第145話 祝宴(3)
乾杯の合図で宴は始まった。
「乾杯!」の勢いで、雫はグラス一杯のワインをぐびと一気飲みする。
それを見た俺は一瞬目を見開いてしまうが、そういえば彼女は300年以上生きているれっきとした成人女性であることを思い出した。
階段の下では、ワインを少し嗜んだ魔族たちが魔王を見上げている。
その飲みっぷりに驚愕するかのような表情だ。
───これだけ生きてると酒にも強くなるのか……。
年寄りは酒に強い──みたいな考えがあるためか、長生きな彼女が酒に強いのも不思議と受け入れられてしまう。
「どうした、兄さん? 飲まぬのか?」
「いや、俺はまだ未成年だからな……。酒は辞めておくよ」
雫がどうであれ、俺はまだ年齢的には高校生。この世界では15が成人と言われても、酒を飲もうとは思えなかった。
───というか、雫酔ってないか?
「ふむ、ただ安心せよ。兄さんのワインには秘密が隠されているのだ」
「秘密?」
「うむ。聞いて驚け、なんとそのワインは───」
溜めるように、一拍置く。
その間もグラスを手から離すことはなく、フローラがせっせと空のグラスにワインのおかわりを注ぐ。
「──ノンアルコールだ」
「ふっ」とキメ顔で言う雫。よく分かった。彼女は酔っている。
見栄を張って一気飲みするからだ。
「あぁ、それは助かる。俺も飲ませてもらうよ」
ただ、それを指摘するほど野暮な男ではない。
酔いが回っているうちは楽しいものだ。醒めたあとにのたうち回ってしまえばいい。
俺は雫に言われた通り、グラスに口を付けワインを飲む。
ノンアルコールだった。
口に入れた瞬間、広がる葡萄の芳醇な香り。素材そのものが上質であることが伺いしれ、その素材の持ち味をよく活かしている一品だ。
「……美味いな」
「そうだろう。なにせ、ワインはガルヘイアの特産なのだ」
「そうなのか?」
「うむ。元来果物から酒を作るという文化は魔族に無かったがな。果実はよく取れたが、どれも生で食べるばかり。しかし、その分果物の質は高かった。
果物の加工といえばワインだろう。私がそれを提案し、見事大ヒットしたわけだ」
酔ってるの? 酔ってないの? と確認したくなる様子だ。
口調は酔っているし、テンションも少し高い。その割には噛むことはないし、知識はスラスラと出てくる。
不思議だ。
「流石だな」
しかし、話に聞く限りでは優秀な魔王だ。
慕われるのも分かるというもの。果実酒が魔族の文化になかったのは意外だったが、やはり技術が低ければ「生で食べたほうが美味しい」という結論になってしまう。
一定水準まで技術力を引き上げ、名産と言えるレベルまで育て上げた。
政の一環としては十分な成果だ。
「葵様、注がせて頂きます」
「ありがとう、フローラさん」
フローラは俺と雫の傍に控えていた。
手にワインは持っていないが、空間魔法で取り出してそのまま注ぐ。その滑らかな動作は、彼女が空間魔法に精通していることを示していた。
それに、こういった場で空間魔法の使用が許可されているのも珍しいことだ。
普通、空間魔法で怪しげなものを取り出すリスクを考慮して、使用は控えられることが多い。
雫のフローラへの信頼が見える瞬間だった。
「それと、魔王様。少し失礼致します」
俺のグラスにワインを注いだ彼女は、次いで雫に魔法を使う。
魔法陣の色から治癒魔法だ。
「それでは、テーブルを持って参ります」
魔法が掛け終わると、彼女はテーブルを取りに少し離れる。
魔法を使われた雫は──少し俯いていた。
「に、兄さん。話は変わるのですが、よろしいですか?」
「ん? 構わないよ」
ここで理解する。フローラの使った魔法は、状態異常の解除──つまり酔いを打ち消したのだ。
空間魔法に治癒魔法、彼女もしかしてなんでもメイドなのでは?
メイもそうだが、この世界のメイドの水準が高い気がする。上位存在に仕えるには、ただ一般的な仕事がこなせるだけではいけないらしい。
「兄さん、好きな料理はなんですか?」
「俺の好きな料理か? あまり拘りはないが……強いて言うならオムライス、かな」
オムライスは美味しい。
卵とチキンライスの相性の良さを見出した先人には感謝だ。
あれ? この世界にオムライスはあるのだろうか?
「──良かったです。今度、よければ食べてください」
「ん……? 雫が作ってくれるのか?」
「はい。兄さんの為に練習しました。良質な米作りから始め、鶏の近隣種の卵の安定供給等、私頑張りましたので!」
この子愛重くない? なんかイメージと違うんだけど?
なんて思いつつ、やってることはGJ。
米、良質な米があるこの幸せは計り知れない。
「魔王様は自ら米の品種改良に力をいれておりました。拘りがあってのことでしょうが、理由も納得です」
白いテーブルクロスのかかったテーブルを引いてきたフローラが、俺に耳打ちする。
テーブルの上には数多くの料理が乗せられており──米を使った料理もあった。
異世界独自の料理だろうか? 米に味がつけられていて、肉やら野菜やらとあえられている。一緒に炒められているか?
似ているのはチャーハン。異世界版チャーハンだ。
「お待たせしました。どうぞお召し上がりくださいませ」
「ありがとう」
感謝を言葉にする俺に、鷹揚に頷く雫。
フローラは俺たちからの謝礼を受け取ると、少し下がった。
「異世界特有の料理か? 民族独自のものも多いのか」
「そういうものだけではありません。過去に異世界に転生してきた者たちによって伝えられた料理もあります。それこそ、地球の各地域の料理も多いですよ」
「なるほどな……。俺が知らないだけか」
「兄さんはあまり料理に関心がありませんでしたからね」
世界各地の料理──というものに興味がなかった俺としては、広がる料理全てが異世界料理に見えてしまう。
そう見えない雫には感激だ。そんな素振りはなかったが、実は料理好きだったりするのだろうか。
そんな疑問を覚えつつ、テーブルに置かれた海老に手を伸ばす。
食器はフォークとスプーンだった。自分用の小皿に専用のトングで海老を取り分ける。
見慣れない野菜に添えられた大振りの海老は、シンプルながらに美味しそうだ。
「詳しいな」
「料理については色々、調べましたので。今兄さんが食べている料理も地球のもので、トムハップヌックズアというベトナム料理です」
食べたことのない風味だ。
海老の甘さが際立っていて、それでいてまろやかで、レモンの刺激が味を纏めている。
「ココナッツミルクで海老を蒸したシンプルな料理ですが、美味しいものでしょう?」
「ああ、初めて食べた」
「私もこの世界に来て初めてです。多くのレシピを集め、纏めさせた時に色々食べました」
魔王……という割には食への拘り強くない?
たしかに、異世界の料理に満足できない日本人……イメージはつくけど……。
満足できなかったので自分で改革した、とか主人公なのかもしれない。雫を主人公とした異世界食改革物語でも出来そうだ。
「こうして色々と料理の解説をするのも良いですが、実はお話しなくてはいけないことがあります」
「どうした? 改まって」
急に真面目な雰囲気になる雫。
なにかフローラに目配せすると、彼女はコホンと咳払いを一つした。
「女神ベールの話です。彼女の目的を考えておきたいのです」
「メイに聞けばいいんじゃないのか?」
「今回、内乱に乗じて私たちをこれ程追い詰めた相手です。実際、あと一歩のところで私たちは全滅でした。
そんな手の込んだ真似をする女神が、メイを復活させた程度で目的を教えると思いますか?」
「……たしかにな」
魔王を殺せるほどの戦力を送ってきておいてなお、戦力の底が見えない女神陣営。
そんな用意周到な彼女がわざわざメイの死体を放置しているのだ。復活させただけでメイがすべてを知っている可能性は低かった。
「なぜ俺に?」
「女神ベールと関わったのは、私より兄さんの方が新しいでしょう」
「陽里でもいいんじゃないのか?」
「…………それは……」
「今からでも陽里を──」
「葵様」
思いついていなかった、という様子で口籠った雫だったので、俺は陽里を呼ぶよう提案しようとする。
だが、フローラに止められた。彼女はなにか話があるように俺の耳元に口を近付ける。
そのままコソコソと話し始めた。
「お言葉ですが、魔王様は兄妹の時間を大切に思っております。ご配慮頂ますよう」
「あぁ、なるほど。それはごめん、雫」
「いえ……その、お気にせず」
そうならそうと言ってくれれば良いのに。
とにかく、兄妹で仕事っぽい真面目な話をしたいならばそれには付き合おう。
「女神の目的が魔王を倒すこと、なんてのはあり得るか?」
「であれば、メイを殺して大量の魔力を収集する意味がありません。別の目的があるのは確定だと思います」
「たしかに……それはそうか」
「ですが、私たちでも女神本人の情報を集めるのは困難なのです。何か隠していることはあるようなのですが……」
それほどまでに見せたくない何かがあるようにも思える、ということか。
単純なことなら、人間の支配とかもあり得る。だが、あの女神が人間に玩具として以外の興味を示すようには思えない。
「人族領域の現状は? 女神に対する不満なんかはあるのか?」
「いえ、それが全く。むしろ、貧富の差も少なく、皆安全に過ごしているようです」
「ますます謎だな……」
人間を大切にするような性格には思えなかったが、彼女にもなにか考えがあるのか……?
そんなことを悩んでいると、フワリと空間が揺れた。いや、正確には真横の空間に歪みが生じた。
空間の歪みは肥大化し、やがて人の形をなしていく。雫は動揺していない。そのおかげか、フローラも動じず、だった。
俺も驚くことはない。俺はその正体を知っているからだ。
「ベルゼブブか」
「久しぶり──でもないね、枷月葵。女神ベールについて、情報提供をしに来たよ」
いつも読んでいただきありがとうございます。
なぜ祝宴をここまで丁寧に書いているのかという話ですが、次々章への布石と、次章のプロットの作成を行っているためです。