第146話 祝宴(4)
「暴食、ですか」
「はじめまして、妹さん。私は彼とお付き合いさせていただいている、ベルゼブブと申します」
「適当言うなよ。付き合った覚えないぞ」
「冗談だよ」
あはは、と笑うベルゼブブは相変わらずだ。
ただなにより、調子が戻っているようで安心した。
「それで、どのような用事で?」
「女神ベールと──彼女が君に使った召喚術についての話をしに来たよ」
意味深な笑みを浮かべるベルゼブブに、俺は疑問を覚える。
女神とベルゼブブが関わる機会が思い当たらなかったのだ。俺が転生前になにかあった可能性もあるが、天使を戦力として使う彼女が悪魔との認識を持っているとは思えなかった。
「なにか知っているのか?」
「まぁね。私は情報通だから。それを話すために、まずは女神ベールの固有スキルについて話しちゃおうか」
「知っているんですか」
雫の表情が鋭くなる。
固有スキルとは個人の持つ機密の情報だ。女神ベールはそれを外に一切漏らしていないため、雫であってもその能力の一端さえ知らない。
それを目の前の悪魔は知っているという。
ブラフの可能性まで考えるべきだが、暴食が兄に対して好意的なのは雫から見ても明瞭であった。
故に、確認程度の軽い気持ちで放たれた言葉だ。
「もちろん。そして、彼女が君を──君たちを嫌う理由もそこにある。まずは彼に分かりやすいように。魔王様、支配の最大の敵は?」
「支配、ですね」
「そう。支配能力は単純に自分以外の能力も使えること、手数が増えることが強力なものだ。だけど、支配は他の支配によって上書きされてしまう。そういう意味で、支配は支配を天敵としているんだね」
理屈的には納得だ。
となると、戦士長やガーベラも女神に支配を上書きされたということになる。
というより、女神は俺を無能だから追放したわけではなくなるのか?
「女神が俺を殺そうとした理由は?」
「──もちろん、そういう側面もあるけどね。君を無能だと蔑む彼女が演技かと言われれば、首を縦には振りづらいかな」
「それはそうか」
女神から見て、精神支配は無能な上に邪魔だった。だから俺を殺した──と、相変わらず自分勝手である。
「とはいえ、女神ベールの支配能力と君たち兄妹の支配能力は本質が違う。君たちのが鎖で繋ぐような支配だとすれば、彼女の支配は包み込むような支配だ。即効性もなく、徐々にその手中に収めていく──洗脳に近いかな」
<支配>、即支配完了……となるだけが支配ではないと。ちょっとずつ精神をイジり、洗脳するかのように気付けば支配、というのが女神のやり方なわけだ。
そうやって集めてきた支配下集団を、俺や雫のスキル一つで横取りされると考えれば恐ろしいものか。認めたくはないが、追放したくなる気持ちも分かる。
「ご存知の通り、強力な能力には縛り……デメリットがある。君たちの支配は強力だけど、総量が決められている。逆に女神ベールの支配は面倒だけど、総量は決まっていないんだ。尤も、彼女の精神力の問題から無限とはいかないけどね」
「それに何の関係が?」
「まずは能力のおさらいだよ。どんな強い能力にも負の側面は存在する、という話さ。それを補うことが出来る存在もいるけどね」
「……補う?」
「うん。この世界で最強の生物を知っているかい?」
最強の生物、か。
パット頭に浮かぶのは金色の獅子。百獣の王なんて言うくらいだし、不自然ではないだろう。
ただ、この世界で最強を語るには手持ちの知識が少なすぎる。
「生物、というと種族ですか?」
「……ん? あぁ、言い方が悪かったね。この世界の生物で最も強い存在の話さ」
俺と同じ勘違いをしていた雫が質問をし、その回答に顔を顰めた。
「さぁ……。言われてみれば誰なんでしょう。そもそも、そんなものが決まっているのですか?」
ベルゼブブは大きく頷く。
自分の持つ答えに自信と確信がある、そんな様子を感じさせるものだ。
「まぁ、名前なんて何でも良いさ。彼女の能力は<時間遡行者>。過去に干渉できる能力を持っているんだ」
「そんなことができるのか?」
「いや、条件はある。彼女はその結果が過去に生じる可能性がなければ、現実を改変することができないんだ。例えば過去のどの地点においても死ぬ可能性が少しもない生物がいれば、彼女の能力で殺すことは出来ないのさ。
実際、そんな生物は居ないけどね。要するに、彼女に殺せない者は居ないんだ」
「なんだそれ……」
対象が過去のある時点において死ぬ可能性が少しでもあれば殺すことができる。
殺すことに焦点を当てているが、その本質は現実改変だ。過去に起こり得た現実を、起こった現実として確定させることができるのだ。
「ただ、彼女が起こした改変によって現実世界に変革が起こる場合、その現実改変の度合いによって彼女は魔力を消費する。あまりにも多大な魔力を消費するせいで、常人には発動不可能。それがデメリットだね」
「つまり、彼女はそれを打ち消していると?」
「そういうこと。彼女が生まれながらに持つ加護は、妖精王の加護。これは彼女の周囲にいる妖精が活性化するというものだね」
妖精は、この世界のありとあらゆる場所に住む種族だ。その存在は上位のものであれば目視できるが、大抵は認識不可能。
海に漂うプランクトンのように、そこにいることは証明されても捉えることはできない。
「それになんの意味が?」
「兄さん、魔力というのはどうやって循環しているのかご存知ですか? 植物が酸素を生み出すように、妖精は魔力を生み出しているのです」
「ああ、なるほど」
彼女の周りの妖精が活性化することで、作り出される魔力量は増加する。
彼女は改変するための魔力を周囲の妖精にその場で作らせることで補っているということだ。
「ついでに、妹さんが疑問を口に出すより前に補足しておこう。彼女は異常ステータス持ちでもある。普通はある程度均等になるはずのステータスに異常な偏りが出るというものだ。うん、これは呪いだね」
「INTへの偏りが激しいと?」
「うん。逆にVITが弱すぎて、彼女は世界で最も病弱ともいえる。自分の足で歩くことができないほどに貧弱だしね」
あらゆるステータスを犠牲にすることで、INTだけを異常な値まで持っていく。
普通の人のINTでは現実改変に伴う情報処理で脳が焼き切れてしまうが、彼女はそのステータス量で無理やり解決しているわけだ。
固有スキル、加護、呪い。全てが噛み合った結果だと言えた。
「一応反動もある。彼女は魔力不適合者なんだ」
「──はい?」
思わずといった様子で雫が素っ頓狂な声を上げる。自分でも驚くほどだったのか、失言をしたかのように右手を口に当てていた。
「なんだ、それ?」
いや、それよりも。
そもそも魔力不適合、が何なのかを知らない。初めて聞く言葉だ。
「つまり、この世界に存在できないということです。体に取り込んだ魔力が毒となり、使用することも排出することもできない呪い──その呪いを持って生まれれば、数日で体内の魔力を処理できずに死に至ります」
「じゃあなんで生きてるんだ?」
「それは私から説明するよ。お察しの通り、彼女は常に過去を選択して生きているんだ。彼女が生まれる前に、世界──あえて世界のシステムと言おうか。そのシステムが彼女に魔力不適合という呪いを与えるという選択をした。彼女はシステムが呪いを与えなかった自分を選択し、常に改変し続けている。そうすることで生き長らえているわけさ」
「ん? なぜ選択し続けているんだ? 一度改変すればそれで終わりじゃないのか?」
魔力不適合ではない彼女であった。そう改変してしまえば何も問題はない気がする。
なぜ、改変し続けていると言ったのか。今も、生まれてからずっとその過去を選択し続ける意味があるのか?
「彼女は魔力不適合だから、魔力を扱えない。魔力不適合の彼女が過去を改変してその呪いを持たないことにした。これは矛盾しているんだよ。
彼女が過去を改変した時点で、改変以前に彼女が魔力不適合であったことが確定してしまう。でも、魔力不適合で魔力が扱えない彼女には過去を改変する力がないんだ。
常にこの矛盾の中で生きているからこそ、それをねじ伏せるために能力を使い続ける必要があるのさ」
「複雑なんだな」
「でもあり、彼女の本質を知るために重要なポイントでもある。何か気づくかい?」
過去を改変することによる、実質的な現実改変能力者。
普通であれば使えない魔力量・INTだが、そのどつらもを加護と呪いによって解決。
ここまではただの強力な能力者の紹介だ。
最強、というには根拠が欠けすぎている。それでもベルゼブブが最強と言い切ったのには、理由があった。
「世界のシステムを改変できるだけの力、か」
「そういうことさ。彼女が生まれる前、世界のシステムが彼女について決定を下す地点ですら、彼女は能力で操作し改変できる。その矛盾の解決と拮抗していることから、彼女のそれは世界のシステムと同等の格を持つ能力なんだ」
この世界の生物でデスマッチをしたら誰が生き残るか? という意味の最強ではなく──いや、そうかもしれないのだが……──、能力の権限、位、格、そういったものが最強。
世界のシステムが起こした現象を改変できる能力を持つという意味で、彼女は最も強かった。
「いずれ、君にも関わってくる話さ。ただ今は関係ない話だった。話題が逸れてごめんね。
女神ベールの話に戻ろうか」
ベルゼブブは矢継ぎ早に言うと、更に続ける。
焦っているかのように見えたが、実際にはひどく冷静なのは分かっている。まるでこの話をすぐにでも切り上げたい──話題を提示したのはベルゼブブなのに、おかしな話ではあるのだが。
「能力の負の側面の話だ。彼女の能力の悪いところは、時間がかかるところ。もう一つあるけど、それは関係ないから飛ばす。反して、君たちの場合は総量が決まっていることだ。そうでしょ?」
「はい。私の<支配>できる総量は既に埋まっています」
「俺はあまり自覚がないな……」
「厳密には支配能力の問題ではないんだけどね。そもそも、人には契約できる──許容できる存在量が決まってるんだ。女神ベールの支配の場合、それを消費しないということさ」
それこそ、「洗脳」という言葉が当てはまっている。
俺たちの<支配>は、相手の情報を掌握し、支配する。反面、女神の<支配>は相手の思考自体を変えてしまう。
故に、彼女の容量を消費することはない、ということだ。
「それが?」
「彼女の能力を受けたとしても、その程度が弱ければ解除されることもある。例えば、感情を大きく動かされること。そして、大陸を支配する女神にとっては天敵とも言える魔王に近付く、とかね。
洗脳の度合いが低い者が魔族領域に行けば、女神ベールの支配は弱まる──場合によっては解けてしまう」
魔王と女神が相反する力を持っており、その境界線が領域の境目と一致している。
強固な洗脳を行うより先に、勇者たちを魔族領域に送り込みたくはないと考えるはずだ。
「女神ベールの<支配>の性質について語ったけど、とはいえ彼女の<支配>に全く即効性がないというのは嘘になる。日本なんて安全な場所に住んでいた君たちが、異世界に召喚された途端に戦うことを決意出来るのかい? たった2週間程度の修行で? 精神を弄られてる以外にあり得るのかな?」
「言われてみれば……それはそうか」
「彼女が君たちにどう語ったのかは知らないけど、召喚された時点で<支配>の効果の一部を受けている。洗脳という言葉はそのとおり、君たちは異世界にむりやり適応させられた。そして、攻撃性を植え付けられた。魔獣を──人を殺すことに抵抗を覚えにくいようにね」
いざ説明されると、納得できる部分は多くある。
ベールの洗脳を受けていた。召喚された時点で、俺も受けていたのは確かだ。
転移させられた後、抵抗しようという気になったのもそのおかげ。逆に、女神から離れる──魔族領域に入ってからの行動にも変化があった。
今も、女神に復讐を誓う気持ちは変わらない。それでも以前より安全策を取るようになった気がする。
「今の君はその洗脳から完全に解き放たれている。ただ、問題なのは女神ベールは勇者を洗脳するつもりだったということ。そして、2週間という期間を使い完全に洗脳状態を完成させようとしていたこと。彼女は自分の手駒を増やしたいのさ」
「手駒を増やす? 魔王討伐のためにか?」
「まあ、その可能性も捨てられないけどね。でも、それは違うと思う。この前分かった通り、彼女の持つ戦力は魔王に向けているものではない。もっと高次元の──それこそ神に向けるようなものだ」
思わず「はっ?」と声が出てしまう。なぜここで別の神の話が出てくるのかが不明だったためだ。
「これは一応、だと私は思ってる。彼女の目的を果たすために、神が邪魔してきた時のための対策だね」
「つまり、女神の目的は神に邪魔されるようなことだと?」
隣で雫がなにかに気付いたようだった。
まさか、と言いたげな表情で目を見開いている。それが予想通りだったのか、ベルゼブブは愉快そうに微笑んだ。
「そうさ、女神ベールが目指していること。それはね、人類の支配だよ」




