第164話 滅亡古代遺跡インテリタス(13)
「──どうにかする、って?」
「そうですね、説明しましょう」
ザァー……
ルリの拳を触れることなく防いだ方舟は、方向を転換させて俺たちに船首を向ける。
今まで通りの突進の合図。凄まじい速度で俺たちを押し潰そうとする方舟の攻撃だ。
「今回は右で」
俺の声に合わせ、全員が一斉に右に跳ぶ。
多少速く避けてしまっても、方舟が巨大故に方向が変えにくいという性質を持っているために問題ない。
多大な質量を持つ弊害を遺憾なく発揮してくれている。
ザァー……
ドゴォンッ!!!
雨の音に混ざって、雷が付近の避雷針に落ちる。<創造>で作られた避雷針は”雷を受け止める”という己の役目を遂行し、その上で壊れることもない。
流石は避雷針、先人が作り上げただけのことはある。
「あの力は、絶対的な防御能力でも、時空魔法の一種でもありません」
「……というと?」
「他の要素との接触を拒否する機能のようなものです。──あなた達、異世界人にも分かりやすいようにも言い換えれば、フィルタ機能といったところでしょうか。触れるものと触れないものを自己で選択できるというものです」
───なんだそれ……?
絞り込んで表示させないように、絞り込んで自身に触れさせない。
まるで、この世界で起きている現象、この世界にいる生物の全てが、自分の前では下の存在である、とでも言うような。
そんな、傲慢な能力だ。
「葵は一度目にしたことがあるはずです。あなたの憎む女神ベールがあなたに使った、自身に触れさせないという能力。アレと全く同じです」
ザァー……
女神が俺を煽るために、「触れてみては?」と提案したあの時。
俺の手が女神の体に到達することはなく──<支配>の発動さえ見込めなかった。
余裕がなかった為にその能力について深く考えてはいなかったが、女神の能力として常に頭の片隅に入れてあった。
それと同類……いや、全く同じの能力。
それはつまり、目の前の方舟の持つ力は神と同等──とも言えるわけだ。
「神の力の一端、ということか?」
「そうとも言えますが、正確には違います。かの能力は世界を管理するシステムに与えられるものです。システムだからこそ、この世界で猛威を振るえるのですが───」
一拍置いて、ラルヴィアは続ける。
「───逆に言えば、システム頼りの力でしかありません。本人が持つ力ではないので、より強力なシステムへのアクセス権を持つ相手によって、強制的に剥奪されます」
システムに貸し与えられた能力だからこそ、より偉い存在がシステムに「あの人に預けてるアレ、没収するべきじゃない?」と添えれば能力の貸与は終了してしまう。
主に神が持つ能力ということは、上位神にはその能力は通じないということだ。
尤も───
「あくまでこの世界の話ですので、悪魔の力や天使の力、神の力が無効化されることはありません」
神同士の戦いで、この能力が活躍することはないだろう。
ラルヴィアの力は──神としての能力を剥奪されているために、この世界の物扱いだったのか。
そうなると、ラルヴィアによる権利の剥奪は望めない。
ザバァンッッ!!!
「……<妖護界決>」
そんな話の最中、宙を泳いでいた方舟の周囲から、大量の水が発生し始めた。
大きな部屋を水浸しにするには十分な量の水が、どこからか一斉に現れる。───まるで、大洪水のようだった。
雫が設置していた光源が、雲で隠れる。明るい中、嵐のような雨と雷が吹き荒れるという謎の天気雨状態が終了し、再び薄暗さが戻ってくる。
水も勢いよく発生し続けていた。
ルリが咄嗟に俺たちを囲むように<妖護界決>を展開したおかげで巻き込まれることはないものの、<妖護界決>が完全に水没してしまっている。
どこを見ても水、もう方舟を視認することさえ出来ない。
「結局、どうすれば?」
「フィルタという言葉を使いましたが、まさにその通りです。自分が触れたいと思ったものには触れることが出来ます。つまり──」
さながら、水族館の水中トンネルのようである。
そんな可愛らしいものであればドキドキとワクワクが湧き上がるのだろうが、生憎薄気味悪く雷と雨の音しか聞こえないこの場では恐怖が勝る。人が持つ海への根源的恐怖を刺激されているようだった。
「つまり、方舟の突進がチャンスです。あの質量に立ち向かうのは勇気がいることですが、突進をしている最中は私たちに触れるつもりで来ています。それに合わせて支配能力を使い、方舟を仕留めましょう」
ラルヴィアの提案は、方舟は突進中は俺たちに触れるつもりだから物理的接触は効果がある、というものだ。
俺が女神に触れられなくとも女神は机に触れていたし、自分の意思を持って触れようと思えばフィルタ機能は解除されるのだろう。
なぜ方舟が神と同じ能力を持っているのか、なんてことはさておき。
突進してくる方舟に正面から<支配>を使う。少しでも位置がズレれば俺が轢き殺されるし、そうでなくとも風圧で大怪我を負う可能性も高い。
賭けだ。
そうしなければ勝てないほど追い詰められているとも言える。──というより、元から勝たせる気があるダンジョンには思えなかった。
「一先ず、周りの水をどうにかする必要があります。私の能力では適さないので、ルリと魔王にその役目をお願いします。私と葵で方舟をどうにかしましょう」
「……それは出来ぬな」
「? どうしてですか?」
どうしようもない方舟を倒す希望が見えた。ラルヴィアの作戦に危険はあるものの、可能性に賭けることは悪くない。
そう思っていた俺だが、どうやら雫は反対のようである。
不機嫌な様子でラルヴィアに食って掛かる。
ルリは無言──作戦には賛成していそうだった。
「突進中に攻撃を与えられるならば我でも良い。それこそ、ルリでも良いだろう?」
「確かに問題ありませんが、万が一、一度で仕留めきれなかった際、突進をせずに私たちの魔力切れを待つような戦い方をされる可能性があります。つまり、チャンスは一回と言っても良いでしょう」
「…………うむ、そうだな……」
雫の考えることだから、俺に危険がある作戦に賛成できないとか、そんなところだろう。
ある意味、俺の身を賭けれるラルヴィアだからこそ立案できたものとも言える。ルリは──そもそも作戦を考えないタイプに見える。
「──しかし、洪水の対処をルリ一人に任せ、我が兄さんの護衛に入っても良いだろう? ラルヴィア、一人で守り切れるのか?」
「この量の水をルリ一人では厳しいでしょう。いえ、ルリならばやり切るでしょうが、魔力を考えるべきです。
私一人で守り切れるかどうかは分かりませんが、最善を尽くします」
「最善を尽くす? そんな曖昧な表現で兄さんの命を───」
「雫」
「魔王様」
雫なりに俺を気遣ってくれるのは嬉しいが、少し過保護すぎるというか……。善意なのは勿論分かっているのだが……。
ラルヴィアをもっと信頼しても良いとは思う。雫にとってどうであれ、俺がラルヴィアに任せても大丈夫だと思っているのだから。
と思い口を開けば、意外にもルリも雫に語りかけていた。方針に合わせることが多いルリにしては珍しい。
「……ラルヴィアを信じろとは言わないけれど、あなたはあなたの兄を信じるべき。そして、兄が信じる人を信じてあげるべき。今のあなたはお節介。善意の押し付けは、愛じゃない」
「…………む……」
「そうだぞ、雫。俺は大丈夫だ。たまには俺にも頼ってくれ」
「……………」
離れ離れになってしまった実兄との再開。300年ぶりの家族を大切に思う気持ちは俺以上のものだろう。
そんな雫の思いと、俺たちの言葉が彼女の胸の内で戦っている。その葛藤を表すように、雫の表情は険しいものへと変わっていく。
少し、ほんの数秒の時を経て、雫の中で何か変化があったらしい。
相変わらず表情は険しく、渋々……どうしてもと言うなら……と先頭に付けるような口調ではあるものの。
「……そこまで言うなら、兄さんを信じます。この大洪水は任せてください」
と、決心を固めてくれたようだ。
説得に一役買ってくれたルリには感謝である。近くで雫を支えた彼女の言葉だからこそ、雫の耳に届いたのだろう。
それにしても、ルリのラルヴィアへの信頼の高さは驚きだ。2人の時に何かあったのかもしれない──今度聞いてみようと心にメモをしておく。
「それでは、始めましょう。葵は私から離れないように」
「分かった」
「……魔王様」
「うむ? どうする?」
「火で、全部蒸発させる」
ルリの強引なやり方に、雫は一瞬キョトンとした表情を見せる。
しかし、それもルリらしいと、面白いとすぐに納得したようだ。彼女にしては豪快な笑みを見せ、ルリに返答する。
「良いだろう。ではゆくぞ? 遅れるなよ?」
「……ん、魔王様こそ」
「「<誕焔神之怒>」」
ルリが片手間で<妖護界決>の補強をしたことも見逃さない。流石はルリ、魔法の腕はずば抜けている。
そうして<誕焔神之怒>の被害を結界内部で守れるようにし、放たれる2人の<誕焔神之怒>。
どれほどの魔力を込めたのか、かつて集落で見たように、一瞬で視界の全体が紅に染まった。
ボガァッ!!!
と、爆発音のようなものが耳を劈き、次の瞬間には視界は明るくなっていた。
雨も止んでいる。雲まで吹き飛ばしてしまったのだ。
部屋に、水があった形跡はない。高威力の炎により、完全に蒸発しきり、むしろ乾燥しているほどだ。
ザァー……と、方舟の周りからだけは波の音が聞こえてくる。<誕焔神之怒>を受けても無傷なこと──やはり無敵らしい。
「<誕焔神之怒>の威力を一点に集中させる……ひさしぶりにしたが、やはり疲れるな」
「……ん」
魔力の消費も重なってか、雫が一瞬よろける。ルリがすぐ隣でそれを支えると同時に、既に不要な<妖護界決>を解除した。
ザァー……
波の音が大きくなってくる。
これは、突進の合図だ。
「来るぞ」
「はい。私の傍にいてください」
ラルヴィアが半歩ほど俺の前に出る。俺を庇うような姿勢だ。
ルリは雫を連れて早々に離れていった。
あれ程の魔法の後だというのに動ける体力、始まりの獣の名は伊達ではない。
ザァー……
方舟が方向転換を開始した。
それは5秒ほどで完了し、先頭は真っ直ぐに俺たちへ向いている。とりあえず、雫とルリを狙うことはなくて良かった。
「4歩、右へ」
ラルヴィアの合図で俺は移動する。
彼女が脳内で何を考えているかは分からないが、守りやすい立ち位置というのもあるのだろう、と無理に納得だ。
「俺はどうすれば?」
「私がタイミングを言いますので、そうしたら腕を伸ばして支配してください」
ザァー……
方舟が突進を開始した。
やはり、速度が段々と上がっているのは気のせいではなかったようだ。
明るさが戻ったおかげで全貌がよく見える。
突進しながらも方向を少しずつ逸らし、俺たちの方向に軌道修正をしている。
「選定の神の名を以て、その文明を悪と定める」
凄まじい速度で向かってくる方舟に向かい、ラルヴィアが何かをした。
その効果は顕著なもので、方舟はみるみる減速していく。方舟に直接触れる攻撃ではないためか、無効化されなかったらしい。
減速しているとはいえ、巨体の圧力は凄まじいものだ。数歩避けた程度では真正面からぶつかるのと大した違いはない。
「失礼します、葵」
「──うぉっ!?」
ラルヴィアが俺を持ち上げた。
それも、お姫様抱っこの形だ。正直、恥ずかしい。
俺たちはそのまま、方舟に向かっていく。
減速しつつある方舟は、今は俺の走りと同程度の速度だろう。肉眼で捉え、触れるには十分な速度だ。
ラルヴィアは方舟にゆっくりと接近していく。
方舟の移動によって起こる風圧は凄まじく、ザァー……と響く音も大きい。
その風はラルヴィアが俺を庇ってくれていることで俺に到達することはなかった。ラルヴィアの髪は大きく揺れていた。
「今です」
ラルヴィアが方舟とほぼゼロ距離まで近付いた瞬間。
とうとう、その瞬間は訪れた。
ラルヴィアが角度を調整してくれているおかげで、俺に風は届いていない。揺れるラルヴィアの髪がどれほどの風が吹き荒れているかを教えてくれているのだが……。
兎にも角にも、俺は腕を全力で伸ばす。
丁度、掌が方舟に触れる距離感だった。ここまで近付いてくれたラルヴィアの配慮に感謝だ。
「──<支配>ッ!」
そうして、俺はスキルを使う。
方舟に確実に触れ、今度は何にも邪魔されずに。
なんの滞りもなく、アッサリと、<支配>は完了した。
「何が起きるか分からないので、なるべく早く機能を停めてください」
「分かった。方舟、すべての機能を停止しろ」
俺の命令に従い、方舟の動きは止まる。同時に、吹いていた風も止まってしまう。
「<暴食・火愚鎚炎>」
<支配>したことで、その弱点もよく分かるようになった。
ラルヴィアが方舟から少し離れたタイミングで、俺はその腕の中から魔法を発動する。
3つの焔でできた龍頭が、方舟に迫り、焼き尽くす。
魔法を無効化していたとは思えないほど呆気なく巨体の火は広がっていき、全てが燃え尽きるのに3分と掛からなかった。
見た目通り、火は弱点だった。
「お疲れ様でした」
「ありがとう、ラルヴィア」
ラルヴィアの腕から解放される。
いきなりお姫様抱っこされた時はどうしようかと思ったが──それにしても、その細い腕で俺を持ち上げるステータスの高さには驚愕だ。
「……ん、お疲れ」
「……うむ、少し疲れたな……」
大蛇と比べ、あまりにも難易度の上がった方舟戦。
俺たちはそれに勝利を収めた。
>「枷月葵」のレベルがLv93からLv148に変更されました




