第16話 女神の陰謀(2)
パラパラと、送られてきた資料を女神は処理していく。
目算500枚はあった資料の山も、今では200枚ほどにまで減っている。
ベールは資料を処理しながら、2つの束に分けていた。1つは貴族から送られてくる”要らない資料”の束。そしてもう1つは勇者パーティーに志願する者たちの資料だ。
現在328枚の資料を捌いているが、後者の資料は10枚のみ。残りの318枚は貴族のくだらない考えによるものなのだ。
1枚、また1枚と資料に目を通す。
どれもこれも貴族からのものばかり。
「はぁ……」
何度目の溜息だろうか。心身ともに女神はもう限界だった。
「ベール様、大丈夫ですか?」
「えぇ…大丈夫です。ですが少しイライラしてきました」
「残り200枚…ですか。300枚のうち、勇者パーティー志望者はこれ程しか集まらなかったのですか?」
「ええ、いつもより少ないですね」
原因に心当たりはある。
簡単に言えば、魔族が攻めてくることが減ったからだ。
多くの魔族は魔王の支配下にあるため、魔王の指示によって人の住む領域に攻め入ってくる。だが、最近攻めてくる魔族や魔獣のほとんどは、支配下にない魔族や理性のない魔獣ばかり。
魔王自身が指示を出して人を襲う機会がなくなっているのだ。
結果、魔王に対する恐怖や憎しみが人々の中から消えつつある。
わざわざ命の危険を賭して勇者パーティーに志願し、魔王を討伐しようと考える者が減るのも納得だ。
「───魔王が変わったのはいつでしたか?」
「え?」
女神の突然の質問に、メイは素っ頓狂な声が出てしまう。
ただ、腐っても一級メイド。主人の質問への回答を怠ることはしない。
「確か、300年前だったかと」
「あの時の勇者が相討ちだったのでしたっけ?」
「そうだったと思います」
「だとすれば───」
女神は資料をパラパラと処理しながら会話を続ける。
「───今回の魔王は好戦的では無いのでしょうね」
「好戦的?ですか?」
「人を襲う気はないです、とアピールしたいのでしょう。なのに人間が一方的に襲ってくると、そう言えますから」
「なるほど…?」
メイにはベールの言いたいことが理解できなかったが、何か深い考えがあるのだろうと追求はしない。
したところで自分に理解できる話か不明だし、する必要もないのだ。
「ならばそこまで警戒することもないでしょうか?殺戮をしない魔族の力などたかが知れているでしょう」
魔獣や魔族は普通、食事を取る必要が無い。
それは体内に魔素が循環しているおかげだ。逆に言えば、長期間魔素を摂取出来なければ、人間で言う餓死を起こす。
通常の食べ物にも魔素は含まれているから、食事をする意味は勿論ある。だが、直接魔素を吸収する方が遥かに効率が良いのだ。
これは、魔獣や魔族の根源が魔素にあることを意味する。つまり、より多くの魔素を体内に宿している個体は強力なのである。
生物を殺戮すれば生物の中に宿っていた魔素は留まる場所を失い、ほとんどが放出されることになる。その放出された魔素を体内に宿すことができるから、魔獣や魔族は殺戮をすればするほど強くなるのだ。
此度の魔王は殺戮を行わない──好戦的でないからこそ、その力も強力で無いという推察だろう。
「まぁ、油断は禁物でしょうね。もしかしたら強力な固有スキル……革命級持ちかもしれませんし…」
魔獣・魔族・魔法・スキル・道具…この世界にあるあらゆる物は”格付け”されている。
スキルの格付けは下から、常套・特殊・格別・稀覯・革命とされる。
「メイはどう思います?」
「流石に革命級は無いと思います。革命級の固有スキルは確か……50年前に1人出て以降、居なかったのでは?」
「はい、そうでしたね」
「人類最強の一角として数えられる戦士長でさえ稀覯級の固有スキル。それですらあの威力です」
「さらに、彼のスキルレベルは確か…まだ9ではなかった、ですよねぇ」
「はい、これから更に強くなる……もしかしたら私より強くなるのでは?」
うふふ、と女神が笑った。
それは、外面の笑顔でもなければ、いつもの嘲笑うような笑いでもなく、
「あなたは戦闘能力だけに秀でてるわけではないのですから、安心してください」
心の底から、メイですらたまにしか見れない笑顔。
メイ自身、本気で戦士長の能力を心配していたのだが、ベールの口調はまるで、そんなのは心配いらないとでも言うようだった。
「今回の対魔王戦…強力な駒が多く揃いましたねぇ…」
「はい、勇者も含めれば余剰とも言える戦力でしょう」
「8人の勇者…それも過去最高クラスの勇者たち。戦士長に魔術師ギルドのマスター。冒険者ギルドもなかなかの粒揃いですねぇ。マスターはもちろん、”黒魔”のアギト、”蒼焔”のアリシアなんかは戦士長に並ぶ逸材でしょう。────ふふ、ようやくです、ようやくですねぇ……」
不気味に笑うベール。
念願の魔王討伐を目前にし、喜びを抑えきれていない様子だとメイは判断した。
自分の敬愛する女神は時折、人間らしい感情を見せる。それがまた彼女をより忠実にしている。
「向こう側の戦力はどうなのでしょうか?」
唯一の疑問が口から溢れた。
自陣営の戦力は把握できたが──相手の戦力はどうなのか。自陣営より強いという心配ではなく、ちゃんと把握できているかという確認であった。
「それは……把握する術があるかどうか、という意味ですよね?最近は攻めて来ないので戦力の把握が難しくはなりましたが……スパイが居るのですよ」
声を潜め、耳打ちするように言う女神。
やけに神妙な面持ちの彼女に、メイはごくりと唾を飲んだ。
そして、慎重に言葉を選び、口を開く。
「スパイ…ですか?」
されど、出てきた言葉は至ってシンプルなもの。
それは、メイの内心の動揺を表すには十分だった。
メイが感じている動揺、それは女神の恐ろしさに対するものである。
敵と関わる機会が少ない中、スパイを作るという女神の巧妙さに。
そして、それを可能とさせる、彼女の能力に。
「信頼に足る魔族です。情報も確かなものでしょう」
「かなり……上官なのですか、その魔族は」
「ええ」
語尾に”♪”が付いていそうなほど軽快に話す女神に、メイの信仰とも呼べるその思いはクライマックスを迎えていた。
「本当に……さすがとしか言えません」
「うふふ、大変だったのですよ」
資料を未だにペラペラとしながらも、どこか上機嫌の女神。コップに入れられた紅茶を優雅に飲みながら、すぐ近くにいるメイに一瞬だけ視線を送る。
「どうされました?」
「いえ、そういえばメイの固有スキルは”どちら側”に成長していましたっけ?」
「どちら側?と言いますと?」
「あれ…?ということは普通に成長している?ならばどういう条件で……」
女神は小声でボソボソと何かを呟き始める。
メイに話しかけたことなど忘れているようだが。
「ベール様、どうされました?」
「いえ、ただ…固有スキルというのは奥が深いものでして」
「私にはよく分かりませんが…そういうものなのですか?」
「そういうものなのです。固有スキルなんて作った人は何を考えているのやら」
それを最後に、しばらく沈黙が流れた。
女神の執務室には、女神が資料をパラパラと捲る音だけが響いている。
メイは一切の邪魔をしないよう、直立不動を保っていたが、その沈黙を破ったのはメイだった。
「ところでベール様。勇者パーティーの選定はいつ行う予定ですか?」
それは、女神が見ていた資料の最後の一枚に目を通し終えたからであった。
直立不動を保ちながらも主への配慮は忘れない、さすがはプロのメイドである。
「1週間後には行おうかと思ってました」
「それは…些か急では?」
「うーん」と、女神が考える素振りを見せ、一拍置いた後に答える。
「実はこのあと光輝様をお呼びしているのです。ですので、訓練は明日から始めるつもりですよ」
「既にそこまで手配が進んでいたのですか……ガーベラ様はお帰りになられているのでしょうか?」
「ガーベラには随分前から話を通していますから、既に本部に着いていると思います」
ここで言う”本部”というのは、魔術師ギルドのことだ。魔術師ギルドは世界各国に存在するが、この大陸の本部は王都に存在している。
連絡するのが早かったとしても、ガーベラの帰りは早すぎるほどだった。この世界最速の移動手段である飛行艇は使えず、次いで速い馬車を使ったとしてもそれ以上の時間を要する。
だが、メイがそれを疑問に思うことはない。なぜなら彼女は魔術師ギルドマスターなのだから。
「さてさて、そろそろでしたかね」
女神が席を立った。その隙に、メイは女神のティーカップに新しく紅茶を注ぐ。
女神はそのまま歩いて窓まで行き、窓越しに外を見ていた。
「では私はそろそろ退出させてもらいます」
「お疲れさまです。いつもありがとうございます」
魔法で出したティーポットを異空間に仕舞込み、女神の方を向いて軽く頭を下げる。
「いえ、これは当然のことですので」
そして、本音からの言葉を吐き出す。ベールがこれをメイの本音だと認識してくれているかはメイの存ずるところではないが、どちらにせよ尽くすことに変わりはないと考えている。
メイドというより、狂信者だ。
尤も、その二つの性質を兼ね備えているからこそ、より恐ろしい。
「次のお相手は…光輝様でしたね。極力優しい笑顔を作って…と」
ベールはその美しい顔を小さな手で揉み解し、優しい笑顔を見せた。




