第163話 滅亡古代遺跡インテリタス(12)
通路が終わり、俺たちが足を踏み入れたのはボスの部屋。
狭い通路とは打って変わって部屋は広くなるも、明るさは大して変わらない。ボスを視認することができないほど、先は見通せなかった。
「雫、この部屋に───」
何かが蠢く気配もない。
本当にここにボスがいるのか? そう確認しようとした時、遠くから音が聞こえるような錯覚に陥った。
ザァー……、と。テレビに流れる砂嵐のような──大海に立つ波のような音が俺の耳に入る。
疲れから来るものではないようで、周りの3人も耳をすましていた。
───なんだ?
何かが起きていることは明白だ。
ボスが居ない──そんなことはないに違いない。段々と大きくなっていく波の音は、俺たちに近付いて来ているようで───
「……避けてっ!!」
唐突に声を上げたルリに従い、俺たちは大きく飛ぶように横に移動する。
ザァー、と響く音が目の前まで迫った時、俺たちがかつて立っていた場所を、なにか巨大な物が通過した。
「な──」
「……部屋が広がっている。注意して」
どれほど巨大なサイズだったか、視界いっぱいに……それ以上に広がるサイズの”何か”だった。
その規模の物が入るようなスペースは、この部屋にはない。とすれば、この部屋は俺たちが侵入したことで拡張されたと考えられる。
転移を始め、どんなギミックがあってもおかしくないダンジョンだ。
部屋が広がっていることより、今はアレをどうにかする方が先である。
「雫、確認だがアレがボスか?」
「はい、その通りです。大きさは30メートル四方の立方体──音も考えると、方舟のようです」
───水は無いけどな……。
波の音も方舟の性質なのか、宙を水と見立てて航海しているようだ。
30メートル四方となると、部屋もかなりの規模に作り変えられたらしい。
ザァー……
そんな話をしている最中も、波の音は絶え間なく響いている。
その大きさが上下することで、俺たちと方舟の距離を測ることが出来ているわけだが───
「……また、くる」
先程は警戒して大きく跳んだことが幸いし、巨体との接触事故を避けることに成功した。
今回はちゃんと規模を分かっている上だ。迫りくる波の音に合わせ、俺たちは二分するように飛び退く。
ザァー……
ザァー……
ドバァンッ!!
揺蕩う波の音と、荒れ狂う海が方舟に打ち付ける音。
暗闇の中だからこそ怖い海の雰囲気が、すぐそこに迫っていることを認識できた。
夜の海は怖い。
目では何も捉えられず、耳には暴れる波の音が響き、触れても冷徹な感触のみ。
そこがもう人の世界でないことを思い知らされるかのような恐怖がある。
目の前の方舟が持つ性質だ。暗闇を泳ぐ舟だからこそ、そこはかとない不気味さを感じていた。
───明かりを……。
と思うも、生憎俺はその手の魔法を持っていない。
「雫、照明を頼む」
「分かりました。<光源生成>」
雫が魔法を使えば、部屋全体を照らすような光源が出来上がった。
明かりは1つだが、かなりの魔力が込められていることもあってか、眩しい。
雫は更に、風魔法を使って光源を上に移動させる。部屋を照らすという目的以外にも、近くにあると明るくて邪魔という考えもあったはずだ。
「ありがとう、助かった」
そのおかげで、部屋は先程からは想像もできないほどに明るい。この部屋が凄まじい広さを持っていることも理解できたし、方舟の規模が桁違いなことも視認できた。
ザァー……
立方体と説明されていたが、いざ見れば船としての形状は保っている。船にしては真四角だが、船首も船尾も存在している。側面には巨大なパドルが付けられていて、移動に際して漕がれていた。
その巨体からは想像できないほど小回りも利いている上、速い。
俺たちに避けられたと理解し、進行方向をすぐ右に変えて周囲をグルグルと周り始めた。
”生物”というよりは、ただの”物体”に見える。接近して<支配>を使ってみれば分かることだが、それをするにはリスクが高い。
近付いただけで押し潰されそうな重圧感がある。というより、どれだけ高いステータスでもアレにタックルされて無傷とはいくまい。
「……<火愚鎚炎>」
ザァー……
方舟は木製、となれば、弱点は自ずと火であることは分かる。
ルリが放つ、炎の龍頭。それは方舟に一直線に向かっていく。
ザァー……
───消えた?
しかし、到達することはなかった。
方舟の周りが別の次元に繋がっているかのように、<暴食>と同じように──<火愚鎚炎>は到達する寸前、波の音と共に消失したのだ。
ザァー……
攻撃を防いだ方舟が、反撃をしてくる様子はない。
未だ、俺たちの周りをグルグルと右回りに進み続けている。
「どうする? ルリ、雫、ラルヴィア」
「……とりあえず、アレに触れるのは危険」
「うむ、それには賛同だな。得体の知れぬ何かを纏っているように見える」
「…………」
ルリの辿り着いた結論に、俺も雫も納得する。
炎魔法を無効化した、というよりは魔法そのものが消失していた。何かしらのトリック──それが<暴食>のようなものであれば、触れた時点でゲームオーバーだ。
それに加え、あの規模の物体。不慮の事故で触れてしまう可能性もある。
幸いなのは、相手から仕掛けてくる攻撃は大したことがないという程度。慎重に、丁寧に対処をすることが求められていた。
そんな中、ラルヴィアだけが浮かない顔をしている。動きも最低限だし、口数も少ない──いや、話していない。
「ラルヴィア?」
「…………」
「ラルヴィア!」
「……? はい、どうされましたか」
「それは俺のセリフだ。どうしたんだ? さっきから……」
考え込むような表情のラルヴィアは、今までにないほど思考に没頭していた。
一度名前を呼んでもすぐに反応しないほどだ。方舟の動向をルリと雫に任せつつ、そんなラルヴィアの心配をする。
思えば、この部屋に入る直前から様子が違っていた。部屋が神であるラルヴィアに悪影響を与えている可能性もある。
「……方舟の力に心当たりがあります。確かめたいので、ご協力をお願いします」
「──分かった。雫、ルリ、良いか?」
「……ん」
「任せてください」
ザァー……
というのはどうやら勘違いだったらしい。
元から、古代遺跡に関しては知識があるということでラルヴィアは同行していたのだ。その知恵が遺憾なく発揮される場面というわけだ。
勿論、俺も、雫も、ルリも、ラルヴィアの提案には全面的に協力する。俺たちは──少なくとも俺は、ラルヴィアに全面的な信頼を置いている。
───ルリと雫はそうじゃないだろうけど……。
雫は魔王という立場から警戒せざるを得ないだろうし、ルリに至っては信頼する理由もないのだから。
「それでは、まずは葵。火属性以外の攻撃魔法を方舟に向かってお願いします」
「了解。<暴食・海神乱槍>」
水っぽい相手に水……? とは撃った後に自分で思ったことだが、ラルヴィアの表情を見ている限りではそれで問題なかったようだ。
水で作られた槍が、勢いよく方舟に向かって発射される。
しかし、予想通りというか……<海神乱槍>は方舟の寸前で消滅した。
つまり、火が弱点だから高い耐性を持っている、無効化している、というわけではなさそうだ。単純に魔法が効かないと見た。
そんなことが可能なのか? という疑問にも、あのサイズの方舟全体が魔道具だと考えれば納得はいく。かなりの量の魔法陣を内包できるためだ。
ザァー……
「……左に避ける」
波の音が近付いてくる──尤も、見えている今は視界で確認した方が確実なのだが。
迫り来る方舟を、ルリの合図で大縄跳びの要領で避ける。
分断されると何が起こるか分からない。入った瞬間にそれを思い知った俺たちは、4人まとめて左に跳ぶことで方舟の突撃を回避した。
ザァー……
波の音が遠ざかっていく。
ゴロゴロ……
そして、雷の音が聞こえ始める。
雷の音が聞こえ始める?
「<妖護界決>」
ドゴォンッ!!!
手を上に向け、4人の上方に結界を貼る雫。
その結界に巨大な雷が落下し、轟音が響いた。
ザァー……
今度は波の音に混ざり、雨の音が響き始める。雨が降ってきた。雷雨だ。
ゴォー……
強風に身体が煽られる。耳が冷たい。
強風・雨・雷……すなわち、嵐の到来である。
不穏な波の音に、巨大な船に、嵐。不吉な予感が止まらない組み合わせだ。
「<選定雷轟>」
雷を防ぐ為に結界を展開している雫を傍目に、ラルヴィアはスキルを方舟に放った。
鳴り響く雷の中、異質な紫雷が方舟に迫る。
だが、それさえも方舟の手前で消滅した。
「……<暴食・創造>」
スキルによる攻撃も意味を為さないらしい。
雷を防ぎ続けながら突進を避けるだけ──長期戦を耐えるのは容易だが、先に尽きるのが俺たちになることは言うまでもない。
一先ず、<妖護界決>による雫の負担を減らすため、魔法で避雷針を作り出す。雷を警戒しながら戦うのは避けたい。
「魔王、同じようにスキルで方舟に攻撃──その前に避けましょう。右へ」
ザァー……
周囲を泳ぎ続ける方舟が、方向を転換して俺たちへと再び迫る。
こころなしか、先程から速度が上昇し続けているように思えた。兎にも角にも、ラルヴィアの言う通り、右へ跳ぶ。
ドバァンッ!!
ザァー……
相変わらず激しい音だ。
乗客がいるのであれば、気が気でないだろう。事件性のある嵐の夜に、大きな船が一隻──尤も、今は明るいのだが……。
「<暴食・創造>」
方舟が通った跡を見れば、作ったばかりの避雷針はポッキリと折れている。残骸も無様に転がっていた。
仕方なく、今度は少し離れた位置に避雷針を<創造>する。
生成する物との距離が離れれば、創造魔法の制御は難しくなる。なんとか離した位置に作れても、あの大きさの方舟の前では五十歩百歩だ。
「<散魂>」
そんな俺を見て雷の心配は不要と見たか、雫が方舟にスキルを使った。
そもそも魂を対象にするスキルが方舟に通じるのか? と思ったが、方舟の存在を認知できていたのは魂があるからだ。つまり、方舟は魂を持っていることになる、が───。
結果は当然、無意味。
巨体は何も起きていないかのように、平然とした佇まいで周囲を漕ぎ続けている。
───やはり<暴食>のように魔力そのものに影響させている? 魔力を消滅させているのか?
「ルリ、今度は方舟に殴り込みに行ってください」
「……ん、<凶獣化>」
───は?
<暴食>のような能力ならば接近戦だけは駄目だ。
その性質を理解するためとは言え、リスクが大きすぎる。
それより、なぜルリが二つ返事で了承するのかが分からない。ルリはラルヴィアを信頼しているのか──それとも、方舟の能力に気が付いているのか。
後者な気がする。
ルリが命を賭けても良いほどラルヴィアを信頼する理由はない。
<凶獣化>を使い、身体の一部を凶化させたルリが、駆け出す。
瞬きする間に方舟に到達していたルリを止める暇はなかった。雫も同じようで、目を見開いて動向を見守ることしか出来ない。
「…………」
巨大化した黒爪で、ルリが方舟に殴り掛かる。
しかし、その攻撃が届くことはなかった。ルリの拳も方舟には意味を為さない。寸前で止まり、それ以上先には進めないような──結界とは違う感触だ。
───<暴食>とは違う?
”方舟に近付けない”が正確だ。
魔法もスキルも、対象に近付けない──対象を見失ったことで消滅していた。魔力を喰らうようなものではない。
攻撃的ではなく、あくまで防御の性質だったのだ。
ただ──
───どう対処すればいいんだ?
この問題が解決するわけではない。
性質を知ったところで、それの対処が思いつくかどうかは別の問題だ。
隣には、考え込むような様子のラルヴィア。
ルリは拳を引き、<凶獣化>を解除してこの場に戻ってきている。
「……結果は見ての通り。どうする、ラルヴィア?」
「なんとかしてみせましょう」
性質を知ったところで、対処はできない──そんな考えを一蹴するように、ラルヴィアは不敵に言い放ってみせた。