスだったのだ。それが魔獣側に傾いた。人々がどれほど耐えようと、ジリ貧でしかない。
そこでまたもや現れるのが、神である。
「贄を捧げよ、さすらば助けてやろう」と。今度は前回以上の贄を要求してきた。
正直、人々に余裕はなかった。提示された量の贄を捧げれば、すぐにでも魔獣に押し切られてしまうと思ったのだ。
「それでも私たちは信じた。何も知らない私たちは、神が助けてくれていたことを盲信し、贄を捧げ続けたのだ」
人口の半数以上を生贄として要求された。それでもなんとか、人々は神にそれを捧げた。
神にとってはどれほど面白かったことか。
人は危機であれば簡単に贄を差し出す。どれだけ要求されても飲むぞ、と。
「我が妻子も贄として捧げられた。──信じていたのだ。そうすれば神は我らを助けると。そうせねば人に未来はないと」
贄を捧げれば、約束通り、神は魔獣討伐に力を振るう。
本来許されない範囲の力を、魔獣に対して容赦なく振るった。神域で過ごす彼らにとって、別世界で力を振るうことはさぞ気持ち良かっただろう。
魔獣をあらかた殺し、またもや人々の危機を救った神々。
人類からすれば、やはり神は人を助けてくれるのだ、と思えた。
──その後すぐ、事件は起こる。
面白半分で世界を実験場にしていた神々の動向が、上位の神にバレた。
なぜ世界に手を出すのか? そう聞かれ、彼らは口を揃えて答える。「人々が望んだからだ。勝手に贄を捧げてきたからだ」と。
それでも応じた神々が悪いと、彼らは裁かれた。
そしてそれ以上に、上位神は人々に鉄槌を下すことを決定した。
神に頼るような脆弱な人間。新世界の大多数を占める生物としては不相応だと考えたのだ。
「ある時、神が私たちに宣言した。天罰を下す、と。理由も丁寧に添えられていた。私たちは身に覚えのない罪を着せられ、弁明の余地も与えられぬままに裁かれることとなった」
このとき、ようやく気付いた。
私たちは弄ばれていたのだと。神々は助けてくれていたわけではないのだと。
「私たちは騙されたのだ、と」
あまりにも理不尽。不条理。
行き場のない怒りをどうしてくれようと。
神々に歯向かうか? 魔獣たちに振るわれた力を見て、それが無謀であることは分かっている。
悪戯に奪われた同胞の命。
この恨みを晴らすには、自分たちには力が無さすぎた。
せめて、最後の足掻きとして。
この遺跡を作り、生きた証を残そうとした。だが、逆に言えば、それ以外はすべて壊されてしまった。
天罰の詳細など、語るに忍びない。人々のほとんどは滅び、文明は消え去り、何も残らなかった。
「故に、私は恨み続ける。神を、同胞に意味なき死を与えた理不尽な存在を。そして、守り続ける。我らが生きた証を」
力及ばず、滅びを受け入れるしかなかった人類。
その理不尽を強要した、神々を恨み続ける。そんな怨念の行き場こそ、この遺跡なのだ。
「それから世界の在り方に変化があったことは知っている。魔獣も弱くなったわけではない。神々の不始末を──ティフォネを放置し続けているのだからな」
凶作も、ティフォネも。
元はと言えば神が起こした出来事だ。
「だが、私は始祖の龍を恨んではいないよ」
凶作もティフォネも、決して悪ではない。
そうあれとされた概念が、神によってこの世界に齎されただけ。恨みの矛先をティフォネに向けるのはお門違いである。
それを理解しているからこそ、彼は、彼らは、ただ神を恨み続ける。
神に復讐する機会はなくとも。生きた証までは奪わせまいと、抵抗の術はラルヴィアに披露した通りだ。
男の瞳に宿る、怒りと悲しみ。
今この場にいる神でさえ、彼は許すことはないだろう。全てを奪われた彼だからこそ、その怒りは途方もないはずだ。
「私が恨むのは神だけだ。ティフォネ自身、私たちに危害を与えるつもりが無かったことは知っている。──それでも、何も思うところがないわけではないがね」
男の視線が、ルリに向けられる。
睨みつけるような、明確な敵意の籠もった瞳だった。
そして、それにしてはゆっくりと、冷静に、彼は口を開く。
「────なぁ、ティフォネ」