第157話 滅亡古代遺跡インテリタス(6)
「わーお……」
情けない声しか出せない。
広大だと思っていた謎の部族の集落が、炎に包まれているのだ。
それがどれほどの規模の魔法なのか、一目瞭然だ。消費する魔力の量たるや、桁違いだろう。
横を見るも、魔法を放った雫が疲弊している様子はない。
息が上がっている──なんてこともなく、もう1発いけますよ? と言わんばかりの余裕である。
「ごめんなさい、つい」
「……いや、俺も同じような気持ちだった」
あれほど胸糞の悪い景色を見せられれば、誰だって同じ考えを抱くというもの。
身の毛のよだつ、という言葉が相応しいような光景だった。
「兄さん、これはあくまで私の考えなのですが──」
何度見ても圧巻な雫の魔法の跡地を見て呆ける俺に、雫は不動の姿勢で話し始める。
「己の快楽のために生物の命を容易く扱うことを、私は悪と断定しません。彼らが自分勝手に鹿の命を奪ったように、私もそれが不愉快という感情的な理由で彼らを殺しました。
ですが、そうして蹂躙されることに文句を言うのは間違っています。この世界は弱肉強食。弱者が強者に殺される理由が出来てしまったのであれば、それは正しいことなのです」
善悪の基準をどこに置くか、は重要なポイントではあるものの。
言っていることに間違いはない。善悪の基準でさえ、”誰かが作ったもの”に過ぎないのは事実だ。
「彼らが快楽のために鹿をいたぶる姿は不愉快でした。同様に、私のこの行いを不愉快だと思う者がいるのであれば、殺しに来て貰って構いません。受けて立ちましょう。
結局、理屈などというものは強者がそれに従うから正しくなるだけなのです。強者が理屈を悪しとすれば、弱者には弁明の余地すら与えられないのですから」
所詮、この異世界では弱肉強食が絶対のルールなのだ。
法など、表向きな自治でしかない。それが意味をなすのは、強者が気まぐれでそれに従っているから──もしくは、それを定めたのが更なる強者であるからに過ぎない。
つまり、強いということは正しいということでもある。
そんなのは現代日本も変わらない。結局、社会の仕組みが個人から力を剥奪しているからこそ、法律は成立しているだけだ。
強者は弱者をいたぶってよいという考えも、強者は弱者を守らなくてはならない──ノブレス・オブリージュのような考えも、どちらも正しいのだ。
倫理的な観点ではともかく、強者が白を黒といえば、それは黒になる。
族長の行いは、族長が最も強い存在であったから許された。
鹿は弱者であり、倫理的な説法を族長に説こうと、それを彼が聞き入れる必要は全くない。弱者の権利とはその程度だ。
しかし、それは倫理を甘んじて良い理由にはなり得ない。
今回のように、より強い存在にその行いが敵視される可能性があるためだ。
その存在が自分と同じような思想の持ち主であれば良いが、倫理的に悪いことをしている以上、それを理由に攻撃されることに文句は言えない。
故に、倫理観に適った行いというのは必要となるのである。
尤も、雫の行いが倫理的に正しいかどうかは別の話だ。
「胸糞が悪かったので殺し尽くしました」はとても正義とは言い難いのだから。
「それを盾に雫が暴虐の限りを尽くしていたら、流石に文句を言ったかもしれないけどな」
「そんなことはしませんよ。───と」
燃え盛る炎の勢いが弱くなってきた。
木々で出来た集落だ。もっとよく燃えるものかと思っていたが、それらに引火している様子はない。
森の奇妙な木々もだ。やはりあれらは木ではなく、火に対する耐性があるようだった。
そして、部族の集落もその木で作られていたに違いない。
引火するものが無ければ、火は簡単に衰えていく。
段々と顕になっていくのは、転がる焼死体。
雫の使った<誕焔神之怒>によって死んだ、部族の小人たちの死骸だ。
だが、雫が視線を向けている先はそれらではなかった。
魔法に巻き込まれても傷一つ付かない集落の中央。
悍しい儀式を行っていた、小人たちには大きすぎる奇妙な椅子。
「■■■■」
そこに座る金色の仮面をつけた巨人もまた、集落同様に無傷だったのだ。
火と煙が晴れてきて、ようやくその事実に気が付いた。
「戦います、兄さん。<海神乱槍>」
金色仮面の巨人は俺たちの方を見つめていたが、反撃する様子はなかった。
近付いてくる気配も──そもそもあの椅子から動こうとする気配がない。
それがまるで、”あの程度の魔法を攻撃とも思っていない”と思わせるような態度で──部族の民の死をなんとも思っていないようで、つくづく思想の違いを見せつけられる。
雫が放つのは水で構成された巨大な槍。
火に対する耐性と踏んだか、高威力の別属性の魔法での追撃だ。
「■■■?」
<海神乱槍>は勢いよく巨人にぶつかり、しかしその威力で傷を与えることはない。
並の者では貫通して死に至るような攻撃は、金色仮面には一切の意味を為さなかった。
「魔法に対する完全耐性だと思います。カラクリが不明なので、ひとまず接近戦に持ち込みます」
「分かった。俺も行こう」
未だ、金色仮面から反撃の兆しは見られない。
魔法を攻撃だと思っていない──それくらい効いていないということを裏付けていた。
雫が近接戦闘に持ち込むとのことで、俺も木の陰から出て集落の中央に向かう。
敵意を剥き出しにしている俺たちであるにも関わらず、それが接近しても金色仮面は動きを見せなかった。
「戦うつもりはなさそうじゃないか?」
「敵だと認識できていない可能性が高そうです。ですが、放置して後から攻撃されるのは面倒なので倒します」
この森を進んでいくうちに強力な敵と遭遇。後ろから金色仮面が追いかけてきた、なんてなろうものなら絶体絶命。
そういった状況を防ぐために、一度手を出した以上は最後まで戦い抜く必要があった。
「■■■■?」
近付けば、言葉はハッキリと聞こえてくる。
ただ、その内容までは分からない。やはり知らない言語なのだ。
「どうする?」
「私は剣で攻撃を試みます。兄さんは何かあったときの為に一定距離で待機を」
「了解」
雫が地面を蹴り、金色仮面に迫っていく。
空間魔法から黒き魔剣を取り出し、それを金色仮面に振り下ろした。
俺はその様子を見ているだけだ。10メートルほど離れた場所で待機していた。
金色仮面の顔は雫に向けられている。
仮面に見えるのは顔なのだろうか──目がギョロリと動き、取り出された魔剣を注視した。
「■!! ■!! ■ッ!!」
わけの分からぬ言葉を大声で、そして早口で紡ぎ、何か動こうとする──も、雫が剣を振り下ろす方が何倍も速かった。
ガギンッ!
雫の剣は、金色仮面の肩に当たり、弾かれる。
外見では露出したただの肌であるにも関わらず、金属がぶつかったような音で弾かれた。
「む?」
そこそこ力を込めて振り下ろしたにも関わらず、金色仮面には衝撃が伝わっている様子さえない。
自分が押し出した力がそのまま自分に返って来ているかのように、雫は大きく姿勢を崩してしまった。
「■! ■!!」
金色仮面が動きを見せる。
俊敏な雫に比べればゆっくりではあるが、その右腕を雫に向かって伸ばしていた。
───掴むか……!?
俺は魔法を構えるが、この位置からだと雫にも被害が出てしまうと躊躇った。
鹿を捻り殺した怪力が思い出される。
その要領で雫を捕まえるつもりだ──そう予測したのは雫も同じだったようだ。
雫はそれに抵抗するべく、なんとか空中で姿勢を立て直すことに尽力。
その間にも巨人の右手はすぐそこまで迫り───
「■」
───止まった。
雫を掴むことなく、広げられた大きな右手には、金色の魔法陣が描かれていた。
「なッ!」
流石の雫も予想外だったらしい。
驚いたような表情で、描かれた魔法陣を見つめている。
それだけの時間があれば、魔法の発動には十分だったようだ。
巨人の右手に描かれた金色の魔法陣から、極太の光の光線が放たれた。
眩い──成金が好きそうな色合いの光線は、至近距離で雫を容易に飲み込んでいく。
「クソがぁッ!!」
あまりの展開に、体が勝手に動き出した。
しかし、脳内は酷く冷静だ。雫がこの程度のことで死ぬわけがない──なんて考えもあるのかもしれない。
剣による攻撃は弾かれていた。つまり、金属武器では弾かれる可能性がある。
となれば、信じられるのは己の肉体のみだ。
俺は拳を握りながら跳躍し、金色仮面に迫る。
「■」
雫を処理したと見たか、今度は視線を俺に向けている。
雫に追撃されるよりはマシなので、目的は十分に果たせたと言えるだろう。
またもや、魔法陣が描かれた。
───なんだ?
と、そんな疑問を抱いた次の瞬間。
「──ぐっ!」
跳ぶように金色仮面に迫った俺の全身が、地面に強く叩きつけられた。
重力が急に強くなったかのように、一気に落下したのだ。
───重力操作の魔法……。
それで処理できたとは思っていないらしい。
金色仮面の視線は俺を向いていた。俺が地に伏しているせいか、見下されるような視線なのは癪だ。
「兄さん!」
後ろからは雫の心配する声。
とりあえず無事で良かったと一安心だ。
「■!!」
金色仮面は右手をこちらに向ける。
大きく広がったその手は、雫の時同様に光線を放とうとするものだと理解できた。
「<暴食>」
まず、俺にのしかかる重力を喰らう。
魔法としてそれが作用している以上、<暴食>で無力化することは造作もない。
───逃げるか。
そうこうしているうちに、金色仮面は魔法を発動しようとしているのだ。
連続して<暴食>を使うのも良いが、悪魔の力は使いどころを考えないと負荷が大きい。なにより、ベルゼブブが怒る。
「はっ!」
「■」
過度な重力から解放されていることに気付いていない金色仮面は、そのまま光線を放つ。
それよりも早く、一気に立ち上がり後退した。
地面に向けられた光線は不発──それに気付く金色仮面は恨めしそうに俺を睨む。
「魔法・物理攻撃への耐性。高度な魔法攻撃。底が尽きるか分からない魔力。そしてまだ何かを残していそうな奇妙さ、と」
「■」
今度は右手と左手を使い、俺と雫目掛けて光線を放つ金色仮面。
同時に飛び退くようにして、俺たちはその攻撃を華麗に避ける。
「どうしますか、兄さん? 考えが?」
「さぁ? 情報が足りてないな。ひとまず情報収集に励もう。それくらい厄介なダンジョンだったってことだ」
「分かりました」
物理・魔法、その両方への完全耐性など、ありえない。
なんらかのギミックが隠されているとか、なにか厳しい縛りがあるとか──それを見つけられなければジワジワとやられていくだけだ。
───ダンジョンって感じだな。
攻略の為の堅実な行動──それに少し楽しみを覚えながらも、俺は目の前に座る奇妙な仮面の巨人を睨みつけた。
寝過ごしていました。ごめんなさい。